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  ~懲りない傾向~

遥か北のツンドラ♪

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55年前の12月28日。『マイティジャック』の打ち切りによって路線転向となった『戦え! マイティジャック』が最終話を迎えていました。この番組は子供向けアレンジを梃入れした30分ものでしたが、『マイティジャック』の方は大人向けスパイアクションとSF巨大空中戦艦を扱う、連続ドラマで1時間枠という本邦初の試みでした。1968年ですからこうした組み合わせの企画は極めて斬新だったのですが、13話で打ち切られました。

大人向けと言いながらも、『マイティジャック』のメンバーが乗り組む万能戦艦MJ号あるいはマイティ号は潜水艦であり艦艇であり航空機という性能を持ち合わせた全長235mもの大型メカニック。艦内で戦闘機や偵察機などを組み立て、航空機で言うインテーク部分から射出するというギミックは、子供ながらに「サンダーバードには無かった」「キャプテンスカーレットのクラウドベースよりかっこいいぞ」と小躍りしたのです。

制作陣と役者側との意思疎通が成立しなかったり、視聴率が振るわなかったりの不運続きなこの番組は、制作した円谷プロの屋台骨を揺るがしてしまうほどの成績でしたが、大人はこれらのメカ戦に馴染まず、子供は延々と続くドラマパートの無国籍ぶりに飽きてしまったのかもしれません。大人向けでも、冨田勲さんの勇ましい楽曲もふくめて、この番組はきっと子供層が味方をしていたはずなのです。特撮ものとはまだそういう時代だったと感じます。

なにしろスパイアクションがもてはやされれば、万能戦艦いらないのです。当時少年サンデーに連載されていた漫画も、第1話分で88ページ費やすうち、МJ号が描かれているのはたったの3コマ! 当然のことで、『マイティジャック』とは多国籍企業体が生み出した諜報工作員11名の呼称で、万能戦艦のことではないのですから。それでも「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」より10年も前に、МJ号は海底ドックから出航し波を蹴立てて飛翔したのです。

移転間近。

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ピカピカの新庁舎。

住んでる街の市役所が新しくなります。
年度変わりで引っ越すのかと思っていたら
年明けから新庁舎で業務開始だそうです。
今まで本庁舎と別館1号・2号・3号館まで
点在していたんだけど、集約したんじゃろか・・・

 

55年前の未来

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55年前、未来があった・・・ 55年前、未来が変わった・・・

「突然何言ってんの。あたしたちそんな昔には居ませんでしたよ」

「ちゃぶ台挟んでメトロン星人と会ったのは12年前でしかありませんよ」

 

とーちゃんにとっては55年前なんだよっ

「挿絵の置き方が紛らわしいのよ」

「これっておじいちゃんが撮った写真ですか。モノクロって加工無しですよね」

 

変わっちゃった未来では、なんでか娘らがピット星人になっとる

「ピット星人の『小悪魔スカッシュ』飲んだだけっ」

「そういえばたまたま服の色味がおんなじでしたねー」

こんな未来で良かったのかなあ・・・

冬支度。

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タイヤ交換中。

日曜日に
「年末年始の為に水を汲みに行くのだ!」
と言い出した新月サン。
「その為にタイヤを替えるのだ!!」
と、出かける前にゴソゴソと作業してました。
いつもの川場へ行ってお酒も買って♪
「・・・折角だから谷川岳の水も汲んで帰るか?」
「?!」
わざわざ水汲む為に高速乗るのかと思っちゃったわ。
谷川岳PAは外から(歩いて)入れるんだって。
ちょっと山の上の影っている所は雪が残っていたので
タイヤ交換して行って正解でした。

わぁお!

片雲の風に誘はれて漂泊の思ひやまず

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長らくサイドキック2号車へのパーツ供給のために保管されてきた1号車を解体撤去すると、和邇さんから知らせがありました。92年式と古参の個体でしたが大役を果たして余りある活躍の末の余生でした。

「年末、比叡山にて阿闍梨に法要をお願いしてきますよ」

このエスクード(の北米仕様)と和邇家には随分と支えていただきました。

1号を初めて目にしたのは2000年頃の伊豆のモビリティパークだったかもしれませんが、手持ちの写真には残っておらず、最初の撮影分はちょうど20年前の南蔵王のものでした。うちの娘らが和邇家のお嬢たちと出会ったのも、このキャンプのことでしたが、さすがの20年、この頃走っていたclubES登録のエスクードは1号の退役で、2号とV3を残して失われてしまいます。まさしく月日は百代の過客というものです。まあ昔話ですから多くは書きません。

2015年には既に2号が復活してつくばーど®の行事に参加してくれていましたが、この2号もコンプレッサーの故障でその動向が心配されています。形のあるものに対して永遠という継続性を求められるのは、若い頃の無謀な情熱なのだなとも思わされます。第一、人様の車ですもん。でも和邇さんはたぶん、その人様の部活動運営のために車を存続させようともがいてきた人なのです。1号を見送るとともに、2号の修理がうまく行くことを祈らずにはいられません。

クリスマスですし・・・

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これを選ぶセンス・・・

新月サンにプレゼントなぞ用意してみました。
(自分が欲しかっただけなんだけど)
超絶嫌がられそうな予感(笑)
〝ねこの湯〟なんてデザインのTシャツもあったけど
我が家的にはこっちの方がツボ。

うちは仏教なんですけどね

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それじゃあ敬虔な仏教徒なのかと問われると、そうでもないよなーと思うくらいの無宗教です。若い頃にはクリスマス時期になると浮かれていましたが、子供が一人前になっちゃった今ではクリスマスイブはふて寝の1日。ツリー飾りなんてやらなくなったものの、リースは持ち出しているところがまあいい加減な男です。ただ、リースそのものは古代ローマの文化で、本来は冠。キリスト教もあとからこれを取り込んでいるのです。

スズキエスクード 90万キロ到達

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すっごくわざとらしいタイトルですが、例えばこういうキーワードで検索しても「エスクード中古車 九十万円」なんていうネット情報しかヒットしないものなんです。それだけ想像もできないバカげた話なんだと思います。

一時は間に合わないかなと諦めかけましたが、なんとかエスクード誕生35周年のうちに90万キロまで走りきることができました。

一夜明けて12月24日現在、それはもうちまちまとした距離しか伸びていませんが、既に「残り10万キロ」ではなくなっています。もちろん残っている道のりはとんでもなく長いことに変わりはありませんし、長い距離よりも長い年月をお乗りのユーザーさんには敵わないのですが、僕だって自慢したいときもあります。

世の中にあってはバカげた話ですが、もろ手を上げずにはいられず、ここからの道のりに呆然としてしまう心境です。

クリパ☆(なんか違う)

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大きなモンブラン。

「22日の夜、お邪魔していいかなぁ?」とはるちゃんから
LINE来たのが2か月(!)前
「色々あるから食べてみたいじゃない。でも一人じゃ無理だから」と
抱えてきたケーキがこちらです(笑)

ちなみに私が用意したご飯は〝鶏塩鍋〟
・・・どこがChristmasやねん(爆)

わが青春のア・・・アシアト

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写真にはTA51Wが写っていますから97年以降のもので、2000年暮れに閉店した店なのでそれより前にオーナーが変わったときの撮影のはず。先代らすかるもほぼノーマルです。この喫茶店「FOOTMARKS」が、僕の20代から30代にかけてのセーフハウスでした。お店が開業したのが、40年前。BLUEらすかるに貼ってある足跡マークは、この店のCI。かつては日本ジムニークラブ筑波支部(現存せず)の事務局にもなっていました。2000年12月23日に閉店しました。

セーフハウスとか言いながら家内とデートすれば飯を食いに行くし、結婚披露宴の二次会で世話になるし、オーナーの姉御には霰や霙が産まれたときにお祝い貰うしの、どこが隠れ家なんだという店なんですが、今でいうドリアを「ライスグラタンと呼べ」とか、誰が食うんだこの馬鹿みたいな辛さのドライカレーを「こんなの中辛以下だ」と豪語する姉御でした(誰が食うんだと思ったら家内が好んで頼んでいた)。姉御・デコ姉は霙が産まれた後に病気で、若くして亡くなりました。

姪御さんや知人のお嬢さんが店を引き継いで、開業から17年間看板が掲げられましたが、当時入り浸っていた常連もいなくなり、営業時間帯も我々の余暇時間とは合わなくなり、閉店に向かいます。ジムニーとの邂逅は姉御の亭主経由でこの店、最初のエスクードをV6に乗り換えてしばらくしてから「なんかいつも直4ショートがいるなあ」と思えば、僕の物書き師匠の奥方だったという、縁を取り持つ店だったのです。齢を食うとこういうのばかり書き出しますねえ。