無事に昨晩〝ずっとのお家〟に行きました。
18年一緒にいた猫を亡くされて暫く経つという
新月サンのお知り合いのお家へ。
「やっぱり寂しいんですよねー、居ないと」
複数居たって、一匹居なくなると寂しいんだから
1対1で暮らしてて相棒だったコが居なくなったら
そりゃ寂しいよね。
・・・可愛がってもらうんだよ!
仔猫ちゃん、その後。
あの日の僕を探していたわけじゃないけど
このヤマザキのミニピーナツパンを見つけたのが7日のこと。4月7日と言えば、東日本大震災発災後に再び襲ってきた震度7クラスの最大余震があった日です。その日は霰の高校入学式でたまたま帰省していて、つくばーど基地は7ほどの地震ではなかったのですが。霰は何か持っている奴で、発災直前の3月9日の前震のときには、中学校の卒業式でこれまた帰省しており仙台の様子は部下からのメールで知ったのでした。
ミニピーナツパンの話に戻ると、それらの日付ではなくあの年の3月12日に遡ります。発災日は窮地を脱して職場の事後処理をやっているうちに日が暮れてしまい、もうその頃にはスーパーマーケットもコンビニも閉店。金曜日で週末帰宅するつもりだったから冷蔵庫も空っぽ。電気、ガスも止まって煮炊き不可能で、防災用非常キットの乾パンしかない状況でした。
明けた12日朝、情報収集のために宮城県庁に出向いたら、ヤマザキパンのトラックが緊急配給にやって来ており、これに並んで手渡されたものがミニピーナツパンだったのです。あんパン2個よりも、ミニでも5個入りというのはとてもありがたかった。嘘ついてもしょうがないからそのまま書けば、まじめな話、これと乾パンで3日つないでおりました。
ふと見たらば、原材料高騰のためかミニというよりミニミニになっているこのパン。それを詫びるかのように「6個目」をパッケージしているところにヤマザキの良心を感じるのでした。
「らんまん」の真似して衝撃の事実
鴻雁北(こうがんかえる)の季節ですが、それより前に詠われる玄鳥至(つばめきたる)の気配はまだありません。つくばーど基地近くの農業用ため池に停泊していた水鳥は、そういえばいつの間にか姿を見せなくなりましたから、北へ向かった連中がいるのかもしれません。この週末は寒の戻りで裏山の上の方は霜が降りたようですし、山全体が雨と霧で覆われ、基地もそのなかに埋没していました。僕も炬燵に埋没です。
そんな陽気だったものの、基地の八重桜は満開で花見に最適でもない土曜日にしばし雨に降られながら見上げていて、「らんまん」の槙野万太郎みたいに「樹種は何だったんだろう」と思い立って再び炬燵にもぐって調べ物をしたらば・・・
これ桜じゃないんだ!
長年八重桜だと思い込んでいたのですが、実際には同じバラ科でも「リンゴ属」の海棠(カイドウ)であることを知りました。桜はそのままサクラ属です。これで合点がいったのは、祖父が「庭には桜は植えちゃならん」と言っていたのになんで「在る」んだ?の疑問でした。樹齢から考えて植えたのは親父でしょうから、彼らは彼らでやっていたであろう親子の対立を垣間見た気分です。「桜じゃねーよ」とかね。
そんなことをお茶を飲みながら家内に話したら
「お義母さんがカイドウって言ってたわよ知らなかったの?」
「知らんわそんなことーっ」
誰が呼んだか酷道険道←変換できるところがすごい
辛いのづいてる・・・?
そうこうしているうちに35年
細かいことを言うと少年サンデーでの連載開始前に、月刊ニュータイプのコラム(ゆうきまさみのはてしない物語)連載上で「機動警察パトレイバー」のベースとなった企画段階仮称作品の片鱗が登場しています。そこはこの際棚上げして、メディアミックスの先駆けとも言われるパトレイバーの初登場は、1988年4月6日のサンデー誌上つまりコミカライズ版が最も早い。後にアーリーデイズと呼ばれる最初のОVAは同月25日に第1話がリリースされます。
30周年のときにも触れていますが、パトレイバーのデビューはスズキエスクードのデビューと同い年なので、本年はやはり35周年同士。しかしそれらは作品との時系列で、物語の路線上では98式AVと同世代になるのは二代目エスクードです。もちろんエスクード自体は出てきません。それでも20世紀末の巷には、二代目どころかかなり多くの初代エスクードが現役で闊歩していたわけで、イングラムと絡めたイメージはいくらでも創り出せそうです。








