Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

無事に卒業。

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背は・・・伸びなかったなぁ。

背は・・・伸びなかったなぁ。

6年前の春にぶっかぶかの詰襟着た(袖も長けりゃ裾も長い)甥っ子1号が高校卒業しました。
んでもって〝サクラ〟は早々に咲かせて頂いたらしいです。

何回聞いても覚えられない、芸術情報学部の情報表現学科のなんとかコースに通うんだとか。
・・・親に大枚はたかせるんだから、みっちり勉強しろー。(オマエはしたのか?って突っ込みは無しヨ♥)

いつの間にやら30年ぶり

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hotdog自分のキャリアで四半世紀を越えてしまうのが東京編の話で、いつの間にか、久しぶりに訪ねるお店に通っていたのが30年も前のことだったかと、愕然とします。浅草のこの喫茶店もそういうお店で、浅草だからこそ健在で営業を続けていらしたのかなあと、愕然が感慨深さに変わります。お店自体は30年どころか昭和20年代の創業だったはず。さすがにそんな時代のことまでは知りません。だから、30年くらいなに言ってんのさと笑われそうなくらい趣のある店内の奥の方へ進むと、誰もいない喫煙席が待ち受けているのです。当時もそうだったけれど、若い客がいるのを見たことがありません。あの頃、僕自身が浮いた客だったかもしれません。

このお店のホットドッグは、柔らかく茹でたキャベツが敷き詰められ、中濃ソースが上塗りされ、その上に炒めたソーセージが載っています。冷めないうちに食べきらないと、損をする作り方です。偶然の出張とはいえここに再び来ることができるとは。と感動もつかの間、アポイントした相手を訪問する時間も迫っており、マイルドで僕好みのブレンドコーヒーの二杯目をオーダーすることはかなわなかったのでした。

間近って言ってるそばから満開

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ひかんざくらそりゃまあ緋寒桜だから開花が早いのは当たり前です。東京もまだソメイヨシノは蕾と言っていいでしょう。東京大空襲で焼け野原となった墨田区の戦没者慰霊と戦災復興を記憶している東京都立横網町公園の、清澄通り側の入り口にあるエドヒガンは満開。奥の慰霊堂は耐震補強工事を進めているようです。そういえば今年は関東大震災から数えても90年めです。

しかし仕事で来ているので、カメラなんか持っていません。携帯電話内蔵のカメラは、レンズ部分のカバーに傷が入っていてフレームの左側が歪んでぼやけてしまうのが泣けてきます。

十月桜浅草で見つけた十月桜も、分類としてはエドヒガンの仲間でコヒガンの雑種だそうですから、やっぱり満開。六区通りを歩いていて、一本だけ植樹されている不思議な風景ながら、見事な咲きっぷりです。蔦屋さんという袋物のお店の軒先ということは、蔦屋さんが植えたものなのか。軒の看板の緑色の屋号とのコントラストが実に良い彩を見せてくれています。

やーしかし歩いた歩いた。車で移動していたら、仮に気がついても素通りするしかないので、たまには鉄道で上京してくるのも悪くないです。

 

猫。

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つられて買う私も私・・・

つられて買う私も私・・・

遅くなったので、お惣菜買って帰ろうかとスーパーへ。

「ビール飲む」という新月サンがソレの棚へ向かったと思ったら、来い来いと手招き。「何ー?」と棚の前に行くと指差した先に、猫の缶(〝猫缶〟ではない)

・・・最近、新月サンも〝猫センサー〟発達してんじゃないの(笑)

開花前線もう間近

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03月16日に撮影した河津桜はすでに満開のピークを過ぎていましたので、天狗の森の南斜面で最も早く咲くこの桜前線迎え桜(非公認名称)は例年通り、10日くらいに開花していたものと思われます。南斜面であるだけでなく、このあたりの標高が大気の逆転層にかかっていることも関係していると想像します。周辺のソメイヨシノも、このあたりだけ蕾がだいぶ膨らんでいます。当然のことですが、山頂に近づくほど、ソメイヨシノの開花は来月まで待たなくてはならない様子です。ことしの水戸周辺の開花予想は4月10日ごろ。ここ数年、入学式の時期には散り始めていたことを考えると、なるほど30年に一度の寒波という異常気象の影響が出ていますね。

さてつくばーどでは毎年恒例の「写真展 桜の風景」を始めております。今年の一番乗りは生がきさんですが、そこより西で開花している街の方々にもぜエントリーしていただきたく、はたまた毎年のどかな桜の風景を提供していただいている皆さんにもご登場いただきたく、お願いいたします。

もうひとつは、これも恒例の花見企画で、現在「掲示板」にて準備中です。まあこちらは花より団子なオフラインミーティングですから、天気さえ良くて寒くなければ階下の状況は軽視してもいいような気がしています。うまいものをみんなで食えればそれが一番ということで、実現させたいと考えております。

ぜひぜひご参戦を。

 

タイヤ交換。

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今背負ってるのよりはマシ。

今背負ってるのよりはマシ。

友達宅のノマドが引退なさるって言うんで、スペアタイヤを貰う事にしてはや数ヶ月(・・・一年経つか?)。タイミングが合わなくてなかなか引取りに行けませんでした。

やっと受け取りに行けたので、ついでにスタッドレスもノーマルに交換(したのは新月サンだけど)

そのままプラプラ~とドライブでも♪と思ったら、夜バンドの練習だってー。なので「いちご食べたい」と吉見の道の駅まで連れてってもらいました。本当は越生の梅林へ行こうと思ったんだけどね、時間的に無理でした。

76年世界選手権イン・ジャパンの再現

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huntいろいろあって一か月も前のことになっちゃうのですが、封切りの翌日に「RUSH」を観ました。因縁のドイツGPから始まり、いったん1970年のF3へ遡ってジェームズ・ハントとニキ・ラウダの出会いを描きながら、怒涛の勢いでフェラーリのニキ、マクラーレンのジェームズという一騎打ちの構図へとなだれ込み、ジェームズはファッションモデルのかみさんを俳優のリチャード・バートンに寝取られ落ち込み(そこかよ)、ニキはクラッシュから死線をさまよい42日後に奇跡の復帰。そして最終戦の富士スピードウエイへと、もったいないほど超高速でストーリーが進んでいく。

でもこれは史実に基づく物語なので、76年シーズンのF1グランドチャンピオンは、僅差のトップでジェームズがもぎ取り幕を下ろしていくのです。

この流れは逆立ちしたって変わらないのだけれど、今や伝説上のF1レーサーであるはずの2人って、セナやプロスト(うーん、この時点でもう古い?)なんかよりもずっと身近な存在だったなあと感じるのでした。ビデオデッキなど家庭には無い時代でしたから、TBSの生放送を食い入るように見ていたのを思い出します。

それとてたまたまF1が日本で初開催されるという一大イベントゆえの番組枠。雨天の予選やらアクシデントやらでスタートが遅れに遅れての、録画放送から生中継への変更という番狂わせだったと思います。実際には興行的にも未知の世界のドライバーたちで、フジテレビによる年間全戦放送時代よりもはるかに遠い世界のはずのF1なのです。それでも個性的なレーサー、アクの強いマシン、判り易いチーム構成など、記憶に残る面々だったのです(後に赤いペガサスをはじめとするF1サーカスの漫画で感化されてもいきますし)

それにしても主役がこの2人ですから、第16戦inジャパンに出走していたマリオ・アンドレッティ、ジョン・ワトソン、ジョディ・シェクター、カルロス・パーチェ、クレイ・レガッツォーニ、ヴィットリオ・ブランビラ、ロニー・ピーターソン、長谷見昌弘(以下略)なんか、いるけれどいないも同然。レガッツォーニだけはフェラーリのドライバーとして登場してきますが、それ以外は「あ、たぶんこいつがマリオで、この人がシェクター」てな扱いです。

もちろんこの映画は富士スピードウエイでロケなんかしていないんですが、グリッド上のレースクイーンが持つプラカードにはアルファベットと同時にカタカナで選手名が記載されていたり、スタンド周辺もなんとなくそれっぽく演出されていたり、カット割りで富士山が出てきたりで、細かいことはもういいやというムードでレースが繰り広げられます。もちろん史実に基づくのでニキは2周走って雨天の危険さを訴え自主リタイアしてしまう。

仮に走り続けていてもジェームズは4位以内に入ればタイトル確定ですが、この年のタイトルポイントはわずか1点の逆転劇。何が起きたかわからないという緊迫の一戦には違いなかったのです。そういうたら・ればの思いをあざ笑うようにレースはマリオのロータス2年ぶりの優勝という結果におさまっていきます。

専門的なところはわかりませんから、粗を拾う点はいくつもあるのでしょうけど、単にF1マシンを走らせるだけでなく、ウエットレースという当日のコンディションをも映像上に再現してカットをつないでいくというのは、ある意味「アポロ13」で描かれたサターンロケットの打ち上げや宇宙の描写よりも難しいモノだったのではないか。富士のシーンはいろいろな雰囲気で懐かしくもあり、それ以上に70年代初頭のヨーロッパでのF3の世界を描いて見せてくれた(実に牧歌的で草レースしているのね)のも印象的でした。

ただ、こういう映画って、日本では誰が観に来るんだろうなあという客層が読めない部分は一抹の不安です。そしたら、家内と観に行ったシネコンではいかにも「オレ好きだったんだよニキ・ラウダ」な老夫婦・・・もいらっしゃいましたが、意外と「きみたちこの頃まだ生まれていなかったよね」といった世代の30代前半どころか、若い人たちがけっこう座っていました。ライブで知らなくてもF1が好きな人たちは来るのだね。

「お父さんがお前くらいのときにほんとにやってたんだよこのレース!」

と、10歳くらいの一姫二太郎なお子さん2人を連れた、僕より当然若い親子連れがすぐ前の席にいたんですが、映画の冒頭、女ったらしという風評設定そのままのジェームズが入院した病院のナースといきなり・・・ってなシーンや、忘れた頃に結婚したてのニキもハネムーン先でかみさんと・・・なシーンが展開しちゃったのは、ばつが悪かったんじゃないかなあ。

まさしく過去の栄光

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sigeo個性的な初代、凡庸な二代目、無能な三代目・・・って、おい、エスクードユーザーにケンカ売ってんのかシバシゲオ!(笑 第2小隊のことです) という論調で掴みに入ってきた「機動警察パトレイバーTHE NEXT GENERATION」のエピソード0を観ることができました。「うる星やつら」の頃から初志一貫している美学か哲学か、は、たいしたものだとあきれながらも、だからこそ、もはや聞き飽きすぎた川井憲次さんの音楽も相まって、ああ、これはまさにパトレイバーだねと思わせてくれる押井守さんの画づくりです。が、企画集団であったヘッドギアの他の面々はとうの昔にこの作品から離れてしまっていて、かっこいい2足歩行ロボットを否定しまくりぐちゃぐちゃ言い続けてきた押井さんだけが見苦しくも現場にいる。

まさかね、この映像化を実現させるためだけに、80年代からずーっと主義主張を貫き、押井節を世の中に定着させ、自らをもその後のパトレイバー世界にすり合わせるために、恥も外聞もなく「置き去りにされた栄光」を醸成してきたのではなかろうか? とまで考えさせられたのです。もしもそこまで徹してきたのだとすれば、押井守は鬼才だと言ってあげたくなるのですが、またぞろこのノリですから、きっとそうじゃないよなあ。

そんなこんなで、面白いかそうでないかは作り手の能書きなどではなく、出来上がった作品からでなければ語ることができないので、七章と長編の行方を楽しみにします・・・って言ってるそばからこれもまた仙台で上映しないのか!

貸しきりランチ

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ブラン盛岡というとなんとかの一つ覚えのように福田パンに通い詰めて、コッペパンをかじりながら車で移動というパターンが多かっただけに、実は食い物屋さんの情報にまったく蓄積がありません。以前、郷土料理っぽい料亭にふらっと入り込んだことがあったけれど、それが何処だったか覚えておらず、ランチのボリュームに対してワンコイン?というありがたい喫茶店の場所も思い出せず、仕事先近くの路地を歩いていて時間を見たら正午をちょっと過ぎていて、こりゃ何処もいっぱいで選択の余地はないかなと立ち止まったところに置いてあったランチメニューの書かれた黒板が目に入って、するっとドアを開けました。

 

10人分のカウンター席のみ(奥の2人分は厨房の仕切り壁によって手元のテーブル面積が半分)の、なかなかジャンク趣味的な佇まいに「よしよし、こういうとこ好きだぜ」と席を取ったら・・・というより店内に入った瞬間、客がいない。12時半。まず仙台ではそういう店はお目にかかれない。

「うちに来るお客さんは11時台の後半にお昼ご飯にいらして、12時ちょっと過ぎには帰られますね。それ以前にあちこちに飯処から喫茶店までひしめき合っているのが盛岡の街ですから」

店を切り盛りしている青年と話をしながら、盛岡の人の方が勤勉なのか、あるいは昼時の食事とお茶は別々に時間を割り当てているのか。などと考え考え、ランチのオムライスを食っていますが、やっぱりお客が来ない。むー・・・ここは昼どきというより夕方以降の店のようだなあ。

するとようやく1人、常連らしきお客がやってきたのですが、

「1時間後くらいに持ってきて―。会計は今していくね」

おお、デリバリーもやっていたのか。オーダーされたものをメニュー表で見てみたら、クラブハウスサンドやらホットドッグやら、パンにメニューに使われているパンは福田パンから供給されている。献立自体のバリエーションはずいぶんと豊富で、よく1人で切り盛りしていると思いきや、その配達に出ていたもう1人が戻ってくるのでした。

で、この間、カウンターは僕1人。まるでエアポケットに入り込んでしまったようなのんびりの昼飯です。ただし、ふわふわの卵は上手だけれど、チキンライスに関しては、たぶん僕の方がうまく作れるぜ(笑)

振り返れば地平線と水平線

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01w-52w北海道東、根室にお住いのエスクードユーザーさんのエピソードが沖縄県から届く。だからどうした、ではないのです、これがエスクードユーザー同士のつながりなのです。

独りよがりと言われようとも、このリポートはスーパースージーの連載に採用しちゃうぞと、マミポコさんと松尾さんそれぞれに了解を取り付け、081号の記事として掲載させていただきました。折しも連載30回目でしたし、理屈っぽいこと書くよりずっと面白い(・・・はず)

マミポコさんが注目した、インターネット上の民宿写真に写っているTD01Wは、実はずっと以前からその存在を知っていたのですが、まさかそのエスクードが現在はTD52Wに乗り換えられていたとは、現地に赴いたマミポコさんならではの発見で、それを知らされてびっくりでした。

「ああ! このオーナーさんはエスクードを乗り継いでいたのか」

という感銘を僕も受けました。しかもリポートによれば、三代目がデビューした後に、あえて二代目を選択されたという部分にも、引き込まれるものがあります。実際に松尾さんと電話で話してみると、穏やかな口調でお話しながらも、ご自身のエスクードのオドメータを見るために「ちょっと待っててね」と表に出て行ってしまうほど実直な方です。

例えて言うなら、松尾さんが地平線なら、マミポコさんは水平線というイメージを携えるエスクード乗り。うむむむ。根室にも沖縄にも行ってみたくなっちゃったじゃねーか。