黒石焼きそばには、つゆ焼きそばというのがあるそうですが、それにはまだお目にかかったことがありません。食わずに言える立場ではないですから、つゆに浸った焼きそばがうまいのかどうか、ほんとのところは疑問。と、声に出しにくいものがあります。
津軽蕎麦にするか黒石焼きそばにするかで多少迷った末、つゆそばではありませんが焼きそばを選んだのは、でもやっぱり食ってみたかったから。太い平麺はややもすると焼うどんみたいに思っちゃいますが、なかなか食いでがあります。
47万キロを刻んだ記録の整理で、37万キロのときにはどこで何をしていたのか紐解いてみると、北浦の湖畔でこし亀さんのエスクードがやって来るのを待っていたときのこと。2年前の12月25日早朝でした。
27万キロはさらに遡って2009年9月。17万キロが2007年2月となり、BLUEらすかるはそれ以前の7万キロという記録がありません(買ったときすでにこれを越えていた)。うちに来てからは、おおむね2年程度で10万キロずつ走り込んでいます。ここで皮算用しても意味がないのだけれど、次の機会は2015年ということになり、就航10年めの節目にも当たります。
2015年というと、ハンガリー生産のあのSUVがデビューする。あれが世に出てくるということは、少なくともヨーロッパ方面におけるグランドビターラの役目は終わるというあまり考えたくない予想も浮かんでくるのですが、そういえばBLUEらすかるは、3代目エスクードのデビューの年にうちにやって来たことを考えると、そのような因果を背負っているのかもしれません。
もっともそこまで走りきれるかどうかは、現時点ではまさしく皮算用でしかなく、走りきれないかもしれない。ただ、夢の57万キロのその先に、ずっと追いかけている最長不倒距離がまだ横たわっているので、ここからの2年はちょっとした意味を持ってきそうです。
でも58万キロのノマドって、8年くらいでやってのけたって言いますから、それは最初っから敵わない勝負だったんですよねえ。
車検と劣化部品の交換修理から明けたBLUEらすかるは、いきなり青森県西目屋村というところまで走らされ、仙台に戻るという慣熟走行を強いられております。
全行程973キロ・・・ドライバーの方がへろへろです。
その往路にて、積算走行距離は47万キロを刻んでおりまして、これが北上金ヶ崎PAであったというのは偶然ではなく、ここで刻むように、日曜日に動かす距離を大ざっぱに計算して臨んでいました。外径を純正に近づけたスタッドレスタイヤに換装したため、実走と距離計の誤差が無くなっているのが幸いですが、ほぼカーナビゲーションの距離測定頼み。
いやー、うまくいかなかったら未踏の距離を撮影できなかったですよ。
往路の岩手山SAで燃料を満タンにして、ここから西目屋村、仙台までの距離480キロ分は無給油で帰ってきて、燃費は残念ながらリッター12キロにちょっと届きませんでした。慣らし運転ですから、平均速度は時速90キロキープです。今さらの発見ですが、周囲の車がどんどん追い越して行ってくれるので、前走車に行く手を遮られることもなく、というよりまったく前走車がいないよ状態のクリアなコンディションで走れたため、復路は精神的に楽ちんな道のりでした。
雨が降り出す直前、曇天とはいえ冠雪した岩木山を裾野から頂まで眺めたのは初めてです。帰り道は強風と雨模様で、日本海側は大荒れなんだろうと想像しながら、冬道素人にとっては凍結していない東北道の行き来は大助かりだなあと移動したのですが、目的地にたどり着くために弘前の街を経由しなくてはならないのがけっこう大変です。
ナビゲーションのルートは合理的なのですが、混雑と複雑な右折だ左折だで、結果的にはロスが大きい。帰路ではルートを無視してショートカットコースを探してみたものの、いまひとつ決め手になる近道を見出せませんでした。
そんなわけで、日曜日の楽天優勝パレードも、月曜日の駐日アメリカ大使の来仙も関係なく、慣熟運行は無事に完了です。
腰痛い・・・
ことし一番のミーティング日和でした。がしかし、天狗の森のつくばーどは美味いモノを持ち寄ってたらふく食うのが趣旨なので、走る曲がる埋まるという方向はありません。狼駄さんの焼き肉とAMGさんのホルモンうどん、風花さんのパウンドケーキとベーコンブロック、実に久しぶりのまさ姐ママ(双子ちゃん連れ)のアップルパイ、青影さんはじめとする参加者の皆さんからのお茶菓子などなど、これ11時から14時のでのバーベキューサイト使用時間じゃ食いきれないだろうという物量ぶりです。
そもそもスーパースージー080号の連載記事の素材として考えていた、V6‐2500のエスクードを取材するための企画でしたが、20回を数える天狗の森でのつくばーどであったり、活動10周年にあたるESCLEVのお祝いであったり、エスクード誕生25年企画を締めくくり、協力してくださった面々をねぎらうつもりのメニューを組み込みましたから、晴れてくれなかったら
「日頃の行いがよほど悪い」
と言われかねないです。おかげさまでなんとか予定をこなすことが出来ましたが、原稿書いてる時間がないよ。
つくばーどのレポートを書かねばならないのとスーパースージーの原稿を仕上げねばならないのですが、よく考えてみたら本日は2013年度のTDAファイナルが開催される日です。ああっ、この忙しいのに横道にそれるのか(笑)
そもそも本日開催じゃあリザルトの出ていない時点で何を書いてもだめじゃないか。と思われるでしょうが、今シーズン最後の最後で、川添哲郎選手が実に大胆なマシン改修を施しました。
なんと、タイヤホイールの15インチ化です。
エスクード乗りの方々ならお判りでしょう。2000ccのTA51Wは、この排気量のエンジン出力に見合った制動能力を得るため、キャリパーポッドとブレーキディスクの大型化(1600比)を図ったことで、16インチホイールが標準となっています。
つまり1600用の15インチホイールを履くことはできないのです(追記 条件付きで可能な場合を青影さんが検証していますが、川添選手はそれを知りません)。
にもかかわらずこれを敢行したのは、腰下の軽量化によってスタートダッシュを1秒でも速くしたいという考えから思いつきに至った作戦で、さすがの島雄司監督もあきれ顔に苦笑だったようです。
「どうするつもりなんでしょうねえ。総合優勝の奪い合いがかかった最終戦なんですよ。理屈は分かるんだけれど、ステアリングがクイックに切り返せる反面つねタイヤがよじれやしないかと」
監督のコメントから察するに、どうもほとんどぶっつけ本番で挑むらしいのです。川添選手のイメージとしては、出足の鋭さと切れの良いステアリングによる多角形のコーナリングだとか。確かに15インチのタイヤホイールも4本分となれば実質的な軽量化につながりますが、ジオランダーAT+Ⅱのサイドウォールに関しては、やや不安が残ります。
そしてこの作戦は、とにかく後藤誠司選手を打ち負かすための秘策だったのですが、仕上がったエスクードの保管されているウエストウインには当然、後藤選手のエスクードもJXCD仕様からTDAレギュレーションに戻すための持ち込みがあります。後藤選手は川添選手のエスクードを見るや否や、なぜ15インチのタイヤが組んであるのか? どうやったらそれが可能なのかは判らず監督に問いただしては困らせていたのが金曜日の夜のことでした。
うーん・・・笑っちゃ悪いんだけれど、双方真剣なだけにこの展開は(だって最終戦なんだってば)確かに苦笑いしてしまうじゃありませんか。
ところでここしばらく、検索キーワード「モビリティおおむた」で当ブログを探し当ててくる人が増えています。そんな人のために最近のことを少し書きますと、造成は開始したものの、メガソーラー事業が頓挫しているようです。売電価格の下落までに事業認可が間に合わなかったのか、太陽光発電パネルが品薄となり高騰していることや、清算が追いつかないことなどが影響しているのかもしれません。
さて最終戦リザルトが入ってきました。
優勝はパジェロの廣瀬選手、後藤選手は二位、三位に川添選手という結果となりました。
実は川添選手は慣熟運転中にハイサイド転倒し、ほぼ全損状態。後藤選手も自身の練習走行時にマフラー脱落、フロントデフマウントの破損。2台とも満身創痍のままトーナメントに臨んだそうです。双方怪我が無くて何よりでしたが、本来ならリタイアです。後進を育てるという目的も含んでいるのであれば、この最終戦はより安全策を取るべきだったかもしれません。
一方、デリカスペースギアの宮崎選手は、このクラスでの優勝をもぎ取り、来季のゼッケン1をウエストウインにもたらす殊勲をあげたとのことです。スペースギアで走ること自体驚かされる選択肢でしたが、勝ちに持ち込む腕前は素晴らしいものがあります。
ともあれ今シーズンはお開きとなりました。後藤選手は更なる軽量化を課題としているそうですが、ここまで来るとこれ以上何処を軽くするかで悩みが出てきます。ストーブリーグ中、じっくりと考えていきたいと思います。そして川添選手は残念ながらレース後エンジンもかからなくなった51Wとは離れなくてはならないようです。そうは言っても彼らは常に挑戦者というスタンスを捨てはいません。来季の走りに注目しましょう。
ほぼ仲間内でのイベントに終始してしまった感がありますが、本年はエスクード誕生25周年でした。地味とはいえいろいろとやってきた締めくくりというか、25という数字にあやかって、2.5リッターのエスクードを持ち上げるのが、本日開催するつくばーどin岩間ⅡⅩの趣旨のひとつです。このV6エンジンが初代のTD61Wと2代目のTD62Wに搭載されたことは周知のとおりで、スズキの登録車シリーズとしては初めて小型車の枠を超えた(初代において)ことがエポックメーキングでした。H20Aに始まった6気筒ユニットは、2代目のグランドエスクードと3代目のXSなどに2.7リッターまで格上げされて進化を遂げています。
この排気量変化は、主にエンジンブロック内のスリーブの変更によって成されてきたと言われており、事実上の強度限界が2.7までで、後に登場する3.2XSには、同じV6ながらN36Aのボアダウンが採用されています。もうひとつの側面として、スズキ初のV6であった2.0リッターは、その型式のインパクトとは少し違った、トルクの細さがウイークポイントでもありました。その部分は乗り比べてみなければわからないこととはいえ、2.5においては十二分な改良が進んでいたのです。そしてグランドエスクードや3代目の2.7に対して、約300キログラムほど軽い車体を持っていた61Wは、数字で見れば平凡であっても車格の中ではなかなか熱めのモデルであったということが出来るのです。
折しも本日の焼き肉が満腹感を醸成する頃、東京モーターショーではエスクードの歴史にピリオドを打つかもしれないブランニューの姿が注目されることでしょうけれど、それはそれでいい。小型車枠を飛び出すための先陣を切った2.5リッターのエスクードに、一度くらいはスポットを当てたいのです。
ついでながら、これまた地味にやっているエスクードの部室のようなサイトであるESCLEVも、そろそろ時代から取り残されていながらも10年めを刻んでおります。こちらは何もやっていないのでそれこそ印象も何も残りませんので、和邇さん提供の記念ストラップだけが歩みの証です。すでに受け取った方もいらっしゃいますので、まだ手にしていない人優先で、本日配布いたします。
突如、かどうかは知りませんが、先日復興大臣が宮城県にやってきて、震災の記憶を風化させないためにも、震災遺構を残すべきか片付けるべきかの議論をしましょうと言いまして、宮城県知事の招集によって本日、被災地の首長達が宮城県庁にてその議論を始めることになりました。
震災遺構とはつまり、あの津波によって大破しながらその骨格だけは残されている建造物のことです。代表例が、南三陸町の防災対策庁舎で、ここに残って最後まで避難放送を続けながら亡くなられた女性職員の逸話は、それこそ風化させてはならず、別の視点ではきっと風化しないだろうという記憶です。
同じ県内の隣町とも言うべき気仙沼市に打ち上げられていた漁船は、残す残さないの紆余曲折の末に先月末に解体が終了しましたが、庁舎は民間の持ち物でないために、解体が南三陸町長の決定事項であるにもかかわらず、待ったをかけられた状況です。
知事によれば、遺構として残すべき価値はあるが、一存でそれを押しつけることはできない。そのことについてあらためて話し合いたい。というアナウンスでしたが、もうじき被災から3年目がやってこようという今、これを議論の素材にする理屈とは一体なんなのか。風化させてはならない記憶とは、物質的な保存がなければ押しとどめることが出来ないのかと思うと、いささか哀しい気がします。
そんなんだったら、沿岸の防波堤の修復なんかやめたらいい。と言われたらどうするのだろう? やめるはずがないし、やめない理屈はびしっと立ててくるのでしょう。もちろんやめる理由もないのですけど。
宮城県内には、沢山の児童が亡くなった小学校もそのまま処遇を決められずに、どうしたらよいのかと横たわっています。防災対策庁舎にしても、復興途上の様子と被災の凄惨さを知らせたいという趣旨でやって来る見学者は後を絶たないけれど、解体されその存在が無くなった気仙沼の漁船の場所には、今は誰も寄りつきません。だから残していくべきだという論旨があるのかもしれませんが、復興の進め方や、そこに居続ける遺族を含めた土地の人々のためには、一切合切無くしてしまった方が、思いの切り替えが出来るのではないかと感じます。
記憶を風化させないやり方は、ほかにもあると思う。
スーパースージーの来年1月に発売される080号の下請け取材をESCLEV事務局から仰せつかり、無い知恵を絞ってもろもろの算段を取り付けている最中、
「カラーで2ページ掲載できるように、発行人の二階堂さんから了解を取り付けましたので、そのつもりで」
などと事務局が言って来ました。
2ページ? カラーで?
ちょっと待ってよ、もう今週末にやるんだよ。なんでそういう大事なことを今頃になって言ってくるかなESCLEV事務局!
えーと、どうすればいいんだろう? 1ページは予定通り、V6‐2500のエスクードを題材にしてユーザーズスペシャルを組むとして(台数足りないじゃん)、もう1ページは冷やかし手伝いに集まってくれる面々を交えてのミーティング風景でまとめることになりますか。だけどそれって、つくばーどの冠でやるのか、ESCLEV10周年でタイトルを固めるのか。
「誌上企画ですので、ESCLEVの方でやっていただけるとありがたいですね」
なんだとーっ! おい事務局、世間的にどちらもマイナーサイドだけど、どっちの方が知名度高いと思ってるんだ!? それに2ページはありうるだろうけれど、カラーってところはなんとなく信じられない。ふたを開けたらモノクロ仕上がりということは想定しておかないと、あとの脱力感をどこにもぶつけられない。
そんなこんなで直前になって大混乱です。
この際だ、エスクードとレバンテに乗っている方々、2500以外はひとまとめになってしまいますが、23日に天狗の森までぜひいらっしゃいです。
しかし待てよ? この取材を企画ページに持って行かれるということは・・・
連載の原稿素材をどうすんだよーっっっ