「関東でも雪になるでしょう」
という気象情報も、どーせ空振りだろうと思っていたら。
朝、雨戸開けてびっくり。
とは言っても、車の上と屋根や木の上に積もっていたくらい。
道には全く痕跡すら・・・
寧ろ、どうして車だけ白いのかっていう疑問。
地熱が高いという事なのかしらん???
(当然、庭にも積もってませんでした)
DRIVER誌からのもう1ページの別コラム。これはイグニスのデザインについて「過去のスズキ車から取り入れられた面影」を引き合いに出していますが、この話題は同誌に限ったことではなく、僕も似たようなことを昨年書いています。ただし、面影(雑誌はこういう言い方はしていません)という好意的な解釈はしませんですよ。第一、「単なる熱抜き」をデザインの一部として成立させていることと、「ガーニッシュとして表現」しただけのこととでは、仕事の質がまるで違います。
その意味では、なんにもないところから・・・とはいえ初代エスクードはすでにプジョー205によく似ていたのだけれど・・・作り上げたものと、伝統という言葉に助けられてあっちこっちの面影を持つ新車の産みの苦しみ方も違うでしょう。
だから、こういう些細なデザインについてエポックを見出すような話は、デザイナーにとっては針の筵なのではないかと思います。となれば、見出しを立ててうんちく論に掲げるとか、ましてや営業サイドがこれをセールストークに持ち出すなどというのはもってのほかじゃないかと。
ただ、この話題からひとつ別の視点も気づいたように感じています。
他社の各セグメントごとに、つまり全く車格もテイストも異なる車たちに、たとえばラジエターグリル側のデザインを無理やり統一させちゃう一点強引アイデンティティーによるへんてこな印象を受けるよりも、なんとなく「あれっ? ここってさー」という程度にデザインを持ち込んでくるやり方の方が、結果的には上手なまとめ方なのかもしれません。
Maroさんからのメールを拝見して、しばらくぶりにDRIVER誌を買ってきて読んでみれば、べた褒めなイグニスの特集に連動したスズキの小型乗用車変遷が取り上げられていました。
小型乗用車なので、ジムニーエイトも1000も1300もワイドもシエラも完全にスルーされていますが、そりゃもう当然エスクードもない(笑)
と思いきや、企画ページの巻末にコラムとなって載っておりましたよ、初代のみ。あ、一言余計なこと言ってるけどX‐90も。
「なんてことのない記事ですが、紹介されていることがウレシクなってしまい」
Maroさんはそう語っておりました。
まあ、書かれていることはくすぐったいとしか言いようがない、時代に丸め込まれたSUV論理なのですが、要するにスズキの小型車の成功例というのは、思い切りがよかったかどうかに尽きるような気がします。今のクルマ雑誌は、スズキの商品企画についてニッチ、隙間という言葉は使っても、ダボハゼ商法などとは言わなくなりました。そこはスズキも小型車を作るメーカーとして認知されたということだと思います。あとは、ニッチ企画を通すか通さないかの決断でしょう。
記事においてもイグニスは「ありそうでなかった」と評されているように、残されたコンパクト枠の隙間を突いた企画であるということで、かつてはエスクードが四駆の1600枠(意外に隙間だった)でそれをやっていたわけです。しかし今やそこはスズキが撤退する予定の領域。これをクロスオーバー路線で引き継いでいるのがイグニスと言えるのです。
それであらためてエスクードが恵まれていたことにも気づくのですが、初代のテンロクに限って言えば、途中で抜けた貨物車、短期登場だったレジントップも入れれば、ハードトップ、コンバーチブル、ノマドという多彩な車体バリエーションを展開できたことは、現在繰り出されているスズキの小型車よりも優遇されていたのではないかと。
コンバーチブルとセダンを持っていたカルタスも、三代まとめての車種構成ですから、エスクードのバリエーションは群を抜いていたのです。
霙の私立大学受験がすべて終わり、受験した学校ひとつ残らず合格判定の通知書が届きました。
やー、やれやれです。が、ここで油断はできませんので、これらは全部滑り止めですからね、と講評を告げたのですが、そのうちの一校が、家内が受験して受からなかった学部で、学科まで一緒でしたよ。しかももう一校はそこよりずっとレベルが高いし通学距離も短いうえ、よりによって僕の親父の出た学校ではありませんか。
これはいかん。祖父と孫で学閥をひけらかされるのはたまらん。
ここはなんとしてもセンター二次を突破してもらって、親父の母校も華麗に蹴とばしてもらわねば、あとあとうるさいことになる。
それにしてもです。今回、父親の母校は受験志願の時点で完全にスルーされているというこの哀しさ・・・