四匹に増えたのと婆にゃ達のシッコ量が増えたので、いままで使ってたウ◎チバケツが容量オーバー気味。
特に週末は悲惨ですー・・・
(可燃ごみを金曜日の朝出すと、金・土・日の三日分で溢れる)
ネットのペット用品を見ていたら
「臭い」「雑菌」を強力シャットアウト!
という売り言葉に引っかかりまして。
「一匹なら2週間分溜められます」(・・・溜めたくはないです)
・・・って事は?四匹だと三日分くらい??
まぁ、週末の惨状が回避出来ればいいや。
初代エスクードのスタイルや雰囲気は、デビュー当時に「プジョー205っぽい」とよく言われました。偶然にも88年頃、スズキはプジョーも一部で代理販売していたから、新車登場したエスクードが「似ている」と語られるのは無理もありません。まあ実際似ていたし、205のバンパービルトイン角型フォグランプユニットは、エスクードが後にオプションとしてラインナップさせたスーパーデザインコレクションのフロントガードビルトインランプと共通部品でした(汎用品だしね)
しかしエスクードの開発がスタートした84年に遡ると、83年にフランスデビューしたばかりの205をモチーフにする話は少なくとも「その時点では」無かったらしく、全く別のクルマがデザイン検討の対象に上がっていました。
「ホンダシディ。ブリスターフェンダーが同じでしょ? 特にあの年の夏に出たカブリオレが風変わりでね。あれを真似たんですよ」
人呼んでエスクードの父、二階堂裕さんが言うのだから、この逸話は間違いないでしょう。言われてみればなるほどなのですが、言いきられちゃうとヘナヘナと来るものがあります。しかし、すると、初代の3型あたりまでのプジョー似な顔立ちは、「丸目顔だとジムニー/サムライと変わらないよ」というのが正当な理屈なのでしょう。結果、丸いヘッドライトを採用しなかったことで、ジムニーとの差別化が実現し、どこかプジョーに似てしまったのはご愛嬌な昔話です。
今週末の忘年会を控えているというのに鬼が笑うぞの「新年会」の告知です。ここ数年1月にシフトしていましたが、今回、ほんとに新年会たけなわなところにしか設営できませんでした。
そりゃ雑煮くらいやらないとダメなんじゃないかと思っていますが、たぶん主たる献立はカレーライスです。
何故新年会がカレーライスなのか、もう大半の人にはわからなくなっているような気がしますが、新年会というより、天狗の森で設営するつくばーどはカレーライスが基本なのです(たまに違うものもやってましたが)
その故事は16年前(今現在基準)に遡ります。もともとはみんなで得意技のカレーを持ち寄るコンペだったのです。このとき優勝したのがSIDEKICKさん。優勝してしまったがために、これ以降のカレーは彼が作らされる羽目になっており、今に至りますが、最近、これに挑戦するカレーの差し入れも復活してきました。
いやいや、僕はですね、SIDEKICKさんへの贖罪として、天狗の森でカレーライスを食うまで、その年は一切よそのカレーを食わないことにしているのですよ。
あ・・・
2月開催が1月になって、今度はいきなり第1週の新年会って、そういうことかよ(そんなつもりは決してありませんっ)
ともかくも天狗の森のカレーライスは美味いのですよ。これを食わねば1年が始まらないと、もう言いきっちゃおう。そんなわけですので1月7日なんてふざけんじゃねーよというスケジュールで申し訳ありませんが、ぜひぜひおいでください。
「伊香保 おもちゃと人形 自動車博物館」は、個人による収集コレクションを有料展示している地方発のアミューズメントパーク。昭和三十年代の横丁文化や店舗の再現、レコード、プロマイド、ポスター、おもちゃにテディベアとここまでくれば誰もガラクタとは呼ばないだろう(うちの収蔵なんかは要するにまだまだガラクタ)という数と装い。難を言えば上へ下へとめぐる順路がバリアフリーに対応しておらず、またところどころ通路が狭く、知らずに車いすで入館してしまった来客が立ち往生してもスタッフがそれに気づかないところがあります。
最初は面白がってあちこち見物しながら、最後の頃にはけっこう汗をかいて出口にたどり着こうとすると最後の最後に喫茶コーナーを置いておくところが「このやろー」(笑)なんですが、横丁文化ゾーンを過ぎてから入り込む自動車ゾーンが、自分でも乗ったことがあったり親父や叔父貴たちが乗っていたりしたものと同じ車がたくさん保管されています。とはいえスズキのビンテージなものなんてフロンテくらいしかないわけで、いくら三十年近く前で昭和の車とはいえ、こんなところにエスクードなんてあるはずがない。
実はこの建物のなぜか撮影禁止区画にMiniMini博物館コーナーがあり、二十台以上の様々なミニが展示されているのですが、その最後の一台が「Mini四駆」と呼ばれるハイリフト改造モデル。成田にある自動車整備士学校の学生が制作したものなんですが、これのシャーシ側をよくよく見ると、エスクードなのです。
・・・いや、それだけの話ですよ。
すいません、それ以上話題にできる素材はありません。
霰(霙もですね)は生まれたとき既にエスクードのハードトップに乗せられチャイルドシート時代を過ごしました。先代らすかると彼女は同い年。不幸にして(笑・・・っていいのか?)この姉妹は、母親のクルマを別にすれば、エスクードの座席しか知らずに育っているのです。父親に至っては、たまに借りてくる車さえもエスクードです(左の写真)。そんなわけで霰(霙もですが)は、周囲の知人がエスクード乗りばかりでもあり、初代エスクードのほとんどを体感しているのです。
その霰も本日で21歳。自ら取得した運転免許証を初めて書き換えるときとなりました。もっとも日常で運転する機会がないので「優良ペーパードライバー」なんですが、まさかその書き換えのためにエスクードに乗って出かけるなんてことは、狼駄さんのコンバーチブルから顔を出していた頃には想像もしていなかったでしょう(まだ更新には行ってませんので、写真は今年の夏のもの)。もうこうなると、初めてザンバードに乗せられたのにあっさり操縦できちゃった神勝平ばりでしょう。
と、言いたかったのですが・・・
・・・当日、ぷらすBLUEを貸していいものかどうか。
インターネット上のクロニクルやDVDのライナーノーツを読み比べると、「光速エスパー」の企画から初期の漫画連載の時期に解釈の差がありますが、東芝のマスコットキャラクターとして立案されたのが1964年、デザインを担当したあさのりじさんが漫画連載を始めたのが66年(65年説もあり)と言われています。企画年次で言えば「サイボーグ009」と同じ頃の誕生で、エスパーは漫画に先んじて町の電気屋さんのシャッターに描かれ人形が置かれる形で登場しました。
あさのりじさんの漫画連載が、もう半世紀前のこと。おそらくは宇宙服にロケット推進機(光をエネルギー源とするのでロケットと言ってよいかどうかは微妙ですが)を取り付けアクセントとしてヘルメット横にアンテナを張り出すという発想が、当時の未来的SF的なデザインコンセプトとなったと思われるエスパーの姿は、実にシンプルでスマートです。
さすがに(009は読んでいたのだけれど)あさのりじさんのエスパーはリアルタイムで触れていません。67年に放送開始された特撮テレビ番組が、ファーストコンタクトでした。元のデザインに対して気密性はどうなってるんだ?と子供心に目をむいたヘルメットでしたが、『背中にファスナーが走っている銀色の宇宙人』よりも、『人間が着る強化服』としての説得力が勝り、シンプルさとスマートさを再現したスタイル、今思えばスポンサーメーカーの家電製品を取り入れた『7つの能力』がまさしく当時はかっこよかったのです。
50年前、こんなセンスのデザインが生まれていることに感心する一方、今だったら強化服の概念がマテリアルごと変貌してメタルメタルしちゃうだろうし、あれもこれもとギミック満載を形として取り込んだごてごてのデコレーションでなければ通らないかもという時代の流れに寂しさも感じます。が、その血脈が絶えているわけでもなく、いくつかのスーパー戦隊のベースコスチュームを強化服とみた場合、めちゃくちゃシンプルではあります。しかもマテリアルとしては合理化しすぎてかえってチープになっているものも多いような印象があります。
特撮のエスパーのあと、松本零士さんの漫画とは、偶然にも松本版バシウト追跡者編(便宜的にこう書く)の最終話から読んでいました。だからいきなりシリーズが終わってしまって、次から読み切りになるし雑誌が変わって行方知れずになるし、これまた再会した時にはエスパーが人形大のアンドロイドに設定変更されていて、しかもそれを読み始めたら次の回で最終回だったという、とんでもなく光速に通り過ぎて行った主役でした。
その後80年代に一度、若手による漫画とアニメーションでのリメイクが企画されましたが、ここはいろいろあってタイトルを踏襲できずに漫画連載が数回行われて幻に終わっています。まあリメイクしようという発想はともかく、以前の作品を超えたクオリティもなかったのですが、前作たちも強化服というコンセプトの表現は活かしきれていなかった感があります。
強化服の超性能と、超能力者を示すエスパーには違和感を伴う開きがあったし、光速という枕詞も理論との突き合わせはなく、エスパーが光速で飛んでも浦島効果は起きない。これを開発し管理しているだけの一人の博士が世界的な危機管理対策の拠り所にもなってしまう。それでもこれらが好印象で記憶に残るのは、子供の想像力だけ膨らませた、おおらかな時代だったからなのでしょう。後に「宇宙の戦士」で『パワードスーツ』と出会うまで、エスパーの強化服がすべてでした。