本当はいけないんだろうけど、足場解体する前に
登ってみちゃった。
天気が良くて、遠くの山並みも見えた♪
へー、こんな眺めなんだ(知らんかった)
と、撮った写真を新月サンに見せたら
「折角なんだから屋根登ってみればよかったのに」
いやいやいやいや。無理だって!
新月サンも一緒なら万が一の時通報してもらえるけど
なにかあったらどぉすんのよ・・・(なら登るなって話)
宵の間だけ出ている月。と言われると、それは夕月のことなのかとも思うのですが、10月6日の宵月の時刻は、月齢カレンダーによれば23時台だとか。「宵」の解釈が幅広いようで、日が暮れて間もない時間帯も、日暮れから夜中までも、どちらにも言えるのだそうです。宵月は平たく言えば新月と満月の間に入る、半月のことで、おおむね下弦の月。なんでおおむねかって、宵が前者だと月の状態は上弦になっているはずだからです。
ややこしいのは「上弦の月」は新月から数えて七日目、「下弦の月」は二十三夜に相当するという説もあるので、そもそもが同じ天体を見ていてどれだけ想像力豊かだったんだ昔の人は。と唸らされるのです。ただし二十三夜は宵月の翌日にあてがわれています。
休憩に寄ったパーキングエリアに仮ナンバーを付けた3代目が停まっていたので声をかけてみたところ、個人で落札された車輛を東京から岩手まで届けるためのドライブだとか。
なにより新しい乗り手が名乗り出てくれたということが、嬉しいじゃございませンか。ちょうどESCLEVのTシャツを着ていたこともあり、つくばーど®️のことも喧伝しておきました(笑)
和邇さんは定期的に修行の旅に出ているのですが、その過客話を聞かせてもらうのがまた楽しいのです。行き交う人との交流はESCLEVやつくばーど®以前から僕なんかよりずっと熱心で、対話ができるのは人柄なんだなあと思いますが、ちょっと昔だとコワモテにしか見えなかったんじゃないかと心配になったりもしました。
大病を経験して大幅に体重が減って風貌も修行僧ばりに変わりましたから、山中で熊に間違われて誤射〇なんてことにはならないでしょう。
スズキで初のV6エンジン2000ccを搭載したエスクードが、主力モデルを直4の2000に切り替え、V6は2500へと格上げされた1996年10月。うちではまだV6のH20Aを積んだTA11Wが1年目の頃で、いま交流しているエスクード仲間とも全く知り合いではなく、誰彼と情報交換することも無くV6の2000シリーズが廃盤になってしまったことを口惜しがっていました。初物とはいえ、確かにH20Aはトルクバンドが狭く、4ATは回さないと性能が出なかったのです。
2500ccへのボアアップは改良すべくして登場したことと、主力となったJ20Aが安定株としてこのあと長く活用されていくことの過渡期でした。しかしせっかくの6発マルチシリンダーを4気筒へ換える財力も無いし、同様に2500なんて手が届かんわの子育て1年目でもありました。H25Aの、初代エスクードとしての到達点を体感するのは2005年まで待つこととなりますが、約500ccの排気量差と全体のセッティングの違いは「これに乗ったらもう次は無いかもなあ」と思わされたものです。
詳細は上の写真のレッツゴー4WD編集ムックに網羅されていますが、ジムニーを押しのけてエスクードが前面に出された事例は稀有でしょう(というよりもう他には無い)。これを買った当時、「H20Aは完成の域ではなく」というスズキの技術者インタビューの一言に「なんてことだっ」と地団駄を踏んだのは言うまでもありません。しかもこのあと数年して、Hブロックは2700までボアアップされてしまうわけですから。
というところで、エスクードの話題を唐突にぶった切ってしまいます。
そんな葛藤が地球の一部のほんのわずかな場所で起きていた頃、遥か数億キロ離れた火星には既に米ソ(ロ、ではなく「ソ」)の開発基地が冷戦状態で存在し、ここに地球からの交換留学生が初めて到着した直後、謎の異星軍事力の攻撃を受けるという別の世界の物語が、1996年10月3日に始まります(実際の放送は1985年のこの日)。あとからすり合わせると、TD61W登場の頃って、地球存亡の戦いが始まっちゃう年回りだったのです。
7日の記事に「特装機兵ドルバック」を予定しているのですが、あの番組を蹴落とすように、わずか5日先んじて世に出てきたのが「機甲創世紀モスピーダ」でした。どちらも変形メカニックのSFアニメーション番組ですから、何がどう変形するのかが見どころ。しかし可変戦闘機レギオスはスポンサー(今井)の意向とは言え二番煎じイメージを免れず、ブースターとして登場するトレッドとのコンビネーションが活路となりました。
この番組の設定集を眺めると、宇宙戦艦やら輸送艦やらレギオスのバリエーションやらライドアーマーの多種多様さなど、メカニック類だけで満腹感を覚えるものがありました。あれを全部商品化していたら、「宇宙戦艦ヤマト」に追いつき追い越しかねないメカコレクションが成立したでしょう。
レギオスに主役メカの座を奪われながらも、歩兵が運用するライドアーマーが、バイクからモトスピードジャケットへと変形装着するアイデアは、もう一つのスポンサーであった学研による玩具がなかなかの再現をしていました。ただ車体の材質が「遊ぶときに割れない配慮」として部分的に軟質樹脂だったことで、40年の保存に耐えにくいのが残念です。うちでは変形させないのでどうにか良好な保管ができています。