つくばーど®in岩間33会場への行き方などはまだ必要と思われますので、固定ページの内容は11月1日の「11月になってしまいました」に移し替えました。
どきどきそわそわしている中、どうにかこうにか参加してもらえる人数が増えてまいりました。ありがとうございます。ご調整中のみな様も、ぜひよろしくお願いします。
どきどきそわそわしている中、どうにかこうにか参加してもらえる人数が増えてまいりました。ありがとうございます。ご調整中のみな様も、ぜひよろしくお願いします。
2023年11月12日に、大気圏再突入時のトラブルに見舞われた宇宙飛行士ブライアン・Jは2人のクルーと共に殉職しますが、そんな事象のフィーチャーなぞしたくもない。だけど近未来が現実に追いつかれてしまったのです。
アルテミス計画におけるオリオン宇宙船の大気圏再突入日からミッションに基づく逆算をすると、1日か2日の誤差を考えながらもたぶん本日11月6日あたりに、彼は月への置き土産を設置しているはずです。
この人形は、3年後に南波日々人が発見し、6年後にブライアンの兄・エディが彼の分の人形を持ってくるまでずっと、時を刻み続けます。元々はブライアンが産まれた年に月面着陸を果たしたニール・アームストロングとバズ・オルドリンを模した人形でしたが、彼らは少年時代にこれを買い求め乍ら、自分たちも月へ行くぞと誓い合って、それを成し遂げた証なのです。
ブライアンとエディの物語は、南波兄弟のそれを先んじて語られる「宇宙兄弟」のひとつの在りようです。
それと同時にブライアン人形は月面で遭難した日々人の命を救い、その場所にブライアンと名付けられた酸素供給機器が到着するような、マンガだとわかっていても胸の熱くなる展開を見せ、エディのミッションチームには兄の六太が同行しており、南波兄弟の月面でのそろい踏みに導いていくのです。
32年前のクルマという意識をしていても、それで故障を回避できるということはありません。出勤したらぼた漏れした、前の晩には異常が無かったとの連絡があり、ひとまず最寄りのスタンドで漏れている個所を見てもらいATFを充填して帰って来いと指示しました。この日1日で1リットルほど流出したらしいので入庫させることにしたんですが、代わりに出してやれる車が無いよ。代車を借りてそれを家内が乗り、家内のサニーで出かけさせるしかないか・・・
というところへ、どうにも部品が出ないのでSX4のバルブ封入ホースをくっつけてみたという主治医からの連絡があり、試運転がてら帰省してくる霙を途中まで迎えに出ましたよ。ああっ、こんな記事でBLUEらすかる修復の報をせねばならんとは。主治医は冷機状態でハンチングが出ると言っていましたが、部品が馴染んだかコンピュータが学習したかでエンジン回転は安定しています。霙はぷらすBLUEで赴任先に出かけていきました。
2003年に立ち上げたESCLEVは、スズキエスクードやマツダプロシードレバンテの、ポータルサイトとまでは行かなくとも、オーナーズサテライトをめざそうと思っていました。ESCUDO・OWNERS・SATELLITEというサブネームを持つことはほとんど知られていませんが、これはESCLEV以前に有志が運営していたメーリングリスト・EОSから引っ張っています。まあそのMLを解体したのも僕ですから、多少の良心の呵責はあったのです。
たとえばSSC出版には、何度となく「ESCLEVはクラブではありません」と訴え続けましたが終始「エスクードクラブの」と扱われました。そこを理解してもらえないことは覚悟していましたが、ESCLEVはインターネット通信を介したユーザー間の交流の場所以上のことは出来まいと、立ち上げまでの経験でわかっていました。だからESCLEVはサイトも含めて「部室のようなもの」で通しています。
ツーリングや宴会、オフロード走行会といった行事は、個々の有志が手をあげ告知や連絡網に使っていただければ充分なので、最低限のコンテンツは作りましたがろくな更新もやっていません。唯一一所懸命になったのは、三代目エスクードがデビューした折、おそらくどんなクルマサイトよりも情報収集とお知らせ系ウェブページを役立ててもらった程度でしょう。あとはエスクード誕生20周年から30周年にかけての記念企画のみです。
ほとんど他力本願ですが、サイト作りだとかイベント設営だとか、誰でもいいからやってみなさいよと吐露したいのが本音(吐露しちゃってるじゃん)。自分自身では記念企画だって作りきれなかったでしょう。数多のユーザーさんによる手厚い協力をいただけたことで、三度の記念企画はどんなメディアにもできなかったことを実現しましたし、ツーリングや走行会、アウトドア遊びのイベントもいくつかこなすことが叶いました。
部室なので、開店休業状態は、まあみっともないけれどそれで構わない。時が来れば「お前なんかもう要らないよ」と新しいクラブなりサイトが産まれていくでしょうから、「そんときゃいつでも隠居するぜ」の気持ちで過ごしてきました。案の定、エスクードの35周年というタイミングに、雑誌連載は打ち切られるという趨勢も巡ってきました。
その35周年の年回りが、偶然にもESCLEV自体の20年目と重なっていました。立ち上げの頃にはそんなところまで気づいていません。実態はなんにもやっていないのと変わらないですが、20年続くとも思っていなかったのです。SNS全盛の今ですから、ユーザー間の交流だってXだとかinstagramに移行していくのが当たり前です。
ただ、誰でも行き来できる場所とは、IDやパスワードで防御するのではなく、オープンサイトであるべきだと考えているので、異論を認める分僕の主義も通してほしい。20年目の心境とは、そんなものです。蟷螂之斧なんだか梁山泊なんだか、そこまで行ってないだろうと笑われるのか。そういう危ういところを歩んできました。
世界中のエスクードやX‐90、グランドエスクード、プロシードレバンテ、それらの海外仕様のユーザーさん全てに、ありがとうございますと一言申し上げます。
つくばーど®のコンテンツに「SUZUKIZっずミーティング」というのが過去にあって、過去物なんですけどやろうといわれればやりますよなコンテンツです。車種の限定をしないつくばーど®があるから、あまり意味はないのですが、こりはスズキの二輪・四輪なら誰でも参加可能というメーカー括りのミーティングでした。続いていないのでは自慢にもなりません。でもこれが始まったのが2003年のことで、友人が「記念品作ろう」とメタルプレートを切り出してくれました。
写真は裁断前の段階です。これを持っている人は数えるほどもいませんが、エスクード35周年の名を借りたESCLEV20周年Tシャツに至る、記念グッズの発祥がこのプレートです。よくよく見ると、つくばーど®、ESCLEVの名前ではないポータルサイト名が刻まれている。その名前を知る人もさらに少ないような気がしますが、そこのグッズ(半分非公式だけどサイトマスターの許可を得た)第一号でもありました。
ありとあらゆるメーカー、車種が網羅されたこのサイトで、スズキエスクードのカテゴリーでは、僕が最初の登録者だったのですが、車種別縦割り感のあるところでもありました。せっかくこんなに沢山のポータルがあるならばと試してみると、けっこうあちこちの車種ユーザーさんと交流ができました。功罪色々知り得た勉強の時期でした。結果的に、妙な方向へ変質していくルールに迎合したくなくて、可能な限り自分でやらなければやりたいことはできないと、2年後にはここを離脱してしまいました。
スズキ車括りというところが既に縦割りなんですが、そういうニーズもあったし、それならそれでと普段はトヨタランドクルーザーや三菱ギャランで悠然と走っている友人が、わざわざジムニーで駆けつけてくれるなどスタイルを理解してもらえた試行でした。まあなんといっても30年前ですから、若気の至りが許されたり赦されなかったりの時代ですね。
先日、「0(ゼロ)テスターが放送50年」という内容の記事をインターネット上で見かけて、大昔に分離できないミニカーサイズのテスター1号廉価版玩具を持っていたなあと思い出しながら、当時ってあちこちで「サンダーバードに追いつけ追い越せ」のメカニック設定が盛んだったのかと感じました。エポックメイキングはウルトラホーク1号、これにシュピーゲルが追随し、アニメの世界ではテスター1号が先鞭をつけたのです。
3機合体というシステムは「サンダーバード」では少なかったギミックで(映画版には唯一、ZERO-Xという4段式宇宙船・探検車がゲストメカで出てくるけれど)、レギュラーメカニックとしては「謎の円盤UFО」でスカイダイバーやルナキャリアが登場しますが母艦・母船との分離は2分割でした。むしろその方がリアルで、3機ものフォーメーションでドッキングなんて、玩具売らんかなの前提とはいえ無茶なシステムだと今更ながらに思います。しかしそれこそが日本のお家芸で、枠を拡げれば3機どころか5機以上のメカ合体は呆れるほどの数に上ります。変形して合体するとヒトガタにまでなっちゃうし。
「0テスター」には2号機以降のまさしくサンダーバード的な展開もありましたが、テスター1号の合体分離ギミックが特撮からの継承を果たします。これが翌年の「宇宙戦艦ヤマト」でぶった切られながらも、ウルトラホークに始まる3機構成メカニックは折に触れ登場を続けました。しかし主役を張ろうとすると巨大ロボに行ってしまった感もあり、「0テスター」の正統とも言うべき巨人や巨大ロボに頼らない合体メカニック主体番組は「科学救助隊テクノボイジャー」まで約9年を待つことになります。が、「テクノボイジャー」はTB17号まであるという破天荒なマーチャンダイジングものなのに、打ち切りの余波を受けて玩具が全く発売されずに終了しました。
この半世紀に出てきた乗り物系合体メカニックは枚挙にいとまがなかったと言えるのですが、最近はなりきり系の変身アイテムや武器に取って代わられ、こうした航空機や宇宙船ものが激減してしまったのは寂しい限りです。
どきどきのそわそわ状態です。何がって、つくばーど®in岩間33への参加者が増えないという窮地だから(はずかしーっ)
うわーどうしよーっ、やっぱり連休後の週末はハードルが高かったか。遠慮しないでESCLEV創設の11月4日に設営しておくべきだったか?と、びびっているところです。
が・・・それ以上に蒼ざめていることが。
10月31日時点でまだBLUEらすかるの修理が終わっていないばかりか、部品が出てこない現実。こんな大事なときになんてことだ!
荷物搬入の積載量激減なのです。
炊飯器と鍋とコンロは幌車で充分だけど、テーブルとか椅子とかどうしよう(笑)
「お花見よろしく茣蓙でも丸めていけば?」
それから、当初はコンペで賑わえればと考えていたものの、カレー作りのエントリーがmadcrowさんとクロさん、新月(←風花さんじゃないって)さんとなりましたので、お三方を勇者認定で是非にとお任せし、嵐田家内は別の献立を用意することにします。
その他、例によって固定ページを消すのがもったいないので、以下に残します。
来る11月12日、茨城県笠間市上郷の「ニコニコキャンプ」にて、『つくばーど®in岩間33』を開催します。開催時刻は10時から14時まで、キャンプ場中断奥の「モミの木広場」を会場としたデイキャンプ方式で、参加者エントリーによる他力本願なカレーコンペを行います。
岩間、という地名は平成大合併の折に笠間市に吸収され消失していますが、つくばーど®が本格的なイベントを開始したのが上の写真に写っている「愛宕天狗の森だった山」でした。諸般の・・・というよりほとんど天狗の森の都合でこの地を撤退することとなり、加えてコロナ禍のピークを過ごし、従前のような月遅れの一泊新年会は不可能となりましたが、この間にオープンしたのが山ひとつ北のニコニコキャンプです。ここは同様に笠間市ですが、旧岩間町のエリア内に所在します。
会場はつくばーど®で確保しますので、当日参加される方々は利用料金なしで入場可能です。ライスは炊ける量に限度はありますが、つくばーど®で用意します。
参加受付は従来通り、メールにて受け付けます。下記までご連絡ください。

ご意見、問い合わせについては、7日付記事のコメント欄をご活用ください。
更新です。わかりやすいかどうかは自信ありませんが、にこにこキャンプへの道順。
図解は常磐道岩間インターからの道順です。小美玉スマートからの場合は、最初の写真は直進になります。北関東道友部インターチェンジからだと、二番目の写真を反対方向からアプローチするのでガソリンスタンドのT字路を右折となります。
キャンプ場看板までは広めの舗装道路ですが、看板は「ここで左に入ってから400m」という意味です。ここから先舗装道路をそのまま進むと道は無くなりますので注意。左に入ると細街路となり、往来には注意が必要です。ほどなく舗装でなくなりますが、特に四駆でなくても、よほどのローダウンでなければ通行可能です。
キャンプ場入り口を道なりに右へ進んでいくと、ルートは「お客様駐車場」「フリーサイト」の分岐になります。ミーティングは「お客様駐車場」側に進み、その先のモミの木の奥になります。この辺りには特約固定サイトがいくつかあり、前日からキャンプしている客もいるそうですが、その人たちに影響の無いよう奥へ入ります。モミの木手前の「お客様駐車場」にも駐車可能です。