新月サンに連れられて、狭山までゴルフの試合見に行ってきました。
同じ県内とはいえ、狭山遠いぃ・・・
プロが打った球を直で見ましたが。
ゴルフボール飛んでく時、風切り音するのね。
初めて知った。
新月サンに「ゴルフ場見た感想は?」と聞かれたので「広いー!」って答えたら「えー、それだけ?」とガッカリされました・・・
んーまぁ、グリーンとかフェアウエーってのは微妙に起伏があって、芝も色々長さや向きがあるモンなんだって事は判った(笑)
「・・・・・・。(ガッカリ by新月)」
JXCDのときの車載映像が届き、後藤誠司選手のパイロットの様子をつぶさに見ることができました。トランスファーは4L、コーナー出口からトップスピードへの立ち上がりでは、タコメータは7000まで回っていますが、コーナリング中落ちて行っても3000回転を下回るのはたった一度でした。4速以上を使う機会は巡ってきません。
あ、後藤君でも送りハンドルでいなすことはやるんだなあと思いながらもコーナーごとの手さばきを追いかけていくと、あの早い動作の中で想像以上にシフトチェンジが丁寧だったというところが印象的です。その上でエスクードの動き。雨天気のウエット路面でイン側に浅めのクレバスがあったり、コーナーのど真ん中に穴が開いていたりのコースなので、TDAでの速度域とはまた違うのかもしれませんが、写真に切り出した瞬間のように、コーナー手前でノーズを切れ込ませていくシーンは車載ならではの挙動の様子を伝えてきます。
優勝戦前の川添君か誰かとの無線対話で「TDAのときより落ち着いとる」と、後藤君はつぶやいています。オルタネータの故障とヒューズ事件のあとの、バッテリーを積み替えたことによって、高回転がきちんと使えるようになったからでしょう。
この車載映像について、先日の宴会の席では、
「このコースとコンディションを実際に走ってみないと確かなことは語れないけれど、コーナーの入り口から出口までのステアリングさばきが脱出までに間に合わない状況を作り出していて、舵角修正が増えてしまっているのではないか?」
「サスペンションというよりもタイヤの性能が後藤君のドラテクについて行けない?」
「そもそもTA51Wのステアリングはこの頃のクロカン四駆特有のボール・ナット式だから、切り始めても遊びが大きくて、こういう速度域だと暴れてしまうんでしょう」
といった意見も出てきました。仮に川添君の車載映像を見ることができたとすると、ステアリング形式の違いも加わりやはり異なる捌き方をしているように感じています。とはいえここに後藤君のスタイルがあるわけですので、この持ち味は活かしてキレを鋭く研ぎ澄ますのが王道と思われます。
それにしても、後藤君のエスクードは外観にもそのシルエットを充分に残しながらダートラマシンとしての格好良さにこだわっていますが、車内のまとめ方もシンプルで、それでも煩雑さがない。島監督の車づくりに対する思い入れが感じ取れます。
取り急ぎエスクードはオルタネータなど各部の修理を開始していますが、次のモデファイの前に「セージ、お前は触るな」ステッカーを作成して、必要個所に貼る。という提案が出たかどうかは定かではありません。
先週後半はボブ・ディランとノーベル文学賞ニュースで、どこへ行っても「風に吹かれて」の楽曲か話題ばかりが耳目に入ってくる日々。ディランの楽曲というのはそれ以外に無いのか! と思うほどのリピートぶりでしたが、この曲をカバーし著名にしたピーター・ポール&マリーでさえ、僕にはどうにもならない時代的ずれがあって(双方同じ1963年リリース)、ボブ・ディランという名前を耳にするのは1972年の、ガロの楽曲。しかもですよ、この「学生街の喫茶店」にしたところで、たぶん歌詞よりも曲が先に耳を奪っていたような気がします。
大体においてその頃、学生街も喫茶店もまったく未知の世界の、でもラジオの深夜放送は聴きはじめていた程度の僕ですから、まず山上路夫さんがどのような意図でこの詞を綴ったかなどと理解できるはずがありません。何やら先日のニュースでは「時代を反映するばっちりの言葉(人物)」だったと、山上さん自身がインタビューに答えておりました。その時代を反映するボブ・ディランとはあまりにも世代が異なっていたことで、「風に吹かれて」のリアルタイムなメッセージを知ることもありませんでした。
アメリカの公民権運動や日本におけるベトナム戦争や日米安保条約を背景にした反戦運動の片鱗は、今でいうニコちゃんマーク(かな?)の原型であったと思われるマークと、LOVE&PIECEというキャッチフレーズの流行を見た覚えがありますが、その意味するところも知らずにシールを貼っていたら親父に「思想も持たない子供がそんなもので喜ぶな」と怒鳴りつけられた記憶くらい。もちろんなんで怒られているのかがわかっていません。そりゃそうです。だってその頃、僕の頭の中は「人造人間キカイダー」と「アイアンキング」ですから。
そんなこんなでボブ・ディランは完璧に守備範囲外。ガロだってきわどい。だから学生街の喫茶店で流れ去った「時」というのはどれくらいのものなのか、今尚イメージできません。が、静弦太郎はともかく、霧島五郎の方は設定年齢からみて63年を10代後半で過ごしていて、ディランの歌もリアルタイムで聞いていたのだろうなと、あさっての方向に思いをはせるのです。ああっ、ノーベル文学賞も反戦もガロもうっちゃってしまう、なんて不謹慎な原稿なんだ!
夜の横濱は魑魅魍魎が跋扈する、まさに魔界。昨晩本社での奴隷労働から解放され、会社へ(自宅へ、じゃないところが魔界の所以…)戻る道すがら、後方から軽快な排気温とともに現れた白いコンバーチブル。ややローダウンなフォルムに前世紀のステッカーチューン。しっかり背負った小振りなスペアタイヤに、装着されているところを見たのは初めてな“ファストバック幌”を纏ったその姿は、過去から現代にさ迷い出た亡霊のようでもありました。
すぐさま通勤用貸与車に鞭をくれて暫しのカーチェイス。ようやく赤信号で追い付くかと思いきや、矢印信号を無視して亡霊は走り去っていきました。残念ながら拝めたのは後ろ姿だけ。間近に寄ることもかなわなかったためナンバーなども確認できず、詳細を見てとることはできませんでした。
この街といえば、駅東口の立体駐車場脇に毎晩午後8時になると現れる、モンスター風ローダウンなチャコールグレイの1600ノマドや、コンテナ通りで見かける、リフトアップにゴツいタイヤを履いた白の初代4ドア(排気量不明)。みなとみらいにある商業施設の駐車場入口によく路駐している、赤黒いコンバーチブル(赤黒ツートーンではなく“赤黒い”のです)など、いかにも90年代な個体が今なお棲息しております。あ、シャコタンなパープルの相模ナンバーX90も居たっけ。
こちらもSIDEKICK2号だったら、白の亡霊さんも少しは気に留めてくれたかもしれませんが、いかんせん“わ”ナンバーのコンパクトカーじゃあねぇ。また化けて出てくれることを期待します。
って、まさかあの白いコンバーチブル、AMGさんぢゃあないでしょうねぇ(笑)。
それはさておき和邇さん、なんかもっと大事なこと加筆しといたほうがいいんじゃないでしょうか。
・・・・ ←考えてる
・・・・ ←とっても考えてる
あっ、申し遅れましたが「つくばーどin津久井浜Ⅱ」を告知いたしましたので、ことしも三浦半島にはせ参じてくださいませっ
妙高高原の池の平温泉近くにある「あらきんラーメン」は、関西風のあっさりとした味噌味ラーメンが自慢のお店です。45年以上前、大正生まれのおばあちゃんが作り始めたという、真昆布を半日煮込んだスープと越後味噌を使ったタレの調合が伝え続けられているそうです。
交差点の際にある商店と並んで、はっきりとラーメンと書かれた赤ちょうちんを出しているので、間違うことはありません。このお店はラーメン屋さんなのです。朝の9時から夜の11時まで、時々やって来る地元の狸に餌付けしながら営業している、誰が何と言おうとラーメン屋なのです。
にもかかわらず、うちの家族はお店の品書きを吟味しつつ、
いや・・・いいんだけどさ。
とか言われても、将来にわたってトヨタの車に乗るつもりはないし、スズキと言えども今乗っているエスクードが気に入っているのであって、この業務提携が現実のものとなって両社がどうにかなってもならなくてもどうでもいいや。という印象。
しかし会長が元気なのか先行きを憂えたのか。ことごとく社長傀儡だなあ。
ただひとつ気に障ったのは昨夕の会見での会長の談。開発技術畑の人たちの士気をざっくりと抉り取っちゃうのではないか・・・
妙高高原のペンション「空飛ブウサギ」にはかれこれ12年通っているのですが、少し前までは「自分が館内のどこにいるのかわからない」遭難状態に陥ることがしばしばありました。様々な名前の付いた部屋は、実は未だにどの部屋がどこの配置か覚えきれていません。スキー場の中にある建物であるため、このペンションには宿用とゲレンデ用としてグランドラインが2つ存在することと、次第に増築されて館内の移動経路が縦横に増えていったから、迷宮のような面白さがあるのです。
しかし最近はこの館内移動もコツを覚えて、宴会部屋として使わせてもらっている別館の大部屋まで「本館の玄関を入って地下1階に降りてからもう一度別館の2階まで上がる」経路をショートカットして移動できるようになりました。
が、今回、またもや(自分的にはもう何度目だよ)謎の回廊を発見。これを辿ると館内の横移動が楽であることが判明しました。
そうなんです。僕はある部屋の存在を言葉だけで聞き知ったつもりで、その位置をまったく知らなかったようなのです。その部屋からだと横移動に新しい軸をとることができる。しかも娘らはすでにそれを何年も前から知っていました。どうりで宴会部屋までやって来るのが早いわけだ。
ところで、今回のイベントレポートをまとめました。ちょっと大味。