目がゴロゴロムズムズするので、とうとう花粉が・・・と思ったら
出てきたのは〝猫毛〟ですよ
こんなに細いのに、瞼と眼球の間に挟まると超違和感。
瞳の上に移動して来たら激痛っ!
・・・換毛期なんだよねー。
チビずまとめて風呂場でブラッシングするか。
霰が帰省してくるため部屋を一つ空けなくてはならず・・・ならずってなんだよ、なんですがこれまで霰と霙は同じ部屋で育ってきたのです。数の上では、僕が使っていた部屋があるからいいのだけれど、ここがお袋が生前自分の趣味で縫った着物やら洋服やらそういうモノづくりのための生地やらが押し込められてドアを開けるのも危険な状態でした。
しかしそこを掘削するしかないのだと、娘らは突貫で作業し・・・
えっ、俺のもあるの? と突き付けられた箱がどれもこれもやたらと重い。重いということは間違いなく雑誌類です。往時の4×4マガジンだとか4WDFREAKだとかOFF-RОADSPIRITSだとかOUTRIDERだとかCARGRAPHICだとかが、まあ古本屋を開けるには至らない程度に発掘され、
との厳命。泣く泣く(笑)エスクードに関する記事掲誌載分を残して廃棄としたわけです。
で、その中から出てきたのが80年代最後の頃の4WDFREAKのこんなページ。マッハ号だの追跡戦闘車だのターボレンジャーのターボジープだのエクシードラフトのスクラムヘッドだのという夢の空想四駆を毎号一回紹介していたのですが、そんな四駆雑誌ほかには無かったわなあ。担当ライターが元アニメ雑誌編集者だったらしいので、あー、あそこから異動させられたのかこのライター。と行間も読める不思議なコーナーでしたが、
という顛末と相成りましたよ。
チームウエストウインのダブルエスクードは、惨敗。
あの強豪がパジェロ3500をTDA仕様に特化した改修改造を経て参戦。後藤選手は操舵ミスでコースアウトしドライブシャフト破損で3位決定戦にも残れず。限りなくノーマルに近い川添選手のエスクードも追い詰められてしまいました。
「まあねえ、250馬力をあそこまでTDA仕様にセッティングされては敵いません。ただエスクードのエンジンブロックは頑丈だし素直にパワーが出ていると、他チームの面々も評価してくれているし、今回は後藤君もまともに走っていないので、6月までに何をどうすべきか熟慮しますよ」
島監督はむしろ、レースがマンネリ化に落ち込まずギャラリーにとっても良い刺激を得られたことを収穫としているそうです。余談ですがこういうときに限って、取引先からたくさんの営業の女の子たちが観戦に来ていて、アンフィニクラスの日頃見たこともないようなハイパワー車が爆走するところでは歓声を上げていたとか。
というところまで、16日の夜に到達しました。あと2万キロとすると、たぶん半年以内なんですが、来月に修理入庫するのでこの休業期間がどれくらいかかるものやらです。
で、夢の70万キロに、この距離のたった十分の一をさらに加算すれば、月からの帰還・・・なんだけどねえ。
とか言ってたら、二階堂裕さんちのエスクードも30万キロに達したそうです。そうかー、うちのはこのエスクードと同世代ながら、月まで片道近く余計に走ってしまってるのだってことを実感しますわ。
「これから太宰府女子会なんですけど、お父さんが以前教えてくれたお店ってどこにあるんでしたっけ?」
と、横浜ミッションからいったん基地に帰還しすぐさま百里からRF4E・・・じゃなくて旅客便で福岡へ向かった霰から問い合わせがきたので「とーちゃんのブログの昨年の記事を読め」と指示。すると夕方「作戦完了」のメールが入ってきました。
この週末は新月だというのにまん月堂に誘導する親も親なんですが、さすがは女子大生たちは臆することなく入るねえ(いや全然あやしい店じゃありませんよ)
唐揚げも旨いから付け合わせでついてくる定食で頼めと言っておいたんですが、単品にとどまったようです。あいつらがウエストウインの島社長と面識があったら、三日月食堂にも行かせられたんだけど、面識なんかなくても立ち寄ったらもっと豪華な晩餐になっただろうに(おいおい、なんてこと言うんだ)
光明丹というのは鉛丹(えんたん)色の別の呼び方で、酸化鉛のやや赤みを強くした鮮やかな橙色を言います。蓮田さんはパッションオレンジと呼ばれるハスラーの定番色ですが、光の当たり具合で橙というより丹に近く見えることもあります。しかしオジロの赤を茜色と言い切ってしまうのはどうかなと思うところがありながら、奈良時代の古色に照らし合わせると、だいたいそんな色合いです。
霰が卒論発表会に残った後、蓮田さんとオジロの写真撮影のために和邇さんと和邇お嬢姉に案内されて、みなとみらい地区の近所まで出かけたのですが、遂に2台の邂逅という場面に、競技かるたで和邇お嬢妹も不在。それぞれのオーナーがいないのに車の方はミーティングしている不思議な午後となりました。
夕刻、和邇さんご夫妻が手配してくださった中華料理店で貸し切りの晩餐となりましたが、なんと教授陣の飲み会に連れ去られて霰はまたもや不在。主役居ないのかよ状態でこちらの宴会は・・・お嬢妹が間に合ったので盛り上がり。ほぼ満腹となったところへ霰が戻ってきて、ようやく撤収間際にこの写真が撮れました。
つくばーど世代交代のときが、この瞬間から始まるような気がする・・・