食っちゃ寝の正月休みが終わったら、体が重い・・・
ものの喩えじゃなくて、本当に増量したっ(爆)
・・・今年の目標は「ダイエット」だなこりゃ
そんなこんなで。
今年もよろしくお付き合い下さいませ。
ことしのカバーフォトは、かわねこさんのTDA4Wで走り抜けます。さてことしは何処まで火星軌道(2003年夏の地球との距離)に近づくことができるか、登録台数に変化が出るか。楽しみでもあり不安でもあり、です。
今年もよろしくお願いします。
皆さまいかがお過ごしですか?
おもち食べ過ぎたりしてません?
我が家は暮れからちょっぴりお酒の量が増えてます
(「・・・ほんとーにちょっぴりなのか??」という質問は受け付けません)
ところで。
本日1月3日。私はのまちゃんと人生の半分を過ごした事になります。
昔、半分は冗談で「この車と人生の半分一緒に過ごしたって言ってみたいんだ」と誰かに言った事があるんですが、まさか実現するとはね。
私自身驚いてます。本当に。
私よりも断然、のまちゃんの体調(?!)を気遣ってくれて、不自由な装備に文句も言わず、乗り続けることを後押ししてくれている新月サンに感謝します。
で。もう少し一緒にいさせてね♥
元日早朝よりも更に早い時間に、我が家は初詣に出かけ初穂祈祷をしてもらう天狗の森の神社ですが、午前零時頃だと混雑しているので丑三つ時を過ぎてから山へ上がっています。するとまあ境内には人っ子一人いません。しかしこれが初日の出の一時間前になると、山頂付近の駐車場からあふれた車両が駐停車禁止も何のそので対面通行の道路の両側に駐車の列を作りやがります。
そこへまたあとからあとから登って来やがるわけで、冗談じゃないよと初詣の時間が真夜中になるのです。そんなことだから境内が閑散としている、ということは祈祷の客もいない、つまり神社の宮司も総代もアルバイトの巫女もほっと一息ついているところへのこのこと出かけていることになります。
お祓いをしていただく宮司は、僕の二級下の近所の後輩。霰が悪態祭りの取材対象にしていることから、親子で面倒をかけているのですが、総代も含めて誰も彼も親切にしてくれます。
静まり返った境内に、祈祷の始まる太鼓の根が響き・・・これは実際、すきっ腹だとずんずんと刺さってきます。それに続いて僕の名前が組み入れられた祝詞があげられ、玉串奉てんしてお札をいただき本殿を辞するのが、一連の初詣のプロセス。宮司や総代と対話ができるのも、真夜中で他に客がいないことひと時ならではです。
ここ数年、神社は悪態祭りで名前が知れ渡りましたから、変な祭りであるとか下種な罵詈雑言ばかりがクローズアップされてキワモノ扱いにも思えます。だけどそれらは供物の争奪にやって来る有象無象のことであって、祭りを主催している神社側は終始無言で大真面目にやっている。荘厳なのです。
かくして年中最初の祭事を済ませて我が家も2017年が稼働しています。天狗の森には今年もたくさん世話になるでしょう。ここぞというときには特権発動もやらないわけではありませんが、たいていの場合そーっと、静かに山と対峙するのが流儀。それは林道に分け入る際も同様です。それらの許しを得るためにも、元日の詣では不可欠です。
対でなければ意味を成さない。双方揃って初めて機能する。まあ自動車の場合は最低4つ無いとだめだし、5本目のタイヤが必要なのかもはや不要の時代なのかを議論してしまうのですが、鳥も車も哀しいほどにシンメトリックな姿かたちで進化してきました。車の両輪は、鳥の翼が空を求めるように、地面が無くてはならない。地面が車を求めていないと論ずる人々もおりましょうが、そこは容赦してほしい。
ところで、鳥は酉。犬猿の仲である申と戌の間にいて両者をつなぎ「とりもつ」干支であると、誰かが唱えていました。素敵な語呂合わせです。これまでやってきたことを次の年に手渡していく、そんな1年にできたらと考えています。
本年はスズキエスクード誕生から29年め。まさしく取り持つ1年として走り続けたいと思うのです。
どのようにして火を起こしたかはともかく、北京原人は日常、焚火を行っていたことが遺跡の調査で明らかになっています。日本列島では1万8千年ほど前の遺跡に焚火のあとが遺されていました。
今だと諸々の法令や条例で絡め取られ、場所を選び相応の対策と準備をしなければ、焚火をすることは制限を受けます。
まあそれはそれとして、ことしもかわねこさんが海峡を渡ってつくばーど基地を訪ねてくださったので、空に月の無い夜を照らすために火を起こします。
「新潟に着く船の時刻が夕方前で、これは・・・たちばなのとん汁食べたいよなあって、昨日は妙高に泊まりました」
念のため書いておきますが、かわねこさんは帰省の途中です。帰省先は盛岡です。しかもそれは元旦の夜のことだとかで、大晦日は富士山麓に行くと、もう迷走並みの道草行脚。
まあそれもすごいけど、そんなかわねこさんを歓待しようと、わざわざこの寒空に焚火サイトにやってくるエスクード仲間も物好きすばらしい。つきたての餅を焼くブロックのハムを焼くベーコンを焼くなど、みんな世話焼きです。
ここで繰り広げられるのはもちろんエスクード談義・・・のはずだったのですが、なぜか農機具の話がトラクターの話になって酪農と農業の話になっていきました。
なんだかんだで、ことしのつくばーどはこれにてオールアップです。1月は成り行きに任せて、新年会は2月中旬に開催します。皆様どうぞよいお年を。
エスクードがカラー8頁も扱われること自体、しかもそれが「あの」←かなり失礼と承知で「QURIOUS」が取り上げるのは、確かに滅多にないことです。下手をするとこの雑誌の読者層からは、何故だ? などと言われちゃうかもしれない。そこまでコンプレックスを抱え込む必要もありませんが、確か第9号でもオフロード性能をちょっとだけ紹介されていたはずで、それでもちょっとだけだったのです。しかし今月リリースされた第12号は、これまた違った意味でびっくりです。
経緯を明かせばこのエスクードは同誌編集部を兼ねるカマドさんが引き取ってきたもので、これをどうしたことか二階堂裕さんが買い取ったことによって、掲載の実現へと動き出したとのお話。二階堂さん曰く
「状態は悪くないし車検もたくさん残っていたから。それに安かったしね」
安かったっていくらしたんですかと尋ねてはあります。恐ろしくて書けません。
そりゃー買うわなぁ、という破格で二階堂さん所有となったエスクードが「うちのじゃないです(笑)」にて突如現れたTD51W。二階堂さんがエスクードを所有するのは3度目になりますが、まさかのこの車体色ですからまさしく滅多にない(一次ユーザー時代はともかく、今は51W、61Wともに、意外と中古車として出てこない色なのです。)ことだってんで「野鴨屋的珍事」に至ったのが最近。来月7日にリリースされる「スーパースージー98号」の連載のための取材でした。
記事を一読すると、そこは四駆道楽専門誌です。どれくらい辛辣に一刀両断されるかとびくびくしましたが、ダメなところはダメなりに、優れたところもきちんとフォローしてくれていて、この雑誌でこれだけ評価してくれるのはちょっと嬉しい。リアサスの構造であるとか、下回りに残したオフロード車としての考え方であるとか、多少の室内の窮屈感を訴えながらも小型車サイズとして合理的なコンパクトさであるとか。テンロクの車体に対して無意味な拡幅ではないとか。
仮に、ですが、これで61Wと乗り比べてもらう機会があれば、11WのV6が直4と入れ替わったトルクの細さについて、61WのV6が雪辱を果たしていることも理解していただけるのかもしれません。まあそれでも同誌が言うようにV6の2500は少数派であることは違いありません。ただひとつ、このエスクードの29万キロちょっとの走行距離が、~ランクルあたりでは珍しくないが個人所有のエスクードでは滅多にない~というのはエスクードを知らない人の意見です。
BLUEらすかるは棚上げするとしても、29万キロごときで何言ってんの、という現役初代乗りは他にもいます。三代目が20万キロ台に届く時代、初代乗りは、このサイズ、コンセプトをこよなく好いているのです。いやそれよりね、結果的にボツになったけれど2009年に一度、うちのエスクードで撮影やってるじゃないですか(笑) このときまだBLUEらすかるは25万キロくらいだったけどさ。62万キロを越えたいま「滅多にない」と言わては、うちも立場が無いのですよ。