一日に数回、風船カズラの花にくるんだよね。
もぉすでに、我が家の常連さんであるアシナガバチ。
今年は〝巣〟作られませんでしたが、隣んちのベランダに営巣しました・・・
(お隣さんも判ってて放ってるようで、毎日せっせと働き蜂が動き回ってる様子が見えます)
はて?そういえばアシナガバチって肉食じゃなかったっけ??
『雷蔵さんとこTシャツ買ってもらったらしい。和邇パパもTシャツ欲しいゾ』と言ってみたらコレ。
いつ着ればいいんだろー?
娘1号の見立てだそうで。家内はいたって無関心(笑)。
ダブダブなのになぁ。
7月20日の『風よ、光よ』は、この日が「Tシャツの日」だったので取り上げていた我が家(雷蔵)日誌でしたが、同じものを探さずウルトラ怪獣で見立ててくる和邇お嬢姉ちゃんのセンスが、クロスカウンター効いてて大好きですよ。
これはもう仕方がないから親子でこれ着て、帰ってきた怪獣酒場にでも繰り出していただきたい。
和邇お嬢妹ちゃんよ、なんか1枚買ってやれやー。
なんだか今年は忙しいのに汗だくにならない。そしたらなんと残暑が厳しいとの長期予報で、これは早まったかもしれないとも思っちゃったんですが、僕の体感温度が岩手県北部ばかりだから、きっと錯覚なのです。
だってもう7月おしまいですよ。つくばーど基地に戻れば、いくらなんでももう真夏でしょう? という希望的観測だけで、本日は暑気払いです。
湿度が低かったので夏らしい昼下がりでしたし、程よく雲がかかって青空も見えてという、快適な基地前庭でしたが、うちの車を3台敷地外へ追いやり来客の車を入れたものの、以前と違ってみんなロングボディ。しかも三代目エスクード主体となり、昔より1台分キャパシティが少なくなっていました。AMGさんのコンバーチブルを無理やり門柱の間に横付けさせて、なんとか6台。コムロさんとTA01Wさんのエスクードはタッチの差で敷地の外。このあとあおいろさんもメルセデスでやってきて大賑わいとなりました。
先日のFレイドからTD94Wに乗り換えたs.Dоさんに続き、TD54Wにスイッチしたkawaさん、狼駄さんのTDA4Wを縦列させ、その両奥にSIDEKICKさんのTD62W、青影さんのTD61Wが詰め込まれ、風の通り道はいつもより狭まり、わたしゃ若干熱中症ぎみ。こんなことだったらうちの幌エスクも追い出して車庫を空にすればよかった。その辺の采配は後の祭りで、肉を焼くなら狼駄さん、焼きそばだったら青影さんだと作業を丸投げし、焼肉とサイコロステーキと焼きそばとスイカの波状攻撃を開始します。
集まってくれた面々は、肉とそばとスイカをほおばりながら、例によってエスクードの足回り変更についてそれぞれの考察を交わし、パーツの流通情報を出し合い、ほんとに毎度毎度なぜその話題で盛り上がれる? という賑わいです。
その後方では霙が黙々とかき氷を削り出します。まあまあ、今はおぢさんたちが何を話しているかわからないでしょうけど、この秋には仲間入りです。
2003年の今日、メキシコで生産されていたフォルクスワーゲン・タイプ1の最終組み立てが終了し、世にいうオールドビートルが65年の幕を引きました。総生産数約2153万台は、未だにどんなメーカーの車種でも打ち破れていません。
しかも、ドイツ本国では78年に生産終了したこの車種の2代目を20年後にデビューさせ、ビートルの愛称も正式なブランド名として継承させ、2011年には三代目へとバトンタッチしています。
そのニュー・ビートル、ザ・ビートルはいずれもそれぞれのデザインを有するものの、基本フォルムはあのスタイルを踏襲しているところに、歓迎と拒絶に分かれながらもビートルの存在価値を残しています。もちろんデザインだけでなく、エンジンそのもの、そのレイアウトと駆動方式、サスペンションの在り方は2代目でドラスティックに変わっています。
最近ようやく気付かされたことは、エスクードが4代目に移行したことと、オールドからニューへと変遷したビートルは、同じ歩みをしているのだという点です。ここまでのモデルチェンジは、おそらくジムニーにはできなかった英断でした(今後はわかりませんが)。さすがに初代の総生産台数は、世界中の実績で束になってかかっても敵いませんが、いま、街なかで初代のテンロクハードトップに出会うと、オールドビートルの半分にも満たない年月だとしても、元気に走っている姿には感銘します。
そして現役を受け継ぐ4代目が、ちらほらと巷に姿を現していることも、同じように頼もしく感じるのです。一方、そろそろ3代めの幕引きが近いという声が届いてきて、やろうと思えばローレンジで時速100キロへも引っ張り上げられるような「四駆」はもう出てこないだろうなあ(そんなことする人なんて一握りのマイノリティだしね)とも思わされます。
この日付なので当然観ておりません。試写会に呼ばれるつてもないし。だけど昔「八岐大蛇の逆襲」だとか「ガメラ大怪獣空中決戦」だとかを観て喜んでおきながら、今度の「シン・ゴジラ」は観に行きたがらない心理が働いており、たぶん家内がソフトをレンタルしてくるまで目に触れないような予感であります。それはひょっとすると、まるで「進撃してきた巨人」みたいなゴジラがいやだからかもしれないし、三百名を優に超えるキャストで揺さぶりをかけてくるのはいいけど所詮そんなに役者を知らないしという圧迫感からかもしれませんし、「シン」という冠になんらかの拒否反応を抱いてしまったからかもしれません。
しかし制作サイドの意図はわかりませんが、「シン」の付くゴジラがことし作られるということには象徴性があるなと感じています。2016年は申(さる)年でありそのサルに当てられた文字通り当て字の申は「シン」と発音し、もともとは「呻(うめき)」の意味であったらしいですから、庵野さんなり樋口さんなりの「ゴジラを任された心中」を表現するのにぴったりです。
ことし新作のゴジラを復活させると、これがシリーズ化されるのかどうかも話題となりましょうが、かつての乱発のように毎年とはいかないだろうと。すると、スローペースで次にゴジラを出現させたくなる年回りとなれば、東京オリンピックが巡ってくる4年後の2020年。ここにターゲットを絞らなくてどうするよというのが次作のプロモーションではないかと思います(気が早すぎ)
とすると、シンが申であることは、閏年になるとゴジラが攻めてくるというベタな語呂合わせにもなるのです。まあそれやっちゃうと、次作は「ネ(子)・ゴジラ」かよ? てな突っ込みも入るでしょうけど。しかしわかります? あえて漢字とカタカナの壁を取り払ったこじつけで物言いすれば、「申」と、子ならぬ「ネ」の組み合わせは「シン」と表音する文字を産み出すのです。
閏年には辰年もあるだろうって? この辰もまた、こじつけなくたって「シン」と呼ぶじゃないですか。
先日の記事で最高気温が何だかんだと書いておきながらこの寒さ。やませの影響で岩手県の沿岸部は一日中エアコンなしで動いていられます。リアスの地形の意外と奥深くまで海霧が入り込み、先週は低温注意報が出ていたほど。熱抜きが下手な初代エスクードのV6エンジンにとっては快適この上ない陽気ですが、昔はこの低温のせいで農作物の不作が懸念され、農家の人々を苦しめた季節風でもあります。真・移動指揮所においても、へたをすると風邪をひきます。
まだ深層心理のなかには、仕事の用事が無ければ海岸線には出てきたくないよという怖い思いがありますが、波打ち際の透き通った藍は手ですくいたくなるような色彩。これで空が晴れわたるようになればやませも治まり、夏らしさが巡ってくるのでしょう。
で、まあ仕事の話をしても楽しくないのでこのあと(仕事してねーのかよ)訪ねて行った食堂の話を・・・また後日。
なにやら今月27日は毎年のこと、フィンランドでは寝坊助の日として「身内で一番遅くまで寝ていた者を水の中に投げ込む」という、実際に見たことがないのでほんとですか?というような風習がある・・・
と、あちこちの風物詩や祭事サイトがこぞって、そしてもうほぼ異口同音の紹介をしていらっしゃる。
訪ねたことのない国ですけどけっこうな高緯度ですよね。7月末って朝っぱらからそんなことされても大丈夫な陽気なんでしょうか。妙なところが気になってしまいました。
その由来についても、どこのサイトを読んでもやっぱり一緒で、もう何の迷いもなく「200年間眠り続けたというエフェソスの『7人の眠り男』の伝承に基づく」で、少しもぶれておりません。
なるほどそういう話なんですかと思ったし納得したんだけどね、その由来を否定する必要もないんだけどさ。元情報から引用した人々は、何も感じずに使っちゃってるんでしょうか。
7人の眠り男というのは、キリスト教が弾圧されていた時代に7人の教徒が町から逃れてとある洞窟で眠り込み、目覚めたら何百年も経っていて、その間にキリスト教が公認されていた・・・というものです。問題はその土地、エフェソス。エフェソスってトルコ本土のエーゲ海沿岸にある、発掘中の古代都市です。
19世紀から発掘が始められたところだそうですが、そこから誰かがこの伝承を北欧まで持ち帰ってイベント的に広めちゃったのでしょうか。フィンランドとトルコって、直線距離で2600キロですよ。なんで小アジアの逸話が北欧のイベントに用いられているんだ? と、誰もそこに関心抱かないのかよー・・・