先日風で落ちちゃった一個を食べてみたら 意外にも甘味があって味もちゃんとしたので 木で無事に熟した方はちょっと期待してるの。 今夜の食後のデザートだ♪
スズキエスクードの35周年は当の昨年(ところにより一昨年)に過ごしてしまいましたが、僕だけのこと、2024年が35周年にあたります。不確かながらスズキがエスクード誕生1周年記念車を発表したのが1989年の今頃で、ノルウェーのマリンスポーツブランドとタイアップした全国400台限定車が、僕とエスクードの邂逅となっています。この話も飽きられるくらい何度も書いています。ちゃんと88年にカタログ車も見てました。そのときは・・・以下略。
実際に手元に来たのはその年の6月です。あ、てことは来月も書ける(オイヤメロ)。この出会いがなければずっとジムニーに乗っていたかもしれないし、ジムニーと袂を分かつなんて大それたこともしなかったのではないかと思います。でも、出会ってしまったわけで、乗り換えはしたけど今に至っても初代ばかり乗り続けているのです。カビや錆どころかもはや化石ニンゲンです。いろんな車を素通りしてしまってますが、それすらも全く意に介さずにいられています。
「人造人間キカイダー」は1972年に生まれた特撮ヒーローで・・・などと今更書く必要もないことですが、当時うなぎ上りの人気を得ていた「仮面ライダー」に対する、悩める主人公をより強固に押し出し、改造人間とは異なる異形の姿を産み落とした石ノ森章太郎さんのトライアルでした。確かに正義の味方としては異様な形と色彩。しかし石ノ森キャラクターならではの「眼」の形が愁いを思わせ、ドラマと共に感情移入させていく仕掛けがありました。
これが2014年に「REBOOT」と称してかなり男前のキカイダーにアップデートされ、その鼻筋の高さと細面の顔立ちが石ノ森版と大きく差をつけていきました。これも今更な話題ですが、この映画に先立ちキカイダーのデザインを担当したのが村枝賢一さんで、彼の漫画の作風を思うと「あーそう言えばそうだよね」と、デザインに対する納得とは別に(納得できなかったんだよ)、そう来るのかと説き伏せられた気がしておりました。
ここに村枝さんの仕掛けがあったかどうか知りませんが、REBOOTキカイダーの顔立ちは、すでに故人ですが「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」で少年時代のジョーンズジュニアを演じたリヴァー・ジュード・フェニックスがモチーフになっていたとか。で、仕掛けというのはインディの映画ではなくもっと古い「スタンド・バイ・ミー」に遡るのではないか。そこでも彼はクリス・チェンバーズという少年役で出ています。
「スタンド・バイ・ミー」は少年たちの冒険譚を描いた小説の映像化ですが、不完全な、というより不安定な心の世代が様々な出会いや葛藤を経て大人の入り口に進んでいくという成長を、キカイダー/ジローにも投影していたかもしれないし、こんな人造人間を生み出すに至った造物主と、彼を追ってくる人造人間たちとの相容れない兄弟という立ち位置。いわゆるカインコンプレックスも、「スタンド・バイ・ミー」に共通項を見出せるように感じます。
それまでやむにやまれず戦ってきた敵の撃退とは異なり、怒りと憎悪の感情によって、兄弟とも言うべき人造人間たちを自らの意志で破壊・殺害するという結末(たぶん、これもカインコンプレックス)は、既に石ノ森版の漫画においてなされています。10年前の今日封切られたREBOOT版は割と大味な映画だったと評しているのだけれど、キカイダーの顔立ちをこのようにしたという意味合いの奥に、案外深いこだわりがあったのかもしれません。
歴代エスクードのミニカーの中でも、B級ゆえに出自がほぼ謎というプルバックダイキャストの初代。90年代末から数年、高速道路のサービスエリアや温泉地の土産物屋で売られていた中国製のあれが、今どき表舞台に出てくるとは。県南に住むらしい高校生が趣味でフリーマーケットで売られているミニカー類を購入したもののようで、やはり正体不明で情報を探しておられる。
というより・・・
彼はいろいろ調べ物もしてくれて、うちのサイトに辿り着いてくれたみたいですがごめんなさい、うちでも詳細はわからないままに掲載しておりました。有識者とまで言ってもらえているのに役立たずなサイトだよつくばーど®(泣)
そう言えば、このミニカーをサイトに掲載したとたん、台湾やら韓国やらからのメールが殺到して「何処で売っているのか」ばかりの質問攻めに遭いましたよ。「日本に来るなら成田空港往復の途中でパーキングエリアに立ち寄れ」と返信したら、「買ってきて送ってくれ」と。いい加減にしろよの顛末でした。
その手があったかと膝を打ちながらも、きっと偶然の発見なんだろうねえと思います。こんなものが今、オークションに出てきたらいくらするんでしょう?(いやー、俺まだ三個くらい持ってるけど)。当時の単価は500円でした。
部品が出ないぞと悩まされていたにもかかわらず、主治医は突貫でフィガロの修理を完了させてくれました(あと=中断しているBLUEらすかるΩのこと=がつかえてんだ、という我が家の事情は内緒)
結局ウォーターポンプとタイミングベルト、ベルトテンショナーの交換に及び、付随するОリングやらホースやらシールやらガスケット、パッキン類は一部「たぶんこれ使えるよね」という似たようなやつを調達してもらいました。
「というわけで諭吉6人と右半身を支払ってきた」
とか内輪で馬鹿なことをやっていたら、霙からメールに添付された身の毛もよだつ写真が・・・
・・・・・
それにしても我が家のエスクードでは初の事例です。初代じゃ有名な壊れ現象なんですが、ぷらすBLUEはラインアウトから33年目と、なかなか頑張ってくれていました。
部品出なかったらsuuuさんのやり方で直すしかないな。
インターネット上のニュースで、009舞台挨拶の記事にて「オレンジのマフラー」という表現がありまして。往時の石(ノ)森章太郎さんはそれほど深く考えずに黄色で塗っていたはずなんですが、今だとオレンジ色に見えるんですね。異論はありません。そもそも「赤いマフラー」(当時の映画版)は、009としてはさほど似合っていないし、一人だけ白い防護服もまた然りですから。意外にも「オレーンジのマフラーなびーかせーてー」か「オレンジのーマフラー」で、あれ歌えるという・・・
例によって長い前置きになりました。先日、サイボーグ009の舞台を観に行ったという和邇お嬢ねーちゃんから、プログラムパンフレットやトートバッグやクリアファイルが送られてきまして、ほーほーどれどれと内容を読みますと、
といっても009ですからだいたいのストーリーは想像できる直撃世代のじじぃです。むしろ「水曜どうでしょう」のクリアファイルがなぜ入っているのかが謎で混乱しかけましたが、舞台会場で入手した009の舞台/原作を表裏に描いたカードが折れ曲がらないようにとのお嬢の配慮だったと、あとから気がつきました。009誕生60年は、舞台劇という新しい素材によっても若い人たちに平和への願いをアピールしています。