Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

二代目(船の方ね)

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ぷらすBLUEことTA01Rで都内に来るのも久しぶりで、豊洲で高速を降りた後にどこか撮影スポットは無いものかと晴海の街へ迷い込んで、1965年ごろの東京モーターショーに連れてきてもらい、80年代にはコミックマーケットに出かけていたりの夢のあと状態な夜明け前。路地を曲がったらふ頭の突端で行き止まりで、やむなくUターンしたらば、巨大なマストがそびえていて、ちょっとの間車をエンジンも止めて眺めてみたところ(駐車場に入れろよ)、二代目日本丸でした。

初代はみなとみらいに係留されているのが有名ですが、晴海にも海技教育機構の桟橋があるとは知りませんでした。機構のスケジュール欄を見たところ、二代目日本丸は先月末にシンガポールから帰ってきて、16日に東京港に入ったようで、来月早々に出港するようです。偶然にもぷらすBLUEとのツーショットチャンスを得ましたが、16日といえばBLUEらすかるの廃車手続きを行った日です。惜しかった。BLUEらすかるで撮りたかったねえ。

 

最初の一歩

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僕がスズキエスクードに乗り始めたのが1989年6月のこと。この年の11月、福岡市百道浜にポストモダンな集合住宅が完成するのですが、これが建築家マイケル・グレイヴスによる日本で最初の建築作品。その後96年にも超高層マンションが建設されています。この年に、後にBLUEらすかるとなるエスクードТD61Wが生産されました。グレイヴス氏の建築には、落ち着いたアースカラーという意匠上の特徴があり、青い車体の背景にはもってこいの取り合わせになるのです。

というわけで、まさか福岡まで自走するわけにもいかず、東京の月島の高層マンションは沿道に停めたらほぼなんだかわからない背景になってしまうとなかなか難しい。けれども、国内に10作品しかない氏の建築の一つが、つくば市にあるので、先週のことですがそこに行ってきました。92年の竣工なので、僕が乗っていた89年式ヘリーハンセン・リミテッドも撮りに行くことができた時期がありましたが、当時はそういう図々しさもなく、写真は残っていません。

Bem-vindoトーキョー

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以前イタリア街に持って行ってますから、BLUEらすかるΩの東京は二度目なんですが。

ついローアングル気味に撮ってしまうため、向こう側の夜景が全然映えない上、曇天の空がはっきりしすぎました。これで手持ち撮影なんだから、pixel10って恐るべしです。

最後のTOKYO

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のんびりと場所を選んで出かけている時間的余裕はなく、なんだかどこなのかよくわからない景色になってしまいました。

BLUEらすかるで都内にいる最後のひととき。今思えば夜明け前に撮った方が向こう側のビル群はきれいだったのかもしれません。

ビルぅの街に♪

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朝ぁのハイウエイに・・・←いい加減にしろ

東京に勤め出したころは、それこそ葛飾ハープ橋すらなかったものの、もう少しあちこちから富士遠望ができていたと思うんですよ。でもいくつかの「富士見」の地名から富士山が見えなくなったように、中央環状線からも眺めの利く場所が少なくなりました。良いも悪いもリモコン次第なら、僕は鉄人28号で高層建築をぶち壊しに行くんだろうな。

老馬之智

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ふと気がつけば、BLUEらすかることТD61Wは「30年前のクルマ」になってしまいました。BLUEらすかるΩことТD61Wも、いくらか新しいけれど「29年前のクルマ」です。この2台の交替が、ついにこの冬に待ち受けています。春風高校光画部の天野小夜子部長はドラマCDにおいて「老いては名馬も駄馬にも劣る」などと言ってますが、年経た馬は路を忘れず、経験を積んだ者は判断を誤らない、との例えもあります。らすかるのあとを継ぐΩは、きっと老馬の智をも受け継いでいくものと信じております。

ただ、この故事の由来である春秋時代の斉の第16代君主・桓公(かんこう)は、散々苦労して偉くなったものの、その後は傍若無人も相まってろくな最期を迎えてもいないという、そっちは見習わんほうがいいなあと思わされる人物。もっとも、道に迷った彼に馬を放ち帰路を導かせたのは宰相の管仲の方ですから、老いたる馬ならぬ老いてきた自分の経験値は、少しくらいはあてにしてもいいだろうと日和るのであります。

12年前の午年の正月、「塞翁が馬」について書いています。その頃、BLUEらすかるはまだ50万キロで月から地球への帰還途上でした。いろいろ皮算用をして2025年末に100万キロをもって退役というシナリオをその後描くわけですが、そうは問屋が卸さなかった昨年のラストステイン。100万キロまでまだ約4000キロを残しています。まさしく塞翁が馬なお話ですが、これほど付き合えたエスクードですから、少しでも長く路を示してくれたらありがたいことです。

Bliadhna mhath ùr

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Upepo wa kesho utavuma

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緊急入院の末病室で始まった2025年もどうにかこうにか大晦日まで這い蹲ってこられました。この1年で体重が30キロ削れました。例年並みのペースで5万キロ弱、BLUEらすかるを走らせることができました。嘘のようなホントの話、燃料消費が2024年より向上しました。しかしここまでの身体的ダメージによってか、椎間板ヘルニアの再発警報が腰と背中に響き渡っています。とりたくなくても齢をとってしまうなんて、理不尽だと思うんですが、日頃の鍛錬が足りないってことなんでしょう。

それはそれでまぁいいか。明日は明日です。ことしも沢山の人々にお世話になりました。来年は足手まといにならないよう精進します。とか言いながら、明後日はまた明日と異なるので、あてになりませんけど。

それでは良いお年を。

納まる気がしない今年の仕事納め

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実際には本日これから仕事納めの仕事日なわけですが、週末も近づき28日が日曜日という暦の流れによって、例年よりも早い納日。

もちろん仕事は終わりきれませんわ。

なつかれくさしょうず

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これを「乃東生」と綴るのが難しいというか、読めませんです。世間では冬至の方がポピュラーですが、どんどん冬が深まっていく中、ほとんどの草木が枯れていく中で、ウツボ草だけは芽吹いてくる時期で、そのことを記しているのが「なつかれくさしょうず」。そんな地上の営みとは関係なく、公転周期と地軸の角度の関係によって、当時の頃は昼の時間が10時間を下回る、朝が来るのも遅めの時期です。記事の方も「乃東生」と関係なくなっていきます。素直に冬至のことだけ書けよってなもんです。

スーパーフレックスな仕事時間の関係により、湾岸線から晴海に向かって都内にたどり着く頃、まだ空は夜の景色です。豊洲のあたりで気がついたのは、ほんのわずかな時間、ほんとうに一瞬に近く、東京タワーの光が見えることです。日中、ここを通ってもわからなかった。

一方、東京スカイツリーは都心の外延部にあることから、中央環状線や豊洲より東の湾岸線からならばまだ遮るものが無い。無いけれど、なんかこう、見えているからといってありがたみも無い。これは世代なんでしょう、東京タワーが見えるとなんとなく嬉しい。寒々とした冬の大気をまとった時期ならではの眺めです。

・・・なにが冬至なんだかこの記事