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  ~懲りない傾向~

言われてみれば食えないものばかり

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中国から朝鮮半島、台湾にも源を持つススキですが、日本列島も原産地として名を連ねている、秋の原風景が広がっています。芒の腹は銀の色、陽光を受け、やわらかく跳ね返し風に揺れる景色は、箱根の仙石原が有名です。実は天狗の森の奥地にもそれに匹敵するススキの原があって、あるんだけれどもうそこまで歩いていくのが馬鹿らしくて何十年も前の記憶しか残っていません。それだけ歳月が過ぎているから、植生自体が変わっているかもしれないですが。

月見の際に団子と一緒に飾られるススキは、それそのものが月の神の依り代だという伝えによるもので、月光を受ける姿もまた古代の人々の琴線を動かしたのでしょう。尾花と呼ばれているから気がつかなかったけれど、ススキは秋の七草のひとつでもあります。が、葛、撫子、女郎花、藤袴、桔梗のいずれも春の七草と違って「粥に乗せられる以前に食えるものがないぞ」という、季節を愛でるものとして挙げられています。ススキ、イネ科の植物なのにねえ。

みずはじめてかるる

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七十二候・秋分の末候「水始涸」。水田の水を抜き、稲刈りに備える頃とされていますがもちろん、旧暦新暦のズレがあります。茨城県央部あたりだと彼岸前には稲刈りが始まっていて、ところによりもみ殻や稲わらを焼く焦げた臭いが夏の終わりを感じさせていました。このわら焼き、秋田県は本年から禁止し監視を行い、焼くのではなく水田などの土に埋め戻して肥やしにする指導を行うとか。臭いを嫌い、また煙を吸って健康被害が出たという苦情が、昨年は51件にものぼったのだとか。

感性いろいろあるんでしょう。

夜の底が白くなった

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「国境の長いトンネルを越えると」に続いてこの言葉でまとめられる書き出しは、川端康成が「雪国」に綴ったセンテンスで、実際には上越線の清水トンネルのことであろうといわれていますが、清水トンネルは後の複線化によって上り方面の一方通行となり、雪国を目指せるのは下り線に加えられた新清水トンネルの方。霰なんかは新潟時代に上越新幹線で大清水トンネル経由で、雫さんは子供のころ、おばあちゃんと新清水トンネル経由で新潟のおじいちゃん実家に行き来していたそうです。

その新清水トンネルが開通したのは1967年9月28日。「雪国」は1935年に書き出しとなり37年に初の単行本が出版され、47年まで書き続けられ完結した、当初は長編ではなかった文学。それでも新清水トンネル開通まではさらに20年が過ぎていきます。実は「雪国」は康成による添削版の「定本雪国」や原稿復刻の「雪国抄」「プレ・オリジナル」と複数あって、これらの刊行の頃には新清水トンネルも出来上がっています。車で出かけてしまうと、土樽のWループを見上げるのが常でした。

巡り合わせの赤倉

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絵心も文才もないので、僕は岡倉天心だとか横山大観などにはさほどの執着もありませんでしたが、天心終焉の地が妙高の赤倉温泉だったという史実を知るに至って、妙高という土地には意外なめぐりあわせがあるものだと膝を打ったことがあります。高田藩が地元の請願に許しを出したのが、210年前の1815年。その翌年、一本木新田という場所に引湯が果たされました。運営は高田藩によるもので、赤倉温泉は当時日本唯一の藩営温泉だったそうです。

ここに天心が山荘を構えるより10年早い1898年、天心が開講していた日本美術院の絵画部が東京の谷中から茨城県の五浦に移転しています。これは天心による美術院そのものの移転構想におけるテストケースで、実際にその最終候補として選ばれたのが赤倉の地。「世界一の景勝地」と惚れ込んだ天心は、赤倉温泉をパリ郊外で世界的画家が住み、多くの作家を輩出した「バルビゾン」に見立て、衰退しつつあった日本美術院を移転させ芸術文化の里にしようと考えたのです。

しかし当時の交通の便の悪さから構想は実現しませんでした。天心は赤倉の山荘で1913年9月2日に病の末永眠しました。今や鉄道も高速道路も充実し、東京から行き来しやすいと外資系リゾート開発が乗り出す時代。してやったりと、天心はあの世でほくそえんでいるのか苦笑いしているのか想像の域を出ません。「海の五浦、山の赤倉」、五浦が実験実践できながら本院移転に至らなかったのは残念ですが、天心の遺骨は赤倉にはなく、東京の染井墓地と五浦旧居の一角に分骨埋葬されています。

一択で行ったって

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2025大阪・関西万博から、霰が送ってきた何点かのスチル。友人たちとUSJに出かける前日、前乗りして単独突入したようです。

「暑すぎるし混んでるだろうしの予測通りだったので、見たかったペルー館一択!」

なかなか思い切りがいいです。

ペルー共和国館の展示テーマは「無限の可能性を秘めた国」だとか。インカ帝国などは比較的新しい歴史で、遡ればノルテ・ティコ文明の紀元前3000年にたどり着きます。おおざっぱに括ってアンデス文明として見分しても、構図やデザイン、技法からそれらに基づく産物まで、良いところを一択したものです。

で、通りがかったのかわざわざ立ち寄ってくれたのかはパビリオンの位置関係を知らないので何とも言えませんが、あの実寸大ガンダムも送って来てくれました。こちらはこちらで、宇宙と未来への可能性を表現しているのだそうですが、立膝状態のガンダムは「天を見上げてはだめ」だよなと感じました。腕はコクピットよりも少し低いところに手のひらを広げ、頭部は乗降するパイロットを見下ろしてこその巨大ロボです。

風祭の頃

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立春から数えて二百十日、雑節としても「二百十日」と呼ばれるのが、今年は8月31日に巡ってきました。農家の人々にとっては八朔、二百二十日と並んで「三大厄日」と伝えられ、時期的に台風の特異日にあたるとか。振り返ると八朔の8月1日頃は、日本近海において台風7、8、9号が発生していました。大風を鎮め、作物を守る趣旨の祭りが「風祭」。うちの近所では廃れて久しいですが、級長津彦命(しなつひこのみこと)を祭神とする神社には催事として残っています。

風の神と言えば、宮沢賢治で有名な「風の又三郎」はその一例で、由来はわかりませんが「三郎」名義は風の神を示すものだそうです。石ノ森章太郎による漫画版のイナズマンも、主人公の名は「風田サブロウ」と、稲妻にたとえた超人と風の神を重ねていたのかもしれません。一方で「風神払い」という、病を運んでくる風の疫病神を封じるといった生業も江戸時代にはあったらしく、総じて台風、大風は畏怖すべき自然の姿であったようです。

今年も各地で豪雨災害が多発した8月でしたが、盆の頃に通りかかったあちこちの水田はこうべを垂れる直前ながら、豊作のように見えていました。

「俺んちの田んぼは耕地整理やった時に通した用水管がもう古くてさ、ポンプも小さくてまともに水が上がってこないのよ。低地の田んぼのやつらがバルブを結束バンドで固定しやがって水が足りねえ」といった話を近所で聞きました。ヒトの方が風より恐ろしい気がする。

 

秋きぬと目にはさやかに見えねども

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藤原敏行は続けて「風の音にぞ驚かれぬる」と詠んでいますが、スイカかじってかき氷すすってトウモロコシ茹でて(腹こわすぞ)、畳の部屋でなく縁側の板張りに日陰を作って寝そべって・・・最近ではそれもやってられない暑さ続き。昨日から立秋という暦の新暦旧暦のズレとは関係なしに、8月は昔からどうやって涼むかの探求の時期となっています。

世間に対しては申し訳ないことに、今日を乗り切れば来週いっぱい仕事が休業になります。その分、今日までがぶん投げたくても逃げられない追い込みなのですが。それよりも乗りきらなくてはならない猛暑はまだまだ居座るようですから、皆様電池切れなどされないよう元気にお過ごしください。

 

東へ東へ日出る処へ

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ここ何年も、抜けるような青空の下に咲くひまわりの写真が撮れずに悔しい思いをしていました。観光地化されたひまわり畑に行くのは、習志野の事例のように迷惑客に思われるのもいやだし。とかなんとかぼやいていたら、割と近場にひまわり畑があると教えられ出かけてみたら、地域の人々によって休耕畑を利用したプロジェクトがもう五年ほど前からあったらしく、観光地ほどの規模でないにしろ1万本ほどの群生が待ち受けていました。場所は伏せときます。

抜けるほど青空ではないなと贅沢なこと言いながら気づいたんですが、ひまわりの和名の一つに「天竺葵」というのがあって、「なんで? この花の原産は北米じゃなかったか?」と首をかしげるわけです。帰り道に図書館で涼みながら勉強したらば、紀元前のアメリカ先住民はすでにその頃から食用として栽培しており、16世紀になってスペイン人が種を獲得してマドリードで栽培するようになったと。17世紀になるとフランスからロシアに広まって、種が食材の価値を得ていったのだそうです。

さらにヨーロッパから中国へ伝わった後、ようやく日本に伝来し、天蓋花とか、迎陽花とか日廻り、向日葵と呼ばれながら、18世紀あたりから「ひまわり」で一般化しているようです。この花、東を向いて太陽の方向を追いかける性質を持っていますが、日本への伝来も東へ東へと道を辿ったと言えなくもない。それで和名の中に天竺葵も紛れていたのかと腑に落ちながら、北米から地球をほぼ一周してきたのねーと感心しております。でもアングルが決まってしまうので順光で撮るの大変(笑)

トウキョウ脱出

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だって蒸し暑いんですよ。台風通過して仕事場は冷房効いていてもいったん外へ出ようものなら、日陰も木陰もない!(雨ですが) 逃げたい。北関東の山の方に仕事はないかと営業を脅したら沼田か渋川と言われ「なんで暑いところしかないんだこのやろーっ」と両方引き受け、脱出です。以下つまんないので略。さっさと仕事をこなして国道17号で標高を上げていきます。三国峠のトンネル手前あたりで1000ḿくらいになり、さすがに涼しくなります。

よく考えたら沼田から日光へ向かった方が合理的に帰路につけたのですが、渋川で余計なことを耳にしてしまったのが運のつき。それがこのオブジェ、クロソイド曲線の碑です。旧三国街道の改良時、急カーブの連続を緩和するためにコーナーの前後に緩い曲線を加えて道路設計したという、日本初の事例だとか。クロソイド計算式によってコーナーごとの曲線は異なるそうです。ベンチやテーブルがあると聞いたので涼めるかなーと思ったのに、草に埋もれてました。道路管理者、なんとかしろよ。

小暑の候

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昨日、7月7日から「小暑の候」に入っています。これが22日からは「大暑」となるわけで、夏の本格化ともいわれますが、もう小暑前から「ふざけてんのかこの暑さ!」と言いたくてしょうがない日々が続いています。

サンダーソニアはそんな季節の花なのですが、南アフリカあたりじゃ12月に咲くところもあるらしく、クリスマスベルなんて呼ばれ方もしています。

日本では提灯百合なんて名前もある、名が体を表している花です。ネモフィラ、コキアも華やかな色彩ですけど、これの群生をひたち海浜公園でやってくれないかなあと常々思います。

まーこれだけ暑い季節だと、やってくれても行きたくなくなりそう。

などと今から引きこもりなんかさせないぞと「М2‐レイド」を昨日の夜付でお知らせいたしました。ちょっと難易度上げてます。概要はリンクを参照ください。