Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

鋼の執着心

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「あきらめられなくても腹はくくれる」とは、雫さんの今年一番の名言だったと思います。でも、霙には悪いけれど、それを抑え込む鋼の執着もまた真理ではないかと考えるのです。

ただ、今回はフィガロとエスクードのそれぞれの呼称度合いの差が明暗を分けました。方やリビルドエンジンが無く、此方高圧ホース修理の専門業を探し出せた。

ほんのわずかな違いで、幌エスクードはもう少し走ることができるようになります。本日から作業が始まる予定で、月末に戻されるとのこと。

 

6時間耐久500キロ←なに馬鹿なことやっているんだ

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日付が変わるのを合図にBLUEらすかるを車庫から連れ出し、北関東道で東北道を目指して都賀のジャンクションまでだいたい60キロ。そこから郡山へ向かう途中に那須高原サービスエリアで白河ラーメンなんかすすっているのですが、こんな丑三つ時過ぎた時間帯に他のお客など・・・厨房から見えにくいところで40代くらいのライダーが爆睡しておりました。そんなことはどうでもよい話ですから先を急ぐためにごめんなさいでスープはほぼ残して返却口へ。

自宅と仙台を行き来していた頃に比べると、東北道を深夜に走るトラックの運転はずいぶん紳士的になった気がします。震災復興のピークも過ぎてか、ドライバーの負担軽減なのか、その台数も少なくなったなあと思う反面、速度も抑制され人数も不足という状況を想像すると、本当に負担軽減されているのかどうか心配にもなります。僕自身も一頃に比べたら飛ばさなくなりました。トラックのあとを適度についていくか、時々前に出させてもらうかで郡山ジャンクションです。

磐越道に乗り換えるあたりで、約200キロをこなし、阿武隈高原サービスエリアでトイレ休憩の後、再び走り出すと外気温が12℃くらい。郡山から70キロでいわきジャンクションに到達して常磐道で一気に南下していきます。そのまま土浦北インターで高速を離れ、給油に立ち寄ったガソリンスタンドでだいたい400キロ。ただ、前回ここで給油してからこの周回スタートまでに70キロほど走っているので、それを加算しさらに帰宅すると約500キロの道のりを走っております。

だいたい5時間半で帰宅し、公休日をいいことに朝寝を決め込むわけですが、毎週一回こんなことをやってもまだ車検満了までに100万キロに届くかどうか微妙なところなのがつらいと言えばつらいし、家族の誰一人理解を示してもくれません。まあ景色を見られるわけでもなく、高速料金が安いだけで、何の得にもならないことは事実だものね。これで例の走行距離税なんてものが現実化したら、目も当てられません。秘かな愉しみは先細るばかりなのかもしれません。

ライトクロカンは伊達じゃない

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と、言いたくてしょーが無いんだけれど、たぶんこの30年くらいでクロスカントリー性能とスタイリッシュな風貌との共有というニーズは稀釈されてしまい、クロスオーバーSUVと言っておけばもうそれで十分な時代になってしまった。ほかならぬエスクードそのものが、代を重ねるごとにユーザー側のニーズの変化に寄り添い続けることを恐れなかったと、前向きに評価してきました。それで良かったんだよと。

だけど、そうやって現役から退いたモデルのあとをジムニーシリーズが引き継ぐという構図に、まあ口惜しいやらなんやらの昨今なわけです。もちろんヨーロッパにおけるビターラやインド発のグランドビターラ、ブレッツァといった系譜は残されていますが、国内投入されていくのはBEVとしてフロンティアに臨むeビターラですから、ジムニーには即応できなかったエポックを開拓していくでしょう。

それらの源流原点となった初代はもはや過去の栄光なのか、それとも伊達ではない何かを認めてもらえたのか。でもエスクードのネームバリューはライトクロカンの分野ではなく、レーシングゲームに駆り出されたアレに持って行かれている気もして、そうじゃないんだという言葉も通じなくなって久しい。突出したものを持たず、しかしそれを裏返せばマルチパーパス性能とコストパフォーマンスに優れた小型車であったことが、本来の評価軸であろうと思います。

酷暑の後遺症?

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「ハンドルが変な感触」と、ぷらすBLUEの給油に出かけようとした雫さんが言うので、パワステフルードが減ったかなと運転を代わってみると、確かに据え切りのときにゴリゴリ感がありました。丁寧にステアリング操作を行う分には異常は出ない。「なにさふんっ、どうせ乱暴だっていうんでしょー」(わかってんじゃねーかよ)などとむくれる彼女のことは無視してガソリンスタンドまで走りますが、フルード枯渇時に現れるステアリング右に切るとブレーキ警告灯の明滅はない。

給油の際に「パワステフルードの補充もやって」と注文すると「は? 何フルーですか?」などと、研修中の腕章をつけた男の子が困惑、「?」をこのあと二回繰り返し。店長と交代してもらうと。「雷蔵さん、おっしゃる通り漏れてますね。暑さでパッキンやられていたのかも」。しかし補充量はごく少量で、漏れ始めという感じ。パッキン程度ならいいんだけど、BLUEらすかるも不調のため点検入庫させなくてはならないのにこっちもメカトラブルだったらどうしよう・・・

というのが事の起こりで、BLUEらすかるのプロペラシャフト故障発生によって代走させようと給油するつもりが、2台そろって入庫。主治医には大変申し訳ないことに、整備場の半分をうちのクルマが占拠してしまいました。フルード漏れは高圧ホースが酷暑で加速度的に劣化したことが原因のようです。日中、車庫内は40℃になっていたから夜との気温差も大きかったんだろうなあ。BLUEらすかるΩを呼び戻すわけにもいかず、腹をくくらねばならない先週でした。

そのBLUEらすかるは、プロペラシャフトのフロント側ユニバーサルジョイントが「磨滅」と「欠け」で外れかかっていたことが原因。暑さのせいではなくて、98万キロ、車高を上げてからは90万キロ走らせてきたんだから致し方ありません。シャフトはもう部品が出ないのですがジョイントパーツは確保でき、それを使って修理です。重症なのはやはり幌車の方で、高圧ホースの破損部分を切除すると長さが足りなくなる。これをどうするかで解決策を見出すには時間がかかりそうです。

By Your Side

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スズキが「Sマーク」のデザインをリファインするのは22年ぶりだそうで、2003年以来の改革ということになります。あー・・・リファイン前のマークは三代目エスクードから使われているので、それよりも前の登場だったとはすっかり忘れています。

今回のデザインは従来のSのアウトラインを継承させ、デジタル時代に適応したフラットなものとし、環境負荷低減目標を表現するためこれまでのクロームメッキを高輝度シルバー塗装に変更したとか。

Sマークの基本形はずっと以前に使われていたもので、公募により学生の提案がベースとなっていました。これが一度、何を浮かれてんだかというポップなデザインに改められたことがあり、こともあろうに初代エスクードや二代目エスクードの時代に、それが採用されました。あくまで私見ですが、このコロコロした図案、初代エスクードに関してはそれ以前、以降のどのマークも似合わなくて、これじゃないとしっくりこないのです(私見ですからね)。

二代目においてはさらに異なるデザインがグランドエスクードに使われましたが、石岡市のマークを見るとなんとなく似ているのが不思議ですが、それはローカルな話題なので深入りしてはなりません。2025年版は創業以来貫いている「お客様の立場になって」の想いと、未来に向けた新たな可能性を込めたとありますが、ということは、歴代どのマークもそうだったんじゃないの? とも感じられ、ことさらこういうところで顧客満足度の話を持ってこなくともいいではないかと思うわけです。

らい すなわち こえを おさむ

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秋分を迎えます。「雷乃収声」という秋分の初侯は本日から27日までを示しています。積乱雲の沸き立つ様子も薄れ、夕立とともに見舞ってきた雷の音も鎮まる頃。夜空に浮かぶのはまだ新月期の細い月で、軌道も低いため明け方頃は地平線に隠れています。昨年の秋分の日は中秋の名月から6日ほど経過していましたが、今年は10月6日まで待たねばなりません。こんな夜明け前に走らせると、外気温とエンジンの関係も良好です。そういう季節に移り変わってきました。

などと油断していたら、突然BLUEらすかるのプロペラシャフトから異常振動が発生し、ぷらすBLUEに乗り換えようとすればステアリングがごきごき言うので点検したらAТFが流出しているらしい。

・・・まさかの我が家で3台同時入庫!

 

さてどうすんだよ代走用の幌車が使えないと、仕事に行けないじゃないか。と困り果てた末、任意保険のパッケージに組まれている代車特約を発動しました。背に腹は代えられないので、空いてるやつでEТC使えればいいからすぐ配車してくださいと頼んだのです。

もちろん四代目エスクードとかフロンクスが来るはずもなく・・・

 

エスクードを探し続けて早幾年

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エスクードのミニカーコレクションに関しては世界で(きっと)右に出る者は無いと思われるコムロさんは、先日のつくばーど®においても、ご自身が乗っている実物も合わせれば一人で6台もの参加車両を並べておりました。ここで特に目を引いたのは、左手にある欧州ディビジョンのスズキ販売網の何処かがノベルティとして生産したらしい、三代目ショート、ロングの金属製ミニカーです。右ハンドルのため英国仕様であろうといわれています。

右手の3台はドイツのリーツェが2005年から発売した1/87スケールのグランドビターラ。この大きさは鉄道模型にあるHOゲージに準じたもので、日本での同ゲージは縮尺1/80ですが、欧米では縮尺1/87で設計されており、鉄道模型側、グランドビターラ側それぞれの視点から、ファンやユーザーがジオラマを作って楽しんでいたそうです。

コムロさんのコレクションの、ミニカーだけでもまだ一部しか見たことがないのですが、エスクードというキーワードですべてを並べ始めたら間違いなく三坪物置が一杯になります。

 

 

修さんが言っている・・・としたら

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「高いだろう、電池取っ払え」とか、アルトを47万円で売り出させた鈴木修さんだったら言ったかもしれないeビターラの立派な販売価格にまあびっくりですが、eアクスル一つとってもこのセグメントで四輪に配置するほどの他車はまだないんですね。それでも物価高と高齢社会が浸透していく時代に必要なクルマというのは、老若男女問わず別のところにあるのではないかと感じざるを得ません。せめてこれが五代目エスクードの名を引き継いでいないことにほっとするのです。

来年1月には売り出されるし、先行予約も始まる。新しいスズキの命運を賭けた商品ですから、悪い出来のはずはない。左右斜め前からの姿は僕には「勇猛に踏ん張る河馬」にしか見えませんが(初代エスクードだってノマドが出たときには「物陰からぬっと現れた牛のよう」と書かれたよ)、間違いなく人目を惹くでしょう。本日より各地で変わり番こに先行展示会も始まりますから、話題をさらっていく1台になるはず。最大のライバルがアーバンクルーザーというのはもう避けられない皮肉です。

というわけで。先行展示会で現物を見てまいりました。ESCLEVサイトへのリンクはこちらです。性能やらメカニズムやらはメーカーサイトで見てください。走らせてもいないのに書きようがないもん。

そうこうしてスタートラインに

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とうとう20年の歩みのスタートラインとなった日が巡ってきました。実際には5日前に陸運登録して走行開始していますが、自分の中ではTD61Wを披露させていただいた10日の方を走り初めの日としたいのです。この日はつくばーど®ではなく、E‐actのイベントとして機会をいただいています。さすが老舗です、一声かけて沢山の人々が集まってくれたのだから。本家版の当時のリポートはウェブごと無くなっているのが残念です。

前夜、突貫で作ってもらったリアフェンダーとエンジンフードのマーキングはついていますが、それ以外のBLUEらすかるアイデンティティとなるパーツは何一つありませんし、ホイールも「61専用」のままという、中古車ながら卸したて状態です。なによりノーマル車高というのがもうほほえましい。僕自身も2000cc以上の車に乗るのはこれが初めてのことでした。こんな至福の日を設営していただいたら、後戻りはできなくなったのです。

そんな最近のこと。友人が教えてくれた「X」の投稿に、三菱パジェロ乗りの人がブログの記事BLUEらすかる年代記を取り上げてくれておりました。ありがとうございます。僕は初代エスクードのバッケンレコードを塗り替えた後は、パジェロやランクル70系の70万キロ越えという個体例をめざして追いかけてきました。地球と月の往復距離を走れたのもそのおかげだと思っています。で、今日、上州を500キロほど漂流してきました。

20年で90万キロ(に、ちょっと届かない)

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表題が紛らわしくて済みませんが、BLUEらすかることエスクードTD61Wは、2005年9月5日に手元にやってきました。現在98万キロ台に入ったところなので、20年でそれだけ走っている・・・とは言えず、購入時に88000キロが刻まれていたため、僕自身の運転ではまだ90万キロに届いていないのです。こうしてみると当時すでに9年落ちですがなかなかピカピカです。これは練馬のスズキディーラーが頑張ってくれたおかげで、初見したときはエンジンルームなんか赤錆だらけでした。

茨城の陸運事務所でナンバーを取り付けてもらった足で、磯崎海岸まで走らせたのが最初の運行。この日は午後から小雨でした。テンロクノマドはすでに我が家にありましたが、2500ccという初代エスクードにおいては最大排気量を持つ個体の「おっとり走りと踏んだら大変」の二面性もさることながら、テンロクショートの1型だったら2台分のパワー(トルクは倍にはならないけど)が、運転側を疲れさせないことにありがたみを覚えました。

2005年と言えば、三代目エスクードがデビューした年でもあります。そういう選択肢を踏んでいれば、細かい不具合から深刻な故障に悩まされることは無かったかもしれませんが、先代らすかるでやり残したことがあったし、引き継ぐのであれば初代でやるしかないとか、2000のV6に乗ったから次は2500だとか、どこか通ぶっていたような気がします。でもこの頃、先代がこなした地球から月までの距離を走れるとは思っていませんでした。

それくらい、外見から見えないところはボロボロだったのです。普通だったらそんなもの手に取ろうとはしないものですが、「見ちゃったから後へは引けなくなったなあ」と決心したのは大げさな表現ではありませんでした。ま、その割におそらく、前の所有者よりもはるかに過酷にこき使ってきたのは間違いないでしょう。そうやって紆余曲折せずブレもせず、20年めの運用がファイナルラップになることを、段々実感してきました。