俳優の勝呂誉さんが亡くなられていたことが、昨日報道されました。「怪奇大作戦」の三沢京助という、SRI(科学捜査研究所)の所員にして熱血な大人の男。僕の祖母がファンでした。なんでだろう? 「ウルトラQ」に続いて怖くて観るのがいやだった番組なのに、そういうのに限って叔父貴たちとか祖母が熱を上げていたんですよ。僕なんか彼らが乗っているトータスしか興味の対象ではなかった。でも勝呂さんやら岸田森さんを知ったのもこの番組でした。合掌。
謎の坂田自動車修理工場 後編
これは状況説明の域を出ないのですが、次郎くんは実際に隅田川近辺までやって来ています。怪獣から避難する都民とは逆に、怪獣の暴れる場所に向かって走る彼の背景に「元祖 つくだに」の看板が見えています。元祖 つくだにと言ったら、佃島に今でも所在する天安本店。この元祖~は同店の暖簾に現代でも描かれています。佃島には佃源 田中屋などの軒が並ぶ風景が残っていて、55年前に次郎くんが走っていた町は、怪獣災害を受けても復興して健在なのです。
次郎くんのあとを追いかけていた郷秀樹青年も、「天安」の前を駆け抜けています。まだウルトラマンと邂逅していない普通の青年なので、この時点で次郎くんに追いつけていない。しかしここまでの時間経過がさりげなく組み込まれていて、怪獣は勝鬨橋からさらに遡上して佃島界隈に達しています。なぜなら、次郎くんたちはすでに破壊された勝鬨橋の方向から隅田川の上流に向かって、怪獣の暴れる場所へと移動しているのです。
この時間経過が、まあまあ砧のあたりから二人が駆けつけていたのかもという推測の材料にはなるのだけれど、なんというか説得力に欠ける感が強い。怪獣に佃島界隈が襲われるまでは、坂田自動車修理工場は隅田川の近くにあったものの、怪獣災害によって避難と立ち退きを余儀なくされ、第二話では世田谷に移転していたのではないかと、劇中設定とは別に解釈したくなります。坂田健さん、意外に財力持ってらっしゃるってことでしょうかね。
うどん好きー♪
再びスズキに聞いてみた
以前、エスクードのアナログ式オドメーターは100万キロを刻む際に六桁ともゼロに戻るのか、その手前で止まってしまうのかをお客様相談室に聞いた時には「わかりません」の回答でした。そんな事例無いものなぁと、うちのエスクードでもまだ未達成だったその頃は思わざるを得ませんでしたが、検証結果を報告させていただき、それではデジタル化された最近のスズキ車はどうなのでしょうかと再び聞いてみました。
「昨今のスズキ車は999999キロで停止し、そのまま固定されます」
という回答でした。まあ軽自動車から小型車普通自動車全般、そこまで走らせようなんて酔狂な人はそうそういないでしょうから、計器の設計上そうなっても大きな問題にはならないと思いますし、むしろゼロに戻ってしまうと「何これこの年式で全然走っていないし」と勘違いされてしまうことの方が良くないのでしょう。
これだけの距離を走ったという意味では、ゼロ並びよりも現実味はありますが、リセットされない現実は、それはそれでなんとなく寂しいものがあります。100万キロ、達成実現させるならアナログ式時代のクルマに限りますので是非(いやそうそういないって書いてるだろうっ)
この回答とともに、お客様相談室からはお祝いと励ましのメッセージもいただきました。
深海珊瑚の長寿にあやかり
縦社会を叩き込まれた高校の後輩であったはずなのに、いまやタメ口なばかりか居ないと困る大黒柱の重鎮。尻に敷かれてこそいませんけどね、時々「あの当時のあれは幻想だったのか」と思っても口には出しません(書いてるけどね)
そうこうしているうちに、婚姻届を出して35年になってしまいました。そりゃあ雫さんの10代なんて、幻想通り越してるわ。←超暴言
世間では珊瑚昏と呼ぶそうです。使うかどうかわかんないけど、珊瑚のアクセサリーを秘かに買い求めたら、深海珊瑚の加工ものを薦められました。これがそうなのかどうかまたもわかんないけど、水深100m〜1,000mの海に生息している(てことは、採ってこられる程度の水深なんだろうね)そうですが、個体によっては8000年前から生きているものもあるのだとか。
そこが縁起物として重宝されるのでしょう。さすがに8000年元気でいてねーなどと言っても「ばかゆってんじゃないわよ」と返り討ちにされるでしょうが、適当に長生きしてねーという思いは込めております。
いや、結婚記念日を失念しない俺だって「えへんっ」なんだぜ。そんな理由で、火曜日なんですが「我が名はテオマチャ」はお休みです。
謎の坂田自動車修理工場 前編
地球の環境変動が原因となり、休眠していた怪獣が各地で暴れ出した世界。その日、東京湾に出現したオイル怪獣とヘドロ怪獣は格闘を繰り広げながら勝鬨橋を破壊して隅田川を遡上していました。
町の一大事を目の当たりにして、坂田次郎くん11歳は、兄が作っているレーシングカーを壊させない意気込みでレンチを持ち出し怪獣現場に走り出してしまうのが、坂田自動車修理工場初登場のシーンです。
この工場は、次郎くんの長兄・健さん28歳が経営する一方、整備士として働いていた郷秀樹青年23歳とともに、レーシングマシン流星号の開発も進めるちょっとしたファクトリーでした。が、劇中設定によれば、所在地は世田谷区内だという話。第二話終盤において出てくる工場前の並木道から、砧公園近くであろうといわれていますがちょっと待て。次郎くん、そんなところから隅田川まで自力で走っちっゃたのか? レンチなんか持ってバスやら鉄道やらを乗り換えてまで向かっちっゃたのか?
やってしまうかもしれません。次郎くんは兄思いであり健さんは尊敬すべきヒーローなのです。次郎くんが6歳のころまで、健さんは腕自慢のレーサーだったのですが、あるレースのゴール直前で事故を起こして足を負傷し引退。修理工場経営に専念しますがマシン開発はあきらめていなかった。末の弟が羨望のまなざしを送るのは至極当然のことです。でもねえ、世田谷と隅田川の距離感は、どうしても不自然な関係のままだと思うのです。
先日、首都高の堀切ジャンクションで、僕は中央環状線から加平方面へ向けて合流していったのですが、そのさなかに6号から板橋方面へ駆け抜けていくマツダコスモスポーツの後姿を見かけました。もちろん赤ストライプや流星マークは描かれていませんでしたが、得も言われぬ艶っぽさとかっこよさは、エスクードの古さなど問題にすらならないもっと古い時代の産物。ジムニーすらこの世にない頃、個性的なクルマは沢山あったんだなあと思わされました。
マットビハイクルとして近未来的なスタイリッシュさをアピールしていた「帰ってきたウルトラマン」の放送から、ことしは55年目にあたります。コスモスポーツは1967年の誕生で、プロトタイプに遡ればもう少し古い。それが今少しも色褪せていないのだから素晴らしい。などと考えながら、ほぼ毎日のように晴海通りで勝鬨橋を渡っているのですが、「この橋55年前にタッコングとザザーンにぶち壊されてんだよなあ」と思った瞬間、55年前の謎に気がつくのでした。その話は後日。




