「すっかり絶滅した」とか「めっきり見かけなくなった」と、SNSの世界で言ってる人たちは、森の中の木を見る機会に恵まれていないということでしょうか。どこの誰かもわからない知らないTD01w、たった1台でいいのよこの説得力。昔の僕や和邇さんだったら、所有者が戻ってくるのを待ち構えたことでしょう。この時僕は、電話がかかってきたのでこのPAに入ったんですが、通話している間にこのノマドは出かけていってしまいました。電話かけてきたやろー、何てことしてくれたんだ!
いるところにはいるんだよ
まあ、そうなるよね。
ATAGO FORESTHOUSEはカフェとミーティングルームの併設店舗ですが、天狗の森の大駐車場からデッキテラスを突き出した、眺望の良い立地でしゃれた建物です。ふるさと創生1億円なんて政策が行われた時代に天狗の森公園が整備されましたが、当時はせいぜい案内所とちいさな物販店くらいしかありませんでした。昔はここでコーヒーという需要そのものが無かったから。いつからかキッチンカー方式でコーヒースタンドがやってくるようになり、その店主が今は店の経営を受託しています。
同店には熱意のこもったファンがいらして、開業当初はそれ以前の店舗であったキッチンカーのミニチェアが、実に精巧な作りで置かれているのが話題でした。最近になって、このファンの方がお店そのもののミニチェアを作り上げ、その店内まで緻密に再現した出来栄えに見入ってしまいます。聞けば構造材の一部にはアイスの棒を使っているとか。うらやましい。こんな器用な手先がほしかったですよ。
物持ちという問題以前では・・・
無かったことにされてしまった
スズキアリーナ鍋島 / U’s STATION鍋島がエスクードの歴史について紹介してくれているのですが、自分とこで扱う、扱った車の記事で自爆しているのはとほほです。いきなり「1989年から長らく~」と綴っているから、デビュー年の1988年には佐賀県に初代エスクードは流通しなかったと、だからコンバーチブルもハードトップバンも知らないんだねえと、まあ嫌がらせ的に解釈するとして、1990年のノマド追加から1997年の二代目登場までのモデル変遷ばっさりと切られてしまいましたよ。
どなたが書いているのかまではわかりませんが、文脈のダメさ加減も含めて、店長さんあたりが校閲知識と技術を持たないと恥をかくだけです。
我が名はテオマチャ-035
先日の「30年経っちまったよ」の第二幕です。TA11Wに乗り換える前の年の夏ですから1994年。エスクード歴まだ5年というこの頃、そのTA/TD11W自体この世に登場していなかったけれど、それでも「エスクードにV6エンジンが載るってよ!」という噂は流れていました。我が家にはすでに93年式の1600ノマドがありましたが、そちらは親父か雫さんが乗っていたため、僕の遠出はもっぱらこのヘリーハンセン・リミテッドでした。で、野辺山の原点はこれ(一番上の写真。1966年)
でもって2026年7月。雫さんと霰がチェックアウトの手続きをしている間に抜け出して、霙を連れてきました。齢はとりたくねえよと思いながらも、こういうシーンを思い描く楽しみには勝てません。それにしても約500キロほど走って、同型のクロスビーにはまったく出会わず。1000ccターボはよく見かけたのですが。前日に立ち寄った桃のスイーツ店で、霙よりは年上らしい女性が「あー、クロスビーこんなふうに変わったんだ。けっこうごつく見えるね」と、彼氏らしき男性と対話しておりました。
還暦どころか生誕125年
「我が名はテオマチャ」掲載日と重なるので前倒しです。監修者としてウルトラマンの生みの親と言われる特技監督・円谷英二さんの誕生日(明日)は、戸籍の上では1901年7月10だそうですが、現在位に至る逸話や身内の方々、円谷プロダクション(往時)の見解によって1901年7月7日が定説となっています。ウルトラシリーズ60周年のバックボーンは、英二さん個人に絞れば125年の歴史の上に成り立っていて、初代ウルトラマンは2万年生きているようですけど番組年次では8歳も若い。
さらに生誕に遡ればウルトラの還暦どころか途方もない偶然の巡り合わせで、英二さんが生まれたこの日、遠くイタリアの地で、後に映画監督となるヴィットリオ・デ・シーカ氏も誕生を迎えていました。ウルトラマンが放送された1966年には金塊強奪とその密輸の顛末を描いたコメディ映画「紳士泥棒 大ゴールデン作戦」(センスのない邦題だねえ。原題は主人公の名を取ったAfter the Fox)を送り出していますが、まあ「誰?それ」になってしまうので、有名なところで「ひまわり」を撮ることになる人物です。この「ひまわり」は、英二さんが亡くなった1970年の封切り。
30年経っちまったよ
このTA11Wは、まだ「らすかる」と呼ばれる以前の、ほぼ吊るしの状態に近いエスクードです。撮影場所はこれでは証明しようがありませんが、小海線の「鉄道最高地点」にある踏切のあたりです。このとき運転しているのは雫さんで、助手席にはお袋、生後まだ1年めが来ていない霰が、後部座席の車載用ベビーベッドで寝ています。1996年秋の撮影でした。いま交流のあるエスクード仲間の、誰一人知り合いではなかった時代。1600から2000にのりかえて1年目のことです。
2026年7月4日。せぐろさんを運転しているのが、霰です。助手席に霙がいて、後部座席に雫さんというのはまるで見えませんが、今回はそれが小海線に沿った道路であることが構図だけで説明できます。同じ場所です。道路標識がかなり邪魔です。踏切の向こうにいた人たちには、僕自身がもっと邪魔だったでしょう。まあそれはそれとして、30年経っちまいましたよ、認めたくないものですよ、自分自身の、老いさらばえた時間というものを。



