BLUEらすかるの廃車手続きを行いました。いつまでも腑抜けていられないのなら、迷いも未練も一刀両断しなければ先へ進めません。おそらくそのうち、どこか知らない国の知らない奴が乗り回すことになるのでしょうけど、万が一その様子を見ることとなった方々には、そのことについては俺には知らせないでくださいねとお願いしておきます。そのエスクードは、一見よさげな状態に見えてもただのポンコツなエスクードでしかありません。BLUEらすかるはもう現存しません。
さて先日途中で紹介を置いた、曹洞宗法光寺は佐野住職のお話。
広義には同じ仏教ですから、禅宗の逸話が書かれておりました(先日の法光寺のリンクで全文が読めます)。それが雲門文偃という、雲門宗の開祖が残した教えの一つで、よく知られているあれです。「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」
正直に言うと、僕はこの言葉が嫌いです。人生を悟りでもしているならまだしも、自分はどこへ行くのか、行けばいいのかよくわからないまま歳を食ってる身に、毎日のすべてが掛け替えなく、あらゆる時間が素晴らしく味わい深いものになる・・・などと言われたって、苦楽の苦なんか背負っていたくないのです。
20年ちょっと、1台のエスクードを走らせ壊し直してはまた走らせることを通して、すべてが愛おしいと思うことなどありません。むしろ、よくぶん投げなかったもんだよと、そっちの方がのしかかっていて、そこからの解放が腑抜けになった原因なのです。
すげー身勝手な奴でしょ?
しかし佐野住職の説いてくれた雲門禅師の逸話とは、「さとる前のことはさておいて、さとったあとの世界を表現してみろ」というものなのだそうです。20年も100万キロも一瞬で「そんなのもういいから」と、これからのことの方が大事だ、だから毎日が素晴らしいと笑われてしまった雰囲気です。いやもう「そうだったのかー」と目から鱗の落ちる思いです。
だからといって、嫌いな言葉を好きになろうとは思いません。わりと頑ななやろーなのです。そのうえで、パーツ移植が済んでBLUEらすかるΩが戻ってきたときに、たぶんぱっと見には見分けがつかないであろうその姿に、しっかり未練残してんじゃん、と言われるだろうなあと想像しています。

















