何をしたでもなくお盆休み終了ー! 天気も良くなかったしねぇ。 (良かったら良かったで暑いんだけど) 休み明けは予想通り、合わない請求書と格闘して 一日終わりました・・・
「僕は97年にはこのホイールを履いていたので、尾上さんより早かったはずです」と、2006年にエスクードを退役させることとなって部品取りオフ会に出かけた先で、かーたさんは話していました。90年代中盤以降、初代エスクードのホイールは16インチが流行、定番化していくなかで、かーたさんがこの15インチホイールを気に入っていたのは、ひとえにデザインの秀逸さです。おっしゃる通りで確かにかっこいい。けれども同じホイールを履いたエスクードは見たことがない。
それくらい珍しいのかたまたま15インチだから所望する人がいなかったからなのかはわかりませんが、かーたさんが教えてくれたアピオのダカールエスクード(写真は99年アジアンラリーのもので、98年にダカールを走っている)の逸話は、ずっと後の2013年のエスクード誕生25周年での取材で、写真を提供していただいたときにようやく確認します。でも今思い返すと、この車体、リフトで上げられている制作途上状態を97年に直に見ていたんだっけの、またしても俺の目は節穴談です。
アピオエスクードが15インチだったか16インチだったかまでは突き止められませんでしたが、思い立つことがあって、誕生30周年で尾上さんが1600コンバーチブルのレストアを行ったドキュメントを取材したとき、僕はこのホイールを履いているぷらすBLUEでアピオに出かけました。すると尾上さん、ホイールのデザインは覚えていらして「おー、これ懐かしいねえ」とニコニコ顔で思い出してくれました。2017年のことですが、考えてみたら来年はアピオのダカール参戦30年になります。
ある日、天文学者のエリー・アロウェイは、こと座のベガ方面から発信されたと思しき電波を受信します。1985年にカール・セーガンが発表したSF小説。97年にロバート・ゼメキスが映像化した「CONTACT」という物語のサイエンスの部分はちっょと追っ払って、政治と宗教の狭間に放り込まれるエリーが体験した真実の・・・あえてフィクションでありファンタジーとして取り上げるのですが、エリーはワームホールを飛び越え、どこかの星の砂浜で幼い頃に亡くした父親と再会するのです。
なんて端折り方をするんだと言われそうですが、彼女が受信した電波信号は宇宙転移装置の概念と設計仕様書で、これを国家プロジェクトとして再現して、さらに端折って彼女が乗り組むことになるわけです。その行きつく先が、見たことのあるビーチで、父親が現れたのは、この電波を送った異星の知的生命が彼女に理解しやすくするために演出したものでした。
しかしそこから帰還した彼女に、この体験を証明できるものが何もない。科学を拠り所として生きてきた彼女が、いかにもアメリカらしい宗教観に押し切られていくのですが、彼女をペテン師だと決めつけた政治の側にも、その傲慢をひっくり返されそうな事実が待ち受けている。と、だいたいこんな感じ(書いてて自分でもわからん)
そもそもなんでそんな話を今持ち出してきた? とも突っ込まれそうですが、この物語のベースとなった、実際には射手座方面からの信号を受信した「Wow! シグナル事件」というのがあって、その観測が77年の8月15日のことでした。これを書き始めると長いのでうっちゃります。まあこじつけでしかないのですが、科学に対する、宗教観の持つ恐怖心という構図は、宗教観そのものを異にする日本人には出てこない感覚だなあと思いながらも、セーガンとゼメキスの物語に出てくる「再会」の場面は、娘が故人に巡り合う逆の図式ながら、あの世から帰ってくる先祖を迎える風習において、日本人の感性にもしっくりくるんですよ。
このシーンは後に、雪村誠さんも「プラネテス」においてオマージュを描いているんですが、いずれも盆の風情とは無縁の、宇宙のお話です。来年、このWow! シグナルから半世紀を経て、再び射手座に向けて世界中の電波望遠鏡20基を振り向けるプロジェクトが行われます。あ・・・ワームホールマシンはさすがに出てこないか。それでも8月15日に、フィクションではないファンタジーが、サイエンスのカタチで観られるというところが楽しみです。
暦の改正や季節感の変化で、盆はいかにも夏らしい風物だと感じているのですが、東京や神奈川の「ところにより盆は7月」という文化を知ってから、新盆や旧盆、月遅れ盆と地域差があることもわかり、なんでこうめんどくさい風習を作ってしまうんだなどと思い立つわけです。よくよく考えてみるとうちのあたりじゃ8月盆が常識なのは良いとして、7月盆を「新盆」と呼ぶことに違和感があるのです。新盆って、「今年になって鬼籍に入った人の家の最初の盆」だと教えられてきたからです。
7月も終わる頃になると、ことし新盆を迎える知人友人宅に供養挨拶に出向く軒数を確認して、昔は爺さんや親父を乗せて運転手をさせられ、自分一人で行く担当も任され(てことは、俺は全部行かされてんじゃん)過ごすのが、対外的新盆体験でした。でもこれを行うのは茨城県じゃ8月なのです。
ついでにハタと気がついたのは、長年「そうしろ」と親戚中から言われて設営していた我が家の旧盆用祭壇が、どう考えても「新盆の家の派手目な装飾」。そうしろと言い続けていたその古老たちも亡くなり、もういいだろうと、親父が亡くなった年を最後に祭壇の設営もやめました。よそに比べたら質素極まりないけれど、仏壇があるんだからそれでいいじゃねーかと。
さて夕方にはわざわざ墓参りに出向いて先祖を連れてくるという「迎え盆」なる行事があるんだけれど、自分ちを忘れちゃうのか先祖たちは? という疑問を口にしてぶっ飛ばされたのが昔。なぜキュウリが馬でナスが牛なのかを教えてくれた大人もいなかったね。このことは独学で知るに至って膝を打ったのですが、それじゃあ蚊遣豚なんか置いといたらどうなるんだろう? という意識はまるでないことしの夏です。
アピオの尾上茂会長が現在のダカールラリーに初参戦したのが29年前の1997年。そこから三年連続リタイアして結果的に9回を走ったというお話は多くの人が知るところです。通算4回目の2000年に、初めて完走を遂げたのが二代目エスクードであったことも、詳しい人なら周知の事実でした。そんなことを考えながら、そのダカールエスクードをーの写真を見ていて気がついたのです。このゼッケンと主催者ロゴの組み合わせ、1998年のものでした。
あ・・・そうだったのか。尾上さん、全出走のうち8回、二代目エスクードで走っていたのです。ダカール参戦というのはほぼ、二代目の活躍と言ってよいでしょう。残念ながら98年は二度目のリタイアでしたけど。で、99年の写真は無いんですが、99年8月に行われたアジアンラリーに、同じ二代目が出ていました。厳密に言うと「左ハンドル」なのですが。さらにこのエスクード(グランドビターラ)は、2500ccのTD62Wであったようです。
99年ダカールはリタイアでしたが、アジアンラリーは総合6位です。これはいかん(俺が)。今頃になって二代目復権の糸口を見出すという「目の節穴状態」を猛省せねばなりません。まあその割には別のことに注目していたのですが。この二代目が履いているホイール、わかる人にはわかると思います。うちのぷらすBLUEが使っているやつと同型なのです。うちのは、エスクードОBとなったかーたさんから譲り受けたもので、そのときにこの話は聞いていましたが、こういうことだったのねー