Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

無かったことにされてしまった

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スズキアリーナ鍋島 / U’s STATION鍋島がエスクードの歴史について紹介してくれているのですが、自分とこで扱う、扱った車の記事で自爆しているのはとほほです。いきなり「1989年から長らく~」と綴っているから、デビュー年の1988年には佐賀県に初代エスクードは流通しなかったと、だからコンバーチブルもハードトップバンも知らないんだねえと、まあ嫌がらせ的に解釈するとして、1990年のノマド追加から1997年の二代目登場までのモデル変遷ばっさりと切られてしまいましたよ。

どなたが書いているのかまではわかりませんが、文脈のダメさ加減も含めて、店長さんあたりが校閲知識と技術を持たないと恥をかくだけです。

健康診断。

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暑いかなー・・・

年に一度の健康診断受けてきます。
また体重増えてるンかしら。
いや、それよりも血圧・・・
曇りだけど(曇りだからか)蒸すよね多分

 

我が名はテオマチャ-035

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先日の「30年経っちまったよ」の第二幕です。TA11Wに乗り換える前の年の夏ですから1994年。エスクード歴まだ5年というこの頃、そのTA/TD11W自体この世に登場していなかったけれど、それでも「エスクードにV6エンジンが載るってよ!」という噂は流れていました。我が家にはすでに93年式の1600ノマドがありましたが、そちらは親父か雫さんが乗っていたため、僕の遠出はもっぱらこのヘリーハンセン・リミテッドでした。で、野辺山の原点はこれ(一番上の写真。1966年)

でもって2026年7月。雫さんと霰がチェックアウトの手続きをしている間に抜け出して、霙を連れてきました。齢はとりたくねえよと思いながらも、こういうシーンを思い描く楽しみには勝てません。それにしても約500キロほど走って、同型のクロスビーにはまったく出会わず。1000ccターボはよく見かけたのですが。前日に立ち寄った桃のスイーツ店で、霙よりは年上らしい女性が「あー、クロスビーこんなふうに変わったんだ。けっこうごつく見えるね」と、彼氏らしき男性と対話しておりました。

週末は工事屋さん。

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安全具はちゃんと着けましょう。

会社のお勝手の蛍光灯が切れてしまい、交換しても点かないので
器具ごと交換。
ついでに事務所入り口の器具も交換。
来年には蛍光灯の製造が禁止されるし、どのみち事務所の蛍光器具も
全部LEDに交換しないとね。
交換したら、お勝手なんだか眩しいんですけど・・・

 

還暦どころか生誕125年

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「我が名はテオマチャ」掲載日と重なるので前倒しです。監修者としてウルトラマンの生みの親と言われる特技監督・円谷英二さんの誕生日(明日)は、戸籍の上では1901年7月10だそうですが、現在位に至る逸話や身内の方々、円谷プロダクション(往時)の見解によって1901年7月7日が定説となっています。ウルトラシリーズ60周年のバックボーンは、英二さん個人に絞れば125年の歴史の上に成り立っていて、初代ウルトラマンは2万年生きているようですけど番組年次では8歳も若い。

さらに生誕に遡ればウルトラの還暦どころか途方もない偶然の巡り合わせで、英二さんが生まれたこの日、遠くイタリアの地で、後に映画監督となるヴィットリオ・デ・シーカ氏も誕生を迎えていました。ウルトラマンが放送された1966年には金塊強奪とその密輸の顛末を描いたコメディ映画「紳士泥棒 大ゴールデン作戦」(センスのない邦題だねえ。原題は主人公の名を取ったAfter the Fox)を送り出していますが、まあ「誰?それ」になってしまうので、有名なところで「ひまわり」を撮ることになる人物です。この「ひまわり」は、英二さんが亡くなった1970年の封切り。

30年経っちまったよ

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このTA11Wは、まだ「らすかる」と呼ばれる以前の、ほぼ吊るしの状態に近いエスクードです。撮影場所はこれでは証明しようがありませんが、小海線の「鉄道最高地点」にある踏切のあたりです。このとき運転しているのは雫さんで、助手席にはお袋、生後まだ1年めが来ていない霰が、後部座席の車載用ベビーベッドで寝ています。1996年秋の撮影でした。いま交流のあるエスクード仲間の、誰一人知り合いではなかった時代。1600から2000にのりかえて1年目のことです。

2026年7月4日。せぐろさんを運転しているのが、霰です。助手席に霙がいて、後部座席に雫さんというのはまるで見えませんが、今回はそれが小海線に沿った道路であることが構図だけで説明できます。同じ場所です。道路標識がかなり邪魔です。踏切の向こうにいた人たちには、僕自身がもっと邪魔だったでしょう。まあそれはそれとして、30年経っちまいましたよ、認めたくないものですよ、自分自身の、老いさらばえた時間というものを。

業を煮やして・・・

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きれいではないけど。

伝票入力した時の控えの数字、左手で書き始めました。
だって一向に良くならない右手首・・・
(いや、一時期に比べたら大分マシだけど)
まあ読める程度には書けるようになりました。
ただスピードは遅いです。

 

甲州往還走ってます

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昨日から、家族全員で静岡、忍野、笛吹、野辺山と走りつないで佐久から松井田に向かっております。せぐろさんの長距離テストも兼ねていますが、交代できる運転手が僕を含めて4人というのは楽です。それにしても驚いたのは、四半世紀前に泊まったことのある、野辺山では割と行きつけだったペンションが、当時7500円で2食付いていたのに今だと35800円だって。いやーそれだけ出すんだったらもっといいところに泊まるよー。でも親に連れられての60年前はテント泊でしたねえ。

大あくび。

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あふ~っ

椅子でまったりしてるいちを撮っていたら
たまたまのあくび。
おにいさん、虫歯は無いですね?

 

還暦シリーズの狭間

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本年は「ウルトラマンシリーズ60周年」でもあるそうで、ん? なんでこのシリーズにわざわざ「マン」を付けているんだとちょっと不可解な気分です。円谷特技プロダクション、TBS制作の特撮テレビドラマとして空想特撮シリーズの口火を切ったのは「ウルトラQ」で、これが1966年1月に始まっているからでした。その辺のことは重箱の隅をつついているようなものですが、同作が7月3日で放送終了し、「ウルトラマン」の第1話が繰り上がったものの放送に間に合わなかったのは有名な話。

幼児時代の僕は「ウルトラQ」が怖くて観るのが嫌だったのですが、どういうわけか親父の弟たちが気に入っていて、茶の間に1台しかない(しかもモノクロテレビ)、あまりの田舎で電波状態が悪いにもかかわらず、一番映りの悪かったTBSにチャンネルを固定されてしまい、べそをかいていたのを覚えています。

どのくらい電波状況が悪かったかというと、あの頃NHKで放送していた「サンダーバード」の画面が粗くて、「特撮に見えない妙なリアル感」が醸し出されていたくらい悪かった。「ウルトラQ」なんてもっとひどかったのですが、嫌々観ているのにだいたいストーリーは覚えてしまうのが哀しいサガでした。それでも当時放送の最終回であった「206便消滅す」は、状況の切り取りと繋ぎのようなわけのわからない内容でした(あれで視聴率35とか36%だったってのがすごい)

なんだかんだで超音速旅客機が四次元空間に迷い込んだらやたらとでっかいトドがいて・・・という最終話が、次作「ウルトラマン」へ橋渡しを行ったことが、「ウルトラシリーズ」の誕生ということになるので、どこかに後年の゜再放送を録画したやつがあったよなとメディアを探していたら

「あのアバンタイトルの音とテーマ曲大嫌いだから流さないでくださいっ」

と、やっぱり嫌いなのに父親が面白がって観ていたというトラウマ持ちの雫さんに全力拒絶されました。