オープンすると大行列が出来ると話題に上る 〝資さんうどん〟を食べてみました。 夜だっていうのにお店入ったら、待ち。 (まあ、すぐに案内されたけど) ごぼ天食べてみたかったんだー。でも5本は 要らないかな(笑) (5本と3本が選べるので3本にしてみた) 名物のぼた餅もミニなら食べられそうなので1つ。 そしてなぜか新月サンはカレーも食べました・・・
以前、エスクードのアナログ式オドメーターは100万キロを刻む際に六桁ともゼロに戻るのか、その手前で止まってしまうのかをお客様相談室に聞いた時には「わかりません」の回答でした。そんな事例無いものなぁと、うちのエスクードでもまだ未達成だったその頃は思わざるを得ませんでしたが、検証結果を報告させていただき、それではデジタル化された最近のスズキ車はどうなのでしょうかと再び聞いてみました。
「昨今のスズキ車は999999キロで停止し、そのまま固定されます」
という回答でした。まあ軽自動車から小型車普通自動車全般、そこまで走らせようなんて酔狂な人はそうそういないでしょうから、計器の設計上そうなっても大きな問題にはならないと思いますし、むしろゼロに戻ってしまうと「何これこの年式で全然走っていないし」と勘違いされてしまうことの方が良くないのでしょう。
これだけの距離を走ったという意味では、ゼロ並びよりも現実味はありますが、リセットされない現実は、それはそれでなんとなく寂しいものがあります。100万キロ、達成実現させるならアナログ式時代のクルマに限りますので是非(いやそうそういないって書いてるだろうっ)
この回答とともに、お客様相談室からはお祝いと励ましのメッセージもいただきました。
縦社会を叩き込まれた高校の後輩であったはずなのに、いまやタメ口なばかりか居ないと困る大黒柱の重鎮。尻に敷かれてこそいませんけどね、時々「あの当時のあれは幻想だったのか」と思っても口には出しません(書いてるけどね)
そうこうしているうちに、婚姻届を出して35年になってしまいました。そりゃあ雫さんの10代なんて、幻想通り越してるわ。←超暴言
世間では珊瑚昏と呼ぶそうです。使うかどうかわかんないけど、珊瑚のアクセサリーを秘かに買い求めたら、深海珊瑚の加工ものを薦められました。これがそうなのかどうかまたもわかんないけど、水深100m〜1,000mの海に生息している(てことは、採ってこられる程度の水深なんだろうね)そうですが、個体によっては8000年前から生きているものもあるのだとか。
そこが縁起物として重宝されるのでしょう。さすがに8000年元気でいてねーなどと言っても「ばかゆってんじゃないわよ」と返り討ちにされるでしょうが、適当に長生きしてねーという思いは込めております。
いや、結婚記念日を失念しない俺だって「えへんっ」なんだぜ。そんな理由で、火曜日なんですが「我が名はテオマチャ」はお休みです。
地球の環境変動が原因となり、休眠していた怪獣が各地で暴れ出した世界。その日、東京湾に出現したオイル怪獣とヘドロ怪獣は格闘を繰り広げながら勝鬨橋を破壊して隅田川を遡上していました。
町の一大事を目の当たりにして、坂田次郎くん11歳は、兄が作っているレーシングカーを壊させない意気込みでレンチを持ち出し怪獣現場に走り出してしまうのが、坂田自動車修理工場初登場のシーンです。
この工場は、次郎くんの長兄・健さん28歳が経営する一方、整備士として働いていた郷秀樹青年23歳とともに、レーシングマシン流星号の開発も進めるちょっとしたファクトリーでした。が、劇中設定によれば、所在地は世田谷区内だという話。第二話終盤において出てくる工場前の並木道から、砧公園近くであろうといわれていますがちょっと待て。次郎くん、そんなところから隅田川まで自力で走っちっゃたのか? レンチなんか持ってバスやら鉄道やらを乗り換えてまで向かっちっゃたのか?
やってしまうかもしれません。次郎くんは兄思いであり健さんは尊敬すべきヒーローなのです。次郎くんが6歳のころまで、健さんは腕自慢のレーサーだったのですが、あるレースのゴール直前で事故を起こして足を負傷し引退。修理工場経営に専念しますがマシン開発はあきらめていなかった。末の弟が羨望のまなざしを送るのは至極当然のことです。でもねえ、世田谷と隅田川の距離感は、どうしても不自然な関係のままだと思うのです。
先日、首都高の堀切ジャンクションで、僕は中央環状線から加平方面へ向けて合流していったのですが、そのさなかに6号から板橋方面へ駆け抜けていくマツダコスモスポーツの後姿を見かけました。もちろん赤ストライプや流星マークは描かれていませんでしたが、得も言われぬ艶っぽさとかっこよさは、エスクードの古さなど問題にすらならないもっと古い時代の産物。ジムニーすらこの世にない頃、個性的なクルマは沢山あったんだなあと思わされました。
マットビハイクルとして近未来的なスタイリッシュさをアピールしていた「帰ってきたウルトラマン」の放送から、ことしは55年目にあたります。コスモスポーツは1967年の誕生で、プロトタイプに遡ればもう少し古い。それが今少しも色褪せていないのだから素晴らしい。などと考えながら、ほぼ毎日のように晴海通りで勝鬨橋を渡っているのですが、「この橋55年前にタッコングとザザーンにぶち壊されてんだよなあ」と思った瞬間、55年前の謎に気がつくのでした。その話は後日。
ぷらすBLUEことTA01Rで都内に来るのも久しぶりで、豊洲で高速を降りた後にどこか撮影スポットは無いものかと晴海の街へ迷い込んで、1965年ごろの東京モーターショーに連れてきてもらい、80年代にはコミックマーケットに出かけていたりの夢のあと状態な夜明け前。路地を曲がったらふ頭の突端で行き止まりで、やむなくUターンしたらば、巨大なマストがそびえていて、ちょっとの間車をエンジンも止めて眺めてみたところ(駐車場に入れろよ)、二代目日本丸でした。
初代はみなとみらいに係留されているのが有名ですが、晴海にも海技教育機構の桟橋があるとは知りませんでした。機構のスケジュール欄を見たところ、二代目日本丸は先月末にシンガポールから帰ってきて、16日に東京港に入ったようで、来月早々に出港するようです。偶然にもぷらすBLUEとのツーショットチャンスを得ましたが、16日といえばBLUEらすかるの廃車手続きを行った日です。惜しかった。BLUEらすかるで撮りたかったねえ。
恥ずかしながら一瞬、どっちがどっちだか見間違えそうになりました。数日前のものなので、作業はさらに進んでいます。
昔だったら部品剥ぎ取りのハイエナオフ会とかよくやりました。まさかね、自分で自分のエスクードにそれを施すことになろうとは。ほんとだったら持ち帰って部品取り用に保管した方がいいんでしょうけど、忍びなくて見ていられなくなるからそこまでできません。
なんか世間では「まだ乗ってたんかーい」とか、てめーぶん殴るぞと思わせるようなことつぶやいてる文面が漂ってるんですが、大きなお世話なんだよまだ乗るんだよ別個体だけどさ。
まあ誰にも理解できないことだろうと感じますよ。だからそれでいいのです。腹立ってますけど、仕方がない。