なので、外で食する事があまりない我が家。
この時は庭で採れたナスがメインの具で
それだけじゃ寂しいのでウインナー刻んで投入。
「彩り大事!」と新月サンが言うので
これまた庭から千切ってきたパセリをのっけてみた。
あら、なんか美味しそうじゃなーい?
先日のこと、久しぶりに出かけた喫茶店でズワイガニとトマトのクリームパスタを食っていたら、ランチのお客もはけてお店には僕しかいないこともあってか店主のマダムが
「雷蔵さん、世界パスタデーというのをご存じですか?」
などと尋ねてこられたのですがお恥ずかしくも初耳の言葉でした。
「95年の10月に『第1回世界パスタ会議』という集まりがローマで催されて、そこからイタリアを中心にパスタ、麺料理を広めようって記念日が制定されたんだそうです」
「へー。どこにでもそういうPR企画があるんですね。僕なんかパスタとスパゲティの違いも分からんまま食ってます」
「イタリアでは麺全般をパスタと呼んでいて、ほぼほぼ小麦を水で練り込んだものを言います。そのうちの一種類がスパゲティ」
聞けばパスタと一口にいうけれど、麺の長さやら太さやら形やらで500とも600とも種類が分類されるんだそうで、だけど指折って数えてもマカロニとかペンネとかフィットチーネとか・・・片手で間に合うくらいしかイメージできません。
「日本でも『生パスタの日』っていうのがあるんですよ。これは基本7月8日ですが、毎月の7日、8日もそう呼ばれているんです」
語呂合わせ日なんでしょうか。「ナ」と「パ」は無理くりこじつけられるけど、「マ」と「スタ」はどうすんだこれ? と頭を抱えそうになったら追い打ちで「1月11日をマカロニサラダの日」と制定している食品会社もあるとか。さらにとどめを刺されたのが、その上を行く1が四つ並んで11月11日と毎月11日が「いいめん(麺)の日」だと。もう勘弁してなお話です。
そんなわけで一番初めに出てきた「世界パスタデー」というのが10月25日。語呂合わせでなくくだんの国際会議が開かれたことが由来です。イタリアでは今年も「パスタ・ワールド・チャンピオンシップ」なる料理競技会が行われます。もうきりがないからうっちゃりますが、明日26日は「きしめんの日」だって。なんでだ?(触感がつるつる=2と6)
「なんというか、いつどこで食っても美味しければそれでいいですよー」
もちろんこの店のパスタは専門店ばりにうまいのです。
「ウイングマン」のテレビ放送が始まり、期待半分不安半分の駆け出しに、でもどっちかと言えばライダーに見えない仮面ライダーにも一年交代のスーパー戦隊にも食傷気味で、眼の下のクマが気になるくらい人相の悪い今期のウルトラマンにも感情移入できなかったところなので、過去にアニメ化されこけた(ような気がする)このヒーローを特撮で描こうというのは歓迎です。ウイングマン自体が数多の特撮のオマージュみたいな漫画でしたから、ずいぶん待ったなあと。
ひとつある懸念材料は、なにしろ1980年代に描かれたヒーローですから、ノートにイメージを描いて現実化させるという軸は良いとして、記載事項の書き換えだとか可能不可能の矛盾、ガジェットや決め技のネームセンスだとか、けっこう陳腐でもあります。歳くって尚吹き出さずに見られたかというと、もう苦笑ものではありました。だけどこれほどエッジを効かせながら王道をやろうって考え、テレビ東京ならではですね。
2004年の本日、新潟県中越地震が発災しました。8月から準備を始めていた、11月の妙高高原でのつくばーど®を初開催するすぐ前のことで、掲示板のログは消えていますが当時のメール記録に「開催していいものかどうか」などのやり取りが残っています(まあ開いたんだけどね)
1996年に地震の震度計測が改正されてから初めての震度7(阪神淡路大震災以来だと2度め)という大災害でした。
2007年夏にも中越沖地震があり、中越地方は比較的短期間で大きな被害を受けていますし、今でも復興しきれない山間部があると聞いています。その後に東日本大震災や熊本地震、北海道胆振東部地震が起きて、今また能登半島地震、豊後水道地震など絶え間なく日本列島を襲っています(これ以外にも近年こんなに起きています)
自分自身が修羅場を経験して、靴を履いたまま寝起きしていた東日本大震災のことも、そろそろ話題に上らなくなっているように、災害の記憶の風化は防げないようです。そんななか、2014年の広島での土砂災害あたりから、地震に限ったことではないハザードリスクを自宅周辺で考える必要が出てきまして、時々落ち着かなくなります。
「マイティジャック」の名シーンである出航場面は、オープニング映像としても有名ですが、第一話ではそのオープニング前のアバンで見せつけていました。これは1968年の映像で、円谷特撮としては前年の「ウルトラセブン」において、ウルトラホークの出撃シーンが先達として、遡れば「ウルトラマン」のジェットビートルといった映像の試みもありました。万能戦艦の出航は、それが全長235mという巨大さを表現する意図がうまくまとめられていたと思っています。
先に撮られているウルトラホークについては、まさしく「サンダーバード」を意識したカット割りに、管制室の実景を合成するといった凝りようですが、1号が全長40m級の大型機には見えにくい感も無かったわけではありません。それが235mにもなると、どこに置いてあってどんなプロセスで動き出して・・・などの場面設計と同時に、スケール感も考慮しなくてはならない。これを海底ドックから始めるとなると、そこまでMJメンバーはどうやって移動するか、ドックへの注水の水量をどのように見せるかまで積み上げる必要があり、それらがこの番組最高の見どころになっています。
ただし、東京の某所に集合をかけられ、メンバーがあちこちからそこへ駆けつけ、秘密裏に作られた移動レールカーで三浦半島まで移送され、ようやく乗り込んでからドック注水してフルゲージを待って出航し、離水するまで13分とちょっと。
ありえねー(笑)
ここからです。一度飛んでしまうと、敵組織が虎の子の空中戦艦を出してきてもスケール感が速度感の阻害要因になり、ミサイルの撃ち合いがまた凡庸になってしまいます。あまつさえメンバーが事件解決するためには艦外で戦わねばならないので、万能戦艦の出番は削られてしまいます。スパイアクションは面白かったけれど、僕らはたぶん、もっとたくさんのアングルから万能戦艦の活躍を見たかったのです。
これは次作の「戦え!マイティジャック」になっていくらか改善されたような気もしますが逆に、怪獣だの宇宙人だの巨大ロボだのをぞくぞく登場させやがって(笑)、子供をなめてんのかこのやろーっ という反感も持つのです。つまるところ「ウルトラ」以上にドラマと特撮を融合させるシリーズ構成者が必要で、脚本自体に関与していかないと、物語をもたせる尺は成立できないという大きな問題が見えているわけです。
「戦え!」において、そこをどうにか払拭できたと思えるのが、1クールと2クールのつなぎに放送された「マイティ号を取り返せ! 前後編」かなと、100%個人の趣味で引き合いに出してみます。Qの罠に誘い出された源田が艦を離れてしまい奪われてしまう。源田は漂流しながら近くに居合わせたヨットに辿り着き、どこかで見たことのありそうな謎の青年と出逢う。Qの手に落ちた万能戦艦は東京に襲来して霞が関ビルを突き破るなどの暴れ放題だが動力炉の異常で撤退。源田は仲間に叱責され単独で捜索に赴き、ちょっと都合良いけどQの基地を発見。ついでに謎の青年とも再会。しかしQにとらわれ動力炉の制御を迫られるがそこは秘密。
Qも馬鹿ではなく、源田の声を録音して声紋を使った制動起動の音声を流し再び出撃。その頃MJ本部では万能戦艦撃墜用のミサイル発射を決定。源田たちは艦内で銃撃戦をやらかし艦を奪還するもアンチミサイル発射回線を壊してしまい大ピンチ。そこで謎の青年は懐から・・・
多少の尺の都合にめをつむれば、この前後編はドラマと特撮が上手にまとめられています。回線修理のためにペンチを取り出す謎の青年が、ついこの前まで懐から赤いあれを出していた人だったというのも、遊び心全開です。ただこれは、「ウルトラセブン」という基礎情報を刷り込まれていたからこそ面白かったし、万能戦艦の出番が敵の手に落ちてからという、いろいろと禁じ手含みでもあります。強奪ではなく洋上で氷漬けにされるとか、別の客編にはまだ余地があるはずです。
2004年10月21日、先代とるねーどらすかるが384400キロを走り抜き、地球から月の軌道まで到達しました。夕暮れ時の霞ヶ浦左岸は、月齢7.42の上弦の月を天空にあおぐ秋らしい風景でした。この個体には翌年の10月は巡ってこなかったのですが、当時の走らせ方で新車登録から9年を費やしてこの距離までたどりついています。いまどき三代目エスクードでも30万キロを越えた個体は存在しますが、この頃はまあ偉業だったのです。
205年9月から走り出したBLUEらすかるは、乗り出し時に約8万キロのおまけがついていたことから、6年半でこの距離に達していますが、実質的に384400キロを還ってくる復路にはやはり9年が必要でした。そうこうしているうちにあの夕暮れから20年です。本日の月齢は18.3。先週、スーパームーンのハンターズムーンを過ごし、二番機は938000キロを刻みました。今夜は月の出も遅い寝待月。月まで走ったエスクードの話はもう誰も知らない時代です。