実家から貰ってきた里芋が食べてもらえず朽ち果てそうだと言ったら、新月サンがローズポークを買ってきたので豚汁を作りました。
忘れてたけど、山芋や里芋でかぶれるんだっ!
(忘れるほど触ってないって話か・・・)
とりあえずヌメリとりまで済ませて痒みが納まるのを待ってから続きをすることに。
(痒くてやってらんないので)
無事に出来上がった後、新月サンがウマウマと食べてましたよ。そりゃーこれで拙いとか言われた日には暴れてくれるわ。
アダルトウルフガイシリーズの・・・という話は例によってほっといて、忘年会明けの筑波山麓は快晴。今回は久しぶりに歴代のエスクードがそろいましたが、狼駄さんはいろいろあって、先だって購入したノマドを手放しており、FF車であるKeiでの参加。荒れたルートには入れないのでフラットダートの林道へ出かけることとしました。
「エスクードがなくても自分のイベントはできますから。でもチャンスがもらえるなら、16バルブのテンロクショートに乗りたいですよ」
その狼駄さんの言葉を応援し、当然ですがいじり倒す酒の肴に模した宴会でした。
でもって筑波山中の林道を、Keiはとことこと駆け抜けます。まあいくらかでも元気になってくれればいいのです。ことしは焚火キャンプもできないほど忙しかったというし、夏の焼き肉をお膳立てしてもらうのにも苦労をかけました。
しかし!
さてここから本腰入れて走るよ。いつものように1台ずつインターバルで出走だよ。というポイントからスタートしようとしたら、行く手にスタッフジャンパーを着たコースマーシャルらしき人が立っているではありませんか。しかもそのルートを、軽リュック背負って駆け下りていくランナーが次々と現れるではありませんか。
どうやらトレッキングコースを使った筑波山横断の山岳マラソンが開催されていたようです。マーシャルの人によれば、林道自体は封鎖していないから車を通さないことはしていないとの話でしたが、こういうときにはこちらがツーリングを強行しないことにしています。
うへー・・・なんてオチだよ。よりによってこんな日に競技とぶつかるなんて。だいたいトレッキングにしたって自転車にしたって、昔は誰もこんなとこには来てなかったじゃないのさー。
というわけで、どうにもぐだぐだな今年最後のオフラインミーティングでした。あいや、最後の最後は29日にもあることはあります。そこでとりあえず反省会かな・・・
ハリウッドのゴジラが好評の成績を収め、本家でもゴジラ映画の新作づくりに踏み切ることが報じられた頃、特撮映画制作に無くてはならない特技監督の川北紘一さんが肝不全で逝去されていたという展開は、ゴジラ復活の報よりも驚かされる訃報でした。なるほど会見で「スタッフは人選中」と言わざるを得なかったわけです。
東宝の特撮映像を築いた円谷英二さんの技法を受け継ぎ、より新しくなった技術を取り込み、CG以外の特撮手法としては、この人の存在はとにかく大きかったのです。もちろんそこに師事した若手も育っていましょうが、川北ゴジラはもう新撮では観られない。
間の悪い時ってこういうものなのでしょうけれど、それにしても、アメリカ版のゴジラが好評だったことを示し「ゴジラは愛されている」と、制作に踏み切るという会見内容は情なかった。「アメリカに負けないゴジラを作る」とも発表では発言されていますが、いかにも様子見てましたな聞こえ方でしかない。こうなると、あとを継ぐスタッフ陣には、ほんとに世界最高峰のゴジラを創り出してもらわねばなりません。
CGばりばりのゴジラが出てくるのも避けようがない世代交代がありそうですが、よくよく考えてみたら、対デストロイア戦のあとメルトダウンするゴジラの映像は、川北さんが作らせたCGでした。しかしモノはゴジラ。いちいち触っていたらきりがないとはいえ、福島の災害も見て見ぬふりはできないでしょう。
川北さんは、そこには触れたくなかったのかもしれません。
昨年、一昨年は別の場所でしたが、久しぶりに筑波山中での忘年会に出かけます。
とはいってもこういうイベントもピークはずいぶん前に過ぎているのと、各位の予定と多忙期で、参加する人もだいぶ少なくなりました。
まあそれはそれ、ですんで、天気のことだけ心配しながら開催です。これを開くと、再来週はもう仕事納めになっちゃうんで、確かに気忙しい。せめて逆転層の中にある森くらいは、寒さ知らずののんびりした時間が得られればいいのですが、寒けりゃ寒いで晩餐の美味いモノに期待すればいいってことで。
が、白菜と鶏肉と鱈で作ろうと思いながらも「なんかほかに入れたいものあるか?」の一言が呼び水となり「肉団子!」「白滝!!」「はんぺん!!!」「ロールキャベツ!!!!」っておい、だんだんおかしなものが籠に放り込まれてるんじゃねーか? と買い出し時点でぐだぐだです。まあいいか、闇鍋にならないだけまだマシだわと進んでいくと、さらにトンカツがあるわシラスがあるわローストビーフがあるわの、買い物籠の段階ですでにカオスでした。挙句の果てに讃岐うどんときしめんを数を間違えて三食×8袋も買っちまうわで、これ食いきれるのか?
もうかまわんから作れるだけ作れっ、と仕込みを始めたものの、待っている間に茶菓子に手を付けつまみをほおばっている面々が。
ばかやろーっ! あとで食えないとは言わせんぞっ、
で、なんとか第1ラウンドはこなしたけれど、第2ラウンドが案の定苦戦かというところへ
「お待ちっ、味付きラム肉900グラム!」
ああっ、もう知らないぞーっ
詳細はサイトレポートにて紹介してます。
VITARAに搭載される1600ccのM16A型エンジンは、現在のスズキの経営方針においては排気量上限をオーバーしており、いずれ、2020年までに整理され消えていく運命にあります。
このことはスイフトスポーツの行方にも影を落とすのですが、それはここでは棚上げして、VITARAにはそれが短命であると仮定しても、テンロクのガソリンエンジンと海外向けディーゼルエンジン以外に、主力となるはずの小型エンジンが見え隠れしており、これは今後の上限排気量と言われる1400ccということが想像されます。
するとそれは、ジムニーシエラのM13A型をボアアップするのか・・・という開発設計は、まずやらない方向に3000点(なんだそれは)
エンジン整理をするにあたって、小型用のパワーユニットは、そのコアになるブロックを新たに興し、それを自在に汎用化させるのではないか。環境基準や燃費基準に適合させていく意味でも、エンジンの新規開発は有益です。ましてやあれだけはったりを食らわせ登場させたVITARAに、既成のエンジンをいつまでも使いまわすとは思えません。
M16AのVITARAは、どこかのタイミングで新エンジンへの載せ替えが行われ、それこそが将来にわたるVITARAのユニットとなるのでしょう。いやしかし、もしも妄想のようなことであれば、思いきったダウンサイズです。1400のユニットに直噴ターボでもくっつけるんだろうか? いやいや、今からそれを作るとなると、どれくらいの期間を要するのだろう? その間のリリーフがテンロクだとして、これに最後の花道を与えるためにまさかのWRC復帰とか(妄想しすぎ)
WRCは置いとくとしても、エスクードやグランドビターラの次期モデルではなく、それらが抜けたあとの主力新製品という線が濃厚。その流れでスプラッシュがカタログ落ちし、SX4がいなくなっている中、エスクードがまだラインナップされているという現象はある意味不思議です。
基準となる排気量のブロックを作り、必要な排気量まで拡張したりシリンダー数を合わせたりしていくには、1年や2年というタームで行うのは難しいでしょうから、ダウンサイズエンジンの載せ替え(こういうのもビッグマイナーチェンジというのだろうか)は、2020年までのぎりぎりで行われるとすれば、案外、エスクードは細々と延命させて8型あたりまでマイナーチェンジさせ、ヨーロッパのVITARAと一時的な併売をする・・・?
いやな話ですが、コンパクトビークルをアピールしてきたエスクード/グランドビターラを、よりコンパクトなVITARAのための当て馬として長らえさせる方法はありかもしれません。それで2018年上期くらいまで保たせてくれれば、誕生30年を本当に最後の花道にできるといえば、できるのですが、まあそれも期待薄か。
ぼちぼちエスクードマイレッジの来年版ページへの移行準備をしなくてはなりません。移行そのものは12月31日に作業するのですが、毎回、その1年間を飾るカバー写真を消極的に公募しています。どんな構図、大きさの写真であるかは、マイレッジの歴年ページをご覧いただき参考にしてもらえればありがたいですが、夕暮れから夜、明け方にかけての空を背景とした、歴代エスクードの車体全体が写されているものに絞っています。
締め切りは30日20時まで(時間無さ過ぎじゃねーか)。雷蔵までjpg画像ファイルをお送りください。トリミングなどはこちらの主観で行わせていただきます。
昨年、今年と、マイレッジは1年間でだいたい1500000キロずつ積算しております。2006年に始めたときが1年間で108台、約10000000キロを走っていました。現在が277台(退役個体も含む)で約34000000キロ。これを牛歩と見るか順当な加速と見るかはあまり考えておらず、そのうちいつかは目標の57000000キロにたどり着くよね、というノリでやっております。
アメリカだって有人火星着陸は2030年代の半ばと言っているんですから、このペースでもうまく行けばこっちの方が先を越せるかもしれません。←こういうのが大言壮語。
そのページのカバー写真に、名誉的なものは・・・どっちかといえば無いかもしれませんが、これこそノリですので、記念にでもしていただければ。万が一、何かの間違いで応募殺到という場合は審査のうえ1点を選定し、掲載を以て発表に代えさせていただきます。というわけで、応募ゼロに備えてストックも探しとかなくちゃ(なんかめちゃくちゃ志が低いぞ)
その昔、フェネックなんていうRVアウトドア雑誌があって、そこのクラブイベントで化石掘りに出かけたことがありました。このとき意外な才覚を発揮したのが霰でした。地層から発掘されるのはホタテなどの貝の化石でしたが、霰はけっこう大きな化石をほぼ完全な形で掘り出すのです。
手先の器用さはいずれ何かしら役に立つだろうけど、将来化石掘りで生計は立たないよなあと思ったし、この頃彼女はご多分に漏れず「花屋さんになりたい」などと年齢相応のことを話していたので、まずこの手の遊びは後に続かないと考えるまでもなかったのです。
ところが先日、
「埋蔵文化財の講義と災害社会学の講義が始まったんだけど、お父さん、それぞれの分野で何か実践的な資料持っていないかな?」
という電話がかかってきたのです。
ちょっと待て。お前、春の連休のときには18世紀の上越地方の巨大地震の震源を古文書から特定するレポートの書き方を聞いてたよな。お前史学科じゃなくて人文学科だよな?
いったいどういう履修をしているのか・・・
化石掘りからちょうど10年めです。ジャンルは若干異なるのだけれど、埋蔵文化財は発掘を伴う世界なんだわ。災害社会学というのは初耳な分野だけれど、これもフィールドワーク無くしては成り立たないでしょう。そんなところに関心と興味が出て来るなんて。
その昔のさらにずーっと昔、夏休みのキャンプでいわき市の渓流に連れて行ってもらってアンモナイトの化石を掘っていた僕自身が、親父から「考古学で食って行けるなんて思うんじゃない」とか小言を言われたのを思い出しちゃいましたよ。
ということは、ことしの誕生祝はシャベルとハケのセットでいいのか霰よ?
本日19歳になる娘ですが、どうやら花屋ではなく学芸員になりたいらしき方向性が見えてきたようです。
うーん・・・それもそれで狭き門だけど、僕が親父に言われて諦めるに至った小言は封印しとこう。
だってその方が面白いじゃない。