はい、寒いのね。 この私が布団掛けようと思うンだから涼しいよ。 で、寝ようと寝室に行ったらこの状態。 足を伸ばすどころか寝る隙間もありませんが?
浜松のスズキ歴史館に欧州仕様のビターラ2.0コンバーチブルが展示されているのは(今も展示されてますよね?)周知のことですが、国内で言うところのTA51タイプで「2000ccの幌車」という極めてうらやましいモデルでもあります。
そのうえ、ドイツ法人が企画した「エルトン・ジョンリミテッド」なんてものは、ある意味世界的貴重品かもしれません。
なんでこんなもん出してたんですか? と、歴史館こけら落とし式典の日にスズキの広報の人に現車を前にして訪ねたのが15年も前のことでしたが、「ヨーロッパってこういう企画ものが沢山出ているようで、詳細を追いきれないんです」との回答でした。
いやいや・・・ハットトリック仕様みたいな国内ものとはわけが違うでしょう? てことで、たいていの視線がエルトン・ジョンの直筆サインに行っちゃうなかで、この限定車には英国貴族のそれ以外に、ユニセフが開催した音楽イベント「Sommer Open Air Festival 97」なる添え書きも、特別仕様のラベルに印字されています。これが出自を辿るヒントになるのではないか。
と思い立つまで随分長く放置してしまったのですが、ドイツにおいて有名な音楽祭はニーダーザクセン州とブレーメンで開かれているものだけれど、ユニセフ主催のこれはそのどちらでもない。バイエルン州のアシャッフェンブルクで97年に開かれたイベントが、限定車とのつながりを持っていました。
なぜなら、その年のこのユニセフ行事に、チャリティとしてエルトン・ジョンが参加しているからです。
1. I’m still standing
2. I guess that’s why they call it the Blues
3. I don’t wanna go on with you like that
4. Sacrifice
5. Live like horses
6. Border song
7. Something about the way you look tonight
8. Simple life
9. The one
10. Take me to the pilot
11. Made in England
12. Someone saved my life tonight
13. Don’t let the sun go down on me
14. Bennie and the Jets
15. Can you feel the love tonight
16. Believe
17. Saturday night’s allright for fighting
18. The bitch is back
19. Candle in the wind
20. Funeral for a friend/Love lies bleeding
21. The last song
こんな曲目を演奏したそうです。はっと気づかされるのが19番目の「Candle in the wind」。後述しますが、この曲はこのフェスの時点では、マリリン・モンローを弔う歌詞の楽曲でした。63年に亡くなったモンローへの献歌として73年に作られたものです。97年のこのフェスは7月8日に行われています。
それから少しあとの8月31日、ダイアナ元イギリス皇太子妃が事故死してしまい、新しい歌詞を組み込んだ「Candle in the wind “Goodbye England Rose…”」が9月7日の葬儀で歌われました。もちろん、英国の悲劇とドイツでのフェスには何の因果関係もありません。ただひとつ、世に残る名曲が、フェスで演奏された僅か二か月後に再演され、誰もが知る楽曲に生まれ変わった。ビターラのリミテッドは、まさしく初代のあの歌の最後の記録と言っても良いのでしょう。
へーそうなんだ。と、ネットのニュースやら食べてみた記事やらを眺めると、またぞろ異口同音に「立ち食いそばや駅そばで食べられることが多いコロッケそばです」と、セブンイレブン公式の文面を丸写し(人気の、という表記だけ抜いてるのもみな同じ。元記事をコピペしたとしか思えないけど、その元記事さえきっと引用だもんな)。食ってみた感想が右へ倣えだったらもう笑うしかありません。立ち食い、駅そばが引き合いに出ているので、特に監修元は無いようです。
うちの辺りの店舗だと、栃木県佐野市の製造工場からの出荷。それよりもわずか1500mの距離でコロッケそばが出てくるとは。ただしこの店にはイートインコーナーが無いのでまた1500m持って帰りです。温め調理してみると、薬味のネギがついていない。大いにありがたいことです。が、七味もない。まーしょうがないねと七味は自前でふりかけ放題。コンビニブランドのかけそばですから、こんなものでしょうという味。しかしコロッケは店で揚げてるやつの方が格段に美味いです。
随分前に少年エースか何かで連載されていた「マイティジャックTHE SHADOW FORCE」は、その時期からして変わり種素材を求められた漫画だったように思います。それが後になって第一巻が単行本化されたのが2005年頃でしたから、忘れてしまうくらい年月が流れました。連載自体を読まない派なので、いつどういう終わり方をしたのかも知らないわけです。こんなのさっさと完結の第二巻出して売り上げ回収だろうと感じてたのですが・・・
先ごろアナウンスがかかり、ようやく「完全版」を11月に発売すると。おー、どれだけ待ったかもう覚えてねーよ・・・ってなにその「完全版」!
つまり二巻めを独立して出すほどのページ数が無かったのと、それ以外の補填情報がぜーんぶ写真集に使われてしまったからなのか。いずれにしても企画やら監修やらにおいて「影の力」が働いたんだろうなあ。こうなると一巻が不憫に思えてきますが、それを所有していない人には重版するよりも完全版の方がありがたいのか。
しかし元々の「マイティジャック」が1968年の特撮ドラマです。リアルタイムで観ていた人はもはや高齢者。漫画で体験した世代もぼちぼち中年世代? この辺りのファン層がボケないうちにもう一度映像化という伏線でもあるんでしょうか。そうなればMJ号は「ウルトラマンゼロ」にモブで登場して以来の快挙なんですが、海底ドックから発進して波を蹴立てて飛び上がったあと突然薄くなる「影=存在感」をどう色付けするかが肝心です。
「雷蔵さんのエスクードのことについて教えてほしいのですが。1200字くらいの原稿書こうと思って」
えっ? と驚いちゃいましたよ。ノスタルジ屋の店主・松浦さんからそう言われてお店に行きましたよ。あら福島県からいらしたと思しきヘリーハンセン・リミテッドが停まっていました。が、ここは本編とは関係ありません。聞けば郡山から三時間かけてやってきたとか。
そのお客さんがお帰りになるのを待って本論に。松浦さん、クルマやバイクの古いカタログ販売で店を切り盛りしていますが、実はクルマに関してはかなり疎い。たぶん霰よりは上で霙よりは下くらいの位置付。まあそれは置いといて、何ゆえうちのエスクードのことを書こうと思い立ったのかを聞いたら、
「目標にしているメーターが100万キロに達したとき、ゼロに戻るのかその手前で止まってしまうのかを気にしていらしたでしょう? それが面白そうで」
「でも、一台のクルマが100万キロを走ろうっていうのは大きな話題になるでしょう? 注目されるのは間違いなくて」
「四国にいらっしゃるセドリックのオーナーみたいに、テレビ局が取材して放送されればの話ですよ。今しがた帰られたお客さん、僕や僕のクルマのことなんか、となりに停まっていたのに知らなかったでしょ? こういうのはメディアが取り上げて世に出なけりゃ人知れず到達するそれだけのことなんですよ」
到達できるかどうかもわかんないけどね。
「雑誌に売り込んだりはしないの?」
「昔は30万キロで投稿したりもしましたけど、あの頃はエスクード自体が売れっ子でしたからねえ。いま注目する人なんかいないでしょ。されているならとっくにオファー来てますよ。投稿するにしてもそのタイミングは実際に100万キロになって記録写真でも撮っておかなければ誰も信じない。何かに掲載されたらされたで、オドメータがリセットされるのかされないのかのほうに話が行っちゃうんじゃないですか? 松浦さん自身が語るに落ちてるし」
というような話をして、松浦さんが知りたいエスクードのいくつかの基本データを説明し、まじめに書いたら1200字では足りなくなるくらいの情報を提供してきましたが、さてどんなお話を書いてくれるのか。だけど楽しみではありますが、何かに投稿するわけでもなさそうですから、BLUEらすかるの逸話はやっぱり人知れずの域です。