メーカー公式ツイッターは「ご存知ですか」とアピールしていますが、イグニスが登場したとき既に「混ぜご飯かロコモコか?」と思ったし、そんなことを営業トークに持ち込まれるのは、デザイナーにとっては「針の簟」でしかないと感じるのです。
でも、たぶんその感覚の方が意固地なのか。なんかどっかで見たような・・・というテイストに、メーカーとしての遺伝性とアイデンティティーを能動的に持ち込んでいる。と解釈しなくちゃいけないのでしょうか。
いや、混ぜご飯もロコモコ丼もけっこう好んで食ったりしますけどね・・・
メーカー公式ツイッターは「ご存知ですか」とアピールしていますが、イグニスが登場したとき既に「混ぜご飯かロコモコか?」と思ったし、そんなことを営業トークに持ち込まれるのは、デザイナーにとっては「針の簟」でしかないと感じるのです。
でも、たぶんその感覚の方が意固地なのか。なんかどっかで見たような・・・というテイストに、メーカーとしての遺伝性とアイデンティティーを能動的に持ち込んでいる。と解釈しなくちゃいけないのでしょうか。
いや、混ぜご飯もロコモコ丼もけっこう好んで食ったりしますけどね・・・
松本大洋さんの特集本をようやく手に入れることができました。といっても普段、この人の漫画を読むことは皆無です。じゃあなんで「ようやく」となるほど探していたのかというと、この表紙のキャプションにもあるとおり、単行本化されなかった「点&面」が、第一話のみとはいえ収録されているからなのです。これは90年春ごろからモーニング誌上で10回ほど連載されただけで、なぜ単行本化されていないのかというと、出来が悪すぎて松本さん自身が収録を嫌がったからだとか。
それは編集部に命じられて現地取材に行ったパリ・ダカールラリーを題材にしたもので、このときフランスで出会ったバンドデシネという独特の作画を取り入れた、ドキュメンタリーのようなコメディな作品。この特集本で松本さん自身が「イエスマンで言われたとおりに仕事をし、成果も出ずやさぐれていた」時期の、だけど意外と実験的な作風でもあったのです。本人が封じてますから、後に描かれる幾多の秀作と異なり、この本でも誰も触れず褒めてもくれません(解説だけはある)
それでも僕は「点&面」の止め絵のような、その中にも動きがあり、ラリーレイドという秒刻みで一瞬を争うレースにもかかわらず、そこへ来ちゃったぜと状況を楽しんでしまうのほほんとした登場人物と、その呑気さにほとほと嫌気がさしながら怒り続け走り続け壊れまくるラリーマシン「モリタ号」が毎回面白かったのを記憶に刻んでいたのです。だって、わざわざ現地取材に行って、描いた車がスズキエスクードですよ。誰も褒めなくたって、僕は讃えちゃいますよ。
閑話休題。
松本さんは89年に渡仏し、90年1月に帰国しているらしいことが、この本のインタビューで判明しました。
ん??? 連載を読んでいた頃は僕もエスクード歴2年目くらいで詳しいことなんか知らなかったけれど・・・
ダカールラリーでエスクードと言ったら、あのアピオの尾上茂さんが第一人者というか、ほとんど9割くらいは尾上さんです。が、尾上さんがあのラリーレイドに初出走したのは97年から。88年にデビューしたエスクードが海外ラリーに持ち込まれたのは89年のオーストラリアン・サファリからだったと、尾上さん自身がESCLEV企画の対談にて語っています。
はてさて、第12回ダカールラリー当時、エスクードが走っていたかどうかは今となっては確かめるすべもないのですが、フランススズキから外国人チームがプライベート参加していたのかもしれません(ただし、少なくとも僕の記憶にはその事実はないのですが)
モリタ号(この名前も熱血なエスクードだからあの俳優さんから持ってきたのかと思ったら、当時の担当編集さんの名前だったらしい)の作画もまた松本さんらしいタッチで恐ろしいほどにデフォルメされていますが、車体の各部にみられる意匠は間違いなくエスクード。うーむ、いまさら新たな謎を掘り下げても無粋なだけなんですが、松本さんは現地取材には出かけていたけれど、作画の際に集めた資料写真などはオーストラリアンサファリのものが混同されたんじゃないかと・・・
でもいいんです。松本さんの秀作名作は他にいくらでもありますが、この作品だけは誰も評価しないから、だからこそ僕が讃えないでどうするよ、なのです。
タイトルにはあまり意味はありませんが、便利に使っている機械の仕掛けが壊れると往生します。新潟から持ち帰った霰の荷物を持ち出そうにも土曜日の夜は基地周辺に停電が発生するほどの雷雨で、搬出できなかった。
日曜日に作業再開しようとしたら、リアハッチのドアロックが咬みこんでしまって開かない。同時にすべてのドアの集中ドアロックが動作し解錠してもすぐロックされてしまう。
まさか車に締め出されるとは。という事態になって、運転席のロックをキーで解錠しすぐさまドアを開け乗り込んだら今度はそのまま閉じ込められる始末。
いやすでに壊れてるんだけどね。
日曜で主治医の店は休業だし閉じ込められていては何もできないだろうというBLUEらすかるの裏をかいて、自販へ持ち込み工場長の手を借りてドアの内張をはがし、集中ドアロックの機能をオミットしてもらいました。
ラッチ部分の固着でロック状態から戻せなくなっているため、これは部品交換するしかない。この冬は何事もなく乗り切ったかなと思っていたのに・・・
大ナタを振り下ろして古い車雑誌をどんどん処分していく中で、
「なんでこの記事がESCLEV カテゴリーなの?」
と思った方も少なからずいらっしゃるでしょうが、そのわけはこれです。「W.A.Y」のバックナンバーが、奇跡的に一冊だけ残っていたのです。この雑誌はスポーツジャーナルが発行しながらも長野市に編集部が置かれていた信州の観光情報とツーリング情報誌という性格の、しかしタウン誌というか・・・となると茨城県で購入できたのだからそうでもなく、毎号買えたかと言えばまた手に入らないこともあった雑誌でした。
編集部が取材車両として使っていたのが表紙に出ているTA01Wです。でも時々、色違いのハードトップが記事中に登場していて、それらが社用車なのか編集者個人の所有だったのかは今となっては知るすべもありません。が、よく見ると白い方は長野ナンバーだけれど青い方は浜松ナンバー。どうやらスズキが貸与していたようです。
W.A.Yと書きますが誌名は「ふぇあ~ゆ~」。これが茨城の書店では通じなくて、見つからないとき取り寄せに難儀しました。でも観光情報どころか林道案内から抜け道まで網羅していたという、当時としては画期的でありがたい一冊でした。休刊もあっという間でしたが・・・
そんなわけで、情報誌としてはもはや何の役にも立たないけれど、
霰が帰省してくるため部屋を一つ空けなくてはならず・・・ならずってなんだよ、なんですがこれまで霰と霙は同じ部屋で育ってきたのです。数の上では、僕が使っていた部屋があるからいいのだけれど、ここがお袋が生前自分の趣味で縫った着物やら洋服やらそういうモノづくりのための生地やらが押し込められてドアを開けるのも危険な状態でした。
しかしそこを掘削するしかないのだと、娘らは突貫で作業し・・・
えっ、俺のもあるの? と突き付けられた箱がどれもこれもやたらと重い。重いということは間違いなく雑誌類です。往時の4×4マガジンだとか4WDFREAKだとかOFF-RОADSPIRITSだとかOUTRIDERだとかCARGRAPHICだとかが、まあ古本屋を開けるには至らない程度に発掘され、
との厳命。泣く泣く(笑)エスクードに関する記事掲誌載分を残して廃棄としたわけです。
で、その中から出てきたのが80年代最後の頃の4WDFREAKのこんなページ。マッハ号だの追跡戦闘車だのターボレンジャーのターボジープだのエクシードラフトのスクラムヘッドだのという夢の空想四駆を毎号一回紹介していたのですが、そんな四駆雑誌ほかには無かったわなあ。担当ライターが元アニメ雑誌編集者だったらしいので、あー、あそこから異動させられたのかこのライター。と行間も読める不思議なコーナーでしたが、
という顛末と相成りましたよ。
チームウエストウインのダブルエスクードは、惨敗。
あの強豪がパジェロ3500をTDA仕様に特化した改修改造を経て参戦。後藤選手は操舵ミスでコースアウトしドライブシャフト破損で3位決定戦にも残れず。限りなくノーマルに近い川添選手のエスクードも追い詰められてしまいました。
「まあねえ、250馬力をあそこまでTDA仕様にセッティングされては敵いません。ただエスクードのエンジンブロックは頑丈だし素直にパワーが出ていると、他チームの面々も評価してくれているし、今回は後藤君もまともに走っていないので、6月までに何をどうすべきか熟慮しますよ」
島監督はむしろ、レースがマンネリ化に落ち込まずギャラリーにとっても良い刺激を得られたことを収穫としているそうです。余談ですがこういうときに限って、取引先からたくさんの営業の女の子たちが観戦に来ていて、アンフィニクラスの日頃見たこともないようなハイパワー車が爆走するところでは歓声を上げていたとか。
というところまで、16日の夜に到達しました。あと2万キロとすると、たぶん半年以内なんですが、来月に修理入庫するのでこの休業期間がどれくらいかかるものやらです。
で、夢の70万キロに、この距離のたった十分の一をさらに加算すれば、月からの帰還・・・なんだけどねえ。
とか言ってたら、二階堂裕さんちのエスクードも30万キロに達したそうです。そうかー、うちのはこのエスクードと同世代ながら、月まで片道近く余計に走ってしまってるのだってことを実感しますわ。
が・・・チーム・ウエストウインには不測の事態が起きています。
「積載車を契約していたレンタカー会社が、採算が合わないと取り扱いをやめちゃったんですよ」
えっ、ということはレース場までエスクードを搬送できない? 積載車って1台購入しようとすると諭吉さん七百人力くらいするそうです。それならば必要に応じてレンタルで賄うというのは、島社長なりのやりくりでした。
「私が十年若かったら買っちまえとやってたんでしょうけど、さすがに今の年齢と今後の商売を考えると手が出ません」
そこへ沈着冷静にも川添選手が提案。彼が乗っているTA52Wは、車検を取り直してナンバー取得しようと。ただしそのためにネックになるのはワンオフで制作したレース用マフラーです。これは車検を通せないのだけれど、逆から考えればそこをなんとかすれば公道自走可能なエスクードに戻すことができます。
もともとリミテッドクラスとアンリミテッドクラスの完全制覇を狙ってきた川添選手ですから、この構想は以前から持ち上がっていました。だからやってやれないことはない。
チーム内にちょっと光明がさしかかったところへ、その案を聞いた後藤選手が膝を叩いて宣言しました。
その一言に、監督以下1人残らずぎょっとしたのは言うまでもありません。
なんで?って・・・今更あのエスクードをどうしろと・・・