Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

野いばらの葉脈

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霰の新潟大もそうでしたが、霙も易々と(まあそんなことはなかったんでしょうけど、なんせ親たちは揃いもそろって「来んでもいい」と落とされましたから)門戸をくぐった茨城大学を、本日をもって卒業します。

校章に野いばらの葉を用いる同大学で何を学び取ってきたかは、来月以降の歩みにはあまり関係なさそうですが、何かしら役に立つでしょう。

葉脈を何処へどんな風に広げていくか。とっくに親の手助けなどいらなくなっていることを、親の方があとから気づかされるんですから、もう安堵してりゃいいのです。が、なんかねえ、こいつら二人して、わざわざいばらの道に踏み出してます。そのへんはさー、親の言うこと聞いてりゃよかったのに、です。

 

ずっとそこにある

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日清食品関東工場の前を通過するのは何年ぶりのことか。近くに母方のお墓があることはあるのですが、そこさえも疎遠になって久しいので、利根川から取手経由で北上し国道6号を使うことは少なくなっていました。工場自体は70年代から操業しており、あの煙突?は80年代から湯気を吹き出し続けていて、昔はあれ1個で207000食分に相当する容量と言われていたのです。2006年にはうちのサイトでも取り上げていました。「羅須軽党怒る」がそれ(スケール感は無視)

この容器型煙突、3年ほど前に再びというか何度目というかのプチブームになっていたそうで、その際の媒体はTwitterだったようです。当然ネットニュースの素材にもなって、実寸から容量を計算した人もいました。そしたら、173000個分だと。ええっ、うちのサイトの以前のブログ記事は消滅してリンク切れしているんですが、207000という数字は当時の日清のサイトから引用したのに? 34000は誤差大きすぎだったよなあ。

二つめの春

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梅がピークを過ぎ桜までの合間に、桃や花桃が満開となりました。彼岸も中日ですから、週の始めは氷点下だった早朝もだんだんと春に移り変わっています。陰暦の一から三月のことを三春(さんしゅん)と呼ぶそうですが、梅と桃と桜が同時に咲くので三春町、なんていう町名の由来はほのぼのとした風物をよく取り入れたものだと思います。それに比べると、河津桜に頼れば、基地の周辺も梅と桜と桃の順でほぼ一緒に眺められるのですが、誰にももてはやされません。

ま、それでいいのよ。魅力度最下位なんて上等じゃん。世間じゃいいように言われている茨城ですが、スルーされている静かな農村山村もいずれ都市・集落維持崩壊に飲み込まれてしまうまで、おいしいもの食って景色を愛でて、夜明け前の改札をくぐるのですよ。

そんな折、散々「隠蔽体質だ」などとあちこちで言われてきた茨城県での新型コロナウイルス感染者が何人か確認されていますが、そのすべてにおいて居住地や職業まで公表する大井川知事のスタンスってやりすぎじゃないですか? いらぬ混乱と狭い地域内で猜疑心に火をつけるだけです。それもまた負のクラスターづくりの要因なんだと思いますよ。その割に県庁職員の人たち、出入り口の消毒液使わないし、クルマ通勤のせいか、ざっと半分くらいマスク着用していない。

マシュマロマンに花束を

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左はひっくり返ってる

不二家・エイワが73年に始めたとか、石村萬盛堂が78年に始めたとか、全国飴菓子工業協同組合が80年に始めたとかそれぞれが元祖であることを主張していることなど、ホワイトデーの名前は知っていても由来なんか知りませんわ。

こうした販売元のアピールがどう昇華されているのかと言えば、「貰ったものの金額よりやや多く返す」(返さないってのもあるけど)に対して女の子たちは返礼に「がっかりした」「事前に好みを調べてほしい」ってことで、お菓子類はアクセサリーにとって代わられているそうです。

いかんな菓子メーカー! 貴金属販売業が漁夫の利じゃんっ

というか、

故事と伝統(笑)を容易く変質させんな!

九年目の足跡

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いよいよ常磐線が不通区間を復旧させ東京から仙台をつなぐことになります。しかし震災以前から、あの三月のダイヤ改正で東京からいわきまで、いわきから仙台までと寸断する乗り継ぎ路線化されることになっていました。今回の改正ではどうなっているのか知りませんが、一気通貫できない鉄路というのは路線力の後退です。そして復旧するのは常磐線であって、それは慶事だとしても福島第一原発エリアの解決ではない。風化と忘却を恐れなくてはならないことは変わりません。

にもかかわらず、日本どころか世界中ウイルス感染問題でそれどころじゃなくなってしまった。最初のニュースが流れてからこっち、国の対応が源発事故の頃と(政権政党は違うけれど)同じにしか見えない判断の甘さと間違いと隠ぺいというか、すっとぼけ。

デマ流言に踊らされる民衆も、当時以上に落ちぶれている気がします。でも、あれほど放射性物質で風評被害に遭った人々が、もっとたちの悪いウイルスが蔓延しているであろう首都圏に対して攻撃的な言動を起こしていないことが救いだなあと思います。

紫峰の風景

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富士山と筑波山のどっちが推しなの?

と問われたなら、迷わず筑波山です。万葉集を読めば一目瞭然(でも一目では無理)、富士山を詠む歌11首に対して、筑波山は25首に及ぶ注目度ですし、なんといってもあんなに低くても日本百名山(百座中百番目という標高)。それでいて関東平野のけっこう多くの場所から遠望できて方位目標にできるのです。

懸垂曲線で玄武岩質成層火山である富士山に対して、深成岩(主に花崗岩)が隆起したのち風雨で削られた筑波山は、噴火の歴史を持ちません。それゆえ怖れよりも愛でる親しみを永く与えられた山でしょう。稜線は出かける方角によって様変わりします。二つの峰が完全に重なることさえあれば、ごつごつと不整形な山並みの場合もある。『世界大百科事典』によれば、茨城県西部からの眺望が美しいとされているようですが、東にいる僕にとっては凡庸な山体です。

地元ではその場所に住みながら眺めてきた筑波の峰こそが筑波山と言っても過言ではない、推しの意見がありますこう語ると筑波山は茨城の何処からも見える独立峰のように思われますが、実は阿武隈山地の南の端っこ。筑波山塊としていくつもの山並みが連なっています。白状しますと、つくばーどとか言っていながら、この山塊の一部に飲み込まれているつくばーど基地自体からは筑波山は見えません。ま、それはそれで、より土着の親しみを抱く天狗の森があるからなのですが。

一押しの姿は、薄暮の頃に夕映えするきりっとした二つの峰のバランスを得られる、霞ケ浦の高浜入りから玉造の浜あたりです。富士山では立ち木を入れずにいられなかったのと同様で、高浜入りや浜からの霞ケ浦の水面を手前に置きたくてしょうがないという悪癖も出ますが、稜線をクローズアップすると車は写せません。車なんか無くてもいじゃねーかという声もあるんですが、これも理屈じゃないんですよねえ。

叱る妻 見守る母

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ぬかるみは浅く見えますが、この時点で人間で踝まで沈み込んでいましたから、フレームアウトしている左へどんどん行けば、四駆のハスラーだってスタックする(というか、わざとスタックさせてグリップコントロールを使い、脱出時のトルク制御テストとやり方を教えるつもりだった)こと請け合いでした。

で、そのハスラーの遙か後方から僕が叱られたわけです。

29年の昔は本人がきゃーきゃー言いながら、5速ミッションとクラッチワークを「このへたくそーっ」と罵られ練習していたのですが、今時は「その靴自分で洗いなさいよねっ」という妻発言と、「(ガソリン)スタンド行って下回りから洗車しようねー」という母ねぎらいです。

手本でもみせてやれば? とおだてたんですが

「悪い事例は父親のだけで充分伝わります」

ちくしょー・・・ どうせ上達もしてねーんだろう。

こんな感じで29年目に入る間柄ですが、もうすっかり学生時代の後輩であることを忘れられてますな。

深海は行かんし

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生態は謎に包まれ6500万年前に絶滅したと思われていたシーラカンスは、1938年以来アフリカ・コモロ諸島とインドネシアの海で生息が確認され、生きた化石の異名を持つ深海魚として知られています。意外にも冷凍保存状態のこれを見られるのが、世界で唯一、沼津市にある深海魚水族館で、2500mもの最深部を有する駿河湾にだって「いる・・・かもしれない」という夢とロマンを伝えてくれます。

 

「メンだこと一緒に捕獲・・・できなくてもいるかいないか観てきます」

「お母さんから紹介してもらった網元にすごい船があるらしいんで」

などと言いながら乗り込んでいった霰と霙ですが、その成果というと・・・ってそのまえに、地元の網元の凄い船ってこれかよ? うちの奥さんの人脈どうなってんだよ・・・

三次元魚拓?

食っちゃうのか!?

稚魚の群れ?

 

 

 

 

 

まさかの剥製?(違)

ようやくほっとした

ほぼ関係ない

 

 

 

 

 

 

 

 

「まずまずの水揚げといえよう」

「でもメンだこは間に合いませんでしたー」

まあいいですよ、面白楽しんできたならね。それでもって・・・

「シーラカンスcafe、あたしも行きたいぜ」

あー・・・飛び火した。

いまさら気がついたこと

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ポケットモンスターの「赤」「緑」が世に出たのが1996年2月27日。霰は生まれてましたが霙はまだ不在(ふざいって言うのか?)。しかし今や「剣」「盾」にはまりまくる二十代です。

いやそれより、いまさら気づいたことというのは、96年って、ポケモンの歴史はBLUEらすかると同い年なのか!ってところでした。

一方のBLUEらすかることエスクードTD61Wは、この年の10月期マイナーチェンジによって登場しているので、なんとピカチュウよりも年下(笑)です。

だからどうした? な話ですけどね。

富岳の情景

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「富士山の日」がことしから「天皇誕生日」でもあるという、ちょっとしたお得感はさておき、僕の場合子供のころから絵に描く山というと、筑波山か富士山で、槍ヶ岳や八ヶ岳はおそらく、ただの一度も描いたことがないのです。それほどに強烈な印象と、絵のレベルごとに描きやすい稜線を、筑波と富士は持っているのです。東京よりも東側から富士の姿を眺望できると、実際、得した感があり、西から筑波が見えるともっと得した感になる。

だけどなんなんでしょうね、わざわざ立ち木を間に挟んで山容を邪魔するこの撮り方。これが鉄塔や送電線だったら果敢によけるはずなんですが、自分でも謎です。