とはいうものの、勤務先のビルのシャッターが開かないので出勤ののち車内で仮眠の図です。なんでそんな馬鹿みたいな時間に出社すんのさ? と言われれば、三郷料金所から先の渋滞を嫌ってのことで、あれにはまったら遅刻必至。
でもそんなことより、コンフォートとはいえレカロシートで寝てるって、かえって腰に悪いのかもなあ。
医者の判断が湿布薬と痛み止めの処方だけというのは、傍から見れば「なんだ軽傷じゃん」ともとられてしまうのですが、本人は極めて厳しい状態です。立って、歩いている方がまだ楽。
しかしこの歩いていられる様子がまた「だから大丈夫だよね」の誤解を招くのです。そんなわけで連れてこられた病院の駐車場には、あとから霰・霙と僕の妹夫婦が来ている。
あっ、しまった。我が家の新年会を中止宣言していなかった!(というか、この時点でそれを察しろよ)
とは思ったものの、お店は予約しちゃってたし歩くことはできるしで、すぐには帰宅できずに助手席に押し込まれながら新年会に連れていかれたのがこの顛末
ぎっくり背中というよりは、危うく帰ってきた椎間板ヘルニアに陥るところでした。
今回はまだ椎間板はやられていないようなので、安堵っちゃー安堵なんですけど、それだから痛み止めと湿布薬しか処方されないので、爆弾抱えたままってやつには変わりないよねえ。
退勤時間帯の混雑のなか、信号待ちしている前方のトラックを見たら篠原重工のTFV-97・・・じゃなくて日立建機のZX135TF-3(かな?)が、バリバリの新品状態で積載されていました。
震災の後、石巻の工場解体現場で稼働しているのを見て以来。新鋭機として発表されたのもあの大地震の直前でした。
同社と国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構で開発が進められた「ASTACO NEO」は、上の過去記事リンクで書かせてもらった経緯で世に送り出されました。石巻では東急建設が解体現場を試験運用フィールドとして提供し、現実の作業環境や解体作業を経てデータ収集を兼ねていたのですが、僕の記事の後に、より詳細なリポートが機構のサイトにも掲載されました。
当時、東北の国土交通省には、双腕ではないけれどユニットごとに車体をばらしてヘリで被災地に搬送し、現地で組み立て運用するという建機があって、実際に震災の後に生じた山形県の土砂災害などに持ち込まれましたが、この8年の間に遠隔操作という技術が実践投入され、今だとダム現場などでは完全自動化で複数台の建機が稼働するようになりました。
リアルの世界の汎用作業機は、まだまだ2足歩行ロボットらしき機械よりも「使い出のある迫力」に満ちています。
以前ときどき出かけていたイタリアンレストランが閉店したのち、内装がリニューアルされて建物はほぼそのままに、やっぱりイタリアンレストランとして再開していたので、試しに立ち寄ってみたのです。とか言ってもそんなに敏感に味の変化などわかるようなグルメじゃないので、なんでもおいしけりゃそれが最高。というノリで食事をしていたらば
ウエイトレスらしきお嬢さんがうれしそーな顔をして小走りにやってくるではありませんか。
えっ 俺?
「休憩から戻ったら、らすかるがいるからすぐわかったー」
あ・・・俺だ。
いやいやいや・・・ちょっと待って、誰だっけあなた? と、よくよくお嬢さんの顔を見たら
「へっへー。ちょっとわかんなかったでしょ?」
解説が必要です。これまでほとんど触れてこなかったことですが、僕には皐月、葉月という姪っ子がいます。妻の弟の娘たちです。姉の皐月は霙と同い年で、妹の葉月は卒業を間近に控えた現役のJK(うーん、俺がこういうスラング使うのって似合わねーなー)。よくよく見たら、慣れていないのかわざとなのか流行りなのか? お前それブルゾンちえみの真似でもしてるのか? というメイクの葉月でした。
「進学先が決定したんで、バイト始めましたー。学校には申告したけど、あたしだってわかんないようにした方がいいかなーって」
それでそのルージュか。だったらいきなりおじさまなんて言ってくるんじゃないよ。どきどきしちっゃたよ。そっちこっちから視線来てるじゃねーかよ。だいたい普段は「おじさん」じゃん。
「いやー、とりあえず接客によそ行き言葉使ってみましたー」
それにしても、わざとのメイクはともかく、盆と正月くらいにしか顔を見ていなかったこともあるし、学校ではバスケットボール部で忙しく不在ということも多かったのですが、まあどっちかといえばゴボウ(おい)のように日焼けして男だか女だかわからんくらい(おいおい)ボーイッシュだった葉月でしたので、ちょっと見ない間に変貌するもんだわとびっくりです。アルバイトはしばらく続けるらしいので、そのうちつくばーどの行事か夜会でも設営してやろうかと思っております。
2020年が始まりました。
車体で言えば齢24年のBLUEらすかることスズキエスクードTD61Wは、その年式の通り子年のラインアウトだったことに今更ながらに気が付きました。このエスクードも、いよいよ地球と月を往復して帰還へのカウントダウンに入っております。768800kmという道のりにはそれほどの年月を必要としました。この先壊れなければ、夏には帰りつけると思われます。
傍から見れば、かなりくだらない挑戦です。しかもこれが役に立つのかといえば、「鼠の尾まで錐の鞘」と言えるだけの価値があるのかどうか。「頑張ったけどケチのすること」には喩えられるかもしれませんが、まず世間の関心事にはならないでしょう。
けれども、平成の始まる年からエスクードに乗り始め、ぶれず流されず初代にだけ乗り続けてきたことは、きっと伊達ではないのです。惜しむらくは昭和の終わりに乗り始めていたら、一本芯の通ったエスクード馬鹿になれたのですが(笑)