Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

雨も降ってこないし

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単身赴任が終わって、BLUEらすかるの給油回数が驚くほどに減りまして、そろそろ入れとくかー・・・という呑気さで行きつけのガソリンスタンドに出かけたらこんな風景。

珍しい・・・

 

現在、教育実習でスケジュールぎっしりの霙と、日曜日が公休にならない勤めの霰がそろっているところに出くわすとは。しかもこいつらが自ら洗車に来ているとは。

「草刈りで出た草を燃やすから庭で車を洗うなとお母さんが」

うん、それでとーちゃんも逃げてきた

「なんでだかやたらとタイヤが泥んこなのよ」

あー・・・なんでだろうねえ誰のせいだよ

春の昼前の夢の如し

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仕事にも精が出る金曜の午後・・・にはまだ早かった時間帯。

都内の国道沿いで、タクシーもすぐつかまるのですけど、車高の低いセダンには現実には「飛び乗る」ってところまではできません。

「どちらまで行かれます?」

 

行き先を告げて走り出したところへ、僕のケータイにメールが着信。

「タクシーのりました?」

なななな・・・なんだとぉっ?

トーキョーこええっ、一挙手一投足見られてるぜ! と、大いにビビりながらメールの送り主を確認したら、s.Doさんではありませんか。

えっ? あれっ? ちょっと待った。ぼーっと生きてる記憶を2分くらいリピート。むっ? 沿道でタクシーを拾う際、車線変更してくるタクシーがオートバイの進路を1台、塞いでいた。

「あのバイクかっ」

返信してみるとややあって

「はい~」

はー・・・ それはすごい。都内を走っているオートバイの分母は知りませんけど、その中の1台って確率どんだけだよ?

という世にも珍しい出来事を運転手に話したんですが、華麗に無視されました。

 

 

スローな武器にしてくれ

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現在、日常の走行距離では筆頭となっているヤマタノオジロは、日常だと霰が通勤に使っているので滅多に運転できる機会が無くなりました。まだ1万キロには届いていませんが、BLUEらすかるが遠出をしない日は、オジロの方がコンスタントに10倍の距離を刻んでいるようです。先代はFFだったオジロも生活四駆に進化したので、ある程度の~低難度の~未舗装林道に持ち込みたいと、機会を得て持ち込んだのですが伐採作業が行われていて裏山ループには入れませんでした(いきなり企画倒れ)

裏山本線は全線アスファルト舗装のため、雪でも積もっていなければ話になりませんが、FFベースの四駆はトレッドやタイヤそのものの細さも手伝い、実に小回りが利きます。それこそ四代目エスクード以上に四駆感覚がないうえ、ターボ車であることを忘れてしまいます。ドライ路面ではヒルディセントコントロールやグリップコントロールの必要もなく、完全に出かける先を間違えてしまいました(そういうところへ持ち込んだら「私には行くなと言ってるのにっ」と怒られるじゃねーか)

しかし実際のところ、ドライでもいいからヒルディセントコントロールくらいは試したいじゃないですか。ってことで、エスクードでも4Hでは2速ホールドで減速しきれない傾斜の本線でスイッチを入れます。ぐいぐいと制動がかかり、時速7キロ以上になりません。リア側から?三代目エスクードで聞き慣れた金属音が聞こえるのは、こんな車にもESPがついてるんだ(付いとるがな)という感心を誘います。ステアリング径が小さいこともあり、パドルシフトも使いやすい。まああまりにも進まないので途中で解除しちゃうのですが。

感覚的には、それでも、純正で履いているタイヤ銘柄では、ウエットや凍結路だと何かの拍子で制動中にロックしてしまうような気がします。まさかMTタイヤという選択は無いにしても、AT銘柄に替えておきたいけれど、もうあれこれ買い付けてやる年頃じゃないし、どうしたものか。オープンカントリーくらい黙ってくっつけちゃってもわかんないか?(いやいや、いくら霰でもそこまで鈍感じゃねーよなあ)。そういうのを始めると、あちこち手を入れたくなるしねえ。

 

帝王の永い休息

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まさか、と思えどもF1ドライバーの世界ですから、コーナーの向こう側から戻ってこないなんてことはいくらでもありました。それでも、ニキ・ラウダの逝去というニュースは「まさか」とつぶやいちゃいます。彼と言えばなんと言っても76年ドイツGPでの、肺を焼き全身熱傷からの復帰という不死身の男を標榜する逸話でした。だけどあれからもう43年も経っている。帝王だっていつかは休息するのだと思い知らされます。

それでもあの世に行ったら行ったで、先に身罷っているジェームズ・ハントが「遅いぜチャンプ、いつまで待たせるんだ」とか言いながら出迎えて、ニキ自身も「おまえは健康管理がなっていないんだ、チャンプ」などと応酬しそうな、不謹慎なことを考えつつ、合唱。

話には聞いていたけれど

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利根町のロッキーバーガーが2016年末頃に閉店したことは聞いていましたが、閉店となってしまっては足を向けることもなくそのまま過ごしていました。

先日、印西市からの帰宅時に通りかかって、確かめたのは本当の終わりのかたち。関宿の店舗は健在だそうですが、いずれにしても、こうして時代はうつろうのでしょう。

Life is a series of hello’s and goodbye’s

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親の兄弟たちからあてがわれたビートルズは自分のものじゃなかったし、教室の全員で歌わされるカーペンターズも違うと感じていた。

それらが嫌いだということではなくて。

クラスメートの女の子たちが、Queenに没頭していたけれど、深夜放送のラジオから半端な長さで流れている「ボヘミアンラプソディー」の楽曲は、僕にとってはうるさかった。

『オペラ座の夜』がリリースされて年が明けて、教室でのフレディ・マーキュリー熱の右肩上がりにうんざりしていた学校と別れての5月、真夜中の田舎では蛙が大合唱を始めていた。そんな時間帯にラジオが「さよならハリウッド」を紹介した。4分半ほどのその楽曲にちょっと聴き入った。

夏、ようやく、街のレコード店で『ニューヨーク物語』を見つけ出したのが、ビリー・ジョエルとの邂逅。すでに4枚目のアルバムだったけれど、初めて自分の楽曲を歌ってくれるシンガーと出逢った。その中に、これもまたラジオ番組ではかからないだろうなと思われる、ボヘミアンラプソディー並みに6分もある「ニューヨークの想い」があった。

まあ長ければいいってものじゃないんだけれど、曲も歌詞もその和訳も、根本的にボヘミアンラプソディーとは違っていた。そこが分岐点だったのかもしれない。好んで買い求めるレコードはビリー・ジョエルだけになっていった(もちろん嘘である。後にイーグルスのホテルカリフォルニアにもかぶれるから)

『コールド・スプリング・ハーバー』(71年のデビューアルバム)は田舎の街では手に入らなかった。上京した後にそこまで遡ってLPレコードがコンプリートされる頃には『グラスハウス』がリリースされていた。前後するが、それこそ後にも先にもチケットを買って出かけて行った公演というのは79年と81年の日本武道館だけだ(これも大ウソで、その後彼女に誘われて日本の某バンドのコンサートに連れていかれる。しょーがないのである。その彼女こそが今の妻であるもの)

閑話休題。

95年に生まれた長女がまだ幼稚園の年長組だったころ、先代らすかるのカーステレオから流れている「レイナ」を聴きながら”All for Leyna”と口真似をしたのを見たときには(そりゃもう何度となくリピートされていただろうから)ウルトラスーパー親ばかな顔になっていたらしいのだが、全然否定する気はない。

 

いやー、あのおっさんも、今日で70歳ですよ。でも、十代で出逢った音楽っていうのは、一生ものになります。今でもBLUEらすかるから流れてますもん。

 

来る日も来る日も

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基地の手入れの日々でした。

前半は仙台から持ち帰った物資で埋まってしまった廊下の片付け。後半は草刈りと車庫を占拠しているガラクタの数々を処分。5年ぶりに車庫内に2台を並べて駐車できるまでに戻しましたが、まだ奥に全体の3分の1ほどの物資が積み上げられており、ぷらすBLUEとJB23でないと収まりません。ぷらすBLUE後方の、猪どもが崩しまくった土手も掘削し直さないと、右側に車庫入れするのは大変です。

といって全く外出しなかったわけではなく、街にも繰り出しました。

手入れ道具のいくつかが劣化し使い物にならなかったり、必要になり新たに買い出したりのお出かけ(後楽じゃないのよ)。20袋ほど購入した可燃物指定ごみ袋などは使い果たしましたよ。竹箒の選定については

「直感だ。これは飛びそうというのを選ぶのだ」←まちがってる

基地周辺は天候にも恵まれたので、この機に庭先テーブルの防腐処理も行いました。これは大学でデザインとか美術をやっている霙の手さばきに期待ですが、作業用ツナギが学校だと言われ、僕のダンガリーを1枚供出させられました。

なんか後ろの方にうちのじゃない二代目エスクードが停まっていますが、まあ皆まで言うなの風景(笑)。残りの作業、また週末ごとに消化だねえ。

天気晴朗なりに手も腫れ上がり

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新元号とか大型連休とかで浮かれてる場合じゃないのよ・・・

All For Reywa

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万葉集にそう綴られているのだから仕方がないんだけれど、

なぜ「礼和」ではいけなかったんだろう? 令和という字面に、冷たさを感じるんだよね。

などと今さら言ってもしょうがないわな。

Kidding yourself,Wasting your time

遺憾ながらあれではいかんので

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 乗り越しはあまりにも不毛なので、帰路の列車では本でも読んでいようと、何年ぶりかで持ち出しました。いやはや、昭和六十二年、六十三年ものですよ。MTXの50に乗っていた頃で、そのうえバリバリのジムニー至上主義な頃だわ。

この2冊は連作といえば連作で、何作も読んできたオートバイ小説の中でも推しの2冊なのです。さらにティーンエイジャー向けに書かれたべつの2冊があり、それぞれ独立していながら4冊目ですべてつながるという仕掛けもあります。

ただ、文庫本ですから、ページ数に限界がある。歯切れの良い文体も手伝って、おそらく「エンジェルズ・ウェイ」の方は利根川を渡るころには読み終わっていそう。で、どこかで寝こけてしまい、またもやどこかの駅で上りを待つ間に「アンダーストーブの別れ」を読み始める・・・

なんてことにはなりたくねー