初代のときと比べて、傍から見ている分には実に何事もなく小惑星リュウグウへ到達したはやぶさ2が、とうとう着地ミッションに入りました。打ち上げからいつの間にか4年以上が過ぎています。波乱続きだった前回の成果が充分に生かされた往路。いささかもやもや感を遺したサンプルリターンのための、今回の着地ミッションは大きな山場となります。
それでも宇宙航空研究開発機構の人々に言わせると、「ドラマがありすぎてそのうち映画が作られるんじゃないか?」ということですから、一筋縄の旅ではないのでしょう。
電車通勤に切り替わったとたんに鉄道三昧というか、よりにもよって水戸への出張です。「ひたち」に乗るのは初めてですよ。座っているだけで、いやもう居眠りしていても運んでもらえるこの堕落感!
だけど現地に着いたらどうすればいいんだ? これが今までだったらどこへでも車移動でしたから、そんな心配事はしなかったのよ。
キャプテンスカーレットがスペクトラムの現地諜報員のところに赴き、追跡戦闘車の借り出しをするがごとく(なんかすげー古い喩えを出しちっゃたよ)、移動手段の手配をしてもらいました。これで効率よく仕事を終えてから悠々と基地に戻ってきたわけですが、修理に出したBLUEらすかるの代車を置き去りにしていることを忘れてました。やっぱ堕落してるわ・・・
BLUEらすかるの板金修理入庫に代わって、しばらく借り受けることになりました三代目の後期型。LIMITEDと冠するバッジがついているので、ワゴンRの出荷300万台を記念して売られたという特別仕様らしいです。
しかしたぶん、悪徳なとーちゃんは娘からぷらすBLUEを取り上げ、これをあてがうという暴挙に出るのでしょう。
野望があったのです。もうとにかく中央コンコースの立ち食い蕎麦屋のかき揚げ天蕎麦に七味をふりかけずるずると・・・という楽しみが、実はだいたい8年くらい前にコンコース店舗の一大リニューアルによってできなくなってました。リニューアルも完了した現在、食うぞ! と出かけてみれば蕎麦屋自体が新しくなっていて、まずはカウンターだけど椅子がある。
天蕎麦に七味とか言ってたのに、つい「冷たいの」などと言ってしまって出てきたせいろが「これは十割のつもりか?」というごわごわで、まちがいなく茹で足りない。意気消沈してこれを平らげ乗り換えのホームに降りてみれば、隣のホームの階段下の立ち食い蕎麦屋は昔のままではありませんか。
うわー、しまった。今からあっちへ行ってたら乗るべき列車に乗れないんだよ・・・
ぜんさいのむすめ(笑 なぜ東京にいるっ)に連絡をもらって、エキナカのカフェバーで待ち合わせをしてしばしお茶。列車を二本遅らせようと思ったら、ホームにまだ始発がいるではありませんか。しかしどの車両も混雑しているので、グリーン車に飛び乗ったわけですが、停車駅ごとに座席がすべて埋まっていったはずなのに、とある駅で特急待ちの際に目が覚めたらこの有様。まだ土浦にもたどり着いていないぞ。
振り返らなくても怖い。
いかに基地のあるところがローカルかってことになります。だいたい昔の常磐線では、停車時のドア開閉を乗客が行うボタンなんかついていなかったぜ。偏見を承知で言うなら、これこそ超ローカル列車の装備だと思い込んでいた。たとえば特急待ちの駅などで、少なくとも八年まえはアナウンスとともに、運転士が一時的にドアを閉める操作をしていたはずだよなあ。そのうち「乗降するぜ」な「降りますボタン」が取り付けられちゃうんじゃないかと、そこはかとない不安に駆られます。
節分です。が、何の関係もなく猿ヶ島。こじつけるなら「2019年の恵方は東北東」「つくばーど基地はSSC出版の東北東に位置する」という強引な論理で、TD51Wを運転させてもらいに出かけたのですが、これまた唐突に引き合いに出すならウエストウインの島社長が「J20Aの直4は最高ですよ」とおっしゃる意味がよくわかりました。
例えばこの浮き砂利の斜面。二階堂裕さんが乗るBLUEらすかるは楽に登りますがそれは車高を上げてあり大径タイヤだから。ノーマルでリアサス抜け気味規格品ラジアルタイヤの二階堂さんの51Wを運転して突入するのは覚悟がいりましたよ。斜面の直前に溝まで掘られて横切っている。うわこれは刺さるぞっ と思ったけど、そうはならず、助走なしで腹もこすらずどかどかと登ってしまいました。
あらためて初代の直4の2000が持つレスポンスの良さを認識しました。フロントは明らかにV6よりも軽い。だからストロークが不足している足回りでも、アクセルワークとタイミングでけっこう行けるのです。ただし、泥ねい地だったらどうなのか、そこは粘りのあるV6が、排気量差のトルク分も手伝って有利かもしれません。しかしそれを差し引いても二階堂さんのTD51Wは、30万キロものだということを感じさせないエンジンでした。
二階堂さんのあとを追随して(人様のクルマだと思ってなにやってんだか)走っていて、BLUEらすかるの足の動きも観察でき、それだけに
「いやいやいや、さすがにそこはノーマルじゃ無理でしょ」とビビりましたが、スタックもしなければ致命打も与えず、2度ばかりフレームをこすった程度で、ノーマルのエスクードでもけっこう走れるものだと再確認できました。
で、帰路の途上、やはりSSC出版の恵方の方角にフジ・オートがあるのだよと立ち寄ってみたら、こんな風景が・・・
うーむ・・・サンダとガイラかアボラスとバニラかグドンとツインテールかゴジラとビオランテ? 「居るとは思わなかったわ」「来るとは思わなかったよ」てなオチと相成りましたよ。
振り返ったら最初の縁は2001年の3月。先代らすかるが200000キロを刻んだ場所が、宮城県庁のそばでした。実はそれ以前の東北行はすべて、仙台なんかすっとばして岩手県以北にばかり出かけていたので、この街はおろか宮城県をほとんど知らないままの、気まぐれなドライブでした。
ま、それにしても当時です。200000キロくらいで大騒ぎしちゃってるんだから、かわいいもんです。
まさかその10年後にここで暮らすことになろうとは。1000年に一度とやらの未曽有の災害を喰らおうとは。そのまま居つくことになろうとは。という仙台になりました。
うーん、結局は東北人ではない自分。パンドンを倒しながらも満身創痍で帰還するわけでもない自分(なんだその喩えは)。それでも、いくらかは後ろ髪を引かれながら、帰路につきます。・・・基地を通り越して厚木経由ですが(笑)