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  ~懲りない傾向~

仙台七夕

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前夜祭の花火大会は作戦室の窓から遠望し、七夕祭りも関心薄く週末は帰省していた、そんなんで月から帰還するとか火星へいくだとかの大言壮語を吐いてていいのか? な仙台時代の自分でした。写真は一昨年の飾りつけ。千羽鶴は延命を祈願する趣向だと言われています。こりゃどう見ても千羽の数百倍は折られていそうですが、災害が起きると被災地に届けられて物議を醸すのは、人の不愉快が何の枷も無く情報に乗れるようになってからのことでしょう。

そして贈る側の多くは、そういう時代であることを知らないのです。

そのことについて議論するのは不毛なので七夕の仙台に戻りますが、伊達藩の藩政時代にまで遡る歴史はもとより、行事自体を学校教育にも取り込んでいたというのが特徴だそうです。当然、第一次、二次世界大戦をはさんで不景気や戦災による衰退時期もありましたが、戦後復興の象徴ともいえるのが現在のスタイル。

神奈川県の平塚市と並んで全国を代表する規模は、仙台市が東北の商業経済圏として押しも押されもしない座上の証なのでしょう。僕の場合は土浦の七夕で育っているため、比較にならない小ぢんまりとした土浦の商業者はかえって頑張っていたのだなと思わされます。

最近覚えたのは、この時期を旧暦の、とは言わず、中歴と呼びならわすそうで、旧暦だと暦の流れによってはもっと後になってしまうので、この時期のお祭りというのはお盆を前にしての旧暦プラス一カ月のあたりに固定されているのだとか。ねぶたやねぷた、竿灯、さんさなど、風物にあふれた東北の夏ですが、8年もいたのにほとんどそれらを見物することはできませんでした。

で、やっぱり七夕を見物している余裕もなく、もう戻ってきてます。

 

かもしー

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いつ以来だ? というほど久しぶりです。そのあとにも一度、房総を訪ねていますが鴨川シーワールドには立ち寄っていないようです。

で、この不自然な写真。鴨川到着が15時過ぎていて、シャチの最終演技には間に合いそうもなく通過(おいおい。だったらこんなタイトルにするなよ)

 

出かけた先が南房総だったので、そっちでほぼ半日過ごしていたため、鴨川は帰路に通りかかるだけとなりました。

こいつら、南房総に関してはほぼ忘却していやがりました。当時はプレミアムなびわソフトなんてなかったので、思い出すよりもプレミアムな味にかもされてます。このあと地魚三昧で、さらに別のカフェでシフォンケーキとかパンケーキとか。鴨川あたりでは満腹感を反芻して二人とも寝こけてました。

使えねー第二第三ドライバーを放置して、勝浦で自ら補給。メガラテ用カップ、ことしはクジラ柄。シャチは不発でしたがまあ海行きをかもしだすデザインに巡り会えました。

ここから内陸に移動して圏央道を走りつないで帰宅まで3時間を切っていました。昔は4時間かかっていたので、圏央道効果は確実にあります。往路の東関東道・京葉道路・館山道でも3時間で着でしたから、便利になりました。

 

 

 

 

かんけーないさー・・・って

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言ってるそばからこれだ。

良いか悪いかの批評はしませんが、選手村のプラザ施設に、かなり多くの木材を利用するという企画で全国の63市町村が木材を提供していることはニュースにも載っています。このプレートは、その63種類の木材のサンプルで作られているのだそうです。こういう小さな工夫の方を、むしろもっと紹介すればいいのに。

オリンピックまで1年らしいですが

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ま、わたしにゃ関係ないさー

さすが大企業

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ちょっと前の話ですが、霰が勤務査定を経て支給される初のボーナスとやらをもらって、家族に夕食を振舞ってくれました。

遠巻きに額面聞いて愕然(笑)。その額、とーちゃんがその齢の頃には冬だって出なかったぜ。まあなー、社員数だって桁違いだもんなー。

大暑来れる前なればなり

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小暑は過ぎたので、ぼちぼち梅雨明けに向かってほしいところです。

恋瀬川を遡っていくと、左岸に天の川が流れ込んでくる。恋瀬川とか天の川とか、またなんとも風情のある名前を付けたものです(ただし、諸説ありますが恋瀬というのは単に当て字に過ぎないそうです)。でもどちらを遡上しても彼方の筑波山にはたどり着けないのですが、天の川よりさらに上流で合流している川又川を進めば、なんとか筑波山の山体にに最も近いところまで行くことができます。

梅雨が明けてくると、蟋蟀居壁などと言われコオロギの類が壁際で鳴き始めるということですが、つくばーど基地では例年、7月2日あたりにヒグラシが鳴き(しかしヒグラシは秋の季語)、これを機に梅雨明けの様相となります。今年は10日夕方にようやく鳴きました。

昨年は6月の末に明けていましたが、この7月はもう少し梅雨が踏みとどまるらしいです。

風情だけなら良いのですが、災害頻度の高まる気候変動はどうにかならんものかと思わされます。稜線の向こうに積乱雲という景色は、かっこいいんですけどね。

 

 

あのころは何もかも大きく見えた・・・

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10年前のことです。

7月から10月にかけて、あちこちで大きなモビルスーツを目撃する年回りでした。その際たるやつが、お台場の隣で組み立てられたあれでしたが、この年の夏、話に聞いていた青森県の床屋さんの庭先にある、かなり大きなザクとガンダムを見物し、秋になって偶然、福島県でそれに匹敵するザクと巡り合っています。

2009年というのは、機動戦士ガンダムそのものの30周年という巡り合わせだったからでしょうか。しかも、僕らが高校の文化祭で作っていた着ぐるみのザクなんかよりはるかに精密なディティールが、30年の間にスタンダードに作られるようになっていました。この頃、青森県の床屋さんではコンクリート製のガンダムとシャア専用ザクが「いる」だけでもすごいインパクトでした。

この床屋さんなんかは東日本大震災を経験しながらも、その後に制作量が増加して庭が急速に狭くなっていました。先日通りがかったら、見比べれば一目瞭然。まだ増えている(ガンダム、01に模様替えしている。いやそれよりドムとズゴックが隠れてしまったのが無念)んですから、大したものだと思います。自分じゃ100分の1スケールのプラモデルだって作るのいやです。

 

でも10年前、毎夕仕事帰りに、ガンダムの組み立ての様子を見物に湾岸線を走って出かけていたんだねえと、心境が変わる以前の自分を思い返します。

そして10年目の7月が始まります。

やっちま・・・うとこだった

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いやもう狭いわ逆光で眩しいわ・・・

すいません。まあ見えてなかったです。

現状維持で

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常用速度でハンドルがぶれるというので点検したらば、丸坊主とは言わぬまでも、タイヤ全てがいろんな編摩耗していました。経年変化だから悪いところがあるわけではなさそうなので、デューラーH/Lの純正サイズで新調。これで直らないなら足回りとステアリング系統をどうにかしなくちゃいけないと思いましたが・・・直りました。

とはいえ親父も高齢ですから、これが最後のタイヤ交換になるでしょう。免許の更新はめでたく済んだようです。

車の運転は親から教わりました。親父は元カー〇〇でその弟なんかは〇〇族の頭目だったらしいですが、四駆の扱いは逆。そんな僕だってエスクード以前はSJ30、JA71にしか乗っていない経歴です。JB23は、ジムニー、エスクードを経て親父が自ら選択した、多分最初で最後のジムニーになるのでしょう。もちろん64ほしいらしいけれど、出てくるのが10年遅かったです。ただ、あちこちがさつ(7型だからポンコツ化したからね)ながら23は、これはこれで550cc時代に比べたらずいぶん進化したと思います。

私事ですが、この度その親父から、裏山の集落共同所有林の登録名義を譲り受けました。ま、共同所有の山なんで、それこそ品行方正にしてなきゃいけないんですけど、不特定多数の皆さんが入り込んでいる林道の一部、所有権持っちゃった形になります。

すげー、俺林道持ち・・・とか思ってたら、前年度の決算書も手渡され、税金のほか支出ばかり多いじゃん(笑)という実態も知ることに・・・

語って来る

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その背中、よく存じてますとも。

で、俺にどうしろと・・・

なんかほんとに一瞬、どうしようと思っちゃったよ。