「ひろの? それは急ぎで?」
「ちょっと急ぎですが、遠いですよね」
「いやいや、ひろのなんて日帰りで充分行けるから」
「またまたー。いくらなんでもそこまで理不尽な依頼しませんよ。久慈あたりで泊まってもらっていいですから」
「えー? なんでわざわざ日立(市久慈町)で泊まる必要あるのさ。そのまま帰っちゃうよ」
えー、毎度ばかばかしい展開ですが、賢明な皆様には何がオチなのか、もうおわかりでしょうから、そこまで書きません。
「お父さん、そろそろオジロ(ヤマタノオジロ)が1万キロになるんで、オイル交換した方が良いよね?」
「あー、ちょうどキリも良いからな。社長(主治医)のところに持って行きな」
傍から見れば面白くもなんともない対話ですが、ヤマタノオジロは2800キロくらいで水戸から名取に売り出されたディーラー使用車を買い取ったものです。
今回が初オイル交換なので、距離感としてはちょっとルーズだったかもしれません。仮にターボ無しのJStyleⅡだったら純正オイルの粘度が0W‐20でしたから、もう少し早めの交換サイクルにしていたと思います。でもオジロは二代ともターボ車でオイル指定が5W‐30。納車整備から7000キロくらいほっといてもいいやと(笑)
ここからは5000キロサイクルを奨励していくのですが、最近の車ってずいぶんと0W‐20指定が増えているんだなと、あらためて思わされました(まあうちので言えばサニーなんかずっと昔の車で0W‐20指定ですが)。同じR06Aのユニットでありながら、ターボの有無でハスラーの推奨粘度がそれほど違うとは・・・とか感じながら指定オイル表を見ていてびっくりしたのがJB74。
ジムニーシエラ、なんと0W‐16だそうで。いやー確かにK15Bには今のところターボは装備されていませんが、そんな粘度で回しているとは。これはユニットそのものの丈夫さに加えて、低粘度オイル自体の性能も格段に向上したということなんでしょうねえ。
というふうに解釈はするものの、実際、シエラのような用途でそれって大丈夫なの? それとももはやシエラでクロカンとかぶん回すとかが時代遅れ?
守谷市役所で見た張り紙に、環境政策であるグリーン・インフラで作ったオリジナルビールが完売という成果報告がありました。昨年、太陽光遮蔽のために窓辺に栽培したグリーンカーテンにホップを採用し、このホップからビールを作ったのだそうですが、これはなかなかの地域おこしですね。
と、感心しながらこのときはその場を辞したのですが、帰宅してこのポスターをよくよく見ていたら驚きの記述。
守谷の地名の由来は、あのヤマトタケルが「東征の折にうっそうと広がる森を見て『森なる哉(かな)』といわれたことから「森哉(もりや)」となった」という説明がなされていました。
参考までに、ヤマトタケルとカナ打ちしていますが、こういう人物
しかし彼は古事記、日本書紀のどちらにも登場しながら、東征に関する行程には差異があったり、文字の使われ方も違います。でもって、そのどちらにおいても森哉という記述に覚えがありませんでした。てーことは、郷土史なのかこの埋もれた伝承は。
そう考えると、まず、干からびた大脳辺縁系の海馬に冷水をぶっかけ、常陸国風土記だ・・・とても思い出せないので引用させていただきましたが、無い。
むむむっ、これは黒岩重吾さんとか豊田有恒さんとか安彦良和さんとかゆうきまさみさんとか山岸涼子さんとかの作品を読み直さんといかんのかもしれないっ(それは違うな)。いずれにしても意外なところでヤマトタケルの足跡を見ることとなりました。
そして今、守谷市はかつて広がっていた森林に敬意を表し、独自の政策を展開しているのです。
誰が?って、明治四十二年生まれの僕の祖父母ですからお気になさらずに。二人ともすでにご先祖様ですし。祖父は平成元年に鬼籍に入ったので曾孫のことを互いに知りません。祖母はかろうじて霰をあやしてくれました。
で、その祖父が生まれたとき、曽祖父が記念に植えたらしいのが、つくばーど基地にあるニッキの樹です。
もちろん僕は自分のひい爺さんのことを知りませんが、この爺が遊び人だったらしく、そこそこましだったうちの家業をつぶし家と敷地以外すべて抵当にわたしてしまったため、戦後は祖父も親父もかなりの苦労を強いられてきたようです。
それは今更どうでもいいんだけど、基地の敷地を別にすれば、曽祖父が残したこの樹、明治からいよいよ令和にかけて存命という我が家唯一の財産かもしれません。
単身赴任が終わって、BLUEらすかるの給油回数が驚くほどに減りまして、そろそろ入れとくかー・・・という呑気さで行きつけのガソリンスタンドに出かけたらこんな風景。
珍しい・・・
現在、教育実習でスケジュールぎっしりの霙と、日曜日が公休にならない勤めの霰がそろっているところに出くわすとは。しかもこいつらが自ら洗車に来ているとは。
「草刈りで出た草を燃やすから庭で車を洗うなとお母さんが」
うん、それでとーちゃんも逃げてきた
「なんでだかやたらとタイヤが泥んこなのよ」
あー・・・なんでだろうねえ(誰のせいだよ)
都内の国道沿いで、タクシーもすぐつかまるのですけど、車高の低いセダンには現実には「飛び乗る」ってところまではできません。
「どちらまで行かれます?」
行き先を告げて走り出したところへ、僕のケータイにメールが着信。
なななな・・・なんだとぉっ?
トーキョーこええっ、一挙手一投足見られてるぜ! と、大いにビビりながらメールの送り主を確認したら、s.Doさんではありませんか。
えっ? あれっ? ちょっと待った。ぼーっと生きてる記憶を2分くらいリピート。むっ? 沿道でタクシーを拾う際、車線変更してくるタクシーがオートバイの進路を1台、塞いでいた。
返信してみるとややあって
はー・・・ それはすごい。都内を走っているオートバイの分母は知りませんけど、その中の1台って確率どんだけだよ?
という世にも珍しい出来事を運転手に話したんですが、華麗に無視されました。
現在、日常の走行距離では筆頭となっているヤマタノオジロは、日常だと霰が通勤に使っているので滅多に運転できる機会が無くなりました。まだ1万キロには届いていませんが、BLUEらすかるが遠出をしない日は、オジロの方がコンスタントに10倍の距離を刻んでいるようです。先代はFFだったオジロも生活四駆に進化したので、ある程度の~低難度の~未舗装林道に持ち込みたいと、機会を得て持ち込んだのですが伐採作業が行われていて裏山ループには入れませんでした(いきなり企画倒れ)
裏山本線は全線アスファルト舗装のため、雪でも積もっていなければ話になりませんが、FFベースの四駆はトレッドやタイヤそのものの細さも手伝い、実に小回りが利きます。それこそ四代目エスクード以上に四駆感覚がないうえ、ターボ車であることを忘れてしまいます。ドライ路面ではヒルディセントコントロールやグリップコントロールの必要もなく、完全に出かける先を間違えてしまいました(そういうところへ持ち込んだら「私には行くなと言ってるのにっ」と怒られるじゃねーか)
しかし実際のところ、ドライでもいいからヒルディセントコントロールくらいは試したいじゃないですか。ってことで、エスクードでも4Hでは2速ホールドで減速しきれない傾斜の本線でスイッチを入れます。ぐいぐいと制動がかかり、時速7キロ以上になりません。リア側から?三代目エスクードで聞き慣れた金属音が聞こえるのは、こんな車にもESPがついてるんだ(付いとるがな)という感心を誘います。ステアリング径が小さいこともあり、パドルシフトも使いやすい。まああまりにも進まないので途中で解除しちゃうのですが。
感覚的には、それでも、純正で履いているタイヤ銘柄では、ウエットや凍結路だと何かの拍子で制動中にロックしてしまうような気がします。まさかMTタイヤという選択は無いにしても、AT銘柄に替えておきたいけれど、もうあれこれ買い付けてやる年頃じゃないし、どうしたものか。オープンカントリーくらい黙ってくっつけちゃってもわかんないか?(いやいや、いくら霰でもそこまで鈍感じゃねーよなあ)。そういうのを始めると、あちこち手を入れたくなるしねえ。
まさか、と思えどもF1ドライバーの世界ですから、コーナーの向こう側から戻ってこないなんてことはいくらでもありました。それでも、ニキ・ラウダの逝去というニュースは「まさか」とつぶやいちゃいます。彼と言えばなんと言っても76年ドイツGPでの、肺を焼き全身熱傷からの復帰という不死身の男を標榜する逸話でした。だけどあれからもう43年も経っている。帝王だっていつかは休息するのだと思い知らされます。
それでもあの世に行ったら行ったで、先に身罷っているジェームズ・ハントが「遅いぜチャンプ、いつまで待たせるんだ」とか言いながら出迎えて、ニキ自身も「おまえは健康管理がなっていないんだ、チャンプ」などと応酬しそうな、不謹慎なことを考えつつ、合唱。