新月サンの誕生日が過ぎたので、お祝いのご飯。
「久しぶりに焼き鳥食べようよー」と、私が言いました。
(注:「お気に入りの焼き鳥屋さん」のね。他所のは普段食べてます)
どうせ飲むし。バス使って行きましたわ。
後に友達が「バスで行ってまで飲みたいのね」と笑ってましたが。
はい。飲みたいです(断言)
だって炭火焼の美味しい焼き鳥だよーっ お酒飲まなくてナニ飲むのよ!
(すいません呑兵衛です)
はぁ~堪能した♪ 暫く焼き鳥はいいや(笑)
種山高原の「献立の少ない料理店」で『銀河鉄道の夜』という特製ラーメンを知ってから、そろそろ10年近くになります。以来、時々とはいえあちこちで担々麺(たぶんそれが最も近い)を試してきながら、同じ味にはなかなかたどり着けなかったのです。
ところが昨日のこと、基地の近所のラーメンと中華の定食屋でピリ辛ワンタン麺を頼んだら・・・来ました! これじゃん、という同じ味。
5年くらい前に開店した店ですが、ここではもっぱら炒飯と麻婆豆腐ばかり食っていたので、まったくのノーマークでした。どんだけ漂流してきたんだ、俺・・・

ここに記した七つ道具というのは、要するに鮟鱇の食える部分を大別して言うものですが、鮟鱇自体はかなり淡白な味なので、味噌とか醤油とかどぶ汁の味付けで美味いかどうかが決まっちゃうような気がします。これほど淡白な食材が五大珍味の一つというのは、自分的には不思議だなあと思うこともあります。
月曜日、成人式の済んだ霰は大学に戻り、霙をセンター試験対策ミーティング(今さらか?)とやらに送り、家内は近所の町内会行事。
親父と連れ立って大洗まで出かけ、親子で新年会でした。
2人前というにはかなりオーバースペックな鍋と格闘し、2人そろって酒は飲まないので、安上がりな新年会です。
干支の猿を「申」と表記したのはまったくの当て字だそうですが、もともとは稲妻を象形化したもので、「電」(稲妻なので、光の方を示しているから、音を表す雷じゃないのね)の源字です。
本来の読みは「しん」。
稲妻から端を発し、後には「伸ばす」の原字にもなっていきます。草木が伸びて果実が実り、熟した後堅くなっていく様を「申堅」と、古代中国の人々は言っていたとか。
それが作物の伸びきった時期を示すのであれば、日本人が言う稲妻も、同じく稲の成熟をもたらすものであり、悪くないたとえなのかなと感じています。
BLUEらすかるは本年、いよいよスズキエスクードの最長不倒距離を塗り替えるフェイズに入ります。皮算用をすれば、それは秋頃の予定。まさしく「申堅」の頃です。
届くかもしれないし、届かないかもしれない。とはいえ1年の計を立てるときに後ろ向きなことは考えませんから、まあ秋頃には587000kmというバッケンレコードを通過できるよ、たぶん、きっと。と申しておきましょう。
万が一、秋より前に到達しちゃったらどうすんのよ。と、旧知の仲間達ははっぱをかけてくるかもしれません。
さてその際はどうすっかなと逡巡したところ、干支において9番目の「申年」というのは西暦年を12で割って割りきれる年回りでした。
12で割って割りきれるなら、600000kmというのもそうだよね?
てことで、年頭のご挨拶もだいたい格好がついたようです。
だけどさ、伸びきって堅い。そんな喩えは、ほんとはどうよ?とも思っているのです。伸びきって堅くなった足回りなんか、いやですよねえ。

「あけましておめでとうございます」と言えるのはとても久しぶりな気がしております。
ことしは雑煮が食えますし、年賀状も出せます(すいません、これから書きます)
ともあれ本年もよろしくお願い申し上げます。
先週末、霰が仙台に遊びに来たので、親ばかして蔵王のコンテッラに予約をお願いし、久しぶりに親子で晩飯とあいなりました。娘といえど、コース料理は二人で食った方が、会話ができて退屈しません。
どんなに料理が美味かろうとも、独りっきりで食ってると、ほんとに間がもたないのです。そこへきて霰ももう二十歳目前ですから、大人っぽい会話ができるようになりました。
金曜日の夕刻から、蔵王界隈は突風と横殴りの雨。は磐越道も今年初の「積雪による通行止め」になっていたようで、宮城県の秋も一斉棚卸となりそうな大荒れの宵の口。コース最後のデザートその三(その三、なんですよ)が運ばれてきます。
予約の際スーシェフのスガワラさんにお願いしたら快諾してくれまして、五日ほど早いけれど霰の誕生祝を仕掛けてもらいました。
念のために言っておきますと、左上は厚焼き玉子・・・のわけはなく、ベイクドチーズケーキね。しかし、これをいただく頃にはかなりの満腹感に満たされていて、デザートのジェットストリーム攻撃はかなり手ごわい相手であることを痛感します。まったくもう、外の大嵐に負けないくらいのすさまじさです。