Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

二週遅れの

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美味しく頂きました。

美味しく頂きました。

誕生祝い。

新月サンと友達夫婦と一緒に、いつもの(と言う程は行ってないけどさ)ワインバーへ。
先に着いて駅で待っていた友達が「はい、飲んで」とくれたのが〝ウコンの◎〟(笑)「何かつまんでおいた方がいいよー」という新月サンの言葉に(友達はお酒が弱い)「ではコレも摂取しておこう」と、私らの分も用意してくれました。すまないねぇ。

美味しい料理と美味しいお酒♥ 楽しい会話で、幸せ~

嫌いぢゃないのよぉ

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これが2箱・・・

これが2箱・・・

むしろ好き。

が、しかし。我が家は2人なのよっ!
そうそう毎日リンゴばかり齧っていられません。
腐らす前にどうにかせねば・・・

意外とうまぁ♪

意外とうまぁ♪

とりあえず1個はコレに化けました。
鶏肉とリンゴのグラタン。
新月サンがおそるおそる口にして「あ、普通に旨い」って、どんな味想像したんだい?

貰い物の食卓。

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流石にマグロは買ってきたさ。

流石にマグロは買ってきたさ。

義父が「沢山貰ったから」って分けてくれた蜆と
実家から貰った自然薯でご飯。

蜆の方は5~6kgくらいあったんじゃないかしらん。
10Lのポリバケツの半分超えてたし・・・
会社で各々持ち帰ったけど、食べきらんがな。
そんなわけで実家と伯母のウチにもおすそ分け。
しかし・・・霞ヶ浦周辺に住んでる人に蜆のおすそ分けってのもなんだかなぁ(笑)

味覚に後戻りは・・・

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新月サンがgetしてきた、お・に・く♥

新月サンがgetしてきた、お・に・く♥

「猫の味覚に後戻りは無い」と
猫の漫画でよくネタにされていますが。

・・・果たして人間の味覚はどうでしょうなぁ(笑)
秋口に新月サンがゴルフのコンペでかっさらってきた〝おやま牛〟。焼き肉用・すき焼き用・しゃぶしゃぶ用からお好きなものをって事なんですが、家で焼き肉もねぇ・・・と、しゃぶしゃぶをチョイス。(すき焼きはそんなに好きではない)

以前、なんだか忘れたけど高級牛肉を貰って、少し足りないからと普通の牛肉を足したらば、味の違いが凄すぎてスーパーで買ってきた方を残した記憶が・・・んなワケで、美味しいお肉onlyに大量の野菜でげふーっ
(ヘルシーなんだかヘルシーじゃないんだか・・・)

今年もよろしくお願いします。

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にゃん♪

にゃん♪

お酒のんでゴロゴロしていたら、年が明けました(爆)

今年はこれ以上増量しないように、節度をもって飲みたいと思います(・・・ソコじゃないと思う)

年末にかわねこサンから頂いて帰った〝ぶた丼おかき〟ですが、普通に砂糖醤油の味がして美味しかったです。
渋いお茶にピッタリでした。ごちそう様です。

トライしてみた。

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ジャム・・・じゃないよ。

ジャム・・・じゃないよ。

件の青いトマト、トマトソースにしてみました。

鶏の胸肉を蒸してその上にたーっぷり。
見た目がアレですが、味はそこそこ。
「微妙だなー・・・」と言いながらも新月サンが食べてたので、不味くはなかったみたい。
もう少し手を加えてピリ辛とかにすれば
もっと美味しいかな???

かーゆーいーーーっ

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久しぶりに痒い痒い痒い(泣)

久しぶりに痒い痒い痒い(泣)

実家から貰ってきた里芋が食べてもらえず朽ち果てそうだと言ったら、新月サンがローズポークを買ってきたので豚汁を作りました。
忘れてたけど、山芋や里芋でかぶれるんだっ!
(忘れるほど触ってないって話か・・・)

とりあえずヌメリとりまで済ませて痒みが納まるのを待ってから続きをすることに。
(痒くてやってらんないので)
無事に出来上がった後、新月サンがウマウマと食べてましたよ。そりゃーこれで拙いとか言われた日には暴れてくれるわ。

ぺろりと完食。

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味が違うよ大根の。

味が違うのよ、大根の。

先日のみかん狩りの折、背負って帰った大根2本。
無事に煮物になりました。
新月サンが「ローズポークー(茨城のブランド豚)と煮てっ!」と熱望してましたけど、言ってる本人が買いにいけず(新月サンの担当先のすぐ近くに〝道の駅〟があるのよ。ローズポーク売ってます)止む無くそこらで売ってる(失礼だよな、この言い草・・・)豚さんで我慢。

すんごく大根自体の味がいいだけに、豚さん完敗。
やっぱり私が走って買いに行くべきだったかー・・・

浜辺の蒼い月

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bluemoon横須賀市から三浦市にさしかかる国道沿いに、その店があることは前から知っていましたが、なんせ混雑ポイント故に素通りするだけだったのが、BlueMoon。小ぢんまりとした田舎の(失礼)どうということのない(失礼って本気で言ったのかこら)喫茶レストランです。

が、その名前がずっと琴線に触れっぱなしで、いつかこのお店に行かねばよ。と思っていたら、和邇さんの守備範囲でしっかり連れて行かれ、ちゃっかりと目的達成です。

話に聞いていたのは、箸で食えるやわらかなスペアリブと、トッピングに凝ったパンケーキ。スペアリブは下地を作っておいてオーダーが入ったら仕上げの焼きを入れ、パンケーキはオーダーされてから焼くのだそうです。

食べ物屋さんとしては当たり前のことながら、多少時間がかかるのは仕方がない。ところが、和邇さんはいつの間にかランチメニューとしてスペアリブで予約を入れておりました。塩をまぶして橋を入れるとほんとにやわらかい。いやいや、ここまで下地で煮込まなくてもいいんじゃないかというほどやわらかい。でもぱさぱさなんかではない。あれかなあ、津久井浜の界隈も新旧混在した市街地構成だけれど、徐々に高齢社会が浸透していて、これくらいの料理が好まれるということなのかもしれない。

スペアリブそのやわらかさは好みの分かれるところですが、こっそり単独で出かけたら追加で2本くらい焼いてもらっちゃうでしょう。

パンケーキについては、普段「ご飯とデザートは別腹」などとうそぶいている家内も霙もランチで満腹になってしまい(パンケーキをデザートとみなすかどうかはまた別の話)、まさかのリタイア。むむむ、ということはそのうちまたここへ来る口実ができたと解釈すべきか。しかし僕単独では両方は食えない。誰かを誘わないとパンケーキの実物を拝むことはできないのです。家族を連れて行けば話は早いけど、ここんとこ各自スケジュールが立て込み週末が皆多忙・・・

誰かいないもんかね(断っとくがヤローは連れて行かないぞ)

 

orange☆mystery

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蜜柑三浦型露地野菜経営で有名な神奈川県横須賀市の津久井浜。主力品のひとつであるみかんの歴史は江戸時代に遡り、鰯漁のために紀州から三浦半島に移住した人々が苗木を持ってきたのではないかと言われています。北浦あたりのみかん栽培方法が、紀州とよく似ているからだそうです。それをルーツと断定するかどうかはともかく、栽培の基盤が確立したのは明治時代です。

観光農園の基礎作りは昭和30年代にはじまり、神奈川県の営農団地整備事業として集団みかん園が誕生しました。以来苦労工夫の歳月を過ごし、糖度12、酸度1.2くらいの上質なみかんが供給されるようになっています。

宮川早生(みやかわわせ)や興津早生(おぎつわせ)といった津久井浜のみかんの品種は、しかし紀州ではなく温州みかんと呼ばれています。紀州みかんは中国から伝来し、紀州(和歌山県)で産業化されたのが15世紀以降。一方で温州みかんはその名が中国の地名ですが、どうも原産地は鹿児島県あたりで生まれたもののようです。紀州ものも元々は熊本に上陸したのが原種ですから、その中から挿し木や接ぎ木で改良され鹿児島で成立したのが温州ものの原点ではないかと思われます。

これが明治時代までもてはやされなかったのは、品種の特徴である種のない果実が、武家にとっては縁起が悪いとされ遠ざけられていたかららしく、維新のあとから食べやすさが重宝されるようになったということでしょう。そのわりには、日本のみかんの原型とも言うべき「橘」を家紋とする文化もあり、その意味するところは後述する「橘に与えた不老不死や永遠の象徴」というメッセージが込められています。

宮川早生については、成り立ちがもっとはっきりしています。大正初期、福岡県柳川市の宮川謙吉という人のもとにあった在来温州の一枝が変異したということです。この時点で国内原産地が二転三転しちゃってますが、三浦半島全体でみればシークゥワサーもデコポンも夏みかんも栽培されていますから、今となってはたいした問題ではありません。

日本におけるみかんの歴史は垂仁天皇の時代に現れ、常世の国から持ち帰られた不老不死の薬効を持つ非時香菓(ときじくのかくのみ)がそれです。この命を受けた田道間守(たぢまもり)が役目を果たし帰国した年にはすでに崩御していたという説話が日本書紀などに記されており、垂仁天皇自身は 「時を定めずいつでも黄金に輝き芳香を漂わせる木の実」を見ることはありませんでした。

もっとも垂仁さんは齢140とも150いくつともいわれている、ほんとかどうかは定かでない長命者。「トキジクノナントカ」を取ってこいと命令が出たのはいつごろの話だよ?ということになると、無理やり西暦を当てはめるしかなく、日本に入ってきたのが西暦60年代くらいかな、としか言えないのです。

それでも、田道間守が持ち帰ったことから「トキジクノ」の実や枝は「田道間花」と呼ばれるようになったらしく、このタジマバナという言葉が変化して「タチバナ」となり、どうやら今でいう橘(たちばな)がこの実のことであるようです。橘の記述はずーっと時代が進んだあと、魏志倭人伝において「倭の国には生薑とか橘とか山椒とか茗荷なんかがあることはあるけど、やつらは食用にはしていないね」という内容の記述として存在が立証されます。

なんと、食い物にはしていなかったと。記紀説話の如く薬用の扱いだったのでしょう。果実としてのみかんは最初の話に戻って、遣唐使による中国との交易が行われるまで時間が止まっていたということになるのです。おそらく橘の時代、今のような糖度の高いモノではなかったからかもしれません。

その橘も育成環境で変化し枳(からたち)に化するというようなことは、紀元前300年代の中国でも語られており、日本の、田道間守が持ち帰った時代の果実はきわめてすっぱかったことや高貴な扱いとして薬用に資するものだったと考えたくなります。柑橘類というのは体脂肪の分解・燃焼を促進してくれるし、その葉はそれこそ時を定めずいつでも緑色で生い茂りますから、薬効や不老不死へと古代人のイメージがだぶるのもうなづけます。

そんな柑橘類は何処から来たのかとさらに遡ると、中国以前はタイ、ミャンマーに進化の痕跡があり、もっと辿るとインドのアッサムあたりだそうです。学説的には、その原種発祥は3千万年前だというからもう手に負えません。飯盒炊爨キットをリュックサックに詰めて学芸大学前から電車に乗る(そういう歌詞の「三千万年」という歌がある)どころか、霊長類自体にヒト科がいません。ヒマラヤ山脈も造山運動中です(あっ、これは今もか)

これだけ種としての歴史を持っていれば、ヒトの世の中では間違いなく不老不死や永遠の象徴に掲げられても不思議はなさそうです。

あー・・・長すぎる。でも植物3千万年の資料が無いので息切れ。もぎたてビタニャンCでも補給してまいります。