久しぶりに食べた山形のさくらんぼ♥
実家の母がおすそ分けでくれました。
相変わらず美味いのー♪ あ、欲目が山のように入ってます。亡くなった父が、開発に携わった有機肥料を使って育てられた、さくらんぼなので。
まぁ、他の産地のさくらんぼだって、ちゃんと高いのは美味い・・・ そして高いのは買えない(笑)
さくらんぼ。
恐怖、報道さる
本日から、始まるところでは放送が始まるんだそうですが・・・
またしても宮城県じゃ(作戦室にBS入れてないから)見られねーじゃんっ
「夕」惑 You work
今までより1時間とか1時間半とか2時間早く仕事を始めろとか国は言いますが、従来から2時間通勤していらっしゃる人にはほんとに同情を禁じ得ません。そういう人たちって、ずっと前から5時起き6時出発8時くらいにはそれぞれの会社近くのコーヒースタンドにいるのではないかと。この習慣が少なくとも1時間前倒しになると、1時間早く退勤できても結果的には体にかかる負荷は増えること請け合いです。客先が仕事してたら飲み屋に行ってられないだろうしね。
そして恐ろしいのは、秋田とか青森とか久慈あたりで、ただでさえ情け容赦なく9時から仕事をしなくちゃならない日がある僕の場合、相手にサマータイムシフトなんかとられたら新幹線使ってられません。丑三つ時よりも前に仙台を出なくちゃ間に合いません。
で、僕はそれをやれるわけですが(やりたくねーよ)、部下には強要できないので前泊を認めることとなり、その経費がどんどんかさむのです。
Oh baby,dancin’in the dark.
何処の馬鹿だよ「夕活」なんて能天気な新語作って喜んでるのは・・・
4年前はまだ水浸しの岩手県陸前高田沿岸部でしたが、一昨年から気仙川右岸の山を切り崩して嵩上げ用の土砂を運び、月ごろに搬出を終えた長大ベルトコンベアが、今は「奇跡の一本松」よりも有名となり、この地のランドマークとして横たわっています。
ここに見えているのはほんの一部。奥の方にあるはずの、希望の架け橋と名付けられた吊り橋は、光量不足で写りません。
まだ嵩上げ後のビルドアップは一部でしか始まっていないため、街であったここは静寂の夜の闇。コンベアの明かりは寂しさを紛らわせる心遣いなのかもしれません。
この町でも、一部の建物を残してほぼ、被災構造物は解体撤去されました。いままで、震災の記憶を風化させてはならないというひとつの考えを持っていて、その考えにブレはありませんが、記憶にとどめるために被災構造物を遺構として残すというやり方には疑問を感じ始めています。
モノが無ければ忘れてしまうものなのか?
先人がしてきたような、碑文では不足なのか。
震災以降保存に関する復興交付金を政府は認めるというけれど、交付金は、仮設住宅に住まう人々を1人でも多く生活再建の基盤に立てるように使うべきではないのか。具体的に言っちゃいますけど、学校の校舎や庁舎の鉄骨を残したい宮城県には、そういう事業は自腹でやってもらいたいと思うのです。
解体に向かっていたはずの町の建物を県有化し、保存か解体かを20年もかけ議論する時間と労力の意義は理解できない。すぐさま保存に向けて計画を始動させるというならまだしも、ね。
頭を冷やして高田松原の夜。いずれ、ベルトコンベアは役目を終えて姿を消していく。そのとき、奇跡の一本松は残るでしょうけれど、この町は過去を記憶にとどめながらも新しいリクタカで営みを始めるはず。宮城と岩手で、受ける印象が大きく異なるのは、岩手の人々には遺構が無くとも震災の記憶は伝えていけるという気概を感じられるからなのかもしれません。
海街の四姉妹
今回ばかりは映画は映画、と割り切って鑑賞するしかないだろうと思いましたが、割り切ったら割り切ったで、必要以上に物語を重くしてしまうのはどうかなと感じるわけです。
脚本が原作を改編しているのではなく、キャスティングが合わないわけでも(一部そうでもないけど)ない。何が違うのかといったら、漫画は作画の特徴として線が細くページ全体も白い。カラーページはトーンを合わせて淡く明るいのです。
失礼ながら、吉田秋生さんのその画風にも、老いが見て取れるのですが、映画の画面は意図してのことか露出が抑え気味で、際立った艶やかさとしては、鎌倉の四季が描かれていなかった。そこがちょっぴりもったいなかった。桜のトンネルはアオリで撮るには雲のせいか空の青さが全く出なくて桜自体が跳んでしまった。極楽寺の境内なんて、滅多なことでは撮影できないところだというし、ロケ努力はかなりなされているようなのですが(しかし桜は鎌倉じゃない)。
ついでに大いにもったいないのは、やはり2時間程度の尺では描ききれない登場人物たちのこと。4姉妹の脇を固める様々な人々は、何人かが削られてしまいました。このドラマは、そういった脇の人々だけをスピンオフさせても何本か作れるくらいの魅力があるのですか。
そして、海街diaryの大いなる脇役と言えば「アライさん」なんですが・・・ これについてはあろうことか、「ダヴィンチ」の誌上特集で、公開前にバラしちゃってるのが許せませんです。
それにしても公開からこっち、河鹿沢温泉(のロケ地)がどこにあるかの検索人気のすごいこと。それでうちのブログをヒットしいる人の多いこと。香田姉妹が東北新幹線か山形新幹線のどちらからあのローカル線に乗り換えたのかは不明ですが、鉄道も旅館もエンドロールにて紹介されてますがな。
可燃と不燃と資源ゴミ。
津軽路を往く ~こし亀さんのSS梯子レイド~
つくばーどのSレイドとSSレイドには、「一気に廻らないと後々コンプリートがめんどくさい」というハシゴレイド企画がいくつかあります。相当な乗り気でないとやらない(やってもらえない)困った企画を立てたものですが、最初のSレイドを立てた頃にはこういう遊びは他になかった。今だとオンラインでその場投稿できたり近くにいる誰かを探し出せたりするゲームがいくらでもあるため、うちのやつみたいなアナログな趣向は飽きられて久しい感があります。
津軽編というのも、ハシゴレイドのひとつでした。SからSSに移行して一年めになるということで、2009年の秋ごろに仕込んだものですが、場所が場所だけに誰も行かない(笑) まあこれなんかこし亀さんが持ち込んでくれた白い犬と、白神爺。さんがいくつか提供してくれた課題地を検証しながら、残りのポイントを22時間で撮影・設定してきた馬鹿みたいな労作でした(まだ仙台転勤前のことだよ)けど、鳴かず飛ばずでした。
自分自身でも当時の記憶が風化していた最近、こし亀さんから「コンプリートしてました」の津軽編投稿がありました。撮影日付を見たら2010年10月(おいおい)。なんと、津軽編設営からそれほど間を置かずに出かけていてくれたのです。この頃から、こし亀さんは転勤と引越しがあったり、その後の震災と復旧、さらに転勤と多忙を極めていた数年だったはずなので、その他のSS課題地も含めて都度投稿などはできなかったのです。
普通だったら、まあいいかで、投稿自体をあきらめてしまうところを、トライアルのミッシングリンクを埋めたいという意志表示で、各地の課題地を巡った記録を最近になって出してくれています。ありがたいことです。しかし2010年と11年の記録がこのところの投稿だから、まだストックがあるんだろうなあ。
「新たな課題はネタ的に苦しいのを差し置いても既出課題群への反応の希薄さを見ていますと、サイトの参加者層が変化してきてるのでしょうか…?」
と、こし亀さんにはかなり痛いところを批評されて頭を抱えているのですが、言われるまでもなくSSなどは先週、青影さんが003に出かけてくれて、サイトの方は2ページ目に拡張。こういうのも確かに初期の出題だけです。
「勃興時の風車群って、風車の存在感、ロケーション、足元の砂丘の価値、参加のワクワク感と馬鹿馬鹿しさ(すなわち自身へのツッコミ)加減のバランス、それらの組み合わせが絶妙だったなー、と思います」(こし亀さんの評)
まあそういう時代もあったということで、それもいつかは斜陽落陽するもの。SSも出題し未攻略のものも含めてあと10で終わりです。
「最も車種ボーダーレス、最も日程制約が無い、専門知識無くたって楽しくて仕方なく、目標設定までが自由度が高いという素晴らしい企画として存分に楽しませていただいてるわけなのですが」
こし亀さんからのメッセージを(勝手に)使わせていただきましたが、そんな風に楽しんでいただける企画を生み出せただけでも良かった・・・





