イオンをうろうろしていたら、催事で 地方の名物パン大集合的なブースがあったので 覗いてみました。 関東は栃木のあんぱんと温泉パン。 あと金谷ベーカリーの食パンが出てました。 それはまあ買いに行けるので他所のパンを 購入する事に。 目移りしながら選んだのがこちらの5点です。
1974年4月6日、「電人ザボーガー」が放送開始され、本邦初のメカ変形科学捜査ツールが登場しました。50年前の少年だって「すごいけどタイヤホイールどうやって同体内に格納するんだ?」と首を傾げ、ヘッドライト部分がそのままザボーガーの頭部だというデザインにのけぞったのです。しかしまるでヒコーキ乗りのようなザボーガーの顔とカウルからテールまでの連続性に、ロボットならではの強引な解釈につい納得してその気になってしまったのです。
5年後の1979年4月7日、あの「機動戦士ガンダム」が始まり、それまではほぼ1点ものであったロボに量産という概念が(新造人間キャシャーンですでにアンドロ軍団ロボ群が現出していますが)定着します。敵味方のロボのスタンダードなマスクフォーマットも明確化され、なかでもザク・モビルスーツはアンドロ軍団の爪ロボ以来の量産型としての秀作。主役のガンダムに関してはそれこそ「顔、アンテナ」と、追随するほとんどのガンダムに踏襲することとなります。
10年後の1984年4月5日。「巨神ゴーグ」がオンエアスタートするのですが、この頃になるとガンダム顔というか大河原作風というかのロボットが氾濫している中、ゴーグ自身のデザインは原案者である安彦良和さん自身によるもので、目じりはガンダム風ですが独特の顔立ちを実現させます。両者の違いは設定ありき自由な時代のザボーガー、設定という事象に縛られた時代のゴーグというポジションですが、やっぱりロボットは顔立ちだよねえと考えさせられます。
まだその天文現象は起きていないようですが、かんむり座に位置する「かんむり座T星」で新星爆発が生じ、平時は10等星程度の明るさが2等星レベルまで強まり、短い期間ながら肉眼でも視認できるということです。新星は白色矮星が爆発するもので、「T星」は既に寿命の尽きた白色矮星と晩年期の赤色巨星による二連星のため、赤色巨星が高温化して不安定になり構成物質を吹き出して白色矮星を直撃し、白色矮星では熱核暴走を引き起こす。
これが新星爆発のプロセスで、残っている記録から約79年周期で巡ってくるそうです。前回が1946年だというので、ことしがその年まわり。ハレー彗星並みに「ひとり一生に一度」くらい珍しい現象です。問題はそれがいつのことなのかで、専門家は「二月から九月までのいつか」などと天文単位にアバウトな意見。すでに二か月分は経過しているので、あと半年以内ということになります。
その日、狙っても偶然でも「T星の新星化」を目視できたとして、現地は地球から3000光年も離れたところにありますから、その日、といってもこの光は我々の歴史で言えば縄文時代晩期の出来事となります。海の向こうではマヤ文明が興ったり、鉄器が開発されていた頃です。うーむ、ヒトの一生は星よりも短いねえ。
4×4(フォーバイフォー)とも表現される四輪駆動だから「本日がその日」だということは知っていましたが、そこに勘違いがありました。4×4(フォーバイフォー)の商標登録者は確かフォーバイフォーマガジン社だと思いますが、四輪駆動の日を制定したのはメルセデスベンツ日本法人なのだとか。あらそうだったんですか、なんだか文化的視野が瞬時に営業戦略に切り替えられちゃった気がしてなりませんが別に文句を言う筋合いもないです。
地面に接地するタイヤのすべてに駆動力が伝達される状態であれば、ほぼどんな仕組みでも四輪駆動と呼んで差し支えないわけですが、この仕組みというものが加速度的に進化してきました。最初にエスクードに乗ったとき、僕の持っていたジムニーではできなかったフロントハブの切り替えがオートでできるだけでも便利ツールで、これがそのうちアクチュエータを介して走りながらでも切り替えられるようになり、ハブ抜けもしなくなった。
とはいえ前後ほぼ同じトルク配分によって前が曲がりたくとも後ろが押し出すブレーキング現象だとか、うっかりカウンターを当てたらそっちへすっ飛んでいくとか、四輪が対角線でスタックすると大変とか、直結四駆の弱点丸出しなのは初代の辛くかわいいところで、それを意識して走らせなくてはならず、今のSUVを「あんなの」呼ばわりできません。でもそれらを含めクロカン四駆の端くれだったエスクードは当時軟弱と言われたんだよ、なんかこう不公平ですよね。
蒲焼の方は、実は予測参加人数ぎりぎりの枚数だったのですが、「頼まれもしないのに浜松餃子なんか買ってきちゃいました」というSIDEKICKさんの振る舞いで、それはなかなかいい切り札だねとパッケージを見たら、2パックで100個もある。「加減というものを知らんのかっ」とあきれたものの、これをどうするか思案しながら、もう構わないから鰻丼の空いたところにのっけてしまえ!と思いつき、やってみましたよ。名付けて浜松丼・鰻ギョー。
作っている最中は、餃子の香りが蒲焼に勝ってしまいこれはいかんと思ったのですが、焼きあがってしばらくしてからはそうでもなくなり、食ってみれば異なる味わいが案外悪くない。
これでもやしを加えたら完全版になるわけです「浜松丼」。SIDEKICKさんの言によれば、そういう名前と組み合わせのご当地丼は見たことが無いとのこと。今後そんなものが出てきたら、つくばーど®の真似です。商標登録しちゃう?
月曜日の雨霰という天候急変を思うと、週末はピンポイントに花見日和になっていました。土曜日ほどの暑さでもなく、予報されていたような黄砂もつくばーど基地周辺には襲来せず、全体的には三分咲きとはいえ見応えはあったでしょう。
「3月31日? それ早いよ」と、提案してくれたSIDEKICKさんには苦言を呈していたのですが、結果オーライです。
春らしい陽気の下、つくばーど®in岩間34を無事に開くことができました。らいとにんぐつくばーど基地にしなかったのは前2回がそれだったので、3回連続はいやだなあと34回目の岩間にさせてもらいました。岩間だったらカレーライスという定番献立があるけれど、それも前回やっちゃったので、浜名湖産の蒲焼を釣って(←しつこい。蒲焼なんて釣れるもんかい)、沢山のサイドメニューとともに堪能しました。参加してくださった皆さん、ありがとうございます。