なにが気に入らなかったのよっ! 足ふきマットにリビングの敷物、 爪とぎ二つにシッコされた(無論ゆきに) 敷物に置いてあった雑誌二冊が巻き添え(泣) ・・・雑誌で良かった・・・ マットと敷物は熱いお湯で洗ってから洗濯。 爪とぎと雑誌はゴミ袋へ。 新しく買ってきた爪とぎは早速いちがすりすり。 このあとでん助とバトルが勃発しました・・・
新しい爪とぎのワケ。
ワンオーナーのまま長く走らせたクルマは、「となりの妖怪さん」的に見ればツクモ神と呼んでも差し支えないと感じました。26万キロの道のりを、クロさんはただ一人の所有者として旅してきたのです。エンジンは軽快に回っていますし、五速のミッションも小気味よく入る。でも、補機類の各部が故障しており、運転席の窓も開きません。たぶん、それらは部品が出てくれば、究極には出なかったとしても直せなくはないでしょう。
そこがこの数年の彼女の悩みでした。考え抜いた末の、TA01Wを退役させる決断です。奇しくもこの初代エスクードの任意保険満了が、2024年5月25日夕刻。スズキエスクード36年目の誕生日でした。
風は穏やかで湿度も低く5月らしい日和の午後、お疲れ様のお祓いを受け、「そんなに長く愛されているんですねえ」と目を細める参拝客にも見守られて、本当のラストツーリングに出かけていきます。
伊豆半島の付け根・・・と言ったらちょっと大げさになるかもしれませんが、箱根の山を回避して海側から進むか山側を行くかでルートを眺めると、東名高速道路は山間部を走っているようでも案外合理的な線形をしています。この区間、御殿場から大井松田に至る約43キロが、東名高速道路建設の最終工区で、1969年5月26日に開通し、愛知県と東京都を結ぶ約 347キロの東名全線が完成しています(自分の撮った写真の順序で愛知からの書き方になってます)
今では新東名もどんどん開通区間が増えつつあるので、いずれは東名川の渋滞や混雑もいくらかは解消への期待をしますが、ラジオの交通情報を聞くと、横浜町田から大井松田あたりの事故や渋滞はしょっちゅうだなあとも思わされます。御殿場あたりまでは仕事で出かけるので、めんどくさくなるとあちこちの街道にトラバースしてしまいます。でも平日の日中、この区間の混雑はそれほどでないという体感もあり、どこで降りて東京を回避するかが最終的な思案のしどころになります。
初収穫間近❤
真・35年めの回顧録
スズキエスクードの35周年は当の昨年(ところにより一昨年)に過ごしてしまいましたが、僕だけのこと、2024年が35周年にあたります。不確かながらスズキがエスクード誕生1周年記念車を発表したのが1989年の今頃で、ノルウェーのマリンスポーツブランドとタイアップした全国400台限定車が、僕とエスクードの邂逅となっています。この話も飽きられるくらい何度も書いています。ちゃんと88年にカタログ車も見てました。そのときは・・・以下略。
実際に手元に来たのはその年の6月です。あ、てことは来月も書ける(オイヤメロ)。この出会いがなければずっとジムニーに乗っていたかもしれないし、ジムニーと袂を分かつなんて大それたこともしなかったのではないかと思います。でも、出会ってしまったわけで、乗り換えはしたけど今に至っても初代ばかり乗り続けているのです。カビや錆どころかもはや化石ニンゲンです。いろんな車を素通りしてしまってますが、それすらも全く意に介さずにいられています。
REBOOTから10年
「人造人間キカイダー」は1972年に生まれた特撮ヒーローで・・・などと今更書く必要もないことですが、当時うなぎ上りの人気を得ていた「仮面ライダー」に対する、悩める主人公をより強固に押し出し、改造人間とは異なる異形の姿を産み落とした石ノ森章太郎さんのトライアルでした。確かに正義の味方としては異様な形と色彩。しかし石ノ森キャラクターならではの「眼」の形が愁いを思わせ、ドラマと共に感情移入させていく仕掛けがありました。
これが2014年に「REBOOT」と称してかなり男前のキカイダーにアップデートされ、その鼻筋の高さと細面の顔立ちが石ノ森版と大きく差をつけていきました。これも今更な話題ですが、この映画に先立ちキカイダーのデザインを担当したのが村枝賢一さんで、彼の漫画の作風を思うと「あーそう言えばそうだよね」と、デザインに対する納得とは別に(納得できなかったんだよ)、そう来るのかと説き伏せられた気がしておりました。
ここに村枝さんの仕掛けがあったかどうか知りませんが、REBOOTキカイダーの顔立ちは、すでに故人ですが「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」で少年時代のジョーンズジュニアを演じたリヴァー・ジュード・フェニックスがモチーフになっていたとか。で、仕掛けというのはインディの映画ではなくもっと古い「スタンド・バイ・ミー」に遡るのではないか。そこでも彼はクリス・チェンバーズという少年役で出ています。
「スタンド・バイ・ミー」は少年たちの冒険譚を描いた小説の映像化ですが、不完全な、というより不安定な心の世代が様々な出会いや葛藤を経て大人の入り口に進んでいくという成長を、キカイダー/ジローにも投影していたかもしれないし、こんな人造人間を生み出すに至った造物主と、彼を追ってくる人造人間たちとの相容れない兄弟という立ち位置。いわゆるカインコンプレックスも、「スタンド・バイ・ミー」に共通項を見出せるように感じます。
それまでやむにやまれず戦ってきた敵の撃退とは異なり、怒りと憎悪の感情によって、兄弟とも言うべき人造人間たちを自らの意志で破壊・殺害するという結末(たぶん、これもカインコンプレックス)は、既に石ノ森版の漫画においてなされています。10年前の今日封切られたREBOOT版は割と大味な映画だったと評しているのだけれど、キカイダーの顔立ちをこのようにしたという意味合いの奥に、案外深いこだわりがあったのかもしれません。
旬。
よくぞ見つけてくれました
歴代エスクードのミニカーの中でも、B級ゆえに出自がほぼ謎というプルバックダイキャストの初代。90年代末から数年、高速道路のサービスエリアや温泉地の土産物屋で売られていた中国製のあれが、今どき表舞台に出てくるとは。県南に住むらしい高校生が趣味でフリーマーケットで売られているミニカー類を購入したもののようで、やはり正体不明で情報を探しておられる。
というより・・・
その手があったか!(フリーマーケット)
彼はいろいろ調べ物もしてくれて、うちのサイトに辿り着いてくれたみたいですがごめんなさい、うちでも詳細はわからないままに掲載しておりました。有識者とまで言ってもらえているのに役立たずなサイトだよつくばーど®(泣)
そう言えば、このミニカーをサイトに掲載したとたん、台湾やら韓国やらからのメールが殺到して「何処で売っているのか」ばかりの質問攻めに遭いましたよ。「日本に来るなら成田空港往復の途中でパーキングエリアに立ち寄れ」と返信したら、「買ってきて送ってくれ」と。いい加減にしろよの顛末でした。
その手があったかと膝を打ちながらも、きっと偶然の発見なんだろうねえと思います。こんなものが今、オークションに出てきたらいくらするんでしょう?(いやー、俺まだ三個くらい持ってるけど)。当時の単価は500円でした。




