サクランボ買いそこなったので、桃は確実に! 先週中央道方面に走ったから今度は北上する事に。 大笹生で高速降りてトコトコ走ると道の両側に 〝桃〟の幟がパタパタしてました。 (幟だけで閉まってるお店も多かったんだけど) 大箱買っても食べ切れないので6個入の小箱を購入。 今の時期は〝あかつき〟がメインだそうです。 桃のソフトクリームも食べたよ♪
今年は福島。
きりはじめてはなをむすぶ
大暑です。桐始結花はその初候で26日くらいまでを示します。でもたぶん、今の気候じゃ「猛暑酷暑は大暑過ぎ」ってな気もします。
桐と言えば東北産のものが箪笥でも下駄でも良質と言われていますが、これはやはり寒冷地方ならではの成長速度で年輪が詰まっているからでしょう。これに湿潤な夏が巡って温度差のある気候風土で育つ桐には、緻密で軽いばかりか粘りや光沢も宿ります。
湿度変化によって湿気を吸放出する能力があり、湿度を一定に保つ特徴が箪笥で重宝されています。桐下駄にも肌触りの良さとして現れます。一方、冬場に桐下駄を履いても体温を奪われることがない程度に熱伝導率が低い。
うーむ。成原博士はそこまで考えてあーる28号の足元に下駄を用意したのでしょう。湿度管理と保温性はアンドロイドの正常な稼働にも大事な要素なのです。
というわけで本日は大暑の入り口であると同時に、下駄の日。
伽藍とか書いておいて山門の写真しかないんですが、文永11年6月17日というから750年前のだいたい本日あたり、佐渡の流刑から鎌倉に戻っていた日蓮に対して、甲斐国波木井郷の地頭であった南部六郎実長が草庵を作ってそこに招いたことが、身延山久遠寺の発祥だそうです。もちろん久遠寺も幾度か消失して再建されているのですべてが750年前というわけにはいかないでしょうけれど、彼の地という意味では揺るがない歴史だと思います。
最近だと「ゆるキャン△」聖地のひとつになって久しいですけど、確か「みのぶ饅頭」は行けば買えるものの、「アウトドアショップカリブー」は無いのです。そういえば町の境にある毛無山の向こう側には、あのふもとっぱらがほぼ東西軸の位置関係で横たわってます。これ脱線ですが久遠寺と聞くと、多分身延町とは因果関係はないと思うけど久遠寺紀子さんを思い出します。彼女の声が戸田恵子さんというのが、松沼薫役の榊原良子さんとのポジションで聞くと、ちょっと意外でした。
これは我が家でも見た(笑)
起死回生の一手
なんとなく「ビッグマック」が食いたくて買ってきた(18日のこと)ものの、子供の頃というより大学生くらいまでの遡りでいいんですが「ひと回りは小さくなった」と感じました。ジグ・マックとドグ・マックの違いがわかるくらいです(なんだその喩えは)。逆に考えると子供や女性でもかじりつきやすくなったのか。日本マクドナルドによれば、この商品は1968年にフランチャイズのピッツバーグ店で生まれたもので、売れ行き不振をひっくり返す起死回生の一手になったとか。
あのボリューム感は、大人が食って満足するレベルを目指したものだそうで、試験販売がバカ売れレベルの成績を収めたことから、その年のうちに全米の店舗に普及した後、1971年7月20日に銀座に上陸した日本の1号店を振り出しとして、今まで見たことのなかった形とかつて知らない味に出会うのです。当時まだ若かった親父がこれを食いたくて僕をダシにして連れていき、並んだ記憶はもはや歴史なのでした。
しかし田舎に展開するにはそこから何年もかかり、僕自身が自らマクドナルドと再会するのは高校1年の夏でした。当時地元の都市部に何軒くらいの店舗展開があったかまでは関心事にはなりませんでしたが、基地の近所(10キロは走りますけど)に出店されるまではさらに何十年もかかります。ところで、マクドナルド店舗の「最北端」は間違いなく北海道だろうと思ったらその通りで稚内店。ならば「最東端」は本州にあるかと期待したのにこれも中標津でした。
むむむ、すぐには行けぬ。この2店はかわねこさんのツーリングテーマに提案するか。などと勝手なことを考えながら地団駄を踏み、それじゃあ南とか西はどうなんだと調べたら・・・石垣島(さらに行けねえ)。思いっきり落胆しつつ、近場に何かないのかよとリサーチすると、軽井沢店が「一番標高の高いところにある」そうです。行くかそのうち(そのうちなのかよ)。何やら19日朝にシステム障害が起きて一部店舗は営業できなかったとかですが、たまに行った僕のせいじゃないよね。
10年前の6月に母が逝去し、その三十五日法要が7月20日でした。仙台の作戦室を離れ、当時新潟大学にいた霰を回収して帰郷の途に就く折、新潟市内で地元の友人たちが駆けつけてくれて19日の晩の夜会を開いてもらえました。こうして基地へ帰還した時点でBLUEらすかるは50万キロを走りきり、20日の法要後にこちらの地元の仲間たちが激励の夜会にやって来てくれました。新潟の日本海に立ち寄っていた僕はそのあと、太平洋の浜辺まで走りつないでいます。
それから月が替わった最初の日曜日、この50万キロを肴に飲み食いするぞお祝いするぞとさらに大勢の人々が集まってくださり、真夏の宴を開いてもらうことができました。遡れば先代らすかるでも30万キロや40万キロでのお祝いをしていただいているのですが、三度もこうした晴れ舞台に押し上げられるというのは、僕もエスクードもかなりの果報者なのだと思います。そしてこの頃、月まで走って還って来られるかどうかは、まったくあてがありませんでした。
この積算走行距離を刻んで10年。BLUEらすかるは月と地球の往復距離を完走し、いろいろと手追いながらももう少しで93万キロ台にのっかるところまで来ました。僕も大分ポンコツになってきました。10年前には想像もできなかったことをやれているのは、今でも叱咤激励してくださる沢山の友達のおかげです。孤独に淡々と走っているようで、案外独りでは無いよなと思っています。だから「いや傍迷惑だから一人でやって」なんて言わないでよね。
義弟の事笑えない・・・(圧・・・?) 同じ事したよ私(汗) ナンか最近書きづらいなーと思って。 グリップのラバー捲ってみたらば 辛うじて繋がっていた部分が そりゃあ見事にボッキリと・・・ 帳簿つけるのに使ってるボールペンなので 慌てて新しいの買いました。
耐久性と持続性
「2024 FIM世界耐久選手権”コカ·コーラ” 鈴鹿8時間耐久ロードレース 第45回大会」と、正式に読み上げると意外に長い鈴鹿8耐が明日から開幕です。スズキのGSX-R1000R ヨシムラ SERT EWC CN 仕様(これも長い)は、耐久レーサーの中に持続可能性をテーマとして取り入れた諸技術で挑みます。40%バイオ由来のFIM公認サステナブル燃料エルフMoto R40 FIM(だから長いよ)とか、ヨシムラジャパン触媒内蔵サイレンサーとか、再生資源・再生可能資源比率向上型ブリヂストンタイヤ。
他にもMOTULのバイオ由来ベースオイル、 再生カーボン材カウル、天然亜麻繊維を使用した革新複合材料フェンダー、熱処理廃止鉄製ディスク、ローダストパッド、車載LFPバッテリー、ピット電源供給用蓄電池など(スズキのリリース丸写しですが)チーム体制、レースプログラムと共に興味をそそるマシン作りです。
決勝は21日。一番の目玉が燃料だけに、そこにトラブルリスクもありそうな気がしますが、善戦から表彰台の真ん中を期待したいところです。





