大雨だーの暴風だーのと散々騒がれた割には 住まいの辺りは何事もなく、台風もいつの間にか 消滅してるし。 火曜日・水曜日は最高気温30℃下回るみたいけど その後はまた熱々の予報だわー・・・ 夜も熱帯夜続くし、電気代が恐ろしい(滝汗)
親父が逝去した。
お袋が亡くなったときほどの動揺はなかったが、闘病に付き添ってやれなかったことは多少の悔いを残した。ただ親父のことだから、そんなことで自分の働く時間を削ったりするなと小言を言われたに違いない。親孝行の幾ばくかはやってきたつもりなので、そのことはもういい。むしろ最後まで面倒を見てくれた弟たちに申し訳ない気持ちが勝っている。
野辺送りと共にやらなくてはならないことがあった。
鹿児島の地方都市で小さな会社を興した親父のあとを継いだのはすぐ下の弟だったが、創業期の高度経済成長の時代とはいろいろなものが変わってしまって、会社の経営自体が立ち行かなくなりつつあった。弟は親父の仕事を引き継ぎ、親父が亡くなるまでずっと会社を存続させてくれたのだ。だがそれももう限界を超えていた。
家の代表相続人は僕ということになっていた。葬儀の施主に立ちながら、かねて電話やLINEでやり取りしていた弟たちとの協議について最後の意思確認を済ませ、僕と二人の弟は家や会社の一切の相続を放棄することとした。
当然だが親類という名の身内との間では揉め事が待っていた。それまでを弟に任せるわけにはいかない。そんなことだが矢面に立つのは僕の役目だ。
大揉めに揉めた末、あらかじめ弟を介して行政書士に作成してもらっていた書類をたたきつけて、郷里との縁を切った。まるで五木寛之の「青春の門」だ。「望郷編」で筑豊と主人公をつないでいた恩人を看取って、郷里とのしがらみのなくなった主人公が東京へ戻っていく。
僕のそれは、小説ほどに格好よくはない。けれどもここまでの紆余曲折は主人公の伊吹信介に劣らない。信介の場合は次の「再起編」でもなかなか曲折から脱せないのだが、僕と彼との違いは・・・まあ生まれ育った時代の差もあるにせよ、彼の優柔不断さが当時の若者の姿として描かれたことだろうか。僕も優柔不断さの中で長く生きてきたことは認めるが、一切の縁を断ち切った機会に、やりたいことを一つに絞ってそれ以外のことは棄てようと決意できた。そこが違うのだ。
夕刻、東京へ戻る空港のロビーでふと思い返した。
若い頃は首都圏からここまで何度も自分のクルマで帰省した。大事にしていたコンバーチブルだったが、所帯を持ち子供が生まれる際に手放した。その後も何度かやっているが、クルマの性能が上がってあの楽しくて仕方のなかった苦行からは遠ざかった。
今は羽田から空路だ。苦行も何もあったものじゃない。しかし自走で帰りたいかと言われたら、もうそんな体力の残っている歳でもないと言わざるを得ない。
そのことを思い出した途端、電話をかけたくなって携帯を持ち出したが、照れくささと今更感で発信をためらった。
呼び出した電話帳からショートメールを打った。
実家でのこと、郷里との決別、小説家として大成していくために家族以外のすべてを棄てる決意をしたこと。
しばらくして返信が来た。
正直、期待していなかった。
「まずはお悔やみ申し上げます。それでね、趣味や道楽なんてものは寝かせておけばいいんだよ。あとで役に立つときが来るから」
それだけだった。これは励まされてもいるけど、見透かされたかもしれないと思った。出来そうもないことを迂闊に言葉にするなと、彼は言っているのだ。
確かに強がっていたかもしれない。彼はおそらく、この返信を見た僕が「なんだとこの野郎!」と憤ることを促している。済まないが気持ちはそうはならなかった。
ただ、ふっきれた男にはなりたいんだと、携帯を握りしめていた。
東京行の便の搭乗開始アナウンスがロビーに流れた。僕はバックパックを背負い直し、風呂敷に包んだ桐箱を抱えてロビーをあとにした。
宇宙移民のインフラを調達するために使われた「小惑星ユノ―」が、その鉱物資源採掘跡の坑道などを軍事拠点化し「ルナツー」と呼称するようになったのが宇宙世紀の話。「ユノ―」は西暦1804年にドイツの天文家カール・ハーディングによって発見されており、この日がちょうど220年前の9月1日のことでした。楕円軌道とわずかな軌道傾斜角を持つ「ユノ―」をは火星と木星の間にあった軌道から月軌道に運んだ宇宙世紀時代の人類はけっこう高度な宇宙航行技術を有していたようです。
少なくとも宇宙世紀0079までには木星までヘリウム3を採りに行っているので、地球とは交わらない「ユノ―」の軌道も火星には接近するタイミングで接触し、体積 7160万km3もの岩の塊を運んでこられる軌道計算と運搬技術を有しているわけです。しかもこの技術は月軌道の重力中和点にスペースコロニー群を建設する頃まで遡って使われているのだから、モビルスーツは存在しなくとも基盤となる大型のモビルワーカーくらいは実用化していたのかもしれません。
「ルナツー」は地球を挟んで「月」と反対側の軌道に定位していますが、主にカンラン石や輝石などの「鉄を含有する」ケイ酸塩の石質隕石に属するコンドライトを採掘していたと思われます。これらは宇宙艦艇やスペースコロニー等の材料となり、「月」と共同で宇宙開拓資源として役立っています。が、地球連邦軍によるモビルスーツ装甲などはここでは採用されていない。それらはルナチタニウムと呼ばれているので、「月」で採掘されるイルメナイトが主原料となっているはずです。
しかし「月」側のサイドから独立戦争を挑まれた宇宙世紀の勢力圏は、連邦にとってはそこまで制圧されちゃったのかというくらい不利な状況で、そんな情勢下でよくまあルナチタニウムなんて貴重資源を確保できたものです。月面都市フォン・ブラウンとアナハイムエレクトロニクスの貢献度によるものでしょうか。いずれにせよそれではいかんということで、「ルナツー」が重宝されていたのです。9月1日、「ルナツー」では「今日はユノ―の日」とかやっていたかもしれません。
義弟2号が突然「風花さんゴルフクラブ持ってる?」 と言うので何事かと思ったら、娘にゴルフやってみたいからコースに連れて行けと言われたとか。 いきなりコースに連れてけとはなかなか豪胆な姪である(笑) 取りあえず練習場行ってみてクラブに当たってからの話だと新月サンに白羽の矢が飛んでいきました。 練習場で待ち合わせして受付諸々済ませた後「どのクラブ振ってみたい?」と尋ねる新月サン。 彼女が迷いなく「これっ!!」とバッグから抜いたのはドライバーでしたよ。 ・・・すげー・・・(私、未だにまともに当たらない・・・) 途中義弟1号が野次馬しにやって来て、ドライバー振り回してる姿見て驚いてたわ。 生まれて初めてクラブ握って、ちゃんと前に飛ぶ(転がる)ってスゲーって。 そのうち転がるから飛ぶに変わってきて、気づいたら2時間。 初めてだからと1球いくらで打ってたんだけど、結果的には打ち放題の方が良かったのでは・・・?
能登半島地震の被災で石川県七尾市も大きな被害を受けていましたが、ことしは本日と明日、東京・芝の増上寺において「七尾港まつり」が開催されるという復興支援プログラムが実現しました。七尾、2年前に能登へ出かけたときにはまだ夜明け前の通過。帰路の時間帯は夕方の土砂降りで立ち寄ることができなかった街です。2年前ですからまだ「君は放課後インソムニア」は連載中でしたがこの漫画を知らなかった。
映画とアニメも作られたこのドラマのおかげで、被災前の七尾や周辺の町の風景が残されていることは不幸中の幸いなのでしょう。タイトルに星まつりを持ち込んでいるのは、このドラマが不眠症と天文撮影を軸にしているからです。縄文集落の真脇遺跡も土砂降りで立ち寄れなかったところですが、映画では美しい風景と星空が描かれています。実際の七尾の星祭は、日蓮宗の本延寺で1月に行われている厄除け等祈祷行事があります。
と、機動刑事千石旬介が毒づくのは2808年の話ですが、国際的な電脳都市となったОEDО(トウキョウ)の超超高層摩天楼がハッキングとクラッキングを受け、都市全体が機能麻痺してしまう。2024年のつい先日、似たようなことは実際に起きて、サイバー攻撃ではなくWindows上でのシステム障害とはいえ、トラブルが猛威を振るったのです。システム防御のための電脳防壁とそれを崩してくる電脳ハザードは、きっといつの時代でもいたちごっこなのです。
ここへきて自動車産業がSDV:Software Defined Vehicle開発に力を入れる舵を切っていますが、車載CPと外部ストレージとが双方向通信して車の運行やメンテナンス時期を制御するソフトウェアによって、機能や性能を高められる自動車だって、リスクがないとは言えない。1車種ごとにソフトを用意するなんて開発側にはとんでもない負担になることは予測されていて、メーカーごと或いはメーカー連合ごとにソフトの共有化も考えられているそうですが、中央集権型システムに制御されたクルマ社会は、そのシステムの要が攻撃されたとき、「安全のために全交通の運行停めます」を避けて通れないでしょう。そのような事態において、全車両がシステムから切り離されて従前のトラフィックを乗り切れるようにならないと恐ろしい。
ここまではSF的に過去事例作品がいくらでもあります。怖いなあと思うのはここまででももちろんですが、いわゆる自動運転できるクルマが「自動車」と呼ばれるのであれば、そのようなシステムを持たない旧世代のクルマは「自操車」ということになる。ただ区別するだけのためにそんな造語が使われるわけはないのです。「自動車に該当しないすべての車両は運行を禁ずる」なんて世の中がやって来る未来予想が怖いのです。