某携帯会社のCMじゃ御座いません。
いち坊ちゃんの寝姿again
そりゃー見事な開脚っぷりですよ。
股関節痛くならないのか心配になるわホントに。
ちなみに婆にゃは2匹ともこんなポーズはしませんが。
後ろ足こんなに開かないし、それ以前に仰向けになれません。
辛うじてふぅが仰向けっぽくは出来るかな?
でも私や新月サンがさせたらであって、自分ではしませんね。
娘らを伴って初めて筑波山界隈に出かけました。車をぶっ壊されてはたまらないので舗装ルート主体ですが、後ろは大騒ぎ(だったらしい)。うーん、撮影用UAV導入を考えるより、調子の悪い省電力トランシーバーを買い替えた方が懸命のようです。しかし二輪が締め出され峠の走り屋が圧政を受け、今やどこへ行ってもバイク(モトじゃないほう)の天下で、お前ら以前はこんなとこまで来なかっただろう?と言いたくなるほど。そのうちハイカー以外みんな追い出されちゃうのかも。
それだけに林道とそれに準ずる山道で遊んでいる立場としては、知らぬ間に振りかざされる既得権にも耐え、ローインパクトな姿勢で山に赴かねばいけません。
でも、後ろの娘らにはそういうことまで頭を巡らす余裕はありません。
「三日連続の朝のお雑煮はそろそろ、と訴えねば動けませーん」という要求でしたが、炭焼きの常陸牛とかふざけんじゃねーよ! と却下したものの、その半額とはいえやっぱり燃費的にどうなんだよという昼飯です。
つくばーどの現在のスタイルの構築は99年、ESCLEVに至っては03年のことですから、エスクードのコミュニティーとしては後発です。一時期僕自身もSNSに身を投じたこともありますが、いつ誰がコンタクトを求めてくるかもしれないという環境を考えると、囲いの中にいてはならないと判断して会員制サイトとは距離を置くことにしました。まあその辺は負け戦の道まっしぐらですから語るべきものはありません。
だけど狼駄さんに負けてるのも口惜しいので(ばかだね俺)こちらのコミュニティーのことを示すならば、単一車種の集まりではなかったということです。それはほら、若いけどお金が無かったから。いろいろな四駆に乗るためには仲間同士で同じ車種は選ばない。という作戦です。
うちのヘリーハンセン・リミテッドがまだ武装もしていませんから、これはまだヘリーハンセンが登場した89年か、90年あたりのミーティング風景でしょう。ふーんだ、あの白狼なんかまだ名付けられるどころか最初の所有者が購入していたかどうかも分からない時代だぜ(ばか丸出し)
これもスチルが残っていないので無念ですが、この3種のほかには40やらビッグホーンやらパジェロもいました。そういう布陣だとほんとにエスクードって「場違い」とからかわれたものです。
そしてその後の我が家といえば、ミニカーコレクションじゃあるまいし、なんかもうしょーもないラインナップですよね。94年頃のものと思われますが、義弟のJA51を除いて全部つくばーど所有。しかも義弟のところに嫁いだ妹のクルマはセルボモードの4気筒だったという・・・ これだもの家内が「セダンが1台なかったら絶対に不都合があります!」と、嫁入り道具だったパルサーハッチバックをサニーに乗り換えたのは無理もありません。
年末にかわねこさんがつくばーど基地を訪ねてくださっとき、グランドビターラ/三代目エスクードのラバー製キーチェーンを土産にいただきまして、かわねこさんもラリー観戦の折に偶然見つけた出自不明の品物だというので、どんな製品なのかを探してみました。
これがあっさり見つかったので、よしよしとリンクを開いたら
ここにたどり着くわけです ←そりゃそうだよな
それじゃだめじゃん。と再度捜索を続けましたが、これに該当するものを結局見つけられず、たぶん同類品であろうこれが存在することから、イギリスからの輸入物ではないかと思われます。
エスクードに限らずスズキの車やバイクは海外での評価も人気も高く・・・なんてことは今更な話ですが、現物のクルマだけでなくアクセサリーなりマスコットなりを手元に置いておきたいというファン心理がそれこそ無数に流通している。
こんなのとかこんなのとかこんなのは、みな海外の製品です。これなんかコンバーチブルだけじゃなくてハードトップもノマド仕様もある。こういうマニアックな領域を日本では鈴菌と呼んで親しみを込めながらも馬鹿にする。嘆かわしいことですわ。
本日店頭発売となるスーパースージー98号に、TD51Wと61Wの対決記事を・・・と思ったのですがそんな時間は無くて並べただけの、やる気あんのか筆者! などと言われそうなお話を掲載しています。
51Wオーナーの二階堂裕さんは、ブログにて河川敷を走らせた感想を短く述べていますが、レースじゃあるまいしその速度はやっちゃならないだろう(笑 やってないでしょう)
今回、両車の性格の違いをまとめるにあたって、違うところはエンジン形式しかないんだよねと、舌っ足らずな記事になっているのですが、スーパースージー側のメイン企画がジムニーの歴代エンジン変遷で攻めてきているのが、二階堂さんと打ち合わせもしていないのに偶然のすり合わせとなっています。読み手の立場から見ると、このジムニーの全エンジン紹介というのは形式やメカニズムの点から言っても、ここ数回の本誌の企画のなかでも読むところがあるなと感じました。
エンジンの異なる51Wと61Wの特徴と言えば、軽巡洋艦と重巡洋艦(さすがに戦艦とまではいかない)の違い。トルクが上がっている分、瞬発力のある直4に引けを取らないV6、2000cc時代のように回さなくても走る2500というV6の完成度があります。しかしフロントヘビーさからは逃れようもなく、トータルで扱いやすい51W、はまったらもとへは戻れない61Wというところでしょう。
本音を言えば直4はショートに、V6をロングに、という車種体系にしていたら、何一つ悩むこともなかったのですが、この折衷案のようなTA11Wの存在もあり、ショートのV6も捨てがたい。これに1600シリーズも混ぜこぜだったわけですから、確かにユーザーはどれを選べばいいのか困ったことでしょう。
ひょっとするとの世界ですが、2代目へのスイッチがあと2年ほど先送りされていたなら、51W系の進化はもう一歩何かあったのかもしれません。それがより乗用車化の道を辿ったとしても、2000らしいトルクの出方あたりにスポットが当たっていたような気がします。
史上初のエスクードミーティングかもしれない(この日付の数日前に林道ツーリングがあるので)、狼駄さんがエスクード仲間を1か所に招いてミーティングを企画した第1回目から、20年が巡っています。これがあの「ネギまみれ」誕生のときでもあるそうです。97年には3回のミーティングが開かれていました。ここから2年程度で多くのユーザーさんが個人サイトを立ち上げ、メーリングリストのクラブが成立し、当時のモンスターにもエスクードのクラブが結成されていきます。
モンスター、スズキスポーツによるクラブとメーリングリストのクラブを別にすれば、この頃インターネットで情報発信していたエスクードの交流は、いわゆるSNSに頼らず(そういうのが無かったしね)個人の熱意と努力で運営されていたことが注目すべき展開です。しかもオンラインの活用は告知と経過報告。主たる活動は「ちょっと行って会って来よう」というオフラインでの企画が成果をあげました。
これがあったからこそ、あとが続いたのです。無論歳月の経過とともに乗り換えた人もサイト閉鎖した人もありますが、続いているところは続いている。エスクードという素材が代替わりを繰り返してユーザー層が変わり、巷にあふれる情報量とその入手手段も激変した今、交流の持続に意味があるのか? といった評もありますが、逆に言えば誰にも「不要」とは言えないのです。
それは重苦しい? そうでもありません。なんせ好きでやっている面々ですから、エスクードのユーザーさんがやってくればいつでも「ようこそ」と手を振ってくれます。
ところでこの頃のつくばーど基地といえば、TA11WとTD01Wの2台体制第二陣が敷かれていたのですが、なんとその写真が残っていないばかりか、かなり意外な風景が記録されておりました。
いいのか?こういう布陣を公開しちゃって(笑)
ことしのカバーフォトは、かわねこさんのTDA4Wで走り抜けます。さてことしは何処まで火星軌道(2003年夏の地球との距離)に近づくことができるか、登録台数に変化が出るか。楽しみでもあり不安でもあり、です。