つい探してしまいましたが、そもそも春風組の現場ではありませんでした。
といっても、それがわかる人がいないよな。
うちのヘリーハンセン購入の話を書き始めるとほんとに外伝の場外乱闘になるのでここは割愛しますが、このエスクードは狼駄さんのコンバーチブルと同じ1型で、ハードトップでした。新車、中古車押しなべても1型に乗ったことがあるのは我々二人と、コムロさん、きうさん。バンを乗り継いだKazooさんととにいさんくらいかもしれません。89年式なので、このエスクードの現物を見た人は唯一、風花さんだけでしょう。その風花さんも知らないことですが、ヘリーハンセンには独自独断で「EXCALIBUR」という呼称があてがわれていました。
アーサー王伝説に登場する聖剣エクスカリバーは、フランス語圏ではエスカリバーと呼ばれていたこともあり、この剣はもともとカリバーという名前であったものが折れちまうわけです。それを鍛え直すことでESとかEXという冠がついていくのですが、うちのエスクードもカスタム化していく過程でそうなるのよと、今ならこっ恥ずかしいネーミングをつけておりました。
で、この話は10年以上埋もれていき知られざる封印となっていきます。ところがこの時代、鹿児島県のとある町の1人の高校生が、
「俺、将来はゲームシナリオライターか小説家になって一旗揚げるんだ」
という野心に悶々としながら、EXCALIBURという題名のヒロイックファンタジーを書きなぐっていたのであります。RPG世代ですね。しかしながら内容までは知りませんけど、オリジナルを創造しようという作品に対して、使い古されている古典的アイテムを題名にしている時点でそりゃだめだろうと、今だから言っちゃう不安材料満載の作品と思われます。
その物語に登場するヒロインの名がLucia(ルシア)と名付けられていたそうです。ラテン語の「光」に由来する名前です。この少年が大人になり、光のイメージを投げかけてくる白い車体と出会い、少年時代のヒロインと重ねあうまで、その日から6年ほどの歳月が流れることになります。参考までに、この物語の主人公の名前が、Loard。
おいっ、白狼とか言ってた割にはずいぶんと可愛らしい名前を隠し持っていたじゃねーか!
8月14日の43万キロ到達からわずか4日後の18日の宵の口。先代のらすかるは不意に車線変更してきた右隣の車両に鼻先をひっかけられて弾き飛ばされ、歩道と車道を分離する幅広のコンクリートブロックに叩きつけられて4輪ともホイール破損、ホ―シング破断、ノーズというよりガード類大破の全損という顛末をたどりました。夢の途上から、たった300キロしか走れていなかったのですが、ここで命運が尽きました。
歩道に歩行者がいなかったことや誰一人けがを負わなかっただけでも幸運でしたが、目の前が真っ暗になりました。
まあそんな話は展開しても面白くもないのでやめておきます。10年前、そんなことがあり、先代は地元の車の主治医が回収してくれましたが、その主治医が先ごろ亡くなられ、失礼ながら告別式には出られず、新盆参りをさせていただくこととなりました。
40数年、地元の車屋として我が家に限らず地元で走るほとんどの車の面倒を見ていた有限会社の社長は、「黒澤年男に似てる」とおだてると喜ぶ昔気質の親父でした。家業は娘婿さんがあとを継ぎ、何年か前からBLUEらすかるの専属ドクターになってくれていますが、ひと時代が幕を閉じるという虚無感は否めません。
あの挫折の日から10年。季節だけは規則的に移り変わっています。
来年の話とはいえ用意できるうちにしておかないと絶対に出遅れるのがうちの踏みがちな轍なので、霰の振袖を調達しました。はい、成人式の晴れ着です。
といってもまだ振袖と帯が決まっただけなんで、小物類をあれこれと揃えなくてはなりません。こういうのは車を買う時のオプション選択みたいなもんです。が、車の場合は予算と対比して切り捨てられるものもありますが、こちらはそうもいかない。
おまけに父親側の経験値は七五三の頃のそれしかありませんから、母親自身の経験値に頼らざるを得ません。
するとどうなるかというと、あれもいいけどこれも悪くない。それはどんなのかと、目移りするからなかなか決まりません。
ま、それが楽しいんだろうけどさ。
半世紀が経って三たび「サンダーバード」と邂逅する日がやってこようとは。
などと感慨に浸っていたら、いつの間にか先行放送開始になってしまいました。本日と明日の夕方より、第一話と第二話がオンエア。放送局が50年前と同じで、しかも地上波だというのは非常に好ましいことです。家族の録画予約と被っても、てか被ってるんですが、それなら仙台で録画しておけるから。
メカニックプロップを実物かCGかで比較したら、オリジナルの50年前に軍配を上げてしまいますし、白組が作ったレスキューフォースのCGプロップの方がリアルに思えますが、超人巨人と光線わざに頼らないメカニック番組を堪能できるのだから、見る側もつい贔屓目にハードルを下げてます。その点、酷評だったという2004年版の映画作品は、脚本を低年齢層向けにしただけのことで、映像としては優れていたと思います。まあ低年齢層で何が悪いのよ、とも言えるのですよね。
TB‐Sなる新規機体を河森正治さんが手がけたということが、今作のひとつの話題。懐かしのSR71風のデザインは、彼や僕らの世代にとっては一種羨望のシルエットと言えるのですが、何と言っても今回、2足歩行変形しないところがいい(笑)。その代りにコクピットが切り離されてオートバイとして活用できるそうですが、操縦席が切り離されてオートバイになるというアイデアは、UFO戦士ダイアポロンのアポロンバイダーを思い出させます。しかしこういうデザインや日本的ギミックがあの世界で浮かなければいいのだけれど。
2005年8月14日。とるねーどらすかること先代のエスクードTA11Wが福島県いわき市で43万キロに達しました。乗り出し10年を2か月後に控えた真夏の早朝のことです。旧盆休みの渋滞を避けて、とんぼ返りの行程でした。当時、これだけ走っても伝説のノマドにまだ15万キロも届いていない葛藤と、よくぞここまで来られたものという実感とが入り混じった気分でしたが、正直なところ、こんなことができるのは生涯一度きりだよなと思っていたのです。
この年の春、一足先にコムロさんの二代前のエスクードノマドTD11Wが退役し、翌年の春にはたけさんのエスクードTD51Wが現役を去りました。機能と架装を両立させるコムロさんと、見た目はノーマルで悪路走破性能を引き上げるたけさん。そしてショートホイールベース至上主義の、ロングボディーのエスクードには否定的だった僕(とか言いながら-僕はテンロクノマドも使っていたのですが)。彼ら以外にも沢山の個性的なユーザーが思い思いの考え方で、二つと同じ方向性のないエスクードがぞろぞろと集まっていました。
それぞれのユーザーについて振り返るのは別の機会に譲り、自分のことに絞って記録を見ると、同じ年の2月に40万キロを刻んでいるから、この頃すでに月単位で5000キロという馬鹿みたいな運用が行われています。今だから言えることですが、ノーマルシートでこの走りは、重量級の自分にとっては過酷な条件です。至上主義であるはずのショートホイールベースも、マラソンクラスを走るのには諸刃の剣と言っていいでしょう。そういうネガティブ要素を棚上げして、夢の途上にいた夏でした。