「エスクードのスズキサイトでの掲載が終了した」という内容のこの記事って、一般ユーザーのX投稿よりも遅く、遅いがために「明らかとなった」と丸めているわけですが、そこでスズキに問い合わせたはいいものの、販売が終了したからウェブサイトの掲載も終了した程度の答えしか得られない、一体何の意味があるの? な、もやもやの塊です。ついでに重箱の隅をつつくと、ここでも1989年デビューとおバカな間違いを露呈しているところが情けない。
何かこう、もっとスクープな話は無いの?
O阪のあまり関係ない記憶
と書いておかないとカテゴリーを変えられないのです。可能な限り同一カテゴリーの記事を並べないようにしている弊害です。О阪の記憶とはほぼ関係ない話になっています。なんせО阪の街に行ったのが2007年ですよ。どんだけ疎遠なんだ。その後通過して神戸だとか姫路だとか広島だとか福岡だとか熊本には行っているのに、O阪は素通りしているばかりです。まあまだいい、北海道なんて2003年以来足を運んでいません。
いきなり蛇足な書き出しですが、小松左京さんが「物体О」を執筆したのが1964年。物語では196-年となっていますが舞台は4月28日だったと思います。その日、高さ200キロ、直径1000キロもの「異様な物体」が落ちてきて、関東なんか直撃で壊滅するほどの騒ぎになり、この「物体О」はほぼ日本を囲ってしまうのです。駅弁食いながら新幹線で移動するどころか、あらゆる通信までもが「О」によって遮断されてしまったからです。
O・・・大阪をはじめとする各地の人々は混乱の中にあってインフラの回復を試み、また「О」と名付けた物体の解析に必死になりますがそう簡単にどかせるものじゃない。日本は政治も経済も機能停止に陥り、分かってきたことと言えば「О」の組成は銀でできているらしいということくらい。どうすんだこの事態!といよいよ切羽詰まってきたところで、物体の出現からだいたい10か月後、「О」は忽然と消えてしまうのでした。
後に「首都消失」を書きあげた小松さんは、「物体О」のプロットに時代に応じた科学考証を加え、途絶した国土の外側に視点を変えてダイナミックな小説に仕立てましたが、「物体О」の短編の尺では、あっと驚くショートショート的なオチがスパイスを効かせており、そこに傑作の評価がついてきます。
この暑いのになぜ籠る?
良い綱の日
ATAGO FOREST HOUSEでコーヒーブレイク
天狗の森のソメイヨシノもすっかり葉桜になったので、もう混雑は無いだろうと大駐車場まで出かけました。3月の末に市によって公園側の施設が増強され、その一部として観光協会が管理するカフェができていたのです。ふるさと創生事業で公園化されたこの場所は、1960年代は三方を森に囲まれた舗装もされていないただの空き地でした。世の中変わっていくものですよ、ここで自販機の缶入り以外のコーヒーが飲める時代になってしまうとは。
以前の店舗でもエスプレッソマシンから抽出したコーヒーは売られていましたが、新たに開店したATAGO FOREST HOUSは協会から運営を任されたバリスタさんが地元だけでなく秋田県や新潟県から著名なコーヒー豆を買い付け、豆ごとに浅煎りから極深煎りのコーヒーをそれぞれいれてくれる、予想していなかった本格派の店です。こんな人を採用するなら店舗の設計段階から関らせてあげたらよかったのにというイマイチなレイアウトですが、それと関係なくコーヒーは美味いです。
このブログ記事とはまた別の日に行ってきたので、そちらをリポートしました。






