Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

日沿南下

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22日の青森市内での仕事がキャンセルになってしまい、掲示板の投稿も数十件の閲覧はあったものの反応は0なので、本日の仕事が片付いたらこそっと日本海沿岸を南下して新潟へ向かうことになりました。月曜に基地から仙台へ300キロというのを別にして火曜日300キロ、一昨日17キロ。昨日480キロ、本日500キロプラス350キロで基地へ帰還って、普通、旅行ですよねえ。

新潟市内へは順調に移動できて19時くらいにたどり着ければいいのですが、どこで昼飯にありつけるか以上に、給油ポイントをうまく見つけられるかどうかが課題。

タイヤをオールテレーン・大径化している分、カタログ燃費を維持して走るのは工夫が必要です。過去に仙台~浜松600キロの無給油実績はあるけど、今回はどうなることやら。冒険しないで酒田あたりでスタンドに入るか。

いやそれより・・・壊れやしないだろうな?

などとしおらしいことを書きましたが、目的地手前でここより先にエネオス無かったし、484.7キロで給油となりました。青森から大舘、能代、秋田、由利本荘、にかほ、酒田、村上経由の高速道路はことごとく制限速度が80と70キロ。これが作戦上のツボでした。しかし先頭を走っていると後続車がつながってしまうので、85~90キロくらいで巡行する先行車を見つけては適当な距離で追随し、エアコンは使わず窓をすべて開けて、それで十分な涼風を得ながらの走行です。

ただし窓を開けているので直射日光はすさまじく、じりじりと日焼けしてくるのは避けられず。外気温時計は32℃だし。これがトンネル区間に入ると長いトンネルなら6℃くらい下がるのが妙なオアシスです。秋田以南はもろに西日を避けられない沿岸国道ですからたまりません。あつみ温泉付近で2200m、1900m、6000mのトンネルに連続して入った時はほっとするわけですが、ここからまだ130キロは走らねばなりません。

その辺は端折って、新潟市西区。青森ではリッター122円でしたが、このスタンドは117円で小売りしているためいつも大混雑。悠長に写真撮ってるわけにもいかず計算も後回しで順番を待ちます。あれだけやったのに、いまどきのクルマと比べようもない数字ですが、カタログ燃費がリッター10キロのTD61Wで二回り大きなタイヤ装備を考えれば、善戦です。数字だけを見るならば、残りの燃料で関越回りで東北道の栃木インターチェンジまで走れた計算になります。

まあ実際には高崎あたりまで行って「いやもう怖いからスタンド探す」だったでしょうけど。それにしても地図上でトレースするとげっぷが出るような移動経路なんですが、これだけ走っても1000キロには届いていませんでした。

 

 

 

 

これから暑くなりますヨ・・・

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朝ではあるが。

なぜそこで寝る?という、会社の駐車場にて。

朝のパトロールで疲れたん??

割と近くでごそごそしていたのに、起きませんだよ。

暑さ厳しき折柄

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くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。

 

私事ですが、今日あたり、BLUEらすかるの積算走行距離が65万キロを越えそうです。報告はあとで。

なんか、こんなの載せると暑苦しいという声もありそうですが・・・

秋田県能代市で無事に到達しました。計算していたわけではありませんが、50万キロのときと同様、アポロ11号の月着陸の日に持ってこられました。

でも65万キロって半端すぎてどれだけ意味のある距離なのか説明しようがありませんです。

何もしたくなーい。

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伸びすぎです。

・・・奇遇だね。私もだよ(笑)

「だって暑いんだもん」

「あのな、みんな暑いの。
我慢しなさい」

「やだー」

・・・ってトコですかね。
いち。邪魔だからどいてください。
お皿が洗えないと、ごぁんの用意が出来ないヨ。

博多 芦別 その狭間

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写真は2003年の7月19日に、芦別の駅近くで何気なく撮っていた祭りの風景。時期が時期だけにどこの地方のどんな街でもたいてい、祇園祭が行われている頃だったので、たぶんそういうものだろうとしか思わず埋もらせていくだけでした。

先日、基地で録画しておいた衛星放送の新日本風土記で博多の祇園山笠が再放送で紹介され、これを見ていて「おやっ?」というエピソードを知りました。

芦別のこの祭りも実は祇園山笠で、これが始まったきっかけは芦別在住のある人がNHKスペシャルで放送された博多ののぼせもんを観て惚れ込み、博多に通いつめて仲間に入れてもらい、祭りそのものを芦別に持ち帰るに至ったというお話でした。

84年にその放送を見て、博多ののぼせもん衆に正式に認められたのが94年のことだそうです。僕が録画した番組は2014年の初回放送だったらしいので、この方はもう30年以上博多にも通い続けているようです。

あの年、倶知安の友人宅から夕張、トマム経由で富良野へ迷走し、芦別を通って旭川から札幌へ戻る途中のたった2カットの写真が、よもや福岡と北海道を結びつけるエピソードを抱いたシーンだとは思いもよらないことでした。

今年も博多の山笠は15日までに、芦別の山笠も17日にお開きとなったようです。季節より早く伝統と気概が駆け抜けていったということですねえ。

暑いからこそ

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あいかわらず皮硬い・・・

良く育つ。
今年はトマトが順調だーっ!
これで5~6個食べたヨ。大きいトマト。

プチトマトも負けじとコロコロ生ってます。

酷暑日の報

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流れてますよ、ラジオのニュースで。

先日の長者原SAなんか、こんなもんですよ。

・・・真夏日の報なんか書いたから罰が当たったね。

Team WESTWIN Warriors#112

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7月16日、TeamWESTWINの面々は広島県で開かれたJXCDに遠征参戦していました。先日のTDAでは例によって発電系トラブルが再発した後藤誠司選手のTA51Wですが、コンピューターの載せ替えが行われ、地元での計測では160馬力くらいは絞り出せていたとのこと。ただ、湿度や気温などに左右される。豪雨の後の福岡は異常な高温続きだそうで、遠征先でのセッティングがどう決まるかも、ひとつの勝負ポイントです。

しかし現地での制御にばらつきが激しく結果的には純正品に戻して走ることとなりました。

「ツボにはまるとばっちりなんですが、全体では効果を出せませんでしたね。チームスタッフがコーナーごとに観測に立ち、どんな状態でコーナリングしているかをリポートしてくれて、その報告をもとにコース攻略の作戦を立てることにしました」

島監督の談によれば、メカチューンの奥が深いということですが、結局今回はエンジンもECUもノーマル仕様で挑むことに。後藤選手がどこまで手足としてエスクードを操れるかに見どころが移っていきます。

「このレースもハイパワー化が顕著になっていて、ターボチューンのジムニーがオーバー200馬力だそうです。上位陣のドライバーたちも強豪ぞろいで、いくらかでもパワーアップして送り出してやりたかったんですが・・・」

後藤選手はP1クラスとアンフィニクラスにエントリー。例によって外からは豪快に見え、内側では緻密なコントロールを繰り広げ、P1クラスで優勝を遂げました。新調したタイヤの性能もありますが、やはり人車一体で操られるエスクードはまだまだ高い戦闘力を発揮します。その勢いで臨んだアンフィニクラスでは、痛恨のシフトミスを一回やらかし、準優勝にとどまりました。まあそこは折檻として、ともかくピット作業からエイドまでチーム全体で戦った広島遠征。

持ち帰れるものが大きかったと感じられます。

 

ライ麦畑のむかし今

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先日のこと、福山市中央図書館から中高生向けに勧める図書ガイダンス「本の世界へ旅をする」が発行されたニュースを見聞きし、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」がこれに含まれていることに、ちょっと安堵しておりました。我々の文化圏においてこの本が悪書扱いされていた記憶は薄いのですが、サリンジャーの人となりから来る風評も手伝ってのことなのか、この作品が出版されてから三年後くらいに、かの国ではそのような風潮が大荒れしたのだそうです。

十代の半ば頃にこれを読んだときには、半分は理解できていなかったと思いますが、二十代になってカリフォルニア州教育委員会がヒステリックに学校や図書館から同書を追放したことがあるという史実を知った時には「えー? なんでー??」と感じたのでした。

それを同じテーブルに乗っけるのが適当かどうかはともかく、そういえばサリンジャーに触れるさらに前のこと、我々の文化圏でも手塚治虫さんやら永井豪さんやらがPTAから糾弾されて、出版物が焼かれた(実際に見たことはないけど焚書ですよ)史実があったよなあと、当時それらを重ね合わせていました。

親と子供の、ものの感じ方が相いれなかった時代を経験しながらも、サリンジャーに関しては今ではライ麦畑も課題図書として扱われ、アメリカの高校生は授業で読んでいるそうですし、日本でも件のニュースのように中高生のためのブックリストに載って来るのだから、年月がいろいろなものを稀釈していくねえと感じます。ひとつ面白く覚えているのは、僕も中学生で出会ったこの本でしたけど、ティーンエイジャーだからこそ共感できると今でも諸表に書かれることがあるけれど、サリンジャーがこれを書いているのは二十代から三十代にかけてのことだったりするわけで、中学生から見たらもう十分おっさんなんだよなというところです。

ところがですよ、家内ですら大学の授業でレポートを書いたことがあるというのに、うちの娘らは読んだことが無いらしい。

まーそれならそれでもいいけどさー。

山へ・・・

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昨日と同じ書き出しですが、1888年7月15日、磐梯山は大規模な水蒸気噴火を引き起こし爆裂、小磐梯は山体崩壊、その爆風と岩屑なだれで北麓の村5つが壊滅しました。無理やり引き付けると、スズキエスクードが誕生する100年前の出来事です。

そんな日なんですが今日は、そこから130キロほど南西の栃木県から福島県境にかけての林道ツーリングに出かけてきます。

それにしても檜枝岐村だって夏です。暑いわけです。村道馬坂線から台倉高山の登山道入り口まで駆け上がると標高約1800mあるのに、さほど涼しくないのです。しかしうちでは最もロートル車なぷらすBLUEで参加しましたから、約40kmの林道でエアコンをフル稼働させるわけにもいかないのです。いつ天候が崩れるかわからないこともあり、頭の上だけ幌を開け、窓を全開にして最後尾をついていきます。

それでも大雨の直後なので、埃まみれにはならずに済みます。道の状態は、この時は荒れているというほどでもなく、初心者がロングツーリングを兼ねて練習に走るコンディションとしてはベストです。ただしあと一、二回、時間100mmの大雨が来たら、法面が持たないであろう危険箇所がいっぱい。界隈では安が森が大規模崩落で通れないし、田代山もまだ開通していないので、馬坂に通行が集中しそうな気配ですが、いつ通れなくなってもおかしくないという雰囲気です。

もっとも、ドライバーはそんなことを気にも留めず、「霧降高原道路よりも楽しいですよ。だけどおじさん達ペース速すぎ」とか言っております。本格的な林道デビューとしては、上機嫌で走っておりました。彼女の夕方からの予定の都合で、午後の部は中座させていただき、帰路は国道回りで4時間ほどかけて帰宅しております。え? とーちゃんですか? ずーっと助手席で楽してましたよ。