今年も咲いたヨ。
ほったらかしなので、花数少なめ(爆)
さて、またしても球根で鉢がパツパツになってしまったので植え替えと言うか、株分けをせねば・・・
SSレイドをスタートさせたのは2008年くらいからだったと記憶もあやふやになっていますが、この日曜日にSPFYOさんが出題地点のうち099番を攻略してくれました。まだ096から098の3か所が未攻略のままではありますが、このゲームの予定出題数として、たぶんゴールかも、ゴールかな?となる100の出題となりました。
攻略されてうれしいという、まあ実に珍しく、しかも手法がきわめてアナログなゲームですが、細々と続けられることが何よりありがたいことです。
Sレイド、SSレイドは基本的には「ここがどこだかわかる?」という出題をしていますが、その神髄には出題者側の誰か行くだろうと他力本願なベクトルに対して、第三者側が「行ってみようかな」「行ったら誰かいたりして」と乗ってくれることと、万が一その場所で誰かとばったり会えれば面白いし、誰もいなかったとしても「昨日誰かここへ来たかもしれない」「明日誰かが来るかもしれない」とイメージを膨らませていただくことに願いを込めております。
さてまだ誰も到達していない地点は4つです。もちろん攻略済みのポイントはヒントが増えているので、そこに出かけるも良しです。そこに誰かいなかったとしても、いずれ誰かがやってくるかもしれません。
この三月にネクスコ東日本のイベントとして、三度のどんぶり王座決定戦のグランプリが決定していました。知らずにいた意外な話で、つくばーど基地から最も近い友部SAの上りフードコートからの出品が、このイベントの過去二度のグランプリ獲得であったことは驚きでしたが、今回は守谷SA上りからの作品に王座を奪取されたようです。友部上りは準グランプリ。
で、それらは誰もが食いに行だろうから、こちらは友部下りの出品。
「霞ケ浦帆曳船七福丼」と名付けられたこれは税込み980円。
俵メンチ三個(常陸牛、行方産米豚、茨城県産れんこん)
揚げかまぼこ三種・霞ケ浦産佃煮(川エビ、わかさぎ・ゆず、しじみ)
奥久慈蒟蒻のポテトサラダ
奥久慈卵のゆでたまご
茨城県産紅あずまの大学芋
鴎の形をした大根の浅漬け
ライスペーパーを揚げた帆にマヨネーズかけ
というお品書きが添えられていましたが、不思議なことにそれ以外にこの店の名物である豚肉の炙りも一切れついておりました。
帆が固くパリパリ感のなかったことが残念でしたが、小さ目の俵メンチが三個というのが買い得感ありで、ソースとケチャップマスタードが用意されている。かまぼこに添えられるわさび醤油は県産の「紫峰」を使っています。蛇足ですが味噌汁付き、器は笠間焼。
ゴージャス感でグランプリ、準グランプリに敗退したのかもしれませんが、値段も中身も腹八分目で考えたら、かなりの秀作だと思います。友部上りの今作がゴージャス方向にインフレし、守谷上りも同様ながら価格を抑えた点で優勝しているような気がします。仮に、この値段で帆のパリパリ感が実現し、炙り豚が二切れだったら・・・というのはまあ判官贔屓な印象かもしれません。
友部下りのもうひとつ。腹八分目どころかこれは絶対に誇大広告だろうと苦笑したのが、売れ線で出ている豚丼の最上位にあたる「筑波山」の見本。肉八枚乗せの大盛りの上を行く十六枚だそうです。いやこれはもう筑波山どころか八溝山だよ。と思うのですが、そこはここが友部SAなので、常磐道としてはまだ通過していない八溝山の名前を禁じ手にしているところが律儀です。さてしかし現物の筑波山はどの程度のものなのか、恐ろしくて注文できません。
どなたか挑戦して写真のひとつも提供してくださいませんか?
かつて国電と呼ばれていた「国鉄(近郊区間の)電車」が『E電』と名付けられた日から、いつのまにか30年めです。廃止されたという話も聞きませんが、まるで受け入れられず定着もせず死語化してしまいました。E電というのはEast、Electric、Enjoy、Energyなどの意味が込められた造語。しかし大半の意見は「ERRORのE」というマイナスイメージから敬遠されたというものだったそうです。E電というのは公募によって集められた候補の第20位。じゃあ第1位が何だったかと言えば『民電』、さらに2位「首都電」、3位「東鉄」、4位「日電」、5位「民鉄」と、どれもこれもなんともというラインナップでした。
Eという文字にERRORをかぶせていったのはマスメディアの反応だったような気もしますが、上位の候補よりも多少はマシにも思えます。でも、後に高速道路で普及するETCにおいても国土交通省で愛称コンテストが行われ、イーテックという愛称が付きましたが、まあ同じ末路を辿っています。実に内輪の話ですが、ESCLEV というサイトネームを決定する際、E‐den(エデン)というのが候補になったことがあり、やはり「斜に構えすぎだ、やめれっ」と一蹴されましたっけ。
そうですか、Eってイメージ良くないんですか。そうは言われてもESCUDOの綴りを今さら変えることもできませんよ。
それで感じることですが、エスクードという単語についても、よく言われたのがエクシード、エクスードと混同されやすい、実際間違える人もある。後年嫌がらせのようにエクシーガなんてのも出てくるし紛らわしいというものでしたが、これらってふつう間違えるか? 間違えて覚えこむのってよほどの馬鹿じゃないのか? と。
Eにこだわってくれる人もいます。「E計画」(どこかのアニメと混同される)→「E‐ACT」(だけどエスクード限定のミーティングじゃないし)→「ENCOUNTER」とか。
「でもねー、ある一定世代より上の人に言わせたら、エスクードもランクルもサファリもみんな『ジープ』ですからねえ」
などと言われながら前途多難のまま、エスクードのEは、来年が30周年。
なぜか屋根の上に戸板を括り付けているTD51Wは、数週間じっと身動きせずに牧之原市の相良支庁舎の駐車場に保管されていました。
車両の周囲にはロープとバリケードが張り巡らされ、この車を動かすことはならぬし誰一人立ち入りもならぬぞという物々しい風景・・・でもなく、このエスクードはじっと「その日」を待っているのでした。
このお話を知らせてくれたのは、当日の静岡新聞を読んだ、だいすけさんの奥方。
それがきっかけ。数日後の金曜日の夜、仕事をうっちゃりやっつけ、牧之原まで走りました。
営巣していたのはセグロセキレイ。せっせと餌を運び込む姿を見てほっこりさせられ、そーっとこの場を離れたのが、いつのまにか10年前のこと。
そのまま天竜川まで出かけてカレーを呑み、タッチアンドゴーで山梨のアイリッシュパブまで、当時そこで使われていた白いTD01Wを拝見に押しかけ、その道々SSレイドの仕込みなんかもやっておりました(2年後に攻略された)
24時間で1000キロには満たない弾丸ツーリングでしたが、前の年の秋に15年落ちで手に入れた「コミューターとして使うから長距離はやらない」つもりだったコンバーチブルの初の遠乗り。このときまだうちのコンバーチブルの積算走行距離は正真正銘100000キロ未満だったのですよ。いま、遠乗りの大部分が仕事で日常茶飯事になってしまって、旅をしている感覚になれない気持ちが半分。それって、けっこうもったいないことをしているのかもしれません。
クルマの売却アピールのためにこれほど入れ込んだ動画を作るとは恐れ入ります。
僕なんかマイクロソフトペイントしか持ってないのでこんなんしか作れなかったけど、これやったのが2004年でしたから、いつしか同じようなことを考える人が出てきたのねえ。