家族が全員揃う機会が少なくなりまして、例年作ってきた一家集合の撮影もままならなくなりました。先日、2025年用の賀状を発注してきましたが、ヒトが映っておりません。すると何一つ芸のない僕ですからクルマを並べるしかない。1台持って行って基準点にして、徒歩で戻ってもう一台・・・という風にやるのはまあ骨が折れます。葉書代の値上がりも財布に痛しで、ウェブとブログでもういいかなあとも考え始めました。でもいただく賀状には返信しないといけないよね。
これが最後になるかもと思うのだけれど
エスクマイレッジ2025カバー写真募集します
恒例にしてしまいました。2025年用ページを飾るテーマ写真を募集します。
毎年ご協力いただいている基本条件は、日中以外の空を背景にした、これから走り出すよというイメージのシルエットで横フレーム(jpg形式で400×160ピクセルくらい。もしくはそこまでトリミングできるもの)です。次点にあたるヘッダー、アンカー扱いは最大2点を採用しますので、これには左右660ピクセル、天地200ピクセル程度にまとめられるものとします。
次点なのにヘッダーとアンカーの方が扱いが大きいというのは目をつむってください!
車両はエスクード並びにその海外モデル、グランドエスクード、Xー90ならば歴代年式を問いません。締め切りは30日いっぱいです。
送り先はこちら↓
ぜひともよろしくお願いします!
焚火の忘年会2024について
ラリー「Door of Adventure鮫川」に出走していたあおいろさんから「こんなところにいたのか!」というメールと写真が届きました。つくばーど®の「SSレイド」で2008年末に設営した課題地の005「宇宙石」(出題名は「えあーずろっく???」)からです。ラリーのルート上だったとか。
むむむ・・・こんなにいい天気の日に行けたことないぜ。
コロッケなんて無いわよ 和邇さんの手記079
天狗の森チャレンジ 和邇さんの手記078
「成功 成功(笑)」
ななな、なんだとーっ
この日、天狗の森では総勢65台もの自転車が林道側をヒルダウンする競技が催され、危ないので基地を留守にして出かけておりました。
それが大いに油断を喫していたようです。いないときに来るなっての!(まあそれでは奇襲にならんけどね)
この前日だったら僕はここにいたのです。この秋一番クラスの空と地平線で、それを撮影に来ていました。
まったくさー、すれ違っちゃったじゃねーかよーっ
フィガロの昨今 025
何を書いてくれるのー? と、割と期待している自分
「雷蔵さんのエスクードのことについて教えてほしいのですが。1200字くらいの原稿書こうと思って」
えっ? と驚いちゃいましたよ。ノスタルジ屋の店主・松浦さんからそう言われてお店に行きましたよ。あら福島県からいらしたと思しきヘリーハンセン・リミテッドが停まっていました。が、ここは本編とは関係ありません。聞けば郡山から三時間かけてやってきたとか。
そのお客さんがお帰りになるのを待って本論に。松浦さん、クルマやバイクの古いカタログ販売で店を切り盛りしていますが、実はクルマに関してはかなり疎い。たぶん霰よりは上で霙よりは下くらいの位置付。まあそれは置いといて、何ゆえうちのエスクードのことを書こうと思い立ったのかを聞いたら、
「目標にしているメーターが100万キロに達したとき、ゼロに戻るのかその手前で止まってしまうのかを気にしていらしたでしょう? それが面白そうで」
・・・それは副次的な話で目標じゃねーよっ
「でも、一台のクルマが100万キロを走ろうっていうのは大きな話題になるでしょう? 注目されるのは間違いなくて」
「四国にいらっしゃるセドリックのオーナーみたいに、テレビ局が取材して放送されればの話ですよ。今しがた帰られたお客さん、僕や僕のクルマのことなんか、となりに停まっていたのに知らなかったでしょ? こういうのはメディアが取り上げて世に出なけりゃ人知れず到達するそれだけのことなんですよ」
到達できるかどうかもわかんないけどね。
「雑誌に売り込んだりはしないの?」
「昔は30万キロで投稿したりもしましたけど、あの頃はエスクード自体が売れっ子でしたからねえ。いま注目する人なんかいないでしょ。されているならとっくにオファー来てますよ。投稿するにしてもそのタイミングは実際に100万キロになって記録写真でも撮っておかなければ誰も信じない。何かに掲載されたらされたで、オドメータがリセットされるのかされないのかのほうに話が行っちゃうんじゃないですか? 松浦さん自身が語るに落ちてるし」
というような話をして、松浦さんが知りたいエスクードのいくつかの基本データを説明し、まじめに書いたら1200字では足りなくなるくらいの情報を提供してきましたが、さてどんなお話を書いてくれるのか。だけど楽しみではありますが、何かに投稿するわけでもなさそうですから、BLUEらすかるの逸話はやっぱり人知れずの域です。
ただし空に上がる月齢は13.9で、満月には少し足りません。暦の上での中秋の名月は新月から数えるのでそうなります。ようやく、いくらか気温が下がったような気がして、そろそろ燕(玄鳥)も渡る時期かなあと思い込んでいくのです。即ち「白露」の候も後半に入って「つばめさる」「ついでに芋名月(いもめいげつ)」がうまいこと重なったのが2024年の今日。もう車では行けなくなりましたが裏山の裏山にあるすすきの原もやがて銀の色です。
中秋の名月を芋名月と書きましたが、栗名月でも豆名月でも良いそうです。これら秋の収穫を(9月の)十五夜の供物として云々と唱える人もいます。うちでは子供の頃、さつまいもを粥に入れた芋粥が食卓に出ましたが、これがいつからか月見団子に取って代わり、すすきの一輪挿しと一緒に縁側に飾り付けられていました。月見バーガーどころかマクドナルドなんか無かった時代のことです。でも69年の夏にアポロ11が月に着陸して、竹取物語は完全にファンタジーになっていました。
で・・・玄鳥ならぬバイク乗りも昨日基地に現れ、去っていきましたよ。
危うくすれ違うところでした。が、なんだよこの立ち話で送り出す不義理は!
先代のらすかるが「すとらいく」装備になっているので2003年初夏の撮影ですが、「エスクードをできる限りかっこよく撮りたい」という欲に駆られていた頃のツーリングシーンです。右下の友人は、あの578000キロ走行のノマドを面倒見ていたアリーナ尼崎(当時)の森店長です。この頃、毎年メーカー主催の売上貢献表彰式に呼ばれて上京していた彼は都内の立派なホテルではなくつくばーど基地に来てくれて、うちを宿にしていました。
知人友人たちと、あるいは単独行で、週末となるとどこかの林道に出かけていて、今考えるとよく家族がこれに文句を言わなかったものです。そういうのって特別だよなあとありがたく思っていましたが、体力が衰えてしまった今、単独で出かけていって走行不能事態に陥るリスクを考えるとなかなか遠出ができなくなりました。車も人間もかなりポンコツになっちゃったし。でもやって来て分かるのは、かっこいいシーンは何でもない風景でも実際に走っている姿だなあと思います。