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  ~懲りない傾向~

忌明けの日を前に

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昔、「グレートマジンガー」で暗黒大将軍が戦死した折、敵味方ともに彼の弔いをやったような演出があって、それほどに勇猛な幹部であり宿敵だったということなのですが、その喪が明ける(らしい)とき、ミケーネの闇の帝王は「四十九日が過ぎた」などとぬかして、次の回で地獄大元帥の登場となっていくのでした。

古代ギリシアの宗教観なのかそれはっ

いかにも昭和の東映動画な、シリアスさを追求するあまりの落とし穴だったと思います。いや、ひょっとすると古代ギリシアの神話の中にはそのような弔いの仕方があったのかもしれませんが、さすがに四十九日という言葉は聞いたことないです。

それにしても、人が没して七日ごとに審判を受けるというというのは、亡くなった当人も大変だろうなあと感じます。その審判によって来世のありようが決まり、来世に往くまでのどれだけの間、極楽か地獄かにとどまらねばならない。このあたりは死者の国だったりタルタロスだったりエリシオンに落ちていった古代ギリシアの人々の宗教と共通する部分もあるので、ミケーネの闇の帝王が大乗仏教っぽいことを口走っても良いのかも(でも、当時は「変なの」と思ったよ)

そんなことを思い出して、本日親父の四十九日に臨む僕はスクランブルダッシュな不謹慎野郎です。ことのついでにグレートブースターばりの間抜けな我が家の話を暴露すると、

「墓参用に千円分の花を四束買ってきて」

と娘らに指示を出した妻でしたが

「五百円のが五束しか置いていなかったよ」

「一応それで四束買ってきましたよ」

といういわゆる「使えない買い物」に怒り出す始末。冷静に考えなさいよ娘らよ、花屋が千円分なんて「売れ筋にもならない」束を作り置きしているわけないじゃん。

しかしこちらも冷静に考えると、こいつら肉屋に行って「豚こま200グラムとひき肉300グラム」なんて買い物したことない世代だわ。そもそも町の肉屋が絶滅しているし。

という顛末で、なぜか僕が追加で「千円分を二束作って」と買いに駆り出されたので、花屋で演出用の写真を撮らせてもらいました。

わらしべ長者健在なり

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今回、以前とは異なり「物」ではなく「八戸までの道のりと所要時間」を問われて情報提供したのですが、

単に説明しただけが漬物材料に化けました。

とりあえず漬けあがったらまた持って行くルート?

押したら何処に迷い込むのだ?

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茨城県庁の高層階対応エレベータに乗ったら、謎のボタンが設置されているのです。ここにない数字の階層には生活環境部や保健福祉部があったはずなんですが、3フロアまるごと跳ばされている(そこへ行くにはは低層用を使うからですけどね)。それに加えてこのボタン、県の公式アイドルらしいですが、よもや押したら12~14Fは全部この娘の専用フロア・・・なんてことになってないよね。

ちょっと何なのか理解しがたかった風習

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焚いた白米に餡子を乗せて食うという献立自体が理解しがたかった「ぼためし」ですが、茨城では一般的な彼岸フードで、子供の頃には強制的に食わされて嫌な思いをしたものです。霰が生まれたとき、第一子には生後三日目に「みつめのぼたもち」を母親に食べてもらうという縁起行事がありました。これも郷土風習だったようです。餅やパンだと平気なのに、なんでご飯だと「ええっ!」と引いてしまうのかは、もう僕自身のメンタルなので仕方ないですが。

写真は親父の葬儀当日に作った「ぼためしわらじ」。三十五日法要でもやるようです。本日が親父の三十五日。あの世で針の山から谷底に落ちないようにという滑り止め効能があるとのことなんですが、なにそれ針の山って地獄行き確定なの?と思いかけたら、「浄玻璃の鏡」が現世での行いを全て暴く、閻魔大王の審判が没後三十五日目に行われるためだそうです。針の山ごときで滑落しちゃうと極楽へ行けないので、遺族が考え出した対処方法なのでしょう。

それにしても、理屈は理解できても、飯に餡子というのが、地元民ながらちょっと何なのかよくわからない風習・・・

清浄明潔を過ぎて

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ぼちぼち穀雨の時期です。二十四節気における四月は、五日ごろまでが清浄明潔、二十日あたりで穀雨と呼びならわします。

この頃、さらに細かく区切った七十二候では鴻雁北(こうがんかえる)とも言い、雁が北へ渡り、燕がやってくるのが暦の情報ですが、異様に暖かだった三月の反動か、東北や北海道では雪。つくばーど基地周辺でも上空の気温差でけっこう激しい雷雨と降雹がありました。

夜明けの時刻が早まり、雨が上がるごとに新芽も芽吹いてくる季節。四半世紀前に植えられたマロニエや沙羅の木がどんどん新緑の色になっています。

変異株ウイルスが猛威を振るっているなんて想像しがたい、夏を待つ日々ってとこです。でもその思い描く夏は、蜃気楼のよう。と、先週、松任谷由実さんがラジオでしゃべってましたよ。花見の「は」の字さえも、誰からも出ないもんなあ。

 

行く春や鳥なき魚の目は・・・今でも涙

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ざっと320年くらい前の4月ごろ、芭蕉は栃木路を北上していたはずで、浜通りに足を向けてはいません。双葉町の帰還困難区域には、まだあのオートバイが往く春を見送るように不動の姿で草に埋もれていました。

鳴く鳥も魚の姿も見ることのない、寒々とした先週の出張の朝の風景。

アンタダレアンドロイドナンデイルノ

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「二の矢」です。

妻用のガラケーが遂に役目を全うすることとなり、お店で「こういう使い方でこの程度のスペックでいいんだけれど」(つまり4Gものでいいよと)という注文をしたらば、やっぱりarrowsが出てきました。筐体はガラケーを引き継ぎ青系のパープル。僕のより軽いのが進化の痕跡? さて使いこなせるのかどうか。

駆け足の春

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桜の満開は入学式の風物だったはずでしたが、ことしは特に前線の足が速くて、ついでに花散らしの雨も手伝ったりして、花見の設営どころではない。と思っていたら天狗の森には「さくら祭り」の幟が延々とたなびき、連日よその県からの来場者が絶えない様子です。さすがに野外の宴席は激減しているし、泥酔して路上昼寝やらへたくそなカラオケ大会のスピーカー音も無くなりましたが、これをやらないと落ち着かないという風潮と心情は見てとれる桜見物が続いています。

樹齢から来る開花の勢いも場所によって変化していて、とっておきの桜が少しずつ衰えを隠せなくなったり、いつの間にか立派になったなと感じさせるものが育っています。河津から始まり(今年は伊豆並みに早かった)ソメイヨシノや枝垂が駆け足で通り過ぎていきながらも、このあと八重桜が五月までつなぐという趣向は、実は笠間市に合併する以前の町の観光政策によるものでした。だけど将来、季節感だけがずれていってしまうのは食い止めようがないかもしれません。

七年目の喚起

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買い出しに出かけたスーパーマーケットのバックヤードで、まだ音無響子さんが寝たばこ防止の注意喚起をしていました。確か2014年頃から張り出されていたポスターです。何度か張り直した痕跡があって、ピン止めの穴がいくつも開いていました。

噂では近隣の同店店舗が大規模改装に入って、それが夏に開店したのち、こっちの店は閉店だとか。するとこのポスターも夏までで見納めになるのか・・・

十数年ぶり何度目の買い物?

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古本屋にふらっと立ち寄ったらワゴンセールで発見して、つい買ってきてしまった五木寛之さんの「風の王国」。文庫の初版本もハードカバーの大きいやつも所有しているのに、その場の出会いがしら感覚で手に取ってしまったわけです。

日本が近代化していく歴史の陰で、細い血脈と絆を紡ぎ社会の暗部に息づく知られざる王国。五木さんはサンカというまつろわぬ民をこの本で取り上げましたが、これがめっぽう面白い。

物語の冒頭、主人公は仁徳天皇陵に向かう途中、運転中のゲレンデヴァーゲンをパトロール中の警官に止められるところから始まるのですが、文庫版は物語よりちょっと後の1987年に初版出版されているので、アウトドアブームやRVブームの波が訪れていてタイムリーだったかもしれません。そこにウォーキングスポーツと、行者の歩業、奈良から大和路にかけての歴史の暗部、メルセデスの四駆だとかジムニー1000(これはセリフだけ)だとか、興味をひくガジェットがてんこ盛りです。