Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

うりぼーの逆襲(まだ撃退もできてないけど)

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「坂を登れない―っ」

というメーデーを受信し、ついにサニーの駆動系に深刻なトラブルが起きたか? と基地の外へ出てみると、なにやら坂道の途中に転がっている物体が。これはまさか、チルソナイト808・・・ではなく、短く切られた丸太でした(なんだよ故障じゃないのか ←問題発言)

はて、俺が帰宅した時にはこんなもの無かったけどなあ。と、路肩に撤去してサニーを通過させながら周囲の気配を探査すると、反対側の切り通しの上の方に「奴ら」が大挙して潜んでいるのがわかりました。

「8頭くらいのうりぼーがさ、あれで遊んでいて、こっちに気が付いて逃げて行ったのよ」

それはそれは災難でした。車の方に転がって来なかっただけよかったわ。なんで転がしていかなかったかなあ ←超問題発言

54年めと50年め

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1967年の5月30日、世界初のロータリーエンジン搭載市販車が誕生し、市場にはコスモスポーツの名前で登場しました。広島県のコルク栓製造業、東洋コルク商会(1920年)に端を発するマツダの傑作車です。松田重次郎という安芸郡の機械製造会社で働いていたエンジニアがスカウトされてから、削岩機製造を経て、オート3輪、そして4輪車に発展し現在に至ります。社名は後に東洋トルク工業、そして東洋工業、マツダへと変わりました。

マツダの自動車業界への功績は、昭和30年代のオートマチックトランスミッション(AT)開発と、ロータリーエンジン。ロータリーエンジンの市販化に成功したのは、4輪でマツダ、2輪でスズキの2社だけ。マツダは1960年頃に、ロータリーの生みの親、旧西ドイツのフェリック・バンケル博士と技術提携して7年後に、このエンジンを搭載する専用車としてコスモスポーツを誕生させました。

この車体が、54年経っても近未来的な雰囲気を保ち続けているのはすごいことだと感じます。我々の世代は「帰ってきたウルトラマン」のマットビハイクルに釘付けとなり、「ジャンボーグA」にも登場していた青いコスモスポーツにも注目しました。マットビハイクルが50年前の映像でありながら、今なお魅了されてしまう美しさが、半世紀前に生まれている。うちのクルマが幌車で30年めですが、あと20年現役でいられたら、そういう風に見てもらえるのかなあ。

縁は異なもの味なもの(恋愛ものじゃないですが)

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山形県河北町に220年を営む醸造業があって、この蔵元八代目にあたる和田多門さんが、どういうわけかうちの親父を「先生」と呼んでくださるのです。うちの親父は団体職員あがりなので教員でも政治家でもなく、そんなふうに呼ばれることは無いはずなのです。

親父の忌明けも済んだので、その報告と挨拶を兼ねて、和田酒造さんをお訪ねしまして、謎だと思っていた件についてお話を伺うことができました。

結論から言ってしまえば他愛もない話で、親父とその遊び仲間が以前、酒蔵見学にやってきて、造り酒屋の製造システムに組み込まれたボイラーや給湯に関しての技術論を説いたらしい。その道に関しては専門家でしたから、窯の時代から給湯器の近代にいたる歴史の貴重さを、親父は解説できたのだと思います。

けれども、そんな珍客に親愛をこめて先生などと呼んでくださった多門さんの人柄がありがたいことでした。

「うちのような小さな酒蔵は、地域の顧客に支えてもらって成り立つんですよ」と、多門さんは話してくれましたが、和田酒造の主たるブランドである『あら玉』(おめでたい、新年という意味)は、河北や山形の地域を超えて有名な銘柄になっています。そのひとつが親父の遊び仲間での話題で、それが昔の常磐線通勤の、帰宅列車内での酒盛りというかーなり不名誉な場で語られていたであろうことを想像すると気恥しいですが、縁というのは味なものとあらためて考えました。

美しい里は健在なり

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「森林の日」という記念日(本日)はなんとなく知っていましたが、それを推し進めた「美し村(うましさと)連邦」なる団体の存在は知りませんでした。1989年に、村名に「美」の文字がつく全国10村が「全国美しい村サミット」を開き、そこから10年かけて8村による連邦が成立したものの、平成の大合併で大半の村が消滅してしまい、2003年に解散していました。そのひとつが茨城県に所在した里美村で、現在は常陸太田市に里見区として編入されています。

山や川、森林など後世に残すべき自然の保護、過疎化や高齢化対策への取り組みはその2年後、北海道美瑛町で「日本で最も美しい村連合」が発足し、60を超える地方公共団体が加盟しているそうです。残念ながら常陸太田市は加盟していませんが、里見の山と森の美しさは今でも健在です。

観測史上二番目に早い梅雨入りへ

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1963年の梅雨入り(関東地方)は、驚異的な5月6日頃という早さだったそうで、その次に早かったのが2011年の5月27日頃。ことしは今日、明日あたりと言われているから、2番目の記録が更新されるようです。と思ったら今週はねばるらしい、雨降ってるじゃん。

あー、なんとか重い腰を上げて草刈した基地の敷地もこれでまた雑草に呑み込まれる季節です。

昔、メガトン怪獣が空から降ってきたとき、その事件が起こる前に東京は大雨に見舞われました。科学特捜隊のムラマツキャップは天気予報を見ずに出かけており、無線で本部を呼び出して傘を届けてくれと指示するのですが、この指示を受けたハヤタ隊員はよりにもよってジェットビートルで現場へ傘を運び、あろうことか上空から傘を投下するというとんでもない行動をとっていました。指示する方もされる方も問題ありすぎながら、なんともおおらかな時代でしたよ。

その手は食わんぞ

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そもそも注文してねーよ

しかしまあ、仕事場のセキュリティ、基地よりも低いぞ。

再び逢うまでの遠い約束

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親父の野辺送りのドタバタで棚上げしてしまったお話。

種山高原星座の森の「献立の少ない料理店」で厨房を切り盛りしていらした佐藤さんから、3月末に手紙をいただいていました。定年の日が来たので、2020年度いっぱいで退職するというお知らせと、沢山立ち寄っていただきありがとうございますとの御礼の言葉がしたためられていました。

いずれそうなるであろうことは、昨年お邪魔した時に聞かされてはいましたが、いざその日が来るとなると寂しい思いに駆られるのは、不謹慎を承知で言うなら親の葬儀よりも揺さぶられてしまいまして、返礼のために電話を差し上げたら(ケータイ番号を知っているところがさらに不良な俺)、変わらず元気な声でいらして談笑が叶いました。種山高原には、たぶん今後も立ち寄ることはあるだろうし、無くなっていなければ少ない献立から選ぶのはきっと「銀河鉄道の夜」でしょう。佐藤さん曰く、あれは誰でも同じ味で出せるから、とのことでしたが、一番大きなスパイスは佐藤さんご自身の人柄だったような気がします。

いま、厨房を任されている後任の人とも、同じように仲良しになれれば、ひょっとするとその大きなスパイスも継承されるのではないかと思い、いただいた手紙を執務机の引き出しにしまいかけ(彼女がなんで手紙を送れたかと言えば、東北時代に名刺をお渡ししてあったという二重三重に不良な俺)、やっぱり持って帰ろうと上着のポケットに収めておりましたが、再び逢えるまでって、どれだけ遠い約束になるのだろう・・・

母の日

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妻の母親が昨年の大晦日に亡くなり、僕ら夫婦にとって「母の日」は霰や霙が妻に対して、という構図に世代交代しました。僕のお袋は2014年に鬼籍入りしましたから、3月に野辺送りした親父、十三回忌も済んだ妻の父も含め、夫婦ともに両親のいなくなった親を敬う日になります。どれもこれも孝行したいとき親は無しというようなことはしてこなかったつもりなので、何も悔やむ話はありませんけど、親父は看取りましたが単身赴任の頃でお袋の死に目に逢えていないのが不公平。

お袋と写っている最後の写真が、奇しくも彼女が亡くなる一か月前の、母の日のものです。霰は新潟大在学で帰省しておらず、妻も仕事で不在、当時の親父は何処をほっつき歩いているのか不明で、霙と、僕の妹の吹雪とでお祝い食事に出かけたときに撮っていました。この日、彼女に軽い認知症が出ていることを気づかされたのはショックでしたが、先のことを考えているうちにさらに先に行かれてしまいました。

妻の両親とも、実家の仏壇に飾られている遺影は偶然にも僕が撮影した家族行事のときのもので、僕の両親も僕の撮った日常の写真から起こしました。はてさていずれの僕らの分は、今のうちに用意しといたほうがいいのかなあ。妻の写真ならいくらでもあるけれど、僕が写っているやつって無いんですよねえ。それはまだ気が早いとして、7年前の母の日に吹雪がこの写真を撮ってくれていたのは、今となってはありがたくも貴重なカットになっています。

 

 

くれ それをくれ

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移動先がいくつにもわたってちょっと忙しく、コンビニの駐車場で手短に昼飯を食っていると、それまで隣の軽トラの荷台の後ろの方に寝そべっていたこいつがこちらの窓近くまでやってきてじーっとアピールするんですが・・・

「俺が食ってるのはホットドッグだぞ」

こどもの日

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「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」

祝日法が示すこどもの日の、国民の祝日としての趣旨がこれなんですが、いやわかりますよ?言わんとしていることは。でもなんで「父母に」じゃねーんだ?

という疎外感を感じながら子の父になって早26年ですよ。でもまあいいや、まだ爺じゃないし。←いいのか?

それはさておき、周年でも何でもないんですが48年前の今日、「人造人間キカイダー」が最終回を迎えて、戦いを終えた人造人間のジローは何処かへ、精神力の鍛練を目的に旅に出ていきました。ドラマの上では3年後、01ことイチローの危機を救いに帰ってくるのですが、「ギターを持った渡り鳥」なんて映画を知らない子供の目にも、この後ろ姿の哀愁はかっこよかったのです。ヘルメット、衣装、ギター、サイドカーの配色の妙です。乗っているのがサイドカーという絵的なバランスも素晴らしい。