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  ~懲りない傾向~

笑顔の現場

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「初めての試みなんだけれど、観に来てくれる?」

トンネル工事の専門技術を持つ寿建設の森崎社長から連絡をいただき、福島市で開かれている写真展を訪ねました。トンネルや道路の傷んだ部分を補修したり、積雪時の除雪に機材を出したり、路傍の雑草を刈り取ったりという、人の目に触れない工事現場を主題に撮られた写真展です。

このような工事の仕事をインフラメンテナンスと呼ぶのですが、橋にしろトンネルにしろ、作られて何十年も経過するとぼろぼろになるわけで、これから先その件数はとんでもない数に跳ね上がっていくそうです。それがインフラクライシスの時代。誰かが修繕していかなければ、道も川も危険な存在になってしまうのです。

トンネルの内壁の「向こう側」って、地山との間にコンクリートを充填して固めていくのですが、古いトンネルほどアーチの上の方は充填しきれておらず、そこに地下水がたまって内壁から染み出し流れ出す。東北じゃ冬場はでかいつららができていたりします。こういうのは極めて危険な状況で、森崎社長のところでは地下水のたまっている部分を見つけ出し、小さな穴をあけて排水したのち再充填して補修する技術を持っています。

「この分野の仕事は何事かが起きてからでは意味を持ちません。何もなくて当たり前でなければいけない。でもね、劣化し壊れたものが自然に回復していくこともないんですよ。そういうことを広く知ってもらいたくて」

というのが森崎社長の思いです。

それらの現場を撮影したのは、ご自身も阪神・淡路大震災で被災した写真家の山崎エリナさん。彼女の友人が森崎社長の友人でもあったという縁で、この企画が実現したとか。約一年をかけて様々な現場が撮影されました。

山崎さんと少しの時間、対話ができました。

「はじめは工事の迫力や重機のごつさに圧倒されていたんですけど、そこで仕事をしている人たちがとても生き生きとしていて、笑顔がかっこいいんです。インフラのメンテナンスを撮らなくちゃいけなかったんですが、いつのまにか作業している人たちの表情ににじり寄ってしまいました」

建設の世界を撮るのは初めてだったそうですから、こんな機会はまたとないです。まだ各地に縁の下で支える現場の笑顔が沢山あります。

山崎さんの被写体ジャンルにぜひ加えていただきたいです。とお願いしちゃいましたが、よーく考えてみたら、こんな機会だったら「僕のクルマ、もうすぐ70万キロになるんですよ、撮ってくれませんか?」って言えばよかったんじゃないか?

写真展は31日までやってます。福島信用金庫本店の隣というか、後ろにある同信金相談センター内にギャラリーがあります。

今年は食うさ

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自分のブログに出てくるかき氷というキーワードを拾ってみたら、かき氷のことに触れてはいても、ほぼ食っていなくて、たぶんこれは食ったかなというのは2016年の「暑気払い」のときくらい。でもこのときにはスイカが切られているので、僕はきっとこちらにかぶりついていて、かき氷には手を出していないような気がします。

 

しかし今年はもうかじりつかずにはいられませんよ。天然氷がどうとか特製のシロップがこうとかいうブランド吟味も必要ないですよ。

かき氷の日(実は本日)というのがこの一両日話題になっていると思われますが、制定されたのは意外と最近のことです。その話はやはり2016年の「氷か風呂か」で触れています1930年代の山形県に限らず、当時の内陸に今年のような気圧配置が来ていれば、かなりの気温になったでしょう。40℃の世界となれば、人的被害も少なくなかったはずです。

その山形での日本最高気温記録にちなんだのがかき氷の日で、その後最高気温は他所で更新され、遂に一昨日、熊谷市で41.1℃という凄まじい塗り替えが行われてもなお、記念日としては固定されています。しかし今年の猛暑被害は気象庁が災害レベルとまで発言しましたから、かき氷の日を記念日として話題にするのはけしからぬとか言われてしまうかもしれません。

先日、BLUEらすかるのエアコンが故障した折には、久しぶりにロックアイスとクーラーバッグで飲料水を冷やしながら移動し、ロックアイスが融けきったら今度はヘッドレストと後頭部の間に挟んで頭を冷やし、最終的にはそれをボトルに移して飲み、余剰分のパックはあとでウインドウォッシャーの補給に回すなどをやりました。

こんな夏がずっと続くとして、いや、夏が続くのは個人的には好きなんだけれど、命に係わる気象という報道がなされていながら2年後のオリンピックに対しては、日中プログラムはせいぜい30分から1時間程度の開始時間繰り上げで凌げるという対応策。打ち水作戦なんてのもあるそうですが、どれほどの水をまけばいいのか想像できませんし、ゲリラ豪雨の存在などは忘れられた感があります。

ケムール人がやってきたとき日本人総出で熱中症にあえいでいたら、逆に侵略されずに済むかもしれませんが、国際大会の是非以前に気温と水と電気のことを考えておかないと危険じゃないのかなと感じます。ま、これで再来年が冷夏だったら杞憂に終わって良しなんですけど。

しかし現実的には再来年どころか今の暑さ対策だね。

「今年は誰も暑気払いやらないの?」などとうかつに話題にできない・・・

土用の丑の日ですが

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鰻より涼ってことで、マミポコさんに撮っていただいた風景

初代はやはり初代

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エスクードの方は四代目になってもエスクードの名を踏襲していますが、ウルトラマンで初代を名乗るのは1人だけ。ウルトラマンと云う「通り名」に本名をくっつけて(一部例外アリ)、次々と代替わりしてきました。

エスクードはたまに「ノマド」「S」「グランド」などと冠やサブネームもつきましたが、エースとかタロウとかまでの広がりはありません(エスクード・ルーブなんてピンとこないし)

両者を同じ土俵で語りようもありませんが、実は大きな違いが一つあって、何十人ものウルトラマンシリーズがいながらも「ウルトラマン」と示した場合、ほぼ100%、それを「初代」の姿としてイメージすることでしょう。

「エスクード」の場合はどうか。今尚初代のネームバリューは残っているとは思いますが、おそらくそれを所有する人たちによって二代目であり三代目であり四代目が台頭してくるのです。代が新しくなるほど、初代と接するケースは激減しますから、同時に印象も色あせているはず。そのうちこれなんという車?と尋ねられるのかもしれません。

まあそれでも初代は初代で揺るぎないんですけどね。エスクードでウルトラマンに挑むのはちょっと無謀か・・・

 

行ったかどうかは知らないが

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「お父さん、新潟までいちばん楽に行くとしたらどの道順がいい?」

という霰の問い合わせで、それなら終始二車線で走れる北関東・関越・北陸道まわりだろうなと教えたところ、行き先が五泉の方だというから、それだと常磐・磐越か、北関東・東北・磐越になるよと。

「いやー、高速は怖いんで下道にしたいなあ」

いやいやいや、なにを言っとるんだお前は。慣れていないところへ行くなら、むしろ高速道路の方が安全なのだ。首都高突っ切っていくわけじゃあるまいし・・・

「いや待て。いまどき五泉って、何しに行くのよ?」

と聞いたら、一昨年の民俗学の授業で現地調査に協力してもらった地域の各家庭に配布するための報告書が刷り上がったので、それを届ける行事で新潟大へ戻らねばならないのだとか。

「毎年の伝統行事で、三年のときに実働班だったところが当番になるんだよ。去年じゃなくてよかったよ。手分けして二百軒くらいあいさつ回りするから、佐渡に行くとなったら日帰りじゃ済まない」

はー、そんなアフターケアを抱えているとは。しかし研修期間が終わったばかりの勤め先が休みをくれるのか? 普通なら有給休暇をもらえるのは秋以降じゃないの?

「だからローテーションであてがわれている休日を使えるよう後輩たちに交渉するしかないの」

という対話は電話を介してだったので、実際にオジロを使って初遠出をしているのか、根性くじけて新幹線を使っているのかは定かではありません。なぜ根性くじける可能性があるかといえば、国道294号で会津若松まで行って49号に移行。という説明をしたので、単純に聞こえるこのルートを地図を見て、あちこち経由する都市の曲がり角関係でビビっているはずなので。

さてどっちに張ります?

僕はくじけた方に3000点 ←なんだその「点」てのは

化学反応

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沖縄からマミポコさんが来仙しているので、部下を伴って晩餐に出ます(といっても夕方からですよ)

両名を共通で知っているのは僕だけですが、この二人はなんとなく似ている。引き合わせると何が起こるか大いに興味があるのです。満月の晩だし、なんかあぶねーことしてるなあとも思わんでもないですが・・・

しかしなんだな、テロリストかゴルゴかってなエモノだよなこれ・・・

雷/THUNDER 

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930年6月26日、平安京は日照りにあえいでいたようで、公卿の面々は雨乞いでもせねばなりませぬなと段取りを話していたそうです。そんなところへ一転にわかに掻き曇り、雷鳴が轟き鋭い稲妻が清涼殿めがけて天と地を貫いたのであります。
この落雷によって大納言の藤原清貴と右中大弁平希世が即死したものだからさあ大変、雨乞いどころではなくなった清涼殿の面々は恐れおののき、これは太宰府で不名誉のまま死去した菅原道真の祟りだと言い出したのです。

菅原道真公は、醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けるという謀の嫌疑をかけられ、大宰員外帥に左遷されていますが、この嫌疑は道真の出世を疎んだ藤原時平の策略だと云われています。
この事件が発端となり、朝廷に祟りをなしたと見なされ、一転して天満天神として信仰の対象となり、学問の神にまで祭られていくのですが、祟りの根拠のひとつがほかならぬ雨乞いについての逸話で、左遷以前に畿内地方が大旱魃にみまわられた折、道真が祈雨祈願したところ、たちどころに雨が降るという霊験があったと。その数年後、讃岐の国で起きた大旱魃でも讃岐守に就いていた道真は祭文を読み上げ、雨に恵まれたという伝えがあります。
それだけに限らずまあいろいろと霊験に関する逸話の多い人だったようですから、あながち清涼殿への落雷が単なる自然現象ととして片づけられたかと言えば、当時の人々にはそうはいかない出来事だったのでしょう。

そのような故事から6月26日は「雷記念日」なのだそうですが、これが不思議なことに、いつ誰がそれを制定したのか調べているものの、よくわからないのです。記念日、とわざわざ言っちゃうくらいだから近代において電気やら気象やらにかかわる人々が決めたんだと思われますが、これだという資料と巡り合えません。それもまた道真さんの霊験?

焚火場の初夏

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ここ数年の焚火イベントの周辺に咲いている紫陽花は、ことしは僕好みの青になっています。

青いんだから土壌は酸性化しているわけですが、焚火で残った灰の多くは枯れ木や薪を燃やしたものだから、アルカリ性の土壌になっていると思ってたんだけどねえ。

白夜の如く

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普通ならば日の出が早く昼の最も長い日と呼ばれる夏至ですが、ここ数日夜明け前に走り出して現地へ向かい日暮れの後に作戦室に戻るという行程が多いので、なんだか年がら年中夏至か白夜かという生活パターン。しかし当然のことですけど仙台なんて北緯39度をちょっと越えた程度の街ですから、夜になれば当たり前に暗くなります。

 

これが北緯66度より北だったら、今頃は白夜の季節。禿山の一夜のような精霊のざわめきを経て、週末には聖ヨハネの西端に基づく夏至祭がやってきます。

日本では伊勢市の二見興玉神社で夫婦岩をめぐる夏至祭が行われていますが、北欧あたりだと縁結び的な迷信や信仰はもっと庶民的に拡散していて、それはもう精霊の力が高まってますからアレをこうすると将来の伴侶を見ることができるとか、それをああすると未来の伴侶に出会えるとか、そういうのが各地にあるようです。

その辺のエポックが日本に乗り込んできていないのは意外といえば意外ですが、北欧のような短くも最適に過ごしやすい季節を活かし子供の夏休みや夏至祭休暇をる土地風土でないから、これらが土着しないのも仕方がない。

それだけの高緯度地域となると、夏至の頃早々とミッドサマーとも呼んでしまうところが、夏が短く貴重なのだとも感じさせられます。北欧でも最も気温が高くなるのは7月のようですが、夏至の頃というのは民俗的にも宗教的にもひとまとめにしてしまえという凝縮感があります。まあ日本でも企業団体組織は総会やら役員改選やらで右往左往してはいますが、賑わいの本質が違うというか、白夜もないのと同時に6月は祝祭日も無いんだよなあ。

 

境界線の風景

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岩手の沿岸で復興を見守る彼

ニュース番組を見ていて、視聴者撮影映像の増殖に違和感を覚えるのは、僕がそういう時代に馴染まない古い人間になってきたからなのだと思います。

「お客はね、おあいそ、なんていうこっちの世界の言葉を使うもんじゃない」

こういう作法で社会勉強してきたから、と言えば分りやすいかもしれません。

多角的に情報を伝えたいが報道クルーの数では手が足りない。昨今誰もが撮影ツールを手軽に所有している。それが動画サイトや個人のSNSなどにすぐアップロードされる。

しかしそこには禁じ手の意識も必要ではないのかと。一般市民が好奇心で携帯端末の撮影装備を事件・事故・災害に向けたとしても、それが好奇心でなかったとしても、歯止めが効かないとしてもです、マスメディアがそれに頼ってはいけないのではないか。

視点をがらっと変えて、ふとイメージするのは、報道の世界の働き方改革だとか担い手確保といった就労環境の行き詰まりが、こういう状況を生み出しているのかなあということです。

これはSF的与太話ですが、それならいっそ報道部から事件・事故・災害担当記者とカメラクルーをすべて排除してしまって、ニュース番組は全部視聴者投稿で作ってしまえば・・・人件費がかなり浮くぞ。

・・・いやいやいや、それはそれで恐ろしい世の中になりそうだからやめときましょう。だから、マスメディアには、市民投稿なんてものはモフモフしてたりほっこりするようなジャンルだけにとどめておいてほしいと思うのです。