Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

どうかお気をつけて・・・

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神戸の人々から宮城がいただいたひまわり

外房沖の地底の動きが気味悪いなと思っていた矢先に大阪での大地震。日常、防災や注意警戒と意識していても、それが来るときは防ぐことができません。

そして東北でも熊本でも、最初に来た地震が本震ではなかったという危険をはらんだ時間帯に、近畿地方はまだあります。どうか事後の混乱が最小限にとどまりますよう、今は祈念することしか一個人にはできません。

とは言いながらも、大阪の友人とはコンタクトできており、必要なものが出てきたときにはなんなりと連絡して、とのネットワークは作っています。どうやって短期間で送り届けるかの限界もあるのですが。

先だって、宮城沖地震、中越地震、岩手宮城内陸地震、東日本大震災、熊本地震とよくまあそれだけ当たったものだという国の災害査定経験者の人と対話していて、身につまされたことがひとつ。

「私の立場で公にはこういうことは言えないのですが、発災のとき、災害対策マニュアルというものは役に立ちません。ただしその場に、過去の災害を経験した人がいるかいないかで、マニュアルの効力は変わっていくんです」

実に切ない話ですが、そうなんだろうなと思わされましたし、マニュアルも何も持たずに仙台に来て間もなく東日本大震災を食らった自分を振り返ると、安否の分け目というタイミングは運だったとはいえ、確かに経験しないとわからないことばかりでした。

個人単位で情報端末が使える時代、その情報が膨らみすぎて判断を鈍らせることもあるし、要らぬ声を発する場面もずいぶんありました。被災地の方々にはくれぐれも、惑わさせない情報と声を伝えなくてはと痛感します。

本震かもしれない余震にお気をつけて。悪化している天候にもご注意ください。

 

一個は通常の四倍の質量です!

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二十代の頃だったら手に取っていたでしょうが、もはや無理。

というわけで捨て台詞。

食わなければどうということはない!

4人で予約ならかなり割安

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あの(あの・・・って何だよ)JACが今週末から月末までの毎週末、蔵王工場隣接のJAC’Sヴィレッジにて感謝祭「味祭(あじさい)」を開催するそうです。

広報部長のOカダさんによると、お一人様来場の場合ビュッフェスタイルのステーキ食べ放題1980円が、レストランコンテッラに予約電話を入れると1280円に値下げ。さらにこの予約を4人一組で申し込むと、1人あたり980円にサービスするとのことです。

めんどくさいから詳細はJACのサイトに・・・と思ったらチラシをフェイスブックに揚げているだけだったよ。

場所が宮城県蔵王町で東北道村田インターまで走らねばなりませんが、費用対効果というか距離度外視で食う!という方はどうぞ。予約は入れた方が吉です。

しかし今週末は仕事、来週末は医者だし、再来週の土曜は宮古と、俺行けるとすれば7月1日の最終日だけだなあ。

このタイミングでは4名チーム編成も間に合わないだろうし、それよりなにより医者にかかっている身でステーキの食い放題なんかやっちゃって大丈夫なのか?という問題おおいにかかえてますが、7月1日は仙台にいますから、蔵王までこられる人がいらしたら早めにご連絡ください。

ただし、最終日に肉が品切れ・・・なんてことになったとしても保証の限りではないです(まさかそんなことはないだろうけど)

 

輝く海を♪

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生まれてこのかた、母親のサニー二代以外はエスクードにしか乗せられてこなかったうえ、記憶に残るような乗せられ方、つまり遠出や旅行はすべてエスクードという育てられ方をすると、やはりどこかに車高の高い角ばった形こそが自動車のスタンダードだと刷り込まれてしまうのです。

これは親を選べない子供にとっては幸せなことではないのかもしれません。

霙の場合、それともうひとつ、

「叩くとブリキの音がするような車っていいなあと思う」

これはよくわかりませんが、たぶん古い世代のクルマの見え方なのだろうと解釈すると、合点がいくでしょう。

そんな視点から、今はエスクードを運転してくれていても、親離れの感覚や感情が現れているということは歓迎すべきことです。だから、乗りたい車の目標もぶれていないみたいです。

そんな雌伏のような道を見せつけられると、親としてはどうにかしてやりたいけれど、どうすりゃいいんだろうねえ。幌車の処遇が葛藤の種になりそうです。

眩しい空を♪

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変形です。ワンボタンで屋根が格納でき展開する優れもの。

ベースはマーチです。エンジンは1600!

年式だってまだ10年程度遡るだけ。50000キロしか走ってない。

要するにどれをとってもフィガロのそれを高いレベルで満たしている。

実際にステアリングを握らせ走らせましたよ。

日頃使っているエスクードコンバーチブルよりも、運動性が良く、しかも想像以上に小回りも利く。ついでに言えば相場がフィガロの半額。

もうね、これでいいんじゃないの?

 

「良いものだってことはわかります。でも軽快さが伝わってこないんですよ」

 

バッサリと切りつけられました。優しい口調でも怒ってます。

 

「動きは鈍いけど、幌車の方がずっと軽やか感ありますよ」

 

なんかさー、それ喜んでいいのか泣くべきなのかって評価だよなあ。と、わざわざc+cを持ってきてくれた義弟の計らいは打ち砕かれたのであります。

ふとよぎった与太なこと

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登場当時、1500のセダンをちょっと借りて乗ってみたことがあるくらいでしたが、セダン至上主義の妻には良かれと推薦してみたものの、ヘッドライトとテールランプの形状で候補から落とされてしまいました。

で、このSX4って、ユーザー間ではこんな与太話ってあったのだろうかと、ふと余計なことを思いついたのですが・・・

歴代モデル(なんてものがこの型式以前にあるはずはないのだけれど)という線で、SX(左上)、SX2(右上)、SX3(下)というのが、無理くり関連付けして語られたことってあるんでしょうかね。

実車はここからガルーダにもメカゴジラにもモゲラにも行かず、S‐CROSSに進化し4代目エスクードに派生しております。

背に腹は代えられぬ ←引用が違うよな

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医者にかかったあと、もう腹減りで痛いどころじゃないのよ(なんだその自己中心的心理は)と、妻の運転でなじみの蕎麦屋までひとっ走りしてもらいました。

あぁ、これまで、うちのれいんさんについて、家内、と書いてきたのですが「奥さんは仕事もしてるでしょ? 家内、というのは専業主婦の昔の呼び方であって、昨今は専業主婦だとしてもそういう呼び方しちゃいけません」と、整形外科のドクターに教えられました。

背中も口内もまあ痛いっちゃ痛いんですが、痛み止めが効いているうちに食ってしまえば(普通、食後に服用するもんだろうに)と病院を出るときに薬を飲んでしまい、というくらい、日曜の午後から何も食ってません。そういう状態で天ぷらとか蕎麦とかが胃袋に良いのかどうか、妻の心配はありがたいけれどこの際無視です。

で、空腹に任せて食ってしまったので蕎麦の写真は昔のもの。一か所だけ今と異なるところがあります。と書いてもわかる人いないよきっと・・・

蕎麦屋を出たところへちょうど、一方通行の路地に白いエスクードが入って来るのが見えました。

お、あれはひょっとすると喫茶店の店員さんのTD51W? と思ったらやっぱり喫茶店のある敷地に曲がっていったので、コーヒー飲もうと寄り道をお願いするわけです。もっとも寄り道もなにも、BLUEらすかるを置いてあるのがその喫茶店前の駐車場なのです。

店員さんにエスクードのことを尋ねると、22年間ずっと乗り続けていらっしゃるそうで、初代の最終型で、もうこの形のエスクードは手に入らないからと、手入れをしながら17万キロだとか。ご主人もハイラックスサーフを所有しているけれど、出かける際はもっぱらエスクードに乗って行ってしまうと笑って話してくれました。医者に行っていてこれだけ道草しているのだから、帰宅後ぐだぐだで寝込むのは自業自得の結果論ですが、充電するには良い機会でした。

 

急性背部痛 人呼んで「ぎっくり背中」

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週末の天狗の森に出かけた人はお判りなのですが、僕は背部から腰部にかけての激痛に苛まれて、まともな幹事仕事もできない状態でした。

ロッジを開けるところまでは何事もなかったんですよ。暑くもなく寒くもなくて陽気には恵まれたねえ、などと言いながら、SIDEKICKさんとM‐レイドの審査用ボードを作っていたんですが、体をひねって物をとろうとしたら、不意に針を突き立てられるような痛み。

もう身動き取れず、基地にいる霙に鎮痛剤と湿布薬を持ってきてもらって、一旦はテーブルに這いつくばって動いて椅子に座ったものの邪魔になるから布団を出してもらって、唸る呻くの土曜日でした。症状はどんどん重くなり、口内炎にまで広がる始末。週開け、医者にかかったら腰ではなくて、「はいこれ『ぎっくり背中』ですね」の診断。なんだそのてきとーな病名は?と言いかけたら疾患名ではないそうで、正式な名称が無いと。でもカルテには急性背部痛と書くのだそうです。

このため日曜日のイベントも立ち仕事は不可能で失礼をしたのですが、何が残念かって、せっかく作ったカリオストロ風ミートボールパスタが食えなかったことです。それでも、ジェット機だって12時間もあれば直るってんで、歯を食いしばって翌朝まで耐えたところ、身動き取れない状態からは脱することができました。いやその減量しろってのはよくわかってるんですが、今回のは毎夜のweb作業のストレスが原因のようです。

だけどそんなの好きでやってるんだから名誉の負傷にもなりゃしません。さらにこういうときに限って和邇さんまでもが左足の負傷だとか、青影さんがエスクードのブレーキ故障で動けないとか、はまたにさんが移動中にスクーターの駆動ベルト切れで立ち往生とか、久米島で別動隊取材中のマミポコさんが謎の発熱だとか、なにそれクルマの厄年って30歳なの?と言いたいくらい脂汗のバックヤードでした。

 

まあでも、病院の帰り道にあまりにも腹が減って蕎麦食ったりコーヒー飲みに寄り道したりもしてました(で、帰宅してまた寝込むという)

楽園の向こう側

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五月病にかかる余裕もない日々が続くというのはありがたいことなのか、真っ黒な世界なのかようわかりませんが、エアポケットのように何も予定のない週末を送ることとなり、ぶらりと十代の頃の楽園に出かけました。

ま、のーんびりに聞こえましょうが、金曜日は秋田県の横手市から山形・福島経由で走り抜け帰宅というやれやれな週の終わりだったんですけどね。

高校生の頃から通っている蕎麦屋に行こうか、もう一軒の天ぷら屋に行こうか思案の末、道路を渡る際に偶数で行けたら蕎麦屋、奇数だったら天ぷら屋と決めて歩いた結果、「吾妻庵」ではなく「ほたて」の暖簾をくぐることに。脳内では天ざるだったんですが、天ぷら定食を注文するわけです。

どちらの店も創業百年を越える老舗ですが、双方、僕を連れて行ったのは祖父でした。

それを思い返すと、既に五十年前になる。街の歴史の本に出てくる店だと認識していたのに、自分自身が歴史の中に埋没していますよ。こればかりは逃れられない現実。だけど「とても素晴らしいが何処にもない場所」という理想郷だとかアルカディアだとか、どう考えても非人間的な支配社会のようなユートピアとは違って、楽園と呼べる街はうらぶれようともちゃんとあるのです。湖畔はいわば楽園の向こう側なのですが、そこからの夕景にも、街は横たわっています。

売られたケンカは教えてあげるべきか(べきだな)

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ハスラーがバカ売れするわけですよ。四駆の形してりゃいいんでしょうね。

という無邪気なつぶやき、つい目に触れてしまいました。

新帝国ワニとHUSKYが双方見つけなきゃいいけど・・・

まあ見つけちゃうだろうよな。