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  ~懲りない傾向~

続 特撮還暦時代

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レギオン円谷英二さんのゴジラから60年だから還暦などと揶揄した前項でしたが、その60年間ただ歳を経たわけではなく、何人もの特撮監督・特技監督が輩出されています。その第2世代の代表格にあたると、樋口真嗣さんを指して言えるかもしれません。「ガメラ 大怪獣空中決戦」に続く「ガメラ2 レギオン襲来」「ガメラ3 邪神覚醒」(本編監督は金子修介さん)で独特の視覚効果を仕上げ、伝統的ながら新しい感覚の画を作り上げています。そのひとつが、オープンセットでヒトの視点で巨大生物を「見ている」アングルの効果などがありますが、印象的なのはゴジラでも平成ガメラでも夜間戦闘はあるものの、ガメラ側の昼間の空を見上げるシーンです。

樋口さんはゴジラが復活した84年に「八岐之大蛇の逆襲」という特撮の撮影でこの手法を取り入れており、オープンセットとミニチェアを駆使した特撮技術を受け継いでいます。平成のガメラシリーズは、その自主制作映像から約10年を経て世に送り出された商業ベースの怪獣ジャンルとなります。

衛星放送では本日、もう邪神覚醒が放送されちゃうのですが、ようやく録画したレギオン襲来を回収してきて10何年ぶりで観ることができ、絵空事とはいえ仙台市が爆発消滅してしまう場面を仙台で観てしまう不謹慎なんだか臨場感なんだかよくわからない感慨に浸るのでした。うーむ、仙台駅前まで出かけて、爆発に巻き込まれて消し炭になったガメラを見上げてしまいそうです。きっと邪神覚醒を観て、決戦地になった京都駅に行きたくなる以上のインパクトでしょう。

平成ガメラシリーズのこの三部作は、昭和時代のそれと比べて異なるガメラ像を作り上げ、当時として「今風のSFタッチ」な出来栄えとなりました。子供を救うという本能行動はそのまま踏襲されていますが、平成のガメラは解釈によっては、地球という生態系の存続を護る自意識を有していて、その活動の妨げになるなら街でもなんでもぶっ壊してしまいます。が、レギオン襲来は視覚効果で怖さを演出していても、おそらく子供が観てもさほど怖くない映像に見えるのは、空が明るいからなのかと感じます。最終決戦は深夜となっていますが、これとて決着がつくと夜明けがやってくる。今作から「前足をひれ状に変形して安定翼とする」新しい飛行形態で空に飛び去るガメラを、自衛隊員たちが敬礼で見送るというシーンも印象的です。

子供のころに観てきた昭和のガメラは、こうしたオープンセットは技術的に少なく、スタジオ撮影が主であったと思われ、夜間戦が多かった。ギャオスにせよバルゴンにせよ、初期の対戦相手は夜行性でもあり、けっこう怖かったのです。しかしガメラは、ゴジラに対して「子供のための怪獣映画」として産み落とされたもの。あの頃の大人は、子供を怖がらせたくて怪獣のリアリティを突き詰めたのかなと、怪獣よりも「怪獣のいる世界」にリアリティを持たせようとする平成シリーズを観ながら考えるのです。

樋口さんをはじめ、新しいゼネレーションの特撮監督は、僕とほぼ同じ頃にゴジラやガメラを見て育った世代だけに、似たような思い入れからガメラ像と世界観を画にしているのかもしれません。

 

 

特撮還暦時代

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gameraハリウッド版ゴジラをいやがうえにもヒットさせたいのか、あんなもん作られちゃったけれど元祖は日本だと言いたいのか、地上波でも衛星放送でも、特撮技術の、というよりもう露骨にゴジラを軸とした円谷英二さんを素材とする我が国の特撮映画製作秘話的な番組が目立ちました。それとは無関係と思いますが、ウルトラに関する展示会も全国各所で展開され、すごいなーと思っていたら、実はゴジラ生誕六十周年というのは、そのまま日本の特撮の還暦にもオーバーラップすると感るのでした。しかしそれは、たまたま円谷さんがゴジラの特撮パートを手掛けたことに双方の原点があるだけのことで、円谷さんは戦時中から特撮映像を撮影しています。

今作のゴジラを観に行っている余裕がないので、ゴジラ批判・・・あわわ、批評をできる立場にはないけれど、今作、映像はすごく手間がかかっているのに腰をあげたい気持ちにならないのは、やっぱり欧米的なゴジラの解釈が見え隠れしていたり、前作のでっかいトカゲよりはましだとはいえ、造形的なセンスには溝があったりのことが作用しているし、元々のゴジラの成り立ちを知らないはずのない渡辺謙さんに「不動明王」だとか「守護神」だとか言ってほしくない思いがあるのです。

そんな折、7月には盛大にゴジラ代表作を放送していたNHKBSが、突如平成ガメラシリーズを週一回放送枠に乗っけてきたので、基地の録画プログラムに組み込んできました。

「ガメラ 大怪獣空中決戦」は、事実上、昔の「ガメラ対ギャオス」をリメイクしながら、このシリーズの口火を切りジャブを打ち込んだ映画ですが、個人的には「対ギャオス」の方に軍配をあげながらも、続く2作品全体を通して観たときに、奥行きと面白みが出てくるのです。奇しくも今作ゴジラが、いきなり怪獣対怪獣をやらかしてくれて、その記号に空飛ぶ敵を扱ってしまったがために、どうしてもガメラ映画の記号を感じ取ってしまうのです。

平成ガメラにもCGエフェクトは多用されていますが、それ以上にオープンセットで視覚的効果をもたらそうとする「特撮」に力を入れているところが好きなのです。場面によってはかなりチープなんですが、それがまたいい。それでも時代の流れはCG全盛の特撮世界ですから、オープンセットと着ぐるみの巨大戦はウルトラのちょっとだけと、戦隊ロボくらいにしか残されていない。

それにしても「ガメラ 大怪獣空中決戦」もまた、ゴジラへのオマージュをふんだんに取り入れていて、みんな54年のあの映画に感化されてそれぞれの立ち位置まで来たんだなあと思わされます。

というわけで、今日は「ガメラ2 レギオン襲来」の放送なんだけれど、ライブでは観られないのが無念です。

未だ見ぬ技術

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01rallybサイバーフォーミュラ世界選手権は2014年現在、ブラジル国籍ドライバーピタリア・ロペがポイントリーダーに君臨しており、年間タイトルも彼のエルコンドルB-14が獲得しています。日本の新鋭チーム・スゴウアスラーダはマシン開発を終えておらず、翌年の第10回グランプリに参戦しますが、マシンと人工知能・サイバーシステムが完全に合致していませんでした。サイバーシステムとの完璧なリンクを果たす車体、スーパーアスラーダ01は2015年シーズン後半に登場し年間タイトルを得るものの、完成形ではなく「完全な」という意味でのスーパーアスラーダ01はこの半シーズンしか運用されなかった希少なマシンなのです。

01はロールアウト仕様と軽量化新素材シャーシの01Bにのみ、多段変形システムが用いられており、基本形態のサーキットモードをベースに高速ブースト体勢をとるエアロモード、オフロード用のラリーモードへと、走行中に油圧制御で変形することが可能です。その中でもラリーモードはフロントフェンダーの組換えからドライビングランプの引き出し、車高を上げるなど実に大掛かりな変形を果たします。

01rallyところが、サイバーフォーミュラのレギュレーション自体が2016年シーズンから改定され、それまで年間何戦か用意されていたオフロードコースでの競技が廃止されてしまうのです。このため、スーパーアスラーダの第3スペックとなるSA01-Cからはラリーモードがオミットされ、変形機構の簡素化と更なる軽量化が図られています。思わず「選手権自体からオフロードレースを廃止するなんて!」と直訴したくなっちゃう話ですが、その観点から評価すれば、エンジンスペックに脆弱さを抱えていたとはいえ、初期のスーパーアスラーダこそが技術の集大成ではなかったかと言いたいのであります。

番組の放送当時、玩具の売れ行き不振でスポンサーも降板してしまったそうですが、販売されていたスーパーアスラーダの玩具はパーツの組換えで3形態を再現できました。が、まあ趣味的にこのマシン以前のアスラーダGSXに傾倒していたため、つい購入を怠ったのが運のツキで、長いことまるぼしの玩具になってしまったのです。

するとどうしたことか、ことしになって01の変形可能なミニチェアがリリースされたではありませんか。と、それもあとになって気がついたために、発注をかけようとしたらどこを探しても在庫切れ。あー、やっぱりスーパーアスラーダとは縁がないんだと思っていたら、「ラリーモード単形態」でのリリースが行われるという不思議が発生。

なんですか、つまり初期に発売された01は、パーツ差し替えを行わないためエアロにはできてもラリーにはできないと。うーん・・・なんだか悲喜こもごも。でもまあいいか、オフロード仕様の01を手にできたのだし。そのうち完全変形技術も実現させてくれるかもしれないし。

そのうそほんと?

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alto劇場では熱海の怪獣騒ぎにはオチがついている時期に、ようやく第三章を観ているのは情けない話です。そろそろ屋外でのデッキアップにも飽きてきたぞと思っていたら、後藤田隊長のミニパトがどっかで見たことのあるクルマを使っているんだというところに今さら気がつきました。

いやこれは地味ながらちょっとした快挙かもしれない。けれども品川ナンバーのこのミニパトもまた、前任の後藤隊長が使っていた別メーカーのミニパトと同じ510という数字です。単に同じ車種をそろえられなかっただけ?

そのあたりはそのあたりとして、エピソード4の舞台となる、Max Weberなるふざけた名前のコンビニエンスストア内に飾られているロボットアニメの実写化キャンペーンという宣伝が、これもすでにインターネット上の話題になってしまっていますが、個人的にはツボでした。

reideen制作会社が同じとはいえ、よく今頃こんなモノを持ち出してきたなあと感心しちゃってまして、それというのもこの第三章のソフトを買いに行った折、家内と話をしていて

REIDEENのソフトって、さすがに6年も7年も経ってるんでどこにも置いていないんだよな」

「中古屋さんは?」

「出てこないねえ」

などというとりとめもない話題に載っていたのです。それで帰宅して再生したら飛び込んでくるこの背景ですから、やられたんだかやってくれたんだか。

reideen勇者、とも超者とも異なるこのREIDEENは、後半でいくらかぐだぐだにはなりましたが、序盤から走り出しの雰囲気と、それほど緻密ではないCGながらその使い方がユニークで、REIDEENそのものにも独特の味がありました。

うむうむ、実写化するならいいぞ、それ。

 

 

真夏の夜の悪夢

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ガヴァドンA帰省しているのに徹夜仕事をしながら、作戦室から持ち帰ったカートリッジHDDに録りだめしていた番組を適当に観ていたら(そんなことしてたら仕事になんねーよ)、「新ウルトラマン列伝」で、ウルトラマンの「恐怖の宇宙線」が出てきました。

子供が土管に描いた落書きの怪獣が、宇宙線と太陽光線の影響で三次元化してしまうお話として有名です。しかもストーリー上落書きが書き加えられて怪獣自体のデザインも変わり、ろくすっぽ暴れまわりもしないのに二大怪獣登場という、今思えば贅沢なつくりのエピソードでした。

この怪獣が、前半のものをガヴァドンA、後半のものをガヴァドンBと呼びならわすのですが、ガヴァドンAの造形だとか、ぷるぷると身体を震わせながら這い回る動きだとかを見ているうちに、

ふなっしー「なんかさー、似てないかこれ?」

と思い込んでしまったのが運のツキ。もういけません、両者の姿がオーバーラップしたまま脳内で跳ね回るのです。

いや、こういう挿絵じゃわかりませんけどね、放送話を観ていただければきっとそんな気になりますから。

condition green

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Sこの発想は無かったが、夜が明けたら決勝発走です。公式予選結果は19位(ゼッケンが98というのはやっぱりお約束なのね)

耐久レースの流れよりも、ピットクルーの様子がとっても気になる。全員白ツナギの作業服で軍手に帽子だったら、鈴鹿に出かけなかったことを後悔しそうです。

本家の番組も、これで一本撮ればいいのに。

 

まぬけ時空 発生・・・?

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とりあえず関係ないです てけてんてんてれつくてんて・・・

などとやってる場合ではなかったらしいですが。

 

こっちは成果品の方が怖いほどすごい

そういえばなんだが

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koudaいつのまにやら浦島太郎状態で、映画化される「海街diary」の配役も決まったとか。そのキャスティングはもう趣味的にはとほほな顔ぶれです。役者優先の世の中ですから致し方ありません。幸田姉妹くらい全員オーディションで、無名の人から抜擢したらよかったのに。

決まってしまったものは仕方がない。それらしい役作りに励んでいただきたいです。

ウルトラ作戦第一号の日

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m78先日、ウルトラマンの日をどうにもお茶を濁す形で扱ってしまったので、やり直し。

7月10日がその日に充てられているのに、放送開始日の17日はほとんど話題にならないのが不憫であります。10日はウルトラマン前夜祭という形で、公会堂で開かれたお披露目イベントが生中継され、事実上ウルトラマンがブラウン管(そういう時代なんだもん)に姿を現したことで、ウルトラマンの日という栄誉を与えられています。聞けばこの日は、戸籍上の円谷英二さんの誕生日でもあるそうで、諸々妥当だよねという記念日として、逸話自体は有名なもののようです。

なぜそのようなことになったのかも有名なエピソードで、前番組であるウルトラQの最終回が放送中止の憂き目にあうことが事前にわかり、ウルトラマンの放映第1話「ウルトラ作戦第一号」は、予定通り17日で待機し、円谷プロとTBSとで苦肉の穴埋めをするため、お披露目イベントを企画するに至ったそうです。

しかしこの第1話も撮影順で行くと2番目あたりの話数で、撮影初弾は第2話として放映されている「侵略者を撃て」。そのような入れ替えは珍しいことではないのですが、ウルトラマンの黎明期はごちゃごちゃとした喧騒の中にあったようです。

それを言い出すと、ウルトラマンの初稿での名前がベムラーで、これは決定稿時点で第1話に登場する怪獣の名前に変更されたことも因果な話題です。そしてこのM78星雲宇宙人は、科学特捜隊のハヤタ隊員によって初めてウルトラマンと名付けられるのです。それが1966年の7月17日の出来事でした。

・・・あっ、ウルトラマンというネーミングは10日のイベント時点で明らかになってしまっているという突っ込みはこの際不許可です。それよりも、後に初代ウルトラマンと呼ばれるようになった彼ですが、もうすぐ生誕半世紀となるにもかかわらず、彼の本名がいまだ謎のまま。ウルトラセブンもそうなんですけど、いずれそこにも企画の手が伸びていくのでしょうかね。

切ない大団円

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風の抱擁2011年から連載されてきた「風の抱擁」も6月末に完結し、先ごろ単行本の最終巻がリリースされました。宇宙最大級であると同時に実にささやかなラブストーリーは、哀しくもやさしい結末を迎えました。

聖悠紀さんは確か、70年代の終わりに事実上の商業誌連載を始めた頃、「描いてみたい物語は、超人ロックの失恋」とインタビューで語っていたことがあります。今回のエピソードは、何十年越しの念願を果たした物語だと思われます。ただ、失恋に近いエピソードならば74年に発表している「コズミックゲーム」があり、全く描かれていないわけではありません。

「コズミックゲーム」におけるロックは少年で、年上の女性に抱いた憧れと恋心が、星間戦争を介したヒロインの死(の確定)によって打ち砕かれるものでした。ロックは子供の姿でありながら、ヒロインを助けるべく恒星間テレポートをやってのけるという、まさしく超人ぶりを発揮するも、あこがれの人は守ることができなかった。

彼はそういう経験を何度となく繰り返し、『星よりも永い命』を過ごしているわけで、たとえ平穏な時代であっても伴侶と共に老いて天寿を全うすることができない。「風の抱擁」のロックは青年の姿であり、その苦汁や悲哀を知り尽くしながらもヒロインに惹かれていくのです。

今回のヒロインであるミラ・ファニールは、「カデット」「星辰の門」「久遠の瞳」に続く登場でした。「久遠の瞳」は、超人ロックの黎明期のエピソードである「ジュナンの子」をリメイクしたもので、フィーチャーされた世界観の中から新たに生み出されたヒロインということとなり、超人ロックという漫画の44年め(風の抱擁の連載開始年)にして超能力やSFのジャンルを凌駕する奥行きを表現しました。

好みは人によりけりでしょうが、「コズミックゲーム」のリアンナと並んで歴代ヒロインの1、2位を競う存在になったのではないかと思います。少なくとも今回の連載だけで単行本7冊というのは1エピソードとして最長。4つのエピソードにまたがるヒロインというだけでも(そういうキャラクターは他にもいますが)力の入れようが感じられます。

この手のエピソードを描いちゃうと、このあとどうするんだろうってところも心配ですが、まだやっていないとはいえロックの誕生編、なんていうのには手を出さず、どんどんセンスオブワンダーな世界を構築していってほしいです。