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  ~懲りない傾向~

見た目とロケーションだけ

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匙と言いきってしまっては失礼かもしれませんが、そういう映画でしかなかったのが感想です。「魔女の宅急便」以上に、誰に対して見せたいのだろう?と思ってしまうし、「宇宙兄弟」以上に人気が出たら続きを作るぜ的な構成の変え方が鼻につきます。見た目とロケーションだけと言っても、じゃあ似ている雰囲気の役者を際立たせているわけでもなく、風景を見ているだけでもこれはいいねというほどの画が撮れているわけでもない。酪農と畜産の大変さを描く上で、屠畜の場面ばかりリアリティを追求すればいいわけではないでしょうに、あらゆる部分でアニメーションでやっている番組の方が格段上です。ただ、駒場一郎の子は原作より線が細いながら、よく頑張ってます。

「マンガは面白かったのに映画はイマイチだね。と言われるのはマンガと映画、どちらにとっても良くないので」云々と、監督の人が語っていますが、まさしくその通りの評です。材料を用意するだけ用意できていながら、作り手の方がそれをまったく活かせていません。

 

未だ見ぬ未来

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99一昨年の4月に放送開始されたときは朝の番組でした。これが土曜日の夕方枠に移籍されたのは、好評を得たからでしょう。果たしてその通りで当初50話の編成が99話にまで引き伸ばされたのですから、「宇宙兄弟」は変身も合体も呪文も唱えず実直に突き進むことができたと言えるでしょう。途中、原作に追いつかないように意図したスロー展開も目立ちましたが、かなり丁寧に作り込んでもいました。それにも増して、失礼ながら原作者の小山宙哉さんの作風って、ある意味癖のある絵なので、視聴者の好き嫌いもはっきりしたことでしょう。連載開始の頃、珍しく週間単位で読んでいたのです。そのときも「これを単行本で追いかけるか否か」という逡巡を巡らせました。

それでもおととい、最新刊を買い求めていますから、僕はこのマンガと番組のファンです。原作にいよいよ追いついてしまっての、成功裡の最終話(本日放送)ですから、番組も頑張ってきました。日本のテレビアニメのすべてがそうだとは言いませんが、どうも僕は正義と悪、あるいはイデオロギーの衝突にすり替えた侵略と抵抗、必殺技と超兵器に浸りすぎて大人になってしまった。そういうものの噛み込む余地のないドラマを展開させる宇宙兄弟は、ほっとさせてくれると同時に、割と近い未来にちょっとだけでも期待したいと思わせてくれます。南波六太は霰より少し歳上で、日々人は霙よりちょっと歳上。そういう世代の主人公たちなのです。月へ行った弟を追いかけている兄は、火星を目指すと大言壮語を吐いた子供の頃の夢を果たすのかどうか、今後は原作の成り行きを見守っていきます。

まさしく過去の栄光

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sigeo個性的な初代、凡庸な二代目、無能な三代目・・・って、おい、エスクードユーザーにケンカ売ってんのかシバシゲオ!(笑 第2小隊のことです) という論調で掴みに入ってきた「機動警察パトレイバーTHE NEXT GENERATION」のエピソード0を観ることができました。「うる星やつら」の頃から初志一貫している美学か哲学か、は、たいしたものだとあきれながらも、だからこそ、もはや聞き飽きすぎた川井憲次さんの音楽も相まって、ああ、これはまさにパトレイバーだねと思わせてくれる押井守さんの画づくりです。が、企画集団であったヘッドギアの他の面々はとうの昔にこの作品から離れてしまっていて、かっこいい2足歩行ロボットを否定しまくりぐちゃぐちゃ言い続けてきた押井さんだけが見苦しくも現場にいる。

まさかね、この映像化を実現させるためだけに、80年代からずーっと主義主張を貫き、押井節を世の中に定着させ、自らをもその後のパトレイバー世界にすり合わせるために、恥も外聞もなく「置き去りにされた栄光」を醸成してきたのではなかろうか? とまで考えさせられたのです。もしもそこまで徹してきたのだとすれば、押井守は鬼才だと言ってあげたくなるのですが、またぞろこのノリですから、きっとそうじゃないよなあ。

そんなこんなで、面白いかそうでないかは作り手の能書きなどではなく、出来上がった作品からでなければ語ることができないので、七章と長編の行方を楽しみにします・・・って言ってるそばからこれもまた仙台で上映しないのか!

発動のイデ?

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ideon-rize先月、何度か『伝説巨神イデオン』の登場人物のセリフをブログの記事タイトルに使いまして、とはいえ「まったくさ!」以外はほぼ不発で、書いていた本人自身が寒い思いをしておりました。

ところがです。先日、家内のところに送られてきたWOWOWの3月期放映番組欄を収録している機関誌を見ていたら、なんと中旬から4月にかけて、テレビ放送分39話を4回に分けて放送すると。さらにそのあと、映画化された『接触編』も『発動編』も放送すると・・・

どひーっっっっ これはイデの発現ですか!

さあ大変です。放送枠は日曜日の深夜から月曜日の朝にかけて。この時間帯に、家族の誰かが毎週録りしているような番組がブッキングされていたら、チャンネル権を巡って低レベルな争いが勃発するのです。しかし低レベルといえばイデオンの物語だって、些細な擦れ違いからファーストコンタクトに失敗した異文明同士が、その後お互いの業と我のために何度もチャンスを逃しては逃しまくり、遂にイデの反発を食らって宇宙もろとも滅亡するという、バカは死ななきゃ治らないような結末を見るのです。

で、たぶん僕と、僕の娘らですから、きっとバカです。

いったいどうなることやら・・・

これが昭和の逆襲なのか?

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rm250思えば「仮面ライダー」の40周年という年回りにあの震災が巡ってきたのは数奇な運命でした。

ちょうどその1週間前、大安売り だから人気?という記事で「ひょっとすると、誰かしら往年とはいかぬまでも素顔で出てきて『変身』を披露するのかもしれませんから、そこには淡く期待を寄せていますが、いきなり仮面ライダーに出てきてもらっても、あんまりうれしくないのが、とーちゃん世代の心理ではないかと思うし、記号化された『仮面ライダー』と、存在自体が仮面ライダーである連中との壁は、なにをやっても埋めつくせないような気がするのです。

せめて、仮面ライダーである以上は、役者さんを並べることができないなら、サイクロンから1台残らず、すべてのライダーにバイクをあてがうべき」などと息巻いておりました。

そしたらこうなったわけで、役者さんすべてでないにしろツボの中のツボを突いてしまうという大技の炸裂です。もうこうなるると藤岡弘、さんにはこんな衣装ではなくて、ダブルのスーツに大柄模様のネクタイ姿でハンドポケットスタイルで登場してくるシーンを入れてくださいよと切望するばかりです。そんなシークエンスがあったらきちんと褒めちゃいます。

しかしもはや物語の方に拠り所など感じていませんで、注目しているのはこの本郷猛が走らせているニューサイクロンなのです。車体右側のぼてっとしたチャンバー。2ストのニューサイクロン?

やはり震災のあったあの年、2ストの逆襲(いや今さらなんですが)という記事と、その捕捉で2ストの逆襲の拾遺というのを書きました。今回のニューサイクロンが再びRM250あたりを使っているとしたら、これこそがこの映画の見どころなのよと、小声でいいから言わせてほしいです。なんで小声かっていえば、CRM250だったら意味がないからなんですよ。

特車二課壊滅・・・もできず?

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98-001唐突ですが、警視庁警備部特車二課のハンガーは13号埋立地(いまさらですがもはや陸の孤島どころではなくなったお台場の先)であったり、城南島突端を比定した架空の埋立地にであったりしたわけですが、これを現代の特撮でロケをしようとすると、けっこう探すのはたいへんなことでしょう。キャスティングなどのお披露目会見は千葉にて行われたそうですから、湾岸のあちこちで撮影を敢行していたのかもしれません。

すると、ある友人から、

 

「私の以前の職場に、サッカーコート丸々一面は収まってしまうでっかい倉庫建屋があって、このバラックのうらぶれ感がまさに特車二課のハンガーそのもので、実物大のイングラムなんかグロスで持ってきやがれの広さがあるのです」

などという話を聞かされ、そんな場所があるんだねえと感心していたら、

「その職場に勤めている同僚から教えてもらったのですが、例の機動警察の映画ロケ地にというオファーが、来ていたらしいです。けれどもそこの管理部門では施設提供を断ってしまったとか。ああもったいない!」

むむむっ、もしもそれが実現していたら、ロケの際に見学のひとつもお願いできたかもしれないじゃないですか。そんな話の分からない管理部門なんか壊滅か解散か更迭かで埋め立て地に島流しにしてしまえ! と、友人は憤りを見せておりましたが、まあ現実ってそういうものなんでしょう。

いや待て、あの番組ってもう全部撮影終わってしまったのか? 劇場用もあるということだし。まだあきらめるのは早いかもしれない。などと、外野は勝手にアジるのでした。

 

複々線化に期待してしまった

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トッキュウジャー新しいスーパー戦隊のこいつらって、あとで必ず「デンライナー御一行様」と絡んでくるんじゃないかと確信。ついでに言えば、巨大列車ゴーライナーでマシンを搬送していた「救急戦隊」ともコラボレーションしちゃうんではないかと邪推。

しかしデンライナーのオーナーとこちらの車掌とか、モモタロスとこいつらの共演って、やたらやかましくなりそう・・・

心意気

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kodai休刊した雑誌も電子書籍も読んでいない単行本読者なので、始まってから2年も経ってようやくプロミネンスを波動砲で打ち抜くところですが、旬を過ぎてしまってもなお執筆を続けられる(2199は本年、劇場版新作だそうなので、まだ旬なのか)のは、売れ行きよりも人気の賜なのでしょうか。ぎこちなく硬い線描写は独特の画風とはいえ、決してうまいとは言えないし、4巻目に至っても上達していない。軸となっているアニメーションで描ききれない部分の補完ではないと謳われているそうですけど、事実上そこが見せ場のコミカライズです。が、毎度、補完の部分に見せてくれる場面を埋め込んでいるところに心意気を感じます。

2199のアニメーション第1章で、古代進と島大介が乗り組み不時着させるに至ったコスモゼロは、旧作では100式空間偵察機(昔のもこの型式でいいのか?)からの変更でしたが、それ自体単に変更したのではなく「偵察機で敵の偵察機を撃ち落とせるわけないよ」という根っこがあって、しかし無断借用したらテスト機で武装が外されていたため迎撃はできず、旧作同様エンジントラブルで不時着となっていました。コミカライズでは、このテスト機のパイロットが実は山本玲の亡き兄・明生だったことを表現しています。

ガミラスとの闘いで命を落とした明生は後にヤマト防空隊長となる加藤三郎の戦友でしたから、ヤマトの建造ドックにゼロが搬入され、それを眺めていた古代と島に「そいつに触んじゃねえぞ」と釘を刺した加藤の心情や、それをかっぱらったばかりかほぼスクラップにした古代たちをぶん殴った心中など、いろいろとつながってくる場面です。補完された物語は他にもいろいろあるのですが、今回はこの場面が最も印象的でした。ページを何枚も書き足すわけでもなく(この前のページもありますが)、数コマで奥行きを描くところに味があります。

4巻目の本質は、太陽圏を離れる際の「赤道祭」において描かれるヤマトのクルーと、沖田十三が古代に語って聞かせる軍人と人間との葛藤であろうと思いますが、これをアニメーション上の動画と肉声で聞かされたら鼻についたかもしれません。そういう点でもコミカライズ版は確かに補完以上の仕事をしているのでしょう。あと何巻で地球へ帰って来るのか、メカニックと萌えキャラばかりでなくて、脇の野郎どもに至るまで、こなれた作画になって帰還してきてほしいところです。

 

むしろロードムービーHERO

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ジローライダー、戦隊、宇宙刑事に続いて人造人間を発掘蘇生するこの企画について価値があるとすれば、敵と戦う構図はまあ排除できないにしても、存在意義を求めさすらうロードムービー型の舞台設定ではないかと思います。もう幕張メッセもさいたまスーパーアリーナもつくばセンタービルも水戸芸術館も出してはならない。大雪山の山麓あたりから始まって、延々と南下を続けて飛騨高山でイチローと邂逅し、沖縄県の砂浜と海岸線で決着をつけるくらい、舞台に見せ場を、ジローの放浪とギターの音色に物語を、サイドマシンの疾走に美しさを演出して、たとえ大ゴケしても映像だけは素晴らしい絵が撮れれば、それでいいのではないかと思います。

一部の人々の談を借りれば、戦い苦悩する人造人間としてのオマージュは「超人機メタルダー」がとうの昔にやってのけているというし、キカイダーそのものの再構築は「人造人間キカイダー THE ANIMATION」(01編にも続く)で行われ、コミカライズの「キカイダー02」では新しい解釈の人造人間像にも挑んでいます。

原作者のテーマが深いために手が出せなかったというのは解からんでもありませんが、本来はお金と手間をかけさせてもらえない企画だと吐露しているように聞こえて、そこにヒーローものの子供番組ラベルを引きはがせるだけの力量が無いことも見え隠れしています。もともとロードムービー嗜好で行方不明の光明寺傳博士を探しながら旅を続けた娘と息子を、追っ手のダーク破壊部隊から護っていくという構図の人造人間キカイダーは、子供向けでやったって構わないけれど、それを突破できる素地を持っているということです。

この企画は、往年のファンであるおとーちゃんやおかーちゃん、現役の若いかーちゃんたちの財布ではなく、独身女性の話題をさらうような作りでやるべき・・・と書くとかなり誤解を生みそうですが、石ノ森章太郎さんが原作マンガを掲載していた少年サンデーは当時、けっこうたくさんの女子高校生が読んでいたのですよ。

堂々とやっちゃって下さいよ

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kiki昨年末から、高速道路のインフォメーションで配布されているネクスコ東日本の冊子の表紙が、キキ役に扮するそのままの衣装の小芝風花さんで飾られています。「魔女の宅急便」の公開が3月なので、いろんなところでアピールしてるのですが、この小芝さんって、予告映像や表紙のスチルやこの冊子内のインタビュー記事挿絵スチルなどを見比べると、それぞれ全然違う顔立ちに写っていて、なかなか面白い。キキはこれまでにもミュージカルで工藤夕貴、小高恵美、入絵加奈子、持田真樹といった人たちが演じてきた主人公で、角野栄子さんの原作と宮崎駿さんによるアニメーション作品に続いて、特撮を使った新しい表現での映画化となります。

その上で制作サイドの不思議なスタンスを感じるのが、なぜわざわざ「実写化」という言葉を宣伝素材として使うのかということです。ひょっとするとアニメーション作品に対する区別意識なのかもしれませんが、単に「映画化」でいいではないかと思うのですよ。おそらくこの映画が公開されたからといって、向こうが「うちのアニメ版は」などとは言い変えたりしないでしょう。実写化という言葉が独り歩きするよりも、映画そのものを堂々と見せるだけの方が爽快な気がしますが、まあその辺は大した次元の話ではないです。

6冊にまとめられているキキの物語の、2冊目までを構成に使っているとか。2冊目までの原作では、キキは13歳から15歳にかけて描かれるので、小芝さんくらいの女の子(霙と同い年だよこの娘)がちょうどいいのかもしれません。この映画がヒットするかというと、児童書をベースとしてどこまで展開できるかお客さんを獲得するのが難しいと思われますが、せっかくだから6冊目まで描き続けてほしいところです。しかしそうすると、完結編ではキキ自身が13歳の子供を持つ母親になっちゃう。まあそのときは母親役の宮沢りえさんと入れ替えて、もう一回小芝さんを娘役にしちゃえばいいのか。