商品化されたのはもう2年前だそうですが、最近の霙のご執心なやつらの1人(?)
こいつ、いったい何者なのよ?
NEXTGENERATION第一章を仙台の小屋ではかけてもらえないので、ソフトで観ました。二体の98式AVとキャリアトレーラー、指揮車などン千万円だまくらかしてスポンサーに出させただけのことがあるかといえば、ハンガーでの待機状態やキャリアへの搭載シークエンスだったらまずまったく必要なかろうというものですが、これを積んで市街地を走らせたという質量感はたいしたものでした。たった数十秒のためにこんな無茶な投資をするところは、ほんとに無茶だわ。でも、それがあるがゆえに、この98式って動くのかもしれないと錯覚させてくれるのです。
しかしそこまでです。この総監督は何を勘違いしているのか、以前使ったシナリオと台詞回しと台詞そのものを別番組で平気で使いまわす。それが面白いとかデジャビュさせてやろうと思っているのだとしたら、使えるのは一回だけだとわかっていないから、今回もやっています。しかも同じパトレイバーのアニメーションシリーズ内で使ったシーンとシチュエーションをほぼそのまま持ってきてやっちゃうのだから、それで「期待せよ」と言っているのなら「あんたは無能だ」と言い返してやります。
98式が動くのかもしれないという錯覚は実際錯覚で、ずーっと昔の最初の第1話で「動かないアニメだねえ」と言われた時代を知っている人間には失笑もので笑って許せる動かなさですが、この映画なりCS放送で初めてパトレイバーを見た人は、相当がっかりしたんじゃないかと感じます。リボルバーキャノンを撃つシークエンスにすらカビの生えたような落ちが待ち受けている。それらのがっかりを補う破天荒な特車2課と整備班の延々と繰り広げられるアノ世界を、第1回目だけであんなに見せちゃったら、このあとどうすんだよと心配になります。
それでもさ、それでもなんだわ。
第2章っていつリリースなの?
あらためて「接触編」「発動編」を考えると、こんなアニメーション映画なんか大嫌いなのよ、と言いたいのだけれど、たぶんそれは「めぐりあい宇宙編」のベースとなった「脱出」くらいの大団円でちょうど腹八分目でいられたからなのだろうと感じます。伝説巨神イデオン以前に、無敵超人ザンボット3が先鞭をつけていたようにも思いますが、総監督さんの「今」を拝見するに、まさしく若さだよなあと絶句する一方で、こういった作りは、幼くしてでも戦争体験者であればこその感性なのかもしれない。戦後の世代もけっこうこれに追随しようとする作品を産み落としてはいますが、到底敵わない。かく言う僕が「脱出」あたりで腹八分目になれるのも、戦争を実際には知らないからなんだろうと思わされます。
さらに言えば、「ライナー・ノート」や「だから僕は」などの当時の著書を読むと、どれだけかの脚色とフィクションを交えながらも、戦後から高度成長の時代にかけてガツガツと突き進んだり挫折したりを繰り返したハングリーさが、豊かになった時代に育った僕とでは違いすぎることもわかります。偏屈で歪曲しているというのではなく、透き通りすぎて鋭利な刃を振りかざさずにはいられない感性を圧し留めないジェネレーションという気がします。
だから肩で風を切っちゃったりもするんでしょう。たかが漫画映画と言われりゃ腹も立とうというものです。そういう発憤の頂点に作られた、本来打ち切られた4話分の、なんと後味の悪いことか。当時、インターバルを挟んでのダブルリリースを銀座の映画館で初めて観た日、打ち切られて良かったのかもしれないけれど、作り手としては納得できなかった仇討の成就なんだなあと、眉間にしわを寄せながらアパートに帰った覚えがあります。良くも悪くも、されどアニメーションという底上げを果たしたところは大いに認めなくてはならない。重箱の隅をつつけば、こんだけやっといて、最後の最後にセルを使った動画ではなく、実写映像を加工して組み込んじゃったのは動画の限界なのかよ? などと文句を言っていた記憶が蘇ります。
とはいえ、この作品すげー。と思わせたかったのではなく、アニメにハッピーなものや幻想なんか抱いてんじゃないよ。いい大人がそんなの期待するから裏切られるんだよ。というメッセージが込められていたのかもしれない。
新刊はだいぶ前に買っていましたが、雪村誠さんの「VINLAND SAGA」を取り上げる暇がありませんでした。読み切りを一本挟んで、「ブラネテス」以来の連載物にヴァイキングを持ってきたときには、いきなり千年も遡っちゃうのかと意味のない突っ込みを入れてみたりハラハラしてみたりでした。でもよく考えてみたら、このマンガもまたフロンティアを求める開拓者の物語で、主人公のトルフィンとは史実によれば11世紀のアイスランドの探検者にして、この時代五度にわたって行われたというヴィンランドへの遠征のうち四度目を率い、3回めの成功を遂げた人物です。ただし14巻においては、ようやく奴隷からの解放に至ったばかりで、まだまだ先は長そうです。
SAGAだとかサーガだとかいう言葉は、極端なことを言えば北欧や古いノルドの民が伝える神話や物語のことを示しており、ヒョウの顔をしたどこぞの剣士の話やらうだうだと続く機動戦士もののサブネームにくっついている方の使い方は亜流でしょう。その意味ではVINLAND SAGAは「どうだこのやろー」と言わんばかりの正統な表題となるはず。まあ素材がヴァイキングなんで粗野で荒くれで血なまぐさい話が延々続いてきたものの、それを引き継ぎながらも奴隷編から主人公のものの考え方が指向性を帯びていき、この新刊において一時の決着を見ます。そこへの持って行き方は、あっ雪村節だなあと思わせる落とし方で、いやーここまで長かったよようやくほっとしたよと読み終えました。
次巻が出るまでまた長いこと待ちに入るわけですが、まだ波乱と動乱はてんこ盛りなんだろうなあ。あとどれくらいでヴィンランドの地にたどり着くのやら、興味は尽きませんがあえて連載には手出ししません。
まずびっくりさせられるのは、巻を重ねるごとに絵がどんどん上達していったなあと思わされます。このマンガも連載ペースでは読んだことが無いので、しばらくぶりに新刊を取ってみると、その変化がインパクトでしたし、うちの女性陣にしてみれば、描かれる菌たちの独特の表現に醸されてしまってました。
が、どうもこの13巻めで堂々の完結らしい。この手のお話は何処からでも続編を描けるでしょうけれど、キリの良い1年間(作中の時間軸)で幕引きしたのは好判断でしょう。もちろん連載は10年に及んでいますから、大作です。
全てを鵜呑みにするのはいささか危険とはいえ、種麹屋や酒蔵の話、醸造と発酵の話など、へーそうなのかと勉強になっちゃう情報量も豊富であり、そこにばかり売り物を詰め込まず、登場人物の日常を面白楽しく飽きさせない展開で組み立てています。ただひとつ気に入らないのは、積極的に購買意欲をあおる通常版と限定版のダブルリリースを続けてきたことで、そこまでやらなくたってこのマンガは売れただろうにと思うところです。だったら通常版を買えばいいはずなんですが、立ち寄った書店には限定版しかなかったのがちと悔しい(苦笑)
と言いきってしまっては失礼かもしれませんが、そういう映画でしかなかったのが感想です。「魔女の宅急便」以上に、誰に対して見せたいのだろう?と思ってしまうし、「宇宙兄弟」以上に人気が出たら続きを作るぜ的な構成の変え方が鼻につきます。見た目とロケーションだけと言っても、じゃあ似ている雰囲気の役者を際立たせているわけでもなく、風景を見ているだけでもこれはいいねというほどの画が撮れているわけでもない。酪農と畜産の大変さを描く上で、屠畜の場面ばかりリアリティを追求すればいいわけではないでしょうに、あらゆる部分でアニメーションでやっている番組の方が格段上です。ただ、駒場一郎の子は原作より線が細いながら、よく頑張ってます。
「マンガは面白かったのに映画はイマイチだね。と言われるのはマンガと映画、どちらにとっても良くないので」云々と、監督の人が語っていますが、まさしくその通りの評です。材料を用意するだけ用意できていながら、作り手の方がそれをまったく活かせていません。
一昨年の4月に放送開始されたときは朝の番組でした。これが土曜日の夕方枠に移籍されたのは、好評を得たからでしょう。果たしてその通りで当初50話の編成が99話にまで引き伸ばされたのですから、「宇宙兄弟」は変身も合体も呪文も唱えず実直に突き進むことができたと言えるでしょう。途中、原作に追いつかないように意図したスロー展開も目立ちましたが、かなり丁寧に作り込んでもいました。それにも増して、失礼ながら原作者の小山宙哉さんの作風って、ある意味癖のある絵なので、視聴者の好き嫌いもはっきりしたことでしょう。連載開始の頃、珍しく週間単位で読んでいたのです。そのときも「これを単行本で追いかけるか否か」という逡巡を巡らせました。
それでもおととい、最新刊を買い求めていますから、僕はこのマンガと番組のファンです。原作にいよいよ追いついてしまっての、成功裡の最終話(本日放送)ですから、番組も頑張ってきました。日本のテレビアニメのすべてがそうだとは言いませんが、どうも僕は正義と悪、あるいはイデオロギーの衝突にすり替えた侵略と抵抗、必殺技と超兵器に浸りすぎて大人になってしまった。そういうものの噛み込む余地のないドラマを展開させる宇宙兄弟は、ほっとさせてくれると同時に、割と近い未来にちょっとだけでも期待したいと思わせてくれます。南波六太は霰より少し歳上で、日々人は霙よりちょっと歳上。そういう世代の主人公たちなのです。月へ行った弟を追いかけている兄は、火星を目指すと大言壮語を吐いた子供の頃の夢を果たすのかどうか、今後は原作の成り行きを見守っていきます。
個性的な初代、凡庸な二代目、無能な三代目・・・って、おい、エスクードユーザーにケンカ売ってんのかシバシゲオ!(笑 第2小隊のことです) という論調で掴みに入ってきた「機動警察パトレイバーTHE NEXT GENERATION」のエピソード0を観ることができました。「うる星やつら」の頃から初志一貫している美学か哲学か、は、たいしたものだとあきれながらも、だからこそ、もはや聞き飽きすぎた川井憲次さんの音楽も相まって、ああ、これはまさにパトレイバーだねと思わせてくれる押井守さんの画づくりです。が、企画集団であったヘッドギアの他の面々はとうの昔にこの作品から離れてしまっていて、かっこいい2足歩行ロボットを否定しまくりぐちゃぐちゃ言い続けてきた押井さんだけが見苦しくも現場にいる。
まさかね、この映像化を実現させるためだけに、80年代からずーっと主義主張を貫き、押井節を世の中に定着させ、自らをもその後のパトレイバー世界にすり合わせるために、恥も外聞もなく「置き去りにされた栄光」を醸成してきたのではなかろうか? とまで考えさせられたのです。もしもそこまで徹してきたのだとすれば、押井守は鬼才だと言ってあげたくなるのですが、またぞろこのノリですから、きっとそうじゃないよなあ。
そんなこんなで、面白いかそうでないかは作り手の能書きなどではなく、出来上がった作品からでなければ語ることができないので、七章と長編の行方を楽しみにします・・・って言ってるそばからこれもまた仙台で上映しないのか!
先月、何度か『伝説巨神イデオン』の登場人物のセリフをブログの記事タイトルに使いまして、とはいえ「まったくさ!」以外はほぼ不発で、書いていた本人自身が寒い思いをしておりました。
ところがです。先日、家内のところに送られてきたWOWOWの3月期放映番組欄を収録している機関誌を見ていたら、なんと中旬から4月にかけて、テレビ放送分39話を4回に分けて放送すると。さらにそのあと、映画化された『接触編』も『発動編』も放送すると・・・
どひーっっっっ これはイデの発現ですか!
さあ大変です。放送枠は日曜日の深夜から月曜日の朝にかけて。この時間帯に、家族の誰かが毎週録りしているような番組がブッキングされていたら、チャンネル権を巡って低レベルな争いが勃発するのです。しかし低レベルといえばイデオンの物語だって、些細な擦れ違いからファーストコンタクトに失敗した異文明同士が、その後お互いの業と我のために何度もチャンスを逃しては逃しまくり、遂にイデの反発を食らって宇宙もろとも滅亡するという、バカは死ななきゃ治らないような結末を見るのです。
で、たぶん僕と、僕の娘らですから、きっとバカです。
いったいどうなることやら・・・
思えば「仮面ライダー」の40周年という年回りにあの震災が巡ってきたのは数奇な運命でした。
ちょうどその1週間前、大安売り だから人気?という記事で「ひょっとすると、誰かしら往年とはいかぬまでも素顔で出てきて『変身』を披露するのかもしれませんから、そこには淡く期待を寄せていますが、いきなり仮面ライダーに出てきてもらっても、あんまりうれしくないのが、とーちゃん世代の心理ではないかと思うし、記号化された『仮面ライダー』と、存在自体が仮面ライダーである連中との壁は、なにをやっても埋めつくせないような気がするのです。
せめて、仮面ライダーである以上は、役者さんを並べることができないなら、サイクロンから1台残らず、すべてのライダーにバイクをあてがうべき」などと息巻いておりました。
そしたらこうなったわけで、役者さんすべてでないにしろツボの中のツボを突いてしまうという大技の炸裂です。もうこうなるると藤岡弘、さんにはこんな衣装ではなくて、ダブルのスーツに大柄模様のネクタイ姿でハンドポケットスタイルで登場してくるシーンを入れてくださいよと切望するばかりです。そんなシークエンスがあったらきちんと褒めちゃいます。
しかしもはや物語の方に拠り所など感じていませんで、注目しているのはこの本郷猛が走らせているニューサイクロンなのです。車体右側のぼてっとしたチャンバー。2ストのニューサイクロン?
やはり震災のあったあの年、2ストの逆襲(いや今さらなんですが)という記事と、その捕捉で2ストの逆襲の拾遺というのを書きました。今回のニューサイクロンが再びRM250あたりを使っているとしたら、これこそがこの映画の見どころなのよと、小声でいいから言わせてほしいです。なんで小声かっていえば、CRM250だったら意味がないからなんですよ。