Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

なぜそこに手を付ける

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312bルパン三世への原作漫画とアニメーション以外でのチャレンジは、まさにチャレンジャーだよなーと思わざるを得ませんが、まあまあ昔もやっちゃってることですし、このキャスティングが駆り出されてもいまさら驚きもしません。

しかしです。峰不二子が二階堂有希子さんから増山江威子さんに、石川五ェ門が大塚周夫さんから井上真樹夫さんへと声が変わった時点で(この頃のキャラクターのデザインもひどかったのだけれど)

「そりゃちがうだろーっ」

と憤慨したものですから、山田康雄さんが急逝されて栗田貫一さんに落ち着くまで、ルパンの作り方は難しいんだよなーと思っているのです。ただ・・・大塚周夫さんには申し訳ないけれど、カリオストロの城での「可憐だ」という台詞は、大塚さんだとなんとなく助平なだけのおやじ台詞に聴こえちゃいそうですが。第一、カリオストロの城は後のルパンを台無しにしていく最初の戦犯という側面もあるので、大塚さんにはなんの罪もありません。

それはさておき二度目のアニメじゃないルパン三世は、誰が観に行く枠組みなんだろう?

少なくとも峰不二子だけでもう観たくもない。石川五ェ門に至っては勇者ヨシヒコのケンタウロス男が被ってきそうで恐ろしい。ルパンに関しては、なんせ前任者が目黒祐樹さんですんで、誰がやってもどうにかなりそうだけど・・・

不滅の敵役

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ひよこ書店のおばちゃん(たぶん僕よりも年上)から必殺の閉店宣言をされ、最後に購入したのが業務関係ではなく個人で買った「ゴッドバード」の4巻と5巻というのは、取引側の事務所の代表者としてはこっ恥ずかしい話でしたが、その続き・・・

ではなく、その「ゴッドバード」の4巻に収録されていた、著者とアシスタント?が共著したらしい4コマスピンオフパロディマンガのこと。

本編の流れを汲んでか、歴代の敵役であるところの例のあの人たち、長浜忠夫さんといえば美形悪役(このマンガ本編では主人公の後見人みたいになっていて良い人たちですが)

うーん、こいつらのこの扱いというのは、長谷川裕一さんのまたもや確信犯的なプロットではないかと、やっぱり判っちゃう人間は深読みしたくなるのです。

すると恐るべし書店のおばちゃん。

「ゆうきまさみさんのアニパロマンガを思い出すわねー、この人たち」

そこまで説明なしで対話できるのかこのご婦人は!

長浜ロマンロボシリーズの敵役たちと言えば、もうン十年前のデビュー直後のゆうきまさみさんが最初に取り上げたパロディー素材。たぶんマニアックすぎて、パトレイバーの実写映画は出てこようとも、こいつらのことなんか日常会話には絶対に出てこない連中じゃないでしょうか。

ただ者じゃないぜと脱帽する限りの、この書店が今日でなくなってしまうのはほんとに惜しいです。

途絶えた軌跡

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godbirdいつもの如く連載ペースを知らないことが一番悪いのですが、超電磁ロボの続編のようなスピンオフのようなものが出てきたり、ムー大陸の勇者のその後の話が出てきたりと、海賊モビルスーツの話がいよいよ宇宙世紀本筋?に絡んでいたり、長谷川裕一さんの漫画は失礼ながらオリジナルものよりもオマージュモノの方が面白くなってしまいました。

「ゴッドバード」というタイトルで、もう何を描いているかすっかり判り易いのも驚きながら、広げた風呂敷を単行本3冊で上手にまとめたのが、この作品でした。

まあその大団円で、すっかり完結したとばかり思っていたわけです。

そしたら知らないうちに「第2部開始」だと。要は長浜忠夫さんの遺した巨大ロボシリーズを構築したこの作品で、確信犯のような隠し玉を、その構成上第1部では扱わなかった。勇者、超電磁、闘将ときて、満を持して未来ロボまで用意していたのはさすがです。しかもこっちはいきなり第6巻を見かけて第2部の執筆を知ったという浦島太郎状態。第4巻なんて、1年以上前に出版されていたのでした。

新刊だってたまたま見つけたもんで、というくらいこんなの仙台じゃ扱ってもらってないよで、結局は事務所で取引している近所のおおよそ漫画なんぞ扱っていない書店に取り寄せてもらっての、いい歳こいての追っかけ収集。かと思えばこの書店のおばちゃんが超人ロックと長浜ロマンロボに陶酔した世代のとりわけダイモスファンだという意外な展開も。

判る人にしか受けない話ですが、取り寄せてもらった単行本が下地になっているとはいえ、小さな書店のおばちゃんに、いきなり「第3波動が」とか「ラフノールの鏡が」とか言い出されたら、判る人間は大いにビビります。でもって取り寄せてもらった第4巻を見せてあげたら

「でもこのマンガの竜崎一矢って、全然聖悠紀のキャラじゃないですよね」

とまで言い切る(唐突に出てくる話ですが、要するに闘将ダイモスのキャラクターデザインは当時、超人ロックを描いていた聖悠紀さんが担当したと)。たった数コマしか出ていないのに、よく見入るもんだわ。などなどと無駄話に花を咲かせていたら、

「いやー、最後に楽しいお話が出来ましたわー。実はね雷蔵さん、この店、社長が今月いっぱいで閉店するって決めちゃったのよ。ごひいきにしていただいたのにごめんなさいねー」

なななな、何を言い出すんだおばちゃんっ?

突如切り出された現実な言葉は、ゴッドボイスなんかよりも強烈な破壊力を放つのでした。

 

 

乍で見てたらなんだかわからん

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ptだけど、上野の無頼寿司の大将が、最後に光り物まじりの黒皮ジャンで北三陸までうに丼を買いに来たあたりから、この人の正体はただものじゃないんだろうと思っていたので、こうきたかという印象(いや全然別の番組同士ですが)

楽曲が無かったら日本で作るバットマンだと思うところだったよ。

 

キュートなおしり

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f-rつくばーどin妙高高原Ⅹには参加できなかった和邇家から、和邇お嬢妹による応援メールが送られてきて、

「授業で作りました!」

というキュートなマペットですが・・・

そのおしりの縫い取りにただならぬ熱意を感じ取ってしまうのでした。

バラージの青い石 砕ける

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R-ULTRAMENどうしたことか、身売りをしてからの円谷プロダクションには我が目を疑うような出来事をしばしば見てしまうのですが、純金製のウルトラマン像を限定(サイズ違いだと複数)販売という企画には目を覆いたくなる気持ちです。夢を送り続けてきた先の子供たちが、半世紀もすればもういい歳だろうという現実は現実ですけど、歳くったって光の巨人には神々しくあってほしく、それは純金の輝きなんかじゃないのです。

いい歳になってしまうちょっと前に見入っていた同社のテレビCM。こちらの方がよほど夢のコラボレーションをやってくれていました。

60秒に詰め込まれた情報量の多さに「子供は映像のすべてを理解できるんだろうか」と思いながらも、でもこれは1千万といくらかだとかいうくだらないハクの付け方とは裏腹に、円谷プロダクションの財産を活かしていた(ウルトラマンレーシングの企画とスポンサードをやって傾いたってことじゃないよねえ)んじゃないでしょうか。

航海の終わる日

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ヤマト第七章の映像ソフトがようやく発売となり、もう映画とテレビで観ちゃったんだけどここまできたんだから買ってきたわけですが、宇宙戦艦という舞台で戦闘のない最終話というのは、あらためて考えると贅沢な脚本を確保できたということと感じました。それが逆の意味では最後の最後でスカスカ感を払しょくできない部分にもつながりますけど、以前はそのしんみりの最中にデスラーが最後の急襲をかけてきた。

今回それをやったら、まあ彼の株はド下がりになったかもしれません。その辺の差し引きで、大団円はこういうものだろうと納得しました。でも戦いのない最終話と言えば、既に未来少年コナンなんかでもやってはおります。

しかし放射能除去装置よりも難解なコスモリバースという存在が、今後の(決めつけちゃってますが)ヤマトの枷になることは間違いなく、2199の完全新作映画と言い、もうたぶん白色彗星帝国と暗黒星団帝国をミックスして次をやっちゃうだろうという下馬評と言い、この艦の航海はまたしてもぐだぐだの商業路線に行ってしまうのかと、いささか残念ではあります。

それにしても、古代守の魂と引き換えに森雪を蘇生したところで一旦空っぽになってしまったシステムが、おそらく沖田十三の魂を取り込んで再起動したということは、沖田さんの魂と引き換えに地球が蘇生されるという大団円になるのだとすれば、旧シリーズ完結編における「誤診」発言はできなくなるのか。それとも沖田を蘇生させるウルトラCなからくりまでもが考えられているのか。ガミラスの次元潜航艇に乗り組んでいった藪機関士のその後は、などなど、結局「落とし前つけろよーっ」と思ってしまうあたり、僕も術中にはまったようです。

もういいよ、どんだけ作り直しても。虐殺と特攻さえやらなければ。

フェリーニのように

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蒼のサンクトゥス入院中の仕事の合間(笑)に読んでいた、ブラネテスの他の漫画が、やまむらはじめさんの「蒼のサンクトゥス」。ウルトラジャンプなんてのは手にしたことのない雑誌だったので、2007年前後に書店で見つけたときにはコミックスが3巻くらい出ていたと記憶しています。検索をしてもこの漫画のことはほとんど紹介されていないのですが、ジャンルで言えばSFの海洋冒険譚。やまむらさんの作品をすべて読んではいないものの、僕の趣味的には、このあとに描かれた「神様ドォルズ」よりも面白いし、これってアニメーション化してもいいのではないか(海洋物は当たらない、というジンクスは過去のものだと思うし)と推したい物語です。

外宇宙からの来訪者が地球上の特定の海域に勝手に自らの生存可能領域を作ってしまう。

その領域は外界と隔絶され、地球上の技術力ではこじ開けることもできないし、入れたとしても生存できない環境変異が起きている。

そこから脱出できた人々は環境変異の影響を受け、特殊感応力を有するに至ったが、それゆえに世界各国からの様々な利害接触を避けるために新興宗教という隠れ蓑を立てざるを得なくなった。

一方で、環境変異の比較的外延部では、常温核融合を可能とするレアメタルが変異副産物として発見され、唯一、小笠原海域に生成された領域(脱出をしてきた人々もこの海域からのみ)を有する日本だけが、国際社会から離反独立してこれを独占する社会。ただしレアメタルの大半はアメリカ合衆国がピンハネし独立を黙認している。

そもそもレアメタルが確認できたのは、変異領域の奥に何があるのかを突き止めたかった冒険者たちの挑戦に発する。

そのような背景を背負った世の中で、世代交代した息子や娘たちが、先達に教えられながら自らの意志で挑んでいこうとする・・・大いなるファーストコンタクトへの道。

というところでしょうか。

作画はまだ粗削りながら、ツボを押さえた登場人物が物語を引っ張っていく中、彼らが乗り込む採掘船のかっこいいこと。安彦良和さんが描いたクラッシャージョウ(安彦さんは原作者ではありません、挿絵を描いた)のミネルバ以来のと言ったら時代が開きすぎなくらい、シンプルで機能的な船体が魅了します。

でもって、この採掘船に「ノヴェンバー・ステップス」だとか「ハーリ・ヤノーシュ」だとか、思いっきり趣味性の高い名前が付けられている。やまむらさんご自身が音楽好きだというプロフィールを知って、そりゃなるほどと思わされるネーミングがまた良いのです。挿絵に使ったコマの左が「ノヴェンバー・ステップス」。右の小型船は、これまたまったく異なる分野から名前が付けられている「ベンダバールⅡ」。それぞれの船名については、書き始めたらきりがないのでお調べください。

「そして船は行く」というサブタイトルは、その昔、フェデリコ・フェリーニが撮った映画の題名。やまむらさんは、少年時代よりちょっとあとに、この映画を観ているのかもしれません。明日リリースされる、「そして艦は行く」と副題された映像ソフトのあれよりも、きっと深読みできるサブタイトルのような気がします。

 

ジェネレーションに逆襲せよ

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花札僕らはポケットモンスターなどには関心のない世代ですが、娘らはおおむね10周年の少し前に夢中になって、10周年に幕張メッセで開催されたフェアに連れて行けと言われてメッセの区画を2周半並ばされ、ランドマークタワーのポケモンセンターに連れて行けと言われて横浜港開港150年イベント見物のついでに人波に揉まれ、あんな電気ネズミのどこがいいんだーっ(まあでも体型とか大きさとか、どこかのアライグマと大して変わらんのか)と汗だくにされたものです。

仇。と言わぬまでも、ポケモンに関しては知識もゲーム技能も娘らにはかなわず、なんだこんなものーってな卓袱台返し的な扱いでしかなかったのですが・・・

ななな、なんだこりゃ

むむむむっ、花札!

これって図柄は従来の絵に対応した役や手という扱いでいいんでしょうか。だったら奴らに逆襲してやれるぞ。

兄弟艦、親父の艦

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2199-lastそんな演歌みたいなタイトルつけたくないですが、宇宙戦艦ヤマト2199の最後のドラマは、換えることのできない沖田の去就と、放射能除去装置に代わるコスモリバースシステムの仕掛けとなった古代守が場を固めていきました。

このコスモリバースというシステムについては、ドラマ内で取りざたされた波動エネルギー兵器の危機感以上に、危ない爆弾をヤマト世界に創造してしまったような気がします。星のエレメントについて、その星を思う心の扱い方をなぜあの二人の立場でやってしまったのか。そこに落とし穴があります。

思いという表現を人の魂、ひいては命を吸い取るかのようなシステムの印象は、40年近く経つのに森雪の衣装をそういう風にしか描けないのかとかいう苦笑いとともに、速いとこ改めるべきでしょう。と言っても今さら遅いのかと、エンディングを眺めてまたびっくり。

テレビ放送版に関しては、言ってみれば「月9」のお株を奪いそうなエンディングにまとまっています。うちの女性陣に言わせると「アニメのエンディングテーマ曲をJUJUが担当するって珍しいよね」とのことですから、第7章分たった4回の起用はかなり贅沢なもののようです。最終回のみ、エンドロールはドラマとかぶせましたが、絶妙にシンクロしていました。が、あえて宮川楽曲を押しのけてそうする必要があったのか。劇場や映像ソフトと異なる音楽の差し方には多方面の事情を感じざるを得ません。

それでねー、あー終わっちゃったよーと病床で痛みに耐えながら見ているときに、間髪入れずに「完全新作劇場映画 2014年」などという画面を出さないでくださいよ。そういうのは1週間早いよ。それでもってまた矢継ぎ早に「ヤマトどころではないでしょうけれど、最後の最後でやられましたー」とか、和邇さんからメール着信があるもんだから、はからずも次回作のプロット深読みしちゃったじゃないですか。まあまずはコスモリバースのための原料について、もうちょっと違う組み立てをするべきかなあ。