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  ~懲りない傾向~

史上最強の操縦席

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シート超高速偵察救助支援航空機であるサンダーバード1号は、地球上のあらゆる災害現場に1時間以内で到着できるという極めて高度な性能を実現しています。これを速度に表すと、とんでもない数字になってしまうのですが、設定上の最高速度はマッハ20を超えています。この速度をめぐって2年ほど前にアメリカ合衆国で、FalconHTV-2という実験飛行体の無人機テストが行われたそうですが、それは失敗に終わったとか。国際救助隊が活動する2065年まではまだ半世紀も待たねばなりませんから、この間に飛躍的な技術革新(TB1号の場合で言えば、原子力エンジンの採用でそうなっているのですが)が果たされるのかもしれません。

1号においては、その飛行速度もさることながら、サイロからの打ち上げ、弾道軌道などへの姿勢制御と水平飛行への移行などに対して、常に「パイロットが地上に対して足元を下に向ける」操縦席の構造が特徴となっており、逆に言えば操縦席周りはその固定・可動支柱以外はほぼ何もなさそうながらんどう状態です。

この機体内の与圧や耐G制御がどうなっているのかはさっばり判りませんが、機体操作も含め、この操縦席こそがパイロットの基本的な安全性を確保する全ての性能を与えられた、史上最強のシートと言うことができます。

いやしかし、実物大のシートを見せつけられたら、とてもじゃないですが恐ろしくて打ち上げられたくないぞと思っちゃった次第です。

そして帰還する

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2199-7石津嵐さんの手厳しい展開でもなく、松本零士さんやひおあきらさんのコミカライズによる大団円の流れでもなく、2199のヤマトはガミラス本星に赴き、イスカンダルに着水し、そして再び約束通りに地球へと帰還してきました。以前のイスカンダル編のツボはそのままに、より明るく希望に満ちた帰還。懐かしい楽曲と美しい背景画と洗練された原画と動画。何よりも「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」でこのアニメーションを嫌いになり、なんぼ続編が出てこようと一切支持してこなかった(しなくてもまったく影響ないし)僕を、もう一度「新しいイスカンダル編、いいじゃん」と思わせてくれただけでも、よくぞ作り直したものですと言ってはばかりません。

ラストは数十年前に固まっており、これを変えることはできない。そうなったらもう、イスカンダルを出航した後には何もできそうもない中で、随分と贅沢に2199ならではのエピソードを組み込んだなあと感じました。

あっ、その前に。第7章は小屋まで出かけて行って観ました。なにしろ残り4話分のソフト化が遅れたというし、テレビ放送は追いついてきてしまうし、やっぱりこの辺のスケジュール変更はソフト販売の戦略だとか放送局の都合による戦術だよねえと邪推しながらも、まんまとそれにのっかってしまった自分を否めません。

だからさ、観ていて何とはなしに苛立ったのですよ。

これだけ情報量を増幅して進んできた6章分に対して、7章の後半が決して情報量不足でも飽きさせる展開でもないのに、何処かがスカスカなのです。多分にそれはガミラスの、デスラーの描き方によるもののような気がするのですが、気取った紳士の裏側に秘められていた執念深さのない彼、とでも言えば良いのか、なんかそれ違うだろうという彼の幕引き後、ヤマトの艦内のドラマが微妙に長く感じられました。

ヤマトが大好きでその業界人になったという出渕裕さんは、当時のヤマトを越えるものを作り上げながらも、どこかで、大団円に込められたドラマ作りに関しては、一歩引いたのかなあと考えております。まあン10年前にもう観てしまっている最終話ですから、2度目の感動が薄くなっただけなのかもしれませんが。

確かめるのが彼らでいいのか?

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ライダー2まさか人様の賃貸住宅にライダーキックやエレクトロファイアをぶちかますことはしないでしょうけれど、視覚、聴覚に優れた改造を施された彼らの基準で「壁が薄い」とか「数ミクロンの隙間がある」とか言い出されたら、きりがないんじゃないか。

よもや上野さん、そのまさかのライダーキックレベルで部屋の頑丈さを確かめようってこと考えてないでしょうね? でも視聴者的には、前回の流れから、1号が風呂場に行きそうな気がしてならない。

 

レイトショーの帰り道

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風立ちぬ戦争を知る世代がどんどん高齢化して、その事実を伝えられる「すべ」が限られるようになった現代において、それを何かの形で残そうという人々の努力は、大事なことなのだと感じます。宮崎駿さんも、齢72を過ぎており、

「ポニョから5年かかって風立ちぬです。これ作ったらもう次は無いよ」

と、文藝春秋8月号の対談で語っている(終盤、次のために頑張る旨の発言もありますが)

幼少時に世界大戦を経験した宮崎さんは、作風はリベラルながらも戦争については大の嫌いな思考の人。しかしご存知のように機械が好きで乗り物が好きで、戦闘機を含むあらゆる飛行機が大好きであるという矛盾を内包することで知られています。だから、零式艦上戦闘機に至る単座戦闘機を開発した史実上の人物である堀越二郎氏を手掛ける際、模型雑誌ではそのキャラクターを豚として描き、一線を引いていました。よって、同作品(今作・風立ちぬ、の原点そのもの)に映像化のオファーが立った時は固辞されたとか。説得の末に堀辰夫氏の世界観をごちゃまぜにするというからくりを交えて、今作のプロットが成立しました。

つまり戦争は嫌いだが戦闘機は好きであり、美しい飛行機と言えば零式。しかしあまたの堀越二郎論には納得がいかないから、自分としてはこういうことじゃないのか?と考えた。という物語を組み立て、災害や富国強兵に翻弄されながらも堀越や堀が生きた時代を通して、戦争を鏡写しにしようと試みたのかと、そんな感想を抱きました。

祖父母や親父の戦争体験を効かされた記憶と照合すれば、堀越や菜穂子は、悲恋の道行きではあっても恵まれた環境下にいます。そこは、それ以上突っ込んでしまうなら高畑勲さんのやった作品にならざるを得ないし、そもそも宮崎さんはそこにスポットを当てるつもりは無かったから、照れ隠しで作ったという「紅の豚」をやりたいけれど、日本の戦時であれはできない。ならば堀辰夫の世界観を用いて(このへんはすべて想像です)としながら、戦争に翻弄されるけれど、自ら目指した道を地に足をつけて進む男を描こうとしたのだと感じます。

ちょっと尺が長かったかなという気もしますが、飛行機は好きだが戦争は嫌いなのだ、という作り方には、なるほどそうするのかと思わされ、それほどに打ち込んだものだったにもかかわらず、堀越の仕事は国を滅ぼしたとまで背中にのしかかる言葉まで用意してくる。その一言を堀越に告げた、時空を超えた堀越の友人ジャン・カプローニ伯爵は、堀越の過ごした10年をどのように評価したのか。それは映像を見ていただくとして、僕は伯爵のつぶやいた「あれが君のゼロか」のすぐあとのシーンだけが嫌いです。

「なんでああいうふうにしたんだろう?」

なんてことをつぶやきながら、レイトショーの帰り道。これにつきあってくれた霙が言うわけです。

「お父さんはきっと『そんなの飛行機雲描くだけでいいじゃん』と思ったんだろうけど、それじゃ主題歌タイアップべたべただもん」

この一言で、僕はこの映画を支持することにしたのです。

なぜって、「千尋」のときには冒頭のクモ爺が出てきたところで怖さに耐えられなくなって大泣きしてリタイアとなった彼女が、こんなこと言って対話につきあってくれるんですから。

同業の方々はパンツを脱いだの脱がないのと言いあっているそうですが、それそこそれは同業者による宮崎感ですわな。それぞれに得意技かましてくればいいと思うので、その話には興味はありません。

 

そしてタロウがここにいる

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DSC_2026イベントや舞台などのことは知りませんが、篠田三郎さんが東光太郎の振舞いをする(という解釈に基づくウルトラマンタロウへの変身ポーズと掛け声)のは、ことし7月のスポーツ報知でもポーズをやっているそうですが、ライブアクションとして見ることができたのはこの番組が事実上初めてと言ってもいいでしょう。

しかもこれは客演ではなくて、篠田×真夏(竜さん)の対談ですから、主役です。タロウ誕生40周年だとかですが、現時点ではウルトラに再登場していない唯一の人。よくまあやらせたこと、というより、やってくれたこと。

無くした(かもしれない)ピース

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ひろ美と春子あまりたいした話ではありませんが、岩手県久慈市内の道路工事現場付近で、この先工事やっているから注意してねの看板に、あの「じぇじぇじぇ」の顔文字マークが使われているのです。突然遭遇してこっちも「じぇじぇっ」だったためそのまま通過してしまい、写真に撮れなかったのが悔やまれます。

という話はさておき、誰も気に留めていないからそれこそどうでもよさそうなことになりますけど、「あまちゃん」の主要登場人物の一人である、鈴鹿ひろ美さん。

この人って、本名設定なんでしょうか? それとも芸名設定?

薬師丸ひろ子さん演ずる「大女優」とされる彼女は、本作の主人公・天野秋が上京してからの東京編で登場していますが、ポスターなどの間接的表現でならば、序盤の「故郷編」にもたびたび姿を現しています。それは物語の伏線上当然のことでもあるのですが、実は本編ではそれ以上でも以下でもない、鈴鹿ひろ美。一切のプロフィールが明かされていません。

だからって何か不都合があるかというと何もないので余計なことを言うべきじゃないのですが、

「鈴鹿さんって、夏ばっぱに似てる」

との、秋の一言が引っかかっているのです。夏ばっばとは秋の母である春子の母。天野夏さんのことです。天野家には当主にして漁師の忠兵衛さんが唯一の男性として設定されていますが、そこは置いといて、天野家の女性陣は夏、春、秋と三代にわたって名前に季節が使われていながら、家族構成の関係で「冬」がいないのです。いやいや、別にいなくたって全然かまわないのですが、よもや鈴鹿ひろ美さんの本名が冬子だとか冬美だとかって展開は・・・ないよね。

レイド系ラリーは無しですか

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037ちょっと期待してよーく読んでみたら、WRCシリーズで固めていくらしいディアなんとかの「ラリーカーコレクション」。第26号にはスズキSX4が予定されているのが嬉しいところですが、WRC塊で行く以上、パリダカールラリーだとかオーストラリアンサファリだとかは無関係というわけでして、残念ながらエスクードの出番はなさそう。

3代目なんかはどこかで参戦して・・・いないか。

ということは、こっちの方が一大事ってことです。

見果てぬD

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ラストラン遂にというかやっとというか、先日連載が完結して、本日単行本の発売。しかし高橋涼介って、まだ20代のうちからそんなに年老いたカタルシスを抱え込んでしまってどうするんだと言いたいような気もします。関東最速達成は偉業としても、全国区だったらどこまで太刀打ちできるのか。それを探求しようとしないの? まあしかしこれでようやく、うちのブログで異様な数に膨れ上がっているこの漫画の記事の閲覧数も沈静化してくれるか。

柑橘系の鎧

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鎧武武家屋敷(一昨日のブログ)と言えば鎧のひとつもあるだろう・・・という短絡思考で唐突に次の仮面ライダー

ロックシードと呼ばれる錠前を使って変身するそうですが、写真の鎧武が纏っているのはオレンジをモチーフとするオレンジロックシードが展開したもの。他に登場するライダーが4人ともバナナやパインといったロックシードで、それぞれ異なる姿としてデザインされたライダーとなります。

こりゃ絶対に「ピーチロックシード」で桃太郎侍ねらってるだろう?

それにしても、兜の前立という刷り込みが日本人には刷り込まれているのか、これがついているとライダーでもガンダムでも、なんでか様になってしまうのがすごい。と言いたいところなのですが、鎧武以外のライダーがことごとくデコレーションまみれでかっこわるい。5人で鎧という時点でサムライトルーパーかよと思わされるばかりか、見ようによってはGガンダムのドラゴンガンダムですかと突っ込みを入れたいのもいます。武者といっても西洋甲冑ベースのような奴もいますが、この仮面ライダーバロンは、きっと18世紀の錠前師ロバート・バロンにあやかってのことでしょう。

武者で甲冑のライダー世界だから、やろうと思えば仮面ライダー響鬼の面々を再登場させられるバックボーンがあります(いやそんなことはしないだろうけど)。その気になったら、変身忍者嵐のリメイクを仕掛ける土壌もあります(響鬼で既に鬼の鎧としてやってますが)。いやいやどうせなら忍者にも手を広げてジライヤなんてのもありですが、どうせなら009ノ・・・

だからさー、イケメンを変身させるだけの登竜門番組にすんなよな。

って言いたい。

 

何処へ往くのか只独り

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jiro東映のプロデューサーとして仮面ライダーやスーパー戦隊を世に送り出した平山亨さんが先月末に逝去され、僕の子供時代のヒーローたちの生みの親がまた1人、クリエイターとしての仕事を後進に委ねました。

僕らの世代にとっては仮面ライダーどころか、悪魔くんや河童の三平妖怪大戦争、仮面の忍者赤影、ジャイアントロボの頃からの、ブラウン管を通してのヒーローの生みの親です。うーん、さすがにそれらに相当するスチルがハードディスクのストックには無いので、人造人間キカイダーを使うのですが、都合によりこれは石ノ森章太郎さん原作バージョンです。

それというのも、たまたま先日、家内が録画していた衛星放送のプログラムで流されたという、手塚治虫さんと石ノ森章太郎さんの代表作番組を見ており、人造人間キカイダーのドラマとしての作り込みって奥が深くて、石ノ森コミカライズと寄り添いながらももっと抉り取るものがあったのだなあと感じていたからでした。

今になってはそのチープさを突っ込みどころとして楽しんでしまう悪い視聴者根性もあるのですが、そういう映像をよくよく見返すと、人間、人造人間、改造人間、良心回路、アイイレナイアイなど、正義と悪という構図の奥に、そんなの子供にわかんないだろうというパズルを織り込んでいる。途中はすべて割愛しての第一話と最終話だけでしたが、こういうのを作らせたということに、子供向けの千年王国にも大人の時代への錠前をしかけていたのかなと思わされました。

霰や霙に聞くと、仮面ライダークウガ世代の彼女らは、「スーパー戦隊と比べて、ライダーってストーリーがわかんないよね」と答えます。それはなんとなくそんな気がする。勧善懲悪から複雑な構図へと絡み合う昨今のライダーは、結末までこれほど時間をかける必要があるだろうかと思うほど、どこへ行くかわからないことがある。それは、かつてジロ―が辿った戦いの構図に通ずるものもあるんですが、もう少しシンプルだった。それでも背骨の太さは感じることのできた番組でした。

ジャイアントロボなんて、ウルトラマンの結末にびっくりした以上にショックな最終話でしたし、柔道一直線ではそれほどでもなかった吉沢京子さんを、太陽の恋人でどきどきさせる存在にしちゃったのです(まあその辺は余談)

放送コードや倫理観など、今の時代は何かとやりにくい作りにくい枷をはめられているのかもしれないけれど、現役のクリエイターさんたちにも頑張ってほしいと思うのであります。

遅ればせながらも、合掌