Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

位置に付く

2 Comments »

一面お祭り騒ぎのような各局こぞっての会見中継だったそうですが、会見自体は至ってシンプルな中味でした。だから、マスコミは大げさに反応し、部数と視聴率との引き換えで、術中にはまったような流れと落ちでした。

やりたいことのために、残り時間を自由に使いたい。正論でしょう。映画を観てくれればわかる。本音でしょう。今度こそ本気・・・そこは、まあどうかなと思いますが、でも、その程度のコメントしか引き出せないんだからというより、むしろ取材陣自体がこの出来事には冷めていたのではないかと感じます。

なんであれ、ひとつの世界観と作風が去就するのは確かに残念ではあります。いまやりたいのはアニメーションではない。ということで、長編からは降りるけれど短いやつには、の期待を寄せるのはまだ早いようです。宮崎さんは、新しい日常のための、往くべき位置に付いたのです。

ところで長編と短編の境界線は何処にあるのだろうと、ふと気になりました。

となりのトトロは当初、60分の「中編」で企画されていたそうです。するとそれより短ければ「短編」なのかと思ったら、アカデミー賞では40分以上は長編扱いらしい。

するとこういうのが短編なのか。

 

老兵何処へ

老兵何処へ はコメントを受け付けていません

ポルコ・ロッソ宮崎駿さんが長編アニメーション映画の監督業から引退するという宣言が、発表直後のトップニュースになるほどの事とは思いもしませんでした。御年72歳。「ルパン三世カリオストロの城」で監督業デビューとするならば、だいたい34年、会社員の定年(最近は伸びてますが)にほぼ通ずる歳月を過ごしてきたわけで、引退なさること自体はあり得る話なのです。スタジオジブリとしての作品ならば、ここしばらくは2年に一本の割合で封切られていますから、パワフルのように見えても、「風立ちぬ」への着手は「崖の上のポニョ」の完成直後だと言われています。そのパワフルさをカンパケするまでには、約5年の耐久レースとなるのです。

引退宣言は、文藝春秋8月号掲載の半藤一利さんとの対談冒頭にて具体的に表明していましたから、引退そのものよりも、そのニュースの伝播の方に驚いています。確か「もののけ姫」のときにも、これで筆を折るというようなことを言われたことがありますし。これについては、ここ数作は常に、最後になる覚悟で作ってきたということも言ってらっしゃるので、今回はいよいよ年齢相応の体力がこたえてきたということなのでしょう。

しかしまあ逝去されたわけでもないのに(おいおい、失礼だろう)、惜しむ声だの若すぎるだのと大げさです。ディズニー嫌いの僕個人としては「日本のW・ディズニー」と評されることはもっと(そう比喩するメディアを)許し難い。長編から引退するというのであって、アニメーション作家、職人として筆を折るとは、今回はまだ言っていない。本日行われる記者会見でのコメントがどう展開するのかはわかりませんが、長編を手放してでも、残り少ないと自ら告げている時間の使い道をどこに振り向けるのかを見守っていきたいのです。そして老兵を継いで若い人たちが頭角を現していかなければ、アニメーション映画の世界自体が先へ進まないのですから。

 

 

第四の刺客

第四の刺客 はコメントを受け付けていません

rascalman1と言ったところで何の話か分からないと思いますが、転勤前に首都圏の放送局で時々見ていた「勇者ヨシヒコと魔王の城」が、宮城県では今どき流れており、この番組のあほさ加減を逆手に取った構成に、録画してまでまとめ観しているという・・・

それでも何のことかわからないので、ちゃんと説明すると、主人公のヨシヒコを狙い、第九話に登場する何人かの刺客のうちのひとりが、番組的には「アライグマ男」とされながら、本人がつい「ラスカル」と口走ってしまっている際どいキャラです。なんと舎弟を引き連れた拳銃使いです。

もともとRASCALという言葉の意味が意味ですから、こういう場面に出てこようとも不思議のない名前ではありますが、この出で立ち(むしろ顔)にミスマッチを生じさせるのは、はるか昔に一匹のアライグマにこんな名前を付けてしまったスターリング・ノースさんの功罪でしょう。

けんたうろす「予算の少ない冒険活劇」と言いながら、山賊だったり夜盗だったり村人だったり魔法使いだったりのゲストキャラに、けっこういろんな役者が「友情出演」で出てきます。番組が番組なだけに、そんな役やらせるんだーというノリがすごい。そのの1人、第一の刺客ことケンタウロス男なんか、ここんとこ空自の広報官や会津の殿様やジョージ浅倉に抜擢されている綾野剛さんじゃありませんかと、最近から役を遡っていくとなかなかすごい。もっとも、デビュー作が仮面ライダー555でのスパイダーオルフェノクでしたから、人馬となればグレードアップされているとも思えなくもないのか。意外にも、上半身と前脚(笑)は、馬らしく走ってます。

この番組、確か昨年、続編が放送されたはずですが、宮城県ではまだ放映されていないのが残念。いや、食い入るほどまでして観る番組でもないんですけどね。これを機に編成に組み込んでもらえると、密かにうれしい。

rascalman2ところで、かのアライグマ男ですが、飛び道具を持たないヨシヒコ一行にとっては大敵である拳銃武装の怪人なのです。しかしそこはアライグマ男、手にしたものを洗わずにはいられない性分でもあり、手持ちの銃をすべて水浸しにしてしまうという判りきったオチをつけやがります。

これだから功罪抱えつつも愛され続けるキャラなんでしょうかねえ。

 

TBin青海でした(うちの行事じゃないですけど)

TBin青海でした(うちの行事じゃないですけど) はコメントを受け付けていません

tb02TBお台場(うちの行事じゃないですよ)という記事を以前書きましたが、日本未来科学館の所在地は、正しくは青海2丁目でした。

「サンダーバード博」に過度の期待はしちゃならんと思いながらも、まさかなー、実物大TB2号は無理でも、ポッドくらいはどどーんと置いてあって、ジェットモグラはだめでもTB4号くらいなら設定原寸大でそこに展示されていて、ポッドの内部再現を眺められたらすごいよなあ・・・と妄想しながら出かけて行ったわけです。もちろんそんなものはありませんが、TB1号の操縦席は再現されていました。

そこに主催者の心意気を買っております。主たる展示は新たに興されたプロップの縮小版模型や、実際に使われたマリオネットなどです。

この展示会って、客層はかなり高年齢だろうという予想は大当たりで、ややもすると「お孫さんを連れた当時のファン」という3世代見学で、一番居心地悪そうにしているのが「中間の息子さん」などという風景もあり、ばりばりの団塊世代であろうおぢさんが、ずっと隠し持っていたのかもしれないサンダーバードのTシャツを着込んでやって来ていたりでしたが、お前ムック本丸暗記しているのか?と思ってしまうほど饒舌に解説してくれる中学生がいたりで、けっこう多世代の来場者でにぎわっていました。

それで感じたけれど、この手の展示は、博覧会ではなくて、美術館でやってもらった方が、じっくりと眺められるかもしれないということでした。その一方で、なかなか沢山のメカニックやトレーシー島の模型など、一部の映像展示を除き、条件付きで写真の未撮影許可を出していたことは、博覧会展示ならではの好意でもありました。

さらに気づかされるのは、スーパーメカニックこそないけれど、実在する海上保安庁や消防などのレスキュー機器の合理的な機能や、ユニフォームのスタイリッシュさ。この辺りの展示になると見学者は激減してしまうのですが、これはこれで見ごたえがあり、どうせなら特殊車両の実物でも置いてくれたらいいのにと。

しかし、サンダーバードだから集客できるという実力は認めるとして、日本のテレビ番組が生み出した「人型ヒーローやロボット」(これは別枠で行けるから)を除くスーパーメカニックだって、よってたかって集めたらすごいことになるはず。自分の孫を連れて、そういうものを見に行く日が訪れるかどうかは、今のところ皆目見当もつきませんが・・・

史上最強の操縦席

史上最強の操縦席 はコメントを受け付けていません

シート超高速偵察救助支援航空機であるサンダーバード1号は、地球上のあらゆる災害現場に1時間以内で到着できるという極めて高度な性能を実現しています。これを速度に表すと、とんでもない数字になってしまうのですが、設定上の最高速度はマッハ20を超えています。この速度をめぐって2年ほど前にアメリカ合衆国で、FalconHTV-2という実験飛行体の無人機テストが行われたそうですが、それは失敗に終わったとか。国際救助隊が活動する2065年まではまだ半世紀も待たねばなりませんから、この間に飛躍的な技術革新(TB1号の場合で言えば、原子力エンジンの採用でそうなっているのですが)が果たされるのかもしれません。

1号においては、その飛行速度もさることながら、サイロからの打ち上げ、弾道軌道などへの姿勢制御と水平飛行への移行などに対して、常に「パイロットが地上に対して足元を下に向ける」操縦席の構造が特徴となっており、逆に言えば操縦席周りはその固定・可動支柱以外はほぼ何もなさそうながらんどう状態です。

この機体内の与圧や耐G制御がどうなっているのかはさっばり判りませんが、機体操作も含め、この操縦席こそがパイロットの基本的な安全性を確保する全ての性能を与えられた、史上最強のシートと言うことができます。

いやしかし、実物大のシートを見せつけられたら、とてもじゃないですが恐ろしくて打ち上げられたくないぞと思っちゃった次第です。

そして帰還する

4 Comments »

2199-7石津嵐さんの手厳しい展開でもなく、松本零士さんやひおあきらさんのコミカライズによる大団円の流れでもなく、2199のヤマトはガミラス本星に赴き、イスカンダルに着水し、そして再び約束通りに地球へと帰還してきました。以前のイスカンダル編のツボはそのままに、より明るく希望に満ちた帰還。懐かしい楽曲と美しい背景画と洗練された原画と動画。何よりも「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」でこのアニメーションを嫌いになり、なんぼ続編が出てこようと一切支持してこなかった(しなくてもまったく影響ないし)僕を、もう一度「新しいイスカンダル編、いいじゃん」と思わせてくれただけでも、よくぞ作り直したものですと言ってはばかりません。

ラストは数十年前に固まっており、これを変えることはできない。そうなったらもう、イスカンダルを出航した後には何もできそうもない中で、随分と贅沢に2199ならではのエピソードを組み込んだなあと感じました。

あっ、その前に。第7章は小屋まで出かけて行って観ました。なにしろ残り4話分のソフト化が遅れたというし、テレビ放送は追いついてきてしまうし、やっぱりこの辺のスケジュール変更はソフト販売の戦略だとか放送局の都合による戦術だよねえと邪推しながらも、まんまとそれにのっかってしまった自分を否めません。

だからさ、観ていて何とはなしに苛立ったのですよ。

これだけ情報量を増幅して進んできた6章分に対して、7章の後半が決して情報量不足でも飽きさせる展開でもないのに、何処かがスカスカなのです。多分にそれはガミラスの、デスラーの描き方によるもののような気がするのですが、気取った紳士の裏側に秘められていた執念深さのない彼、とでも言えば良いのか、なんかそれ違うだろうという彼の幕引き後、ヤマトの艦内のドラマが微妙に長く感じられました。

ヤマトが大好きでその業界人になったという出渕裕さんは、当時のヤマトを越えるものを作り上げながらも、どこかで、大団円に込められたドラマ作りに関しては、一歩引いたのかなあと考えております。まあン10年前にもう観てしまっている最終話ですから、2度目の感動が薄くなっただけなのかもしれませんが。

確かめるのが彼らでいいのか?

2 Comments »

ライダー2まさか人様の賃貸住宅にライダーキックやエレクトロファイアをぶちかますことはしないでしょうけれど、視覚、聴覚に優れた改造を施された彼らの基準で「壁が薄い」とか「数ミクロンの隙間がある」とか言い出されたら、きりがないんじゃないか。

よもや上野さん、そのまさかのライダーキックレベルで部屋の頑丈さを確かめようってこと考えてないでしょうね? でも視聴者的には、前回の流れから、1号が風呂場に行きそうな気がしてならない。

 

レイトショーの帰り道

レイトショーの帰り道 はコメントを受け付けていません

風立ちぬ戦争を知る世代がどんどん高齢化して、その事実を伝えられる「すべ」が限られるようになった現代において、それを何かの形で残そうという人々の努力は、大事なことなのだと感じます。宮崎駿さんも、齢72を過ぎており、

「ポニョから5年かかって風立ちぬです。これ作ったらもう次は無いよ」

と、文藝春秋8月号の対談で語っている(終盤、次のために頑張る旨の発言もありますが)

幼少時に世界大戦を経験した宮崎さんは、作風はリベラルながらも戦争については大の嫌いな思考の人。しかしご存知のように機械が好きで乗り物が好きで、戦闘機を含むあらゆる飛行機が大好きであるという矛盾を内包することで知られています。だから、零式艦上戦闘機に至る単座戦闘機を開発した史実上の人物である堀越二郎氏を手掛ける際、模型雑誌ではそのキャラクターを豚として描き、一線を引いていました。よって、同作品(今作・風立ちぬ、の原点そのもの)に映像化のオファーが立った時は固辞されたとか。説得の末に堀辰夫氏の世界観をごちゃまぜにするというからくりを交えて、今作のプロットが成立しました。

つまり戦争は嫌いだが戦闘機は好きであり、美しい飛行機と言えば零式。しかしあまたの堀越二郎論には納得がいかないから、自分としてはこういうことじゃないのか?と考えた。という物語を組み立て、災害や富国強兵に翻弄されながらも堀越や堀が生きた時代を通して、戦争を鏡写しにしようと試みたのかと、そんな感想を抱きました。

祖父母や親父の戦争体験を効かされた記憶と照合すれば、堀越や菜穂子は、悲恋の道行きではあっても恵まれた環境下にいます。そこは、それ以上突っ込んでしまうなら高畑勲さんのやった作品にならざるを得ないし、そもそも宮崎さんはそこにスポットを当てるつもりは無かったから、照れ隠しで作ったという「紅の豚」をやりたいけれど、日本の戦時であれはできない。ならば堀辰夫の世界観を用いて(このへんはすべて想像です)としながら、戦争に翻弄されるけれど、自ら目指した道を地に足をつけて進む男を描こうとしたのだと感じます。

ちょっと尺が長かったかなという気もしますが、飛行機は好きだが戦争は嫌いなのだ、という作り方には、なるほどそうするのかと思わされ、それほどに打ち込んだものだったにもかかわらず、堀越の仕事は国を滅ぼしたとまで背中にのしかかる言葉まで用意してくる。その一言を堀越に告げた、時空を超えた堀越の友人ジャン・カプローニ伯爵は、堀越の過ごした10年をどのように評価したのか。それは映像を見ていただくとして、僕は伯爵のつぶやいた「あれが君のゼロか」のすぐあとのシーンだけが嫌いです。

「なんでああいうふうにしたんだろう?」

なんてことをつぶやきながら、レイトショーの帰り道。これにつきあってくれた霙が言うわけです。

「お父さんはきっと『そんなの飛行機雲描くだけでいいじゃん』と思ったんだろうけど、それじゃ主題歌タイアップべたべただもん」

この一言で、僕はこの映画を支持することにしたのです。

なぜって、「千尋」のときには冒頭のクモ爺が出てきたところで怖さに耐えられなくなって大泣きしてリタイアとなった彼女が、こんなこと言って対話につきあってくれるんですから。

同業の方々はパンツを脱いだの脱がないのと言いあっているそうですが、それそこそれは同業者による宮崎感ですわな。それぞれに得意技かましてくればいいと思うので、その話には興味はありません。

 

そしてタロウがここにいる

2 Comments »

DSC_2026イベントや舞台などのことは知りませんが、篠田三郎さんが東光太郎の振舞いをする(という解釈に基づくウルトラマンタロウへの変身ポーズと掛け声)のは、ことし7月のスポーツ報知でもポーズをやっているそうですが、ライブアクションとして見ることができたのはこの番組が事実上初めてと言ってもいいでしょう。

しかもこれは客演ではなくて、篠田×真夏(竜さん)の対談ですから、主役です。タロウ誕生40周年だとかですが、現時点ではウルトラに再登場していない唯一の人。よくまあやらせたこと、というより、やってくれたこと。

無くした(かもしれない)ピース

4 Comments »

ひろ美と春子あまりたいした話ではありませんが、岩手県久慈市内の道路工事現場付近で、この先工事やっているから注意してねの看板に、あの「じぇじぇじぇ」の顔文字マークが使われているのです。突然遭遇してこっちも「じぇじぇっ」だったためそのまま通過してしまい、写真に撮れなかったのが悔やまれます。

という話はさておき、誰も気に留めていないからそれこそどうでもよさそうなことになりますけど、「あまちゃん」の主要登場人物の一人である、鈴鹿ひろ美さん。

この人って、本名設定なんでしょうか? それとも芸名設定?

薬師丸ひろ子さん演ずる「大女優」とされる彼女は、本作の主人公・天野秋が上京してからの東京編で登場していますが、ポスターなどの間接的表現でならば、序盤の「故郷編」にもたびたび姿を現しています。それは物語の伏線上当然のことでもあるのですが、実は本編ではそれ以上でも以下でもない、鈴鹿ひろ美。一切のプロフィールが明かされていません。

だからって何か不都合があるかというと何もないので余計なことを言うべきじゃないのですが、

「鈴鹿さんって、夏ばっぱに似てる」

との、秋の一言が引っかかっているのです。夏ばっばとは秋の母である春子の母。天野夏さんのことです。天野家には当主にして漁師の忠兵衛さんが唯一の男性として設定されていますが、そこは置いといて、天野家の女性陣は夏、春、秋と三代にわたって名前に季節が使われていながら、家族構成の関係で「冬」がいないのです。いやいや、別にいなくたって全然かまわないのですが、よもや鈴鹿ひろ美さんの本名が冬子だとか冬美だとかって展開は・・・ないよね。