「食べられそうなくらいに育ったよ」と新月サンが収穫したオクラ。
キュウリやナスやらの苗を買いに行った時に
気の迷いでカゴに放り込まれました。
オクラも夏野菜だよねぇ、そう言えば。
実は食べ方がよく判らない(汗)
とりあえず湯がいて刻んで冷奴に乗せて見ました。
お初お目にかかりますー。
しまった・・・
今年の初収穫。
6月6日に雨ざぁざぁ降ってきて
などとコックさんの歌なんか日ごろはいちいち歌ったりしませんが、これであの絵が今描けるかと思ったら歌詞を忘れていて描けませんでした。なさけねー、健忘症が出てきちゃってますよ。
それはいかんということで足し算とか引き算とかやってアタマに刺激を与えようとしたらば、「6+6=12で、とうふと読み・・・」と、丸美屋食品工業が提唱しているのだそうです。
なんでー?と思えば、丸美屋の「麻婆豆腐の素」が1971年の6月6日に発売されたことに因んでの同社提唱記念日でした。はいはい、我が家でもずっとこれを使って麻婆豆腐だったり茄子だったりを作っております(他社のものを使っているケースも・・・たぶんある)。
それ(発売)以前の時代は、お袋はひき肉に辛味の味付けしたり片栗粉を水で溶いて調理していたと記憶していますが、僕自身は「素」で作る方法を身に着けてしまいました。話を脱線させると当時、豆腐に関しては町の豆腐屋まで自転車で買い出しに出ていたのですが、道が悪くて蓋つきのプラ容器で運んでも絹ごし豆腐は破損してしまい「運転へたくそ」とののしられたものです。後で知ることとなりますがこれをお袋が買い出すときは、帰路は自転車を押して徒歩で戻っていたらしい。
さらにコースアウトさせるとこの豆腐屋の主人、80年代末にパンダカラーのトレノを所有していました。僕がヘリーハンセンリミテッドのエスクードに乗っていた頃ですから、群馬のあのとうふ屋出現よりも早かったし、あの漫画を読むまでことさら関心も及ばなかったのですが、現在は廃業してトレノもありません。
話を戻して麻婆豆腐。単身赴任時代にはたまに作りました。鍋とフライパンは持っていたのに「後で買えばいいや」とめんどくさがって転居したときには炊飯器を用意しておらず、そのあと震災で大混乱して米を炊くという手立てをいつの間にやら放棄していたのです。それでも麻婆豆腐はそれだけで食えたし、中華麺を茹でて食うとなかなかいけましたので。
豊作♪
真似して作ってみた。
文明開化の食道楽
1858年に日米修好通商条約が締結され、翌年の6月2日、横浜が開港したという史実に基づき、横浜では「この機会がカレーの上陸にもつながるから横浜カレー記念日」という食文化があるそうです。ご当地記念日ですからそれでいいと思いますが、当時の日本にはまだ「食肉禁止令」の名残があったはずで、上陸はしたけどかの地の外国人居留地から外に出るのはすぐ、ということではなかったでしょう(鶏肉や蛙肉などの切り抜け方はあったと思われます)
記録によれば、国内の書物にそれらしき記述が現れるのは1867(大政奉還の年ですね)年に西洋料理店主、三河屋久兵衛が幕府に提出した「西洋御料理御献立」、カレーの作り方が紹介された例は1872に出された「西洋料理指南」と、文明開化には横浜発ある程度の時間差が介在します。他方、長崎県では16世紀にキリシタン大名が派遣した天正遣欧使節が持ち帰ったとも伝えられているし、全国学校栄養士協議会が1982年、学校給食にちなんで、1月22日を「カレーの日」に制定してもいます。
「最初」や「記念日」は、カレーライス、ライスカレーの世界になると様々なアピールが出てきそうです。これを競っていてはきりがないので「みんな違ってみんな良い」で済ませる方が無難です。それより大変なのは、これを食す人々の好みの数だけカレーの味も千差万別。つくばーど®行事でも主たる献立にライスカレーを採用していますが辛さをどうするんだ?が最初の課題でした。「それはもう学校給食のカレーで行きます」という英断がなされたのは目からうろこな逸話でした。
途中、途切れることもありますが、つくばーど®でカレーを振舞った最初の行事は2000年4月のことで、つくばーど®行事としては3回目でした。このときは最初の課題を抱えたままで「どんな味でも受け付けるカレーコンペでやるぜ」と見切り発車。ここで優勝したのが、この後カレー部門の板チョーとなるSIDEKICKさん作の学校給食カレーです。四半世紀前ですから家族連れのお子さんも小さかった。激辛カレーは自然と遠のいていったのです。
つくばーど®行事の最初は1999年で、まあ何をやればいいか要領がわからず、一般的なバーベキューを設営しました。ここから試行錯誤して「何処そこで開くつくばーど®は〇〇」という具合に献立が決まっていき、カレーはほぼ、天狗の森で開いた行事か、天竜川河川敷に特化していきました。僕個人はSIDEKICKさんに敬意を表し、つくばーど®行事でカレーが作られるまでは家庭でも外食でも食わなかった時期がありました。現在、カレーは食いたいけれど控えねばならないのが信条的にきつい。
負うた部下に教わる20周年
「雷蔵さんっ、仙七のカレーぬれやき煎買って送ってー」(仙台)
ばかやろー、通販でだって買えるじゃねーかよ。と気が付いた時にはすでに真壁のお店で買い物をして発送も頼んでしまったのですが、行かなければ知りませんでした煎餅屋仙七さんって、前身の創業者を別にすれば、今の屋号で三代目さんが看板を上げて20年目なんだとか。「三代目で20年」というところにエスクードつながりがあります。仙七は初代のお名前です。
ついでに小分けしたやつも自宅用に買っていこうと「つくばの小路」を注文しました。僕はぬれ煎餅が苦手なので、小腹ふさぎにはこれくらいがちょうどよいのです。この秋には八郷(石岡市)と真壁(桜川市)を結ぶ上曽トンネルも開通するので、つくばーど基地からだと交通難所の上曽峠をパスして真壁まで15分は近くなります。
美味しいならもう何でも有り
ここ何年も「 全国の飲食店向けに「うまいもん認定」事業を行っている一般社団法人・全日本うまいもん推進協議会が制定」という話題が5月22日になると出てくるのですが、5月をたま(0)ご(5)、22日をニワトリ(2) ニワトリ(2)のなんとも強引な語呂合わせから「たまご料理の日」として本日があてがわれているそうです。例によって「いつ制定されたんだよ」という記述がなかなか見つからないうえ、全日本うまいもん推進協議会がよくわからない。
探しているうちに今度は一般社団法人 日本たまごかけごはん研究所というのがでてきて、ここが「たまご料理の日」についても触れているのだけれど、もうなんというかたまご関係記念日の多いこと!
それはともかく同団体、「たまご料理の日」では食文化の啓蒙としてあらゆるジャンルにまたがる卵をとりあげる一方、食中毒撲滅といった目標を掲げていて、「たまご料理NO1グランプリ」なんていうイベントも開いているようです。世の中には卵にアレルギーを持つ人もいることはいますが、確かに日常食生活で卵と出会わないケースは少ないと言えるのかも。あっ、しまった22日はアポロ10を書こうと思っていたのに卵料理に行っちゃったよ。