夕方、新月サンから
「ハマグリ貰ったから、ナンか作って」と、電話が。
貰ったってどゆこと???
(知り合いのトコでお裾分けされたらしい)
焼いても良かったんだけど。
つやっ艶して美味しそうだったので、潮汁に。
アニさまに頂いたお米もふっくら~
2合炊いたのに、新月サンほぼ食べちゃったよぉ(笑)
普段は翌朝オニギリ2つ作れるくらい残る(残す)のに。
よっぽど美味しかったンだわな、お米。
頂き物で賄う夕飯。
独り買い出しEレイド
前回、霰と中禅寺湖へ出かけた帰り道に、道の駅日光に立ち寄ってトイレ休憩していた際、霰が一つ隣の路地を散策して見つけた「菓子処本沢屋」。団子の店です。
このとき購入したあやめ団子がとても美味くて、10月末に日光市で仕事ができ(仕事を作り、の間違いじゃないのか?)、いそいそと出かけて行ったら「定休日だった」という裏話があります。
それは雪辱戦に臨まねばいかん。と、買い出しトライアルの日に、
「開店と同時に購入して高速で戻れば、集合時間に間に合う」とまで意気込んで、道の駅にしかたの最寄インターをすっ飛ばして、日光市・旧今市市街地までダッシュしてきたのです。濃厚なのにしつこさのない醤油だれと、その場で食っても半日おいても柔らかさの変わらない団子に、霰よ、よくぞ見つけた! とあらためて、あやめと餡子を買い求めました。
インターネット上では道の駅日光の裏路地、と紹介している人がいますが何言ってんだ、のロケーションで、この路地は東照宮造営の際に徳川家光が停泊した「如来寺」の表参道です。あの二宮尊徳の弔いもこの寺で行われている、ちょっとした歴史の石畳(石畳は近年のものかも?)です。本沢だんご自体は1907年創業だそうで、家光の時代とは縁はありません。でも、その創業時から変わらない味を守り続けているだけでも十分じゃありませんか。
食えなくなる以前に獲れなくなるとも
久しぶりの・・・
芋も栗も美味しい時期さ
埼玉、というよりは川越。川越と言えば焼き芋・・・という食文化の一面。諸説ある中、十代将軍・徳川家治への献上によって「川越芋」の名を得ていますが、サツマイモ自体はその爺ちゃんの吉宗が飢饉対策で関東一円に広めた食材で、埼玉方面で最初に入ってきたのは所沢だったと言われています。それでも当時から、川越市中では焼き芋が一大ブームとなり、云々・・・ 川越芋は押しも押されもしない地域の名産であることには変わりありません。
とはいえ、いつの間にやらサツマイモの生産全国一を勝ち取った「らしい」茨城には、たぶん入ってきたのは後発だと思われますが、長い年月を努力してきたのです。茨城の場合は、焼くより乾燥させた干し芋の方が有名になっています。これも知らなかったんだけど、他地域によっては高級食材なのだとか。あれを食わされて育った世代に言わせると、あれのどこが高級なんだよもういいよ、と内心は天ぷらとか焼き芋の方が主流だと考えてしまいます。
しかし何がけしからんかって、10月13日を「さつまいもの日」とならわす川越の文化は大いに讃えるとして、江戸時代に言われていた「栗(九里)より(四里)うまい十三里」という売り文句。江戸から川越宿までの距離にちなんだそうですが、栗よりうまいって、茨城に喧嘩売ってんのかこのやろー(笑 川越いも友の会の人々にはなんの遺恨もありません、江戸時代に文句言ってます)。茨城、なかんずく笠間は近年、栗生産全国一の要衝となっております。
次の次はこれかな?
買い出しトライアルの下見を完了したあと、日光市から宇都宮方面への道路混雑が始まっていたので「来た道を戻るなど言語道断」とかうそぶき、というよりクロさんから新しくておいしいコーヒーの店を教わっていたので、国道122号で桐生へ下りそのまま栃木県へ抜けていったのです。クロさんの隠れ家らしいから、ここの話は割愛しますが、閉店40分前に辿り着いても快く席を勧めてくれ、丁寧な淹れ方の、2杯は飲みたくなる良いお店でした。
この辺りまで来たところで日没となるのがわかっていたので、今夜のご飯をどうするよ? という話を既に足尾の通過の頃からしていて、「群馬でしょ? 釜めしかな、だるま弁当かな」「なんでそんなに明後日の方向に持って行こうとするんだ」などと夫婦のあほな会話も繰り広げられていたのです。そしたら目の前に「上州御用鳥めし本舗」の看板がどーんと現れるではありませんか。あっ、こんなところに登利平の販売店があるんだ! と頭上に電球がともる瞬間です。
うちのブログでは風花さんが時々書いている、鳥めし弁当のあの店です。霙が出張不在で、霰は仕事が終わり次第帰宅してくるというので、3人分、と思ったら鳥めしのとなりの炙り焼き(豚)も捨てがたく、ひとつは炙り焼きにして持ち帰りとしました。これ、なかなかうまいんです。次の次の買い出しトライアルのお題に「だるま弁当」の線もありますが、登利平も販売店舗の展開が進んでおり、こちらもいけそうです(次もやっていないうちに何を言い出すんだ)
暑気払い
アルコールに耐性の無い体質なのでビールもワインもまるで飲めない以上、食い物で暑気払いするしかない。ここしばらく素麺だとか冷麺だとか笊蕎麦だとかで十分に暑気払いな食い物をいただいているんだけど、「ほんとはそうじゃないんだ」感を拭いきれず、肉に走る欲求は避けられないのです。などと脳内で言い訳しながら(何に言い訳する必要があるんだよ)、生ハムと常陸牛のたたき炙りとローストビーフにかぶりつき、主食を待ちます。
昼飯で頼んだのはランチの献立にあったハンバーグと常陸牛ステーキの組み合わせで、サラダとライスと漬物と豚汁(!)がついてくる。夜だったらまず頼まない肉「圧」です。いいのか潰瘍とかポリープとかやっててこんなの。とも思ったんですが、治療直後にラーメン食ってるやつがいまさら何を言うのかと、食欲が空腹を後押ししました。これで夜はお茶漬けかなんかでいいやと帰宅すると、女性陣を代表して霙からメール着信。
『今夜は鉄板焼きで暑気払いとなりました』
・・・それなんで俺にも事前打ち合わせのメール入れてくれないんだよ!
冷麺と初物
再び・・・というか、もう何回も、ですが、筑波の客先に打ち合わせで出かけまして、先日のぴょんぴょん舎の冷麺についてお礼を言いながら写真を撮り忘れてのオチを報告。すると「じゃあお昼ごはんに作りましょ」と話の進むのが速いこと。
「あーでも僕キムチダメなんです」と言ったら「あの辛みが無くてどうすんのよ」と。まあそれはそうなんですがだめなもんはダメでして。するとハムと茹で卵と大根の浅漬け、蕪、茗荷にアレンジしてくれて。実は茗荷もだめなんですが。
それにしても妙にたくさん蕪が入ってるなあと二つ目の塊を口に入れたら、梨でした。梨なんて季節にあまり関係なく売られるようになりはしましたが、去年はその季節を逸してほとんど食えなかった。僕にしてみれば今年の初物です。
これはうれしやありがたやと、そのことを告げたら「そっか。じゃあ梨も剥こう」と、いやそんな催促したみたいで悪いじゃんと思ってしまったのですがどかんと四個分くらいの梨がカットされて出てくる話の超速いこと。美味しくいただきまして、つまり、その梨の写真を撮り忘れたというオチ・・・
念のため言っときますが、仕事で出かけた日常の話ですからね。
摂氏三十五度の昼下がり
旧盆とは思えない宵の口
「朝、出かけるときに言い忘れてました。遅番なので夕飯要りません」
「怒涛のシフトでてんやわんやしてて帰りが遅くなります」
「仕事が停滞しちゃて終わらないから先に晩御飯食べて」
次々とメールが入ってくるのは仕方がないとして、発信するのが遅いよ。
と、旧盆の祭壇設営を一人でやっている僕は、どうも家族たちからは休日に入っていると思い込まれているようです。お袋の七回忌も済んだ年回りなので、祭壇の内容は新盆の家庭と間違われないようにことしから簡素化。それでも一人でやるのはなかなか効率が悪いと感じながら時計を見たら晩飯どきはそろそろ終わっているんじゃないか? 慌てて玄関を施錠してマスクを装備して外出。今夜は一家離散の夕飯ですが、近所の蕎麦屋に閉店間際に飛び込んだら本日最後の客認定です。
コロナ禍で客足はだいぶ遠のいたようで、それでもまだ頑張れると暖簾を掲げているそうです。閉店時間は一時間ほど前倒しになりましたが、11時に店を開いてから休憩なしで19時まで切り盛りしている(普段は20時)ことには頭が下がります。前日ほどではなかったけれど激暑とやらの日中は冷茶と握り飯だったので、いつもは大天ざるのところを看板献立の五目の蕎麦(の、を入れないと中華になってしまう)。五目どころか十目載ってます。汗だくで食ってまいりました。




